第1話 最強たる理由
勇者パーティーから追放された俺、プレイヤー名『ヴィンデン』は草原を彷徨っていた。
モンスターを狩るためだ。というのも、今の俺は勇者たちに有り金を渡してしまったため無一文だからである。
装備やアイテムを必要としない俺だが、休息は当然必要だ。宿代は稼がねばならない。
せめて今夜の宿代くらいは残しておくべきだった、と思うが後の祭り。
だからこうして、モンスターが湧くのを待っているわけだ。
当然、半裸に素手である。ここが戦闘エリアである以上、己が下した縛り条件には従う。たとえ金稼ぎのためであっても。
しかし、ただ闇雲に狩るのでは効率が悪い。そこでレアモンスターがポップするのを待っているのだ。
見渡す限りの草原、晴れ渡る蒼穹、穏やかな風に葉陰を踊らせる木々たち。静寂に満ちた世界はどうしようもなく美しい。
完全没入型のVRゲームが発売されて久しいが、ここまでのリアリティを表現することは不可能だ。
ここはもう一つの現実。あるいは異世界。俺がかつてプレイしていた«インバーサス・オンライン»にとても似通った世界だ。
あの日も、俺はいつも通り«インバーサス・オンライン»にログインした。いや、しようとした。
だがログイン成功のSEも、タイトルコールの音声も聞こえず、視界は閉ざされたままだった。
何かのエラーかとフルダイブ用ヘルメットを脱ごうとして――そこに、自分の頭部しかないことに気がついたのだ。
次いで視界が晴れると、そこは文字通りゲームの世界だったわけだ。仮想空間ではなく、リアルな世界としての。
ゲームが現実になったのか、それとも、俺達が現実だと思っていた世界の方が実はゲームだったのか――それはもはやどうでもいい。
重要なのは、この世界がVRMMORPGとしての設定を保っていることだろう。いわゆるレベルやステータス、スキルの類だ。
この世界に喚ばれたプレイヤーは俺と他三人。例の勇者、女魔法使い、女僧侶である。俺たちは、この世界における切り札的存在であるらしかった。
«四輝将»などという大層な二つ名を与えられた俺達のレベルは最高値、加えてスキルや装備、アイテムまで最強クラスのものが揃っているときた。いわばチートである。
俺たちを召喚したという神官たちは、口々にこの世界の危機を語った。ゲームの設定そのままの、魔王に支配された世界のお話だ。
三人は最近ゲームを始めたばかりの初心者プレイヤーだったようで、その話を至極真面目に聞いていた。
突然ゲームの世界に放り込まれた困惑やパニックはあったものの、俺達はパーティーを結成し、魔王討伐隊として聖都を出発したわけだ。
廃人プレイヤーだった俺は仲間たちに様々なことを語った。魔王討伐に必要な道のり、戦闘での連携、パラメータの割り振り方、スキルの効果的な使い方などなど。
当初、俺は頼りになる兄貴ポジションの座につけていたと思う。それは勘違いではなかったはずだ。
尊敬されていたし、依存されていた。この人がいるならなんとかなるんじゃないか、そんな希望的観測すら聞こえてくるほどに。
――俺が、装備を捨て素手と裸になるまでは。
そこから先は坂道を転がり落ちるが如し、であった。
まず女性陣の信頼を失った。彼女らは完全に変質者を見る目になっていた。
とはいえ完全な全裸というわけではない。ゲームのお約束というやつで、装備を外すと腰巻き一枚の状態になっただけだ。
無論ここはゲームが現実となった世界なのだから、これ以上脱ごうと思えば脱げる。だが俺は別に露出狂じゃない。
防御力が最低まで落ちればいいわけだ。だから決してやましい気持ちでこういう格好をしているのではない。
ないのだぞ。
などと、くだらない回想に浸っていると。
「きゃああああああああああああああああああああああああああっ!?」
耳をつんざく甲高い女性の悲鳴。
俺は弾かれたように駆け出していた。
それは恥ずかしながら、正義感から生まれた行動ではなかった。
その声に、聞き覚えがあったから。ただ、思わず駆け寄ってしまっただけ。本当にそれだけだ。
木陰から飛び出した俺の視界に広がっていたのは、盗賊と思しき中年の男と、それに襲われている一人の少女。
男は少女を地面に組み伏せながら、鈍く銀光を放つダガーを少女の首筋に押し当てている。
瞬間、煮えたぎるような怒りが俺の思考を染め上げた。視界が真紅に染まり、心臓が踊るような音色を奏でる。
「おい、そこのお前」
無遠慮に声を掛ける。男は突然の乱入者に対して鬱陶しそうに一瞥を寄越した。
と同時に、少女もこちらに気がついたらしく、必死に助けを求めてきた。
「なんだてめえは! 今いいとこなんだすっこんで――えっ」
「あっ、そこのお方! お願いです、助けてくださ――えっ」
そして、同時に息を呑んだ。
ああ、それはいい。襲っている方も襲われている方も、突然半裸の男が飛び込んできたら驚くのも無理はない。
故に、その驚愕を突かせてもらう。
俺は疾走する勢いをそのままに、手頃な位置にあった盗賊の頭部へと渾身の蹴りを喰らわせた。
クリーンヒット。こめかみを捉えた一撃を受けて、男は派手に吹き飛んだ。
「痛っ――くねえ!? てめえ、ブチ殺されてぇのか!」
が、男は大した痛痒も感じていない様子で立ち上がる。当然だろう、こちらの筋力は初期値の『5』だ。子供が棒切れを振り回しているようなものである。
こちらをただの雑魚だと判断したのだろう、男は苛立ちを隠そうともせずダガーによる刺突を放つ。
俺はそれをスウェーで回避すると、カウンターの左フックで顎を打ち抜く。さらに流れるように肘打ち、裏拳を鼻めがけてお見舞いした。
連撃に怯んだ男はバックステップで距離を取ろうとする。馬鹿が、逃がすか。
俺は後退しようとする男の足を踏み抜き、固定。体勢の崩れたところへアッパーカット。男は完全にバランスを失い後方へと崩れ落ちる。
その隙に、呆然とこちらを眺めていた少女へと駆け寄った。
「やあ、大変だったな。もう大丈夫だ、怪我はないか?」
「あ、えっと……その……私、助かった、んですか? 襲われる相手が変わっただけ、じゃなくて?」
おい、どういう反応だそれは。
ここは颯爽とピンチを救った恩人に、素敵抱いて! とあっさりチョロく惚れる場面なのではないか。
軽く落ち込んでいると、背後で男が立ち上がる気配。
「糞ったれが……! 妙な動きしやがって、効かねえんだよボケ! そんなヒョロい攻撃で人が殺せるかよ!」
まあ、そうなるだろうな。この世界は限りなくゲームの法則に従って動いている。どれだけ急所を射抜こうと、ダメージそのものが少なければ無力化には至らないのだ。
俺は少女を庇うように一歩前に出る。そして挑発するように手招きしてやった。
「本当に殺せないと思うか? なら、試してみるがいい」
「上等だ変態野郎が!」
俺は冷静に、突進してくる男の頭上に浮かぶヒットポイントゲージに目をやった。
そして、ニヤリ、と口角を釣り上げる。
俺がかつて«インバーサス・オンライン»で素手と裸による縛りプレイを選んだ理由は二つ。
一つは、極めて高いアクション性。
適切な防御、回避行動をとりさえすれば、ほとんどの攻撃をノーダメージでやり過ごす事ができる。
つまり、当たらなければどうということはない、のである。
「ぐっ、このっ、ちょこまかと……!」
男が横薙ぎに振るった一撃を、袈裟懸けに振り下ろした一閃を、貫くような刺突を、抉るような回し蹴りを、猛牛のようなタックルを。
全て躱し、いなし、弾き、防ぐ。
盗賊の攻撃は、ただの一度も、かすりさえしない。
そして、二つ目の理由。
かつてのゲームにおいては、たとえどれほど相手の防御力がこちらの攻撃力を上回っていようと、攻撃が命中すれば必ずダメージが発生する。
相手の防御を上回れなくても、一点ではあるがダメージが入るのだ。
つまり――
「これで、二十ヒットだ。お前の最大ヒットポイントは百。つまり――あと八十回殴れば、お前は死ぬわけだ」
武器なんて飾りである。
要するに、敵の攻撃を全て回避して、相手のヒットポイントの数値分だけ殴ればいいのだ。
ただそれだけで――最弱のステータスであろうと、敵を打倒することが出来る。
これぞ、縛りプレイだ。無理ゲーに挑戦するのでは意味がない。理論上、«インバーサス・オンライン»は裸に素手でクリア可能である。
ならば当然、ゲームに酷似したこの世界でもそれは通用する。
だからこそ、やり甲斐があるというもの。狂気の沙汰こそ、面白い。
俺は恐らく、嗤っているだろう。そして、それに相反するかのように男の顔は青ざめていく。
「なんでだ、なんで当たらねえ……! 糞、クソクソクソ、糞ったれがあああああああああああああ!」
男は狂乱し、でたらめにダガーを振り回した。
ああ、それは良くない。
そんな見え見えのモーションでは、俺を捉えることなど未来永劫不可能だ。
相手の攻撃に対して、三倍の数のカウンターを叩き込む。その度に男のヒットポイントゲージが目減りし、彼の動きが精彩さを欠いていく。
ついに、盗賊のヒットポイントは三割を切った。
そこで、彼の戦意は完全に折れてしまったようだ。
「ひ、ひっ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!? なんっ、なんなんだてめえは! 畜生、やってられっかイカレ野郎が!」
男は脱兎の如く駆けて行き、見る見るうちにその背中は遠ざかっていった。敵ながら見事な逃げっぷりである。
追いかけてもいいが、それよりも先にするべきことがある。
俺は呆然とへたり込む少女へと手を差し伸べた。
「――怪我はないか?」
「あ、は、はいっ! あの、ありがとう、ございます」
少女が立ち上がると、いよいよもってその美貌に目を惹かれてしまう。年齢はおよそ十八といったところだろう。
艷やかなセミロングの瑠璃色の髪、深淵を思わせるこれまた瑠璃色の瞳。憂いを帯びた長い睫毛が揺れ、薄紅色の唇が哀愁を誘う。
加えて圧倒的なスタイルだ。静謐さと神聖さを醸し出すはずの僧衣の中で窮屈そうに押し込められた双丘は、それでも自己主張するように張っている。
シスターであるにも関わらず、圧倒的な色気だ。しかしそれでいて彼女は純粋無垢な無邪気さを残しているときた。
俺は、彼女の名を知っている。いや、«インバーサス・オンライン»ユーザーで彼女のことを知らない人間はいないだろう。
美しいシスターの名は、ロベリア。
«インバーサス・オンライン»における、ヒロイン的存在のNPC――
それが、彼女なのだ。