第4話 鬼退治/デートの約束
俺はオーガに向かって疾走しながら、奴の動きを観察し続ける。
ありとあらゆる攻撃には、予備動作が存在するからだ。
達人であるなら予備動作を最小限まで消すことが出来るだろうが、ここはゲームが現実となった世界。
極論、ゲームとは――クリア出来るように設計されているものなのだ。
よほど製作者の意地が悪かったりする場合は別だが、«インバーサス・オンライン»はゲームバランスに限ればそのようなことはない。
そのため、モンスターの動きは特に顕著だ。オーガがその巨大な右足を一歩踏み出す。
――薙ぎ払い。
俺は足をとめ、全身に急制動をかける。目と鼻の先で、オーガの振るった棍棒が横切った。
渾身の一撃が空を切ったことに、オーガは驚愕の表情を浮かべているようだ。
俺はその隙を逃さず、オーガの懐に潜り込む。これほどのショートレンジでは棍棒は振るえない。
勢いを殺さず、オーガの右足に向かってタックルを仕掛けるような形となる。
このような条件下でとれる行動は自ずと決まってくる。もはやこうなれば予備動作から先読みする必要すらない。
オーガは右足を畳み、膝蹴りを繰り出した。
回転しながら回避する。タックルはあくまでフェイント。大きく空いたオーガの股下を地を這うようにしてすり抜ける。
大鬼は完全にこちらを見失っていた。俺はその背後に回ると、膝蹴りの体勢となっているオーガの軸足――左膝裏を思い切り蹴飛ばしてやる。
いわゆる膝カックン、だ。しかし侮るなかれ、大地を踏みしめる軸足を崩されれば、バランスを崩すのは必然である。
オーガの巨体が前方へと倒れる。俺は位置の下がったオーガの背中目掛けて飛びかかる。
そして、そのままオーガの太い首を締め上げた。裸絞――チョークスリーパーだ。
ゲームでは関節技や絞め技など存在しなかったし、実行してもダメージにはならなかっただろう。
しかし、この世界ではどうなるか。これも実験の範疇だ。
オーガは何が起こっているのか理解しきれていない。ただ闇雲に暴れ、無理やり振りほどこうとするだけだ。
俺は万力のように首を締め上げる。オーガの頭上に表示されているヒットポイントが加速度的に減少していった。
よし、効いている。モンスターといえど、やはり頸部は急所であるらしい。
出来れば頚椎をへし折ってしまいたいところだったが、分厚い筋肉の壁に阻まれそれは敵わない。
が、その必要はなかったようだ。しばらく締めているとオーガの巨体が力を失い崩れ落ちる。そしてそのまま光の粒子となって消滅していった。
まあ、オーガなど所詮はこんなものか。とはいえ、有益な実験結果だったと言えるだろう。
筋力が初期値の人間がオーガを素手で絞め殺せるはずがない。俺の仮説はおおよそ正しかったと見るべきだ。
冷静に思考しながらドロップ品をアイテムポーチに詰めていると、御者のおっさんが驚嘆の声を上げた。
「おいおい、すげえな兄ちゃん! いやあたまげたぜ、素手でオーガを倒すなんて……あんたホントに人間か!?」
豪快に笑いながらこちらの肩をバンバンと叩いてくる。興奮を隠しきれない様子だった。
後ろを振り返ると、ロベリアがこちらに駆け寄ってきた。
「ヴィンデンさん、お怪我は!? もう、まったく無茶な戦い方をするんですから……! あぁ、でも、ご無事で良かった」
ほっと息を吐きながら微笑むロベリア。
それは正しく花が咲いたようで、彼女の美しさが一際輝く笑顔だった。
この笑顔を守りたい。そう思うのは、愚かなことではないはずだ。俺は内心でそう決意を固めたのだった。
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それから馬車に揺られ続けること三日。
俺たちはついに、魔法国エルダールーンの中でも最大の街、アルドラシルに到着したのだった。
この街において特徴的なのは、街の頭上に浮かぶ巨大な球体だろう。それは翡翠の輝きを放ちながら、街全体を覆うドーム状の半透明な壁を形成している。
あれは魔力によって稼働する万能球体だ。防壁の展開、気候、気温の調節から、高性能なレーダーとしても機能するという。
他の種族と比べて寿命が長い代わり、個体数が少ないエルフたちがここまで発展したのは、この街による恩恵が非常に大きいとされる。
外敵に脅かされることなく、自由に魔法の研究が行える――それはエルフたちにとって最高の環境なのだ。
今回俺たちが用があるのは、パーティー加入可能なNPCの一人である≪黒薔薇の魔女≫ことローザ・ネグノワール。
彼女はとても優秀なNPCで、ゲーム時代でも非常に人気の高いキャラクターだった。
さらに言えば、彼女の先祖はかつて魔王に封印を施した者たちの内の一人。性能にも設定にも恵まれたキャラだと言えるだろう。
彼女を仲間にするためには、『黒魔女の献身』というクエストをこなさなければならない。
この世界においても、彼女を仲間に加えるには同様の手順を踏む必要があるはず。
しかしながら、俺にはある思惑があった。
この『黒魔女の献身』というクエストは、最後に悲劇的な結末を迎える。
«インバーサス・オンライン»のスタッフはバッドエンドがよほど好きだったらしい。他にも『貴婦人の迷い子』や『堕ちた竜人』など悪名高い鬱展開のあるクエストが用意されているほどだ。
故に、これもまた実験の一つ。
『黒魔女の献身』をハッピーエンドで終わらせられるかどうか、だ。
もしこのクエストの流れを変え、結末をも変えられるのであれば、魔王討伐後のバッドエンドをも覆せる可能性が生まれてくる。
つまりは一石二鳥。ローザを救い、そして仲間にする。それが今回の目的だ。
「わぁ……!凄い凄い、見てくださいヴィンデンさん!あの噴水、虹色の水が出てますよ!」
子供のようにはしゃぐロベリア。天真爛漫という言葉を全身で表現するかのよう。
しかしその無邪気さと相反した巨乳も盛大に揺れる。ううむ、眼福眼福。
確かにこの街に初めて来た者はこうなるだろう。かく言う俺も、ゲーム時代にだが非常に興奮した覚えがある。
中世風の街並でありながら、そこかしこにエルフたちの造った魔法技術による様々な仕掛けがひしめいているのだ。
言ってしまえば、一種のテーマパークに近い。文字通り夢と魔法の国というわけである。
だとすると、これはもしやデートなのでは。
はたと気づく。彼女は今やただのNPCではない。一人の人間だ。であるならば、このシチュエーションはデートと呼ばれるべきだろう。
だが。悲しいかな、今回はやるべきことが多い。ロベリアとのデートを楽しむのは、準備が終わってからにすべきだろう。
夜にさえ間に合えば格好もつくはずだ。
「ロベリア、ここで別れよう」
「えっ」
俺の言葉に、ロベリアはまるで世界の終わりのような表情を浮かべた。
「あー、すまん。言葉が足りなかったな。ここで二手に別れようと言ったんだ。ローザのところへ行く前に、いくつかやっておきたいこともある」
「そ、そういうことでしたか……わ、私、もう必要ないって言われたのかと思って……」
ロベリアは瞳を潤ませていた。確かに、彼女の回復魔法が活躍した機会は今の所ない。それを気にしているのかもしれなかった。
「馬鹿を言うな。俺は追放されることはあっても、追放することなどありえない。君にも頼みたいことがあるんだ」
俺は彼女にメモ書きを渡した。ロベリアは神妙な顔でそれを受け取る。
そんなに構えなくてもいいのだが。ただのお使いだし……。
「そのリストに書いてあるものを揃えてほしい。今後必要になるかもしれないからな。この街なら大抵のものは揃うだろう」
「は、はいっ! 私、頑張ります! あの、それでヴィンデンさんはどちらに?」
「俺はそうだな……転移魔法陣の登録にギルドの登録、他の«四輝将»たちの情報収集、それからクラスチェンジの館にも寄りたい」
「クラスチェンジ……? ヴィンデンさんは戦士ですよね? 他のクラスに変更されるんですか?」
ロベリアは小首を傾げる。
ふむ。これに関してはわざわざ隠すようなことでもないだろう。
「いや、サブクラスを取得しに行くんだ。もうそこまで縛る必要はないだろうからな」
«インバーサス・オンライン»時代にはサブクラスも縛っていた。俺はスキルの使用までは縛っていないので、今後有用なこともあるだろう。
ゲームとこの世界では細部が異なることは確認した。たとえ廃人プレイヤーだった俺でも、些細なことで足元を掬われかねない。
幸い、サブクラスの取得に必要なのはレベルだけだ。俺はパラメータを割り振っていないので最低ステータスだが、レベルだけは最高値なので取得は可能である。
「では一時解散だ。集合は二十刻にあの虹色の噴水前としよう」
「分かりました……その、ヴィンデンさん? こんなことを言って、怒られるかもしれませんが……も、もし良かったらその後ちょっとだけでも、一緒に街を周ったりする、とか……いいでしょうか?」
不安そうに言うロベリア。その上目遣いは反則ではないか。
俺は安心させるように笑った。
「もちろんだ。それに、夜になればもっといいものが見れるだろう。君とのデートを楽しみにしているよ」
「でっ……!? うぅ、でも、私も楽しみなのは楽しみなので……はい、期待して待ってますから遅れないで下さいね」
そう言って、俺達は手を振りあった。
俺は踵を返してしばらく歩くと、背後にロベリアがいないことを確認してから、虚空を二度叩く。
ゲームの時と同じように、メニューウィンドウが空中に表示された。ステータス、装備、スキル、などの見慣れた表示が並んでいる。
無論、オプションやログアウトなどの表示は見当たらない。しかし、そんなことはどうでもいい。
俺はメニューウィンドウの最下段に表示されている文字列をじっと見つめた。
――ああ、まったく。
この世界というやつは、どこまでも皮肉で出来ているらしい。
俺は苦々しい笑みを零しながら、目的地へと向かって重い足を進めた。