第7話 パレード・光/闇
「ふぅ……もうこんな時間か。随分遅くなってしまったが、なんとか間に合ったな」
俺はすっかり暗くなったアルドラシルの街角を歩いていた。
無事サブクラスも取得出来たし、他の用事も全て済ませる事が出来た。これで、ローザを仲間にする準備は整ったと言えるだろう。
すぐローザの元へ向かう事は出来るが、それはしない。
今夜は、ロベリアとのデートの時間が待っている。流石にそれくらいの余裕をもってもバチは当たらないだろう。
早足で目的地へと向かう。虹色の噴水前では、ロベリアがなにやらそわそわとしている様子だった。
それを見た俺は、すぐに彼女の元へと向かわずに少し観察してみることにした。
しきりに時計と周囲を確認したり、落ち着かなそうに手鏡を片手に髪を弄っている。かと思えば、心臓に手を当てて深呼吸をし出した。
なにこれ可愛い。
思わず馬鹿みたいな感想が浮かんでしまう。その反応が全て自分を意識しているがためだと思うと、ニヤニヤとした笑みが溢れるのも無理はないだろう。
そうしている分には、彼女はただの年相応の少女だ。
今ばかりは、その使命を忘れてくれれば、と思う。でなければ救われない。
そんなことを思っていると、ロベリアと目が合ってしまった。
彼女はぷくー、と頬を膨らませてこちらへ向かってくる。
「ヴィンデンさん、気付いてるなら声をかけて下さい! もう、結構待ったんですからね、私」
「ああ、すまない。まさかそんなに楽しみにしているとは思わなかったよ」
そう言うと、彼女は何かに感づいた様子だった。
「……ヴィンデンさん、いつから見てたんですか?」
「ん? いや、ついさっきだよ。ホントホント、今来たところだから、いや本当に」
「絶対嘘じゃないですかー! 信じられない、人を待たせておいてストーキングですか! どこまで変態なんですかヴィンデンさんは!」
「いや待て誤解だ。少し観察していただけで、ストーキングまではしていない!」
慌てて否定するも、ロベリアはつーん、と顔を背けてしまった。どうやらお冠のようだ。
実際、半分ストーキングのような真似をしていたのだから必死に謝るしかない。
「……まあ、ギリギリ時間には間に合ってるので許してあげますけど。でも、遠くから観察するのは恥ずかしいので止めて下さい。いいですね?」
「ああ、反省してます。もうしません」
「ところで……なんだか人が沢山集まって来ましたけど、なにかあるんですか?」
「あるとも。そら、もうじき始まるぞ。空を見るといい」
噴水広場には人だかりが出来ていた。エルフたちや観光に来た人間、亜人種たちは皆一様に空を見上げている。
そう、今日この日は特別な一日。きっと神様が気を利かせてくれたのだろう。
アルドラシルは本日――お祭りが開催されるのだ。
時刻は二十刻となった。同時に、街全体に響き渡る荘厳な鐘の音。
次いで、夜空に変化があった。ロベリアは空を見上げ、その表情を輝かせる。
「わぁ……綺麗……!」
頭上から降り注ぐのは光り輝くオーロラ。万能球体が防壁の内側に魔法で作り出した虚像を投影しているのだ。
ゲーム時代でも圧巻の光景ではあったが、この世界ではより素晴らしい感動を与えてくれていた。
誰もが空を見上げて感嘆の声を漏らしている。ロベリアもまた、じっと光の帯を眺めていた。
だが、これはあくまで前座に過ぎない。このお祭りはゲーム時代、パレードと称されていたものだ。
つまり、祭りはここからが本番である。
オーロラが次第に薄まり、鐘の音もひっそりと消えていく。ふっ、と停電したかのように世界が暗黒に包まれた。
「えっ、えっ? なに、どうしたんですか?」
可愛らしい反応をするロベリア。俺は思わず笑いをこらえていた。
茶化してもよかったが、それは野暮というものだろう。
闇の帳が降りた世界で、軽快な音楽が響き渡る。祭りを盛り上げる幻想的な曲調だ。
そして、世界に光が満ちる。
そこに映し出されていたのは、正に息を呑む光景だった。
頭上では花火がその花弁を大いに咲かせ、地上では巨大なピエロが踊る。美しいドレスを纏った姫が乗る馬車が空中を飛び回り、青い蝶や鳥たちの群れが乱舞する。
パレードの始まりだ。
「す……凄い! 凄いですヴィンデンさん! 見て下さい、どうなってるんですかこれ!?」
すっかり興奮したロベリアが俺の腕を高速で揺する。俺は苦笑いしながら答えた。
「魔法だよ。万能球体による立体映像だ。それにしてもこれは……ああ、本当に凄いな」
経験済みの俺でさえ、そんな頭の弱い感想しか湧いてこない。
周囲の人たちも揃って歓声を上げている。年に一回のお祭りは、今年も大成功と言えるだろう。
俺は少し緊張しながら、ロベリアの手を取った。
彼女は軽く驚いた様子だったが、ニコリと笑って握り返してきた。
ふう、まったく情けない。戦闘時でさえ緊張することは稀だというのに。
「さあ、約束を果たす時だ。一緒に街を見て周ろう。昼に一度訪れているなら、夜の顔はまた別物になっていて驚くぞ。エスコートさせていただいても、レディ?」
「ふふっ、似合わないですよヴィンデンさん。でも……はい、喜んでお願いします!」
俺たちはパレードの雰囲気に浮かされるまま、手を繋いで夜のアルドラシルを巡ったのだった。
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パレードの喧騒が鳴り止まぬ中、アルドラシル中央区にそびえ立つ魔法研究所の一室では、それを忌々しそうに眺める少女の影があった。
濡れ烏を思わせる長い黒髪にオニキスの瞳。尖った耳はエルフの象徴であり、身にまとう漆黒のドレスととんがり帽子は正しく魔女という名に相応しい。
彼女こそ«黒薔薇の魔女»ことローザ・ネグノワールだった。
「……今年も、間に合わなかったのね」
ローザは呪うように独白する。
今の彼女にとっては、パレードも、それに浮かれる人々も、誰も彼もが恨めしい。
彼女が見つめているのは、窓の外の景色ではなく、窓に映った自分自身だった。
しばらくそうしていると、その背後に薄氷の声が届く。今にも割れてしまいそうな淡い響き。
「……お姉ちゃん? パレード、始まったの?」
声の主は、彼女の妹であるミザリィ・ネグノワール。ベッドに横たわった体は痩せ細り、姉に似た美貌は今やその影を潜めている。
ミザリィは難病に侵されていた。昔から病弱だった彼女だが、ついに七歳の時から自力で立つこともままならなくなり、以来ずっとベッドで寝たきりの状態が続いていた。
現在、ミザリィは十四歳。姉のローザはその五つ上の十九歳だ。
「……ええ。ごめんなさい、ミザリィ。お姉ちゃんの力が足りないばっかりに、今年もあなたの夢を叶えてあげられなかった」
「……ううん、いいの。もう、そんなの……ずっと、昔に言ったことでしょう? 私のことはいいから、お姉ちゃんは……素敵は人、見つけて……パレード、見て周れば、いいのに」
「馬鹿ね、そんな人いないし、どうでもいいわよ。私はあなたを治す、そう約束したでしょうミザリィ。お姉ちゃんが信じられない?」
儚げに笑うミザリィ。辛そうに、しかしふるふると首を横に振るう。
「……信じてる。だって……おねえ、ちゃんは天才だもん。でも、本当に……私のことは、気に、しなくて……いいんだからね? 私は、お姉ちゃんが、幸せ、に……なってくれる方が……嬉しいよ」
途切れ途切れに、しかし懸命に言葉を繋ぐミザリィに、ローザは慈愛に満ちた表情を浮かべた。
決して、悲しそうな顔をしてはならないと、そう自分を戒めながら。
「あなたの幸せがお姉ちゃんの幸せよ。外が気になるだろうけど、もう寝た方がいいわ」
「うん……そうするね」
ミザリィはそう言って目を閉じた。まるで未練を断ち切るように。
ローザは最愛の妹が寝付いたのを確認し、魔法照明を消して病室を出た。
そのまま早足で自室に戻ると、木製のテーブルを思い切り叩きつける。乱雑に置かれた論文やフラスコが地面に落ちるが、彼女は頓着した様子もない。
「なんでよ……どうして治らないの……! どうして、どうして、どうして!」
激情は洪水のように溢れ出る。彼女が今度こそはと誓って精製した魔法薬も、症状を抑える程度に留まった。
完治には至らない。食い止めるのが精一杯で、それももはや時間の問題だ。日に日にミザリィを蝕む病魔は、いつ死神の鎌を振り下ろすか分からない。
ローザ・ネグノワールは神に祈らない。彼女が信じているのは、そんなあやふやなものではなく、自身の才能のみだった。
彼女は魔法の天才だ。幼い頃より神童と呼ばれ、あらゆる分野の魔法を会得し、数々の魔法を開発した。
十六歳という異例の若さで魔法研究所に招かれたのも史上初のことである。なにせエルフは長寿だ。齢百を越す研究者がほとんどであることを考えれば、その異例ぶりも知れよう。
しかし、彼女にとってそれは手段でしかなかった。ローザの目的は妹を治療すること、ただそれ一点。
魔法研究所に入ったのは、そのための設備と資金を得られるからであって、地位や名誉にはまるで興味も示さなかった。
そんな彼女が――未だに、ミザリィを救えずにいる。その事実が彼女には耐えられない。
「一度でいいから、自分の目でパレードを見たい……そんなちっぽけな願いすら、叶えてあげられないっていうの?」
今年もパレードの日は来てしまった。ミザリィが来年もパレードの日を迎えられるという保証はどこにもない。
もはや、ローザは手段を選んではいられなかった。それこそ奇跡に縋るより他なかったのだ。
ローザは本棚から古びた書物を取り出した。そこには、あらゆる病を癒やすという究極の魔法薬のレシピが記されている。
眉唾ものだ。本物である確証などない。これを見せられたものは九分九厘、ただのデタラメだと一笑に付すだろう。
だが、ローザにはもう、これ以外の方法を思いつかなかった。
このレシピを完成させるには、さらに問題がある。
サエーナの樹と呼ばれる樹木から取れる薬草が必要なのだ。しかもその樹は、エルフたちにとって禁忌の地である«千年樹海»にしか群生していないという。
«千年樹海»は竜種すら住まう最悪の樹海だ。その地に踏み込んで生還したものはほんの僅かだとされている。
「それでも、私は――あの娘を治すって、約束したんだから」
今から向かえば、明日の朝には«千年樹海»に到着するだろう、と彼女は判断した。
ローザは決意を固めると、素早く荷物を纏め上げた。そして、悩んだ末に妹への置き手紙を用意する。
準備を整えると、彼女は静かに魔法研究所を後にした。華やかなパレードの隙間を縫い、転移魔法陣へと向かう。
魔法陣からは噂のパレードを一目見ようと多くの人間が湧き出てくる。その流れに逆らう者はローザ一人であった。
「待っててミザリィ……来年は、一緒にパレードを見ようね」
そう呟いて、黒魔女の痩身は転移の光に包まれた。