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言わぬが花 第十六回 独自の視点とオリジナリティー

 アニメを見ていると、子供の描き方に型があることに気付きます。

 例えば、仲のよい幼い兄と妹が道を歩いていると、妹が転びます。兄は手を差し伸べて引き起こしてやり、服の汚れをはたいて妹を慰めます。怪我をしていたら負ぶってあげるかも知れません。


 こうした場面は、アニメをある程度観ている人なら何も調べなくても書けます。

 定番でありきたりだからです。

 しかし、子供をよく観察すると、こうした場合に兄が必ずしもこういう行動をしないことが分かります。


 ここで三つに分かれます。

 現実を無視して定番を書く人と、自分の知識や体験など現実に即して書く人、そして定番と現実を考え合わせて自分なりの兄の行動を生み出す人です。


 言うまでもありませんが、創造的なのは三番目のタイプの作者です。

 定番派は他人のまねです。思考停止して楽をしています。

 現実派はただ現実を写しているだけです。

 生み出す派こそが、本当の意味での創作です。

 実は、登場人物の個性とは、このようにして作られるものです。


 例えば、大名家の若い姫君がいたとします。

 定番の書き方はあります。

 しかし、作者自身の女性や姫君という生き物への知識と経験から考えると、定番に違和感やおかしさを覚えます。

 また、物語での役割からも、もっとふさわしい行動があります。


 大名家の姫君は、普段はこんなことやあんなことを考えているのではないかしら。

 彼女たちにはこういう欠点や悩みがあるのではないかしら。

 より姫君にふさわしく、育ちのよさや気品を感じさせるエピソードはないかしら。


 こういった検討をすることで、その作者らしい視点や皮肉や風刺が入り、よくありそうでいながら他と似ていない姫君ができ上がります。


 登場人物の個性はこうしたところから生まれます。

 人という生き物をたくさん観察してよく考えている人ほど独自の視点を持っていて、類型と違う人物になります。

 そういう人物の言葉や容姿は盗めても、性格や考え方までは他人にはなかなかまねができません。


 そういう人物にこそ、独創性があります。

 本当によい作品を書きたいのなら、主要人物は自分にしか書けない人間像を創造することが必要です。

 定番の型を当てはめるのは、敢えてそういう人物を描くのでなければ脇役にした方がよいでしょう。


 これは登場人物に限りません。

 物語の舞台となる世界の地理や歴史や文化や暮らしぶり、魔法や異能力や超科学といった非現実要素も、こういうやり方で独自のものを作れます。

 ストーリーの筋も、基本となる型やよくある流れをもとにしつつ、そこに自分の視点や感性でひねりを加えることで、先が読めず意外性のあるものにすることができます。


 新しいものを生み出したければ既存のものをよく知り楽しむことです。

 同時に、厳しく批判してよりよい方法を探す気持ちも必要です。

 すぐれた書き手は大抵の場合、多くの作品を深く理解し分析できるすぐれた読み手でもあるのです。



 ところで、小説を書くと、感想をもらうことがあります。

 読んでくれた友人から助言を受けることもあります。

 物語を作る時、ストーリーを組み立てる時、誰かに相談した方がよいのでしょうか。

 それとも一人で全てを考えた方がよいのでしょうか。


 小説の執筆は孤独な作業です。

 書いているものが本当に面白いのか、不安になることもあります。

 そういう時、誰かに感想を聞きたくなります。


 第六回で述べましたが、小説は期待する反応を求めて書くものです。

 どのような感想を持つのか知りたいのは当然のことでしょう。

 多くの人に読んでもらいたいなら、他人がその作品をどう思うのかを知ることで長所を伸ばし、欠点を減らせるかも知れません。

 三人寄れば文殊(もんじゅ)の知恵という言葉もあります。


 ですが、ストーリーや登場人物の設計を誰かと相談するのはお勧めしません。

 すぐれた作品を書きたければやめた方がよいでしょう。


 理由は簡単です。

 相談せずに一人で書いた方が個性的な作品になる可能性が高いからです。


 物語を語るとは、一つの世界を創り上げ、主人公を始めとする多くの登場人物を生み出して動かすことです。

 そうした世界や登場人物たちに個性を与え、生き生きとさせるのは、作者のこだわりです。


 「こういうのが面白いんだ! 好きなんだ!」

 「ここは絶対にこうでなくてはいけないんだ!」

 「違う意見の人もいると思うけど、自分はこれがいいんだ!」


 こういった作者の趣味や思想が、世界や人物たちに他人の作品と違う独自の色を与えます。


 個人の意見というのは必ず(かたよ)っています。

 人はみな自分の世界を持っていて、他人からするとびっくりするようなことを思い付いたり考えたりしているものです。

 それが作品に反映されるから面白いのです。

 作品の面白さとは、作者の個性の面白さなのです。


 しかし、もらった意見をそのまま取り入れたり、何人かでアイデアを出し合ったりすると、個性が薄くなります。

 赤一色の世界に、青や緑や黄色がまじってしまうのです。

 みんなが理解し納得できるものは、個性的でも過激でも奇抜でもありません。

 最大公約数のような、分かりやすいけれどありきたりな設定やストーリーになってしまいます。


 ですから、一人でストーリーを組み立てて、作者個人の趣味や思想で統一した方が、作品は面白くなります。

 他人の感想から新しい視点をもらえることもありますが、最後は作者自身が自分のこだわりと照らし合わせて採用するかどうかを判断する必要があります。


 また、世に既に存在するものを自作に持ち込む時も注意が必要です。

 大勢に受けるものを書こうとすると、読者が喜びそうなものや、現在流行っているもの、話題のもの、面白いと思われている定番のものを入れようとします。

 すると、個性が弱くなります。

 そうしたものは作者の趣味ではありません。

 他人の好きなものです。

 多くの人のアイデアや好みを寄せ集めると、その作者らしさが薄れて、どこかで見たことがある雰囲気になってしまいます。


 この「どこかで見たことがある」という印象は、オリジナリティーの最大の敵です。

 他にすぐれた部分があっても、小説全体がありきたりで個性の薄いものに見えてしまいます。


 そもそも、世の中に既にあるものを持ち込むのは創造的な行為ではありません。

 この作者には独自のものを生み出す才能がないと見なされてしまうかも知れません。

 上手な人は作品に合うように加工して持ち込みますが、定番を大きく崩すのは難しく、借り物であることは隠せません。


 全てをオリジナルにしなければならないわけではありません。

 それはとても難しいことです。

 また、ジャンルや小説の決まり事は先人たちが生み出したものです。

 それでも、自分にしか書けないものを書いてこそ、オリジナルの作品と言えます。

 他の書き手の作品では読めない独特のものが含まれているならば、その書き手や作品はかえがきかないことになります。


 執筆の各場面で、ここは自分で考え出すべきか、それとも借り物ですませて問題ないか、判断する力を作者は問われます。

 そして、できる限り自分らしいものを生み出し加工して、作品を自分の色に染めていかなくてはなりません。


 誰かに感想を聞きたくなる気持ちはよく分かります。

 特に初心者のうちは、目のある人に読んでもらうことで、自作に足りないものが分かることもあります。


 それでも、感想はあくまで参考にとどめて、それに左右されてはいけません。

 特に、構想段階や執筆中に他人の意見を聞くのはお(すす)めできません。

 感想をもらうのは、完成させてからにしましょう。


 自分だけの個性的な作品を、他人の助言によって作ることはできないのです。

 読者の方も、自分の意見に合わせて書くように強要してはいけません。

 小説の執筆とは、非常に孤独な作業なのです。

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