第10話 黒魔女の献身
『黒魔女の献身』――それは悲劇の物語。
魔法の天才ローザとその病弱な妹ミザリィ。姉妹の絆を裂くのは無残なる死。
そう、かつての«インバーサス・オンライン»では、このクエストはミザリィの死によって結末を迎える。
姉の努力と祈りと献身は実らず、妹は最期にそんな姉を想って死ぬ――数々のサブクエストをこなし、ミザリィを救うために手を尽くした結果がそれだ。
そんなバッドエンドを覆す。悲劇をなかったことにしてみせる。
これは恐らく俺のエゴだろう。本来の運命を捻じ曲げる、歪な行為だ。
それでも、俺は世界を、そして彼女たちを救うと決めた。
ならば愚直に進むまで。俺に出来ることはそれだけだ。
ローザの転移魔法でアルドラシルの街へと帰還した俺達は、ミザリィのいる魔法研究所へと向かった。
「ありがとう、何度でも礼を言うわ。あなた達のおかげで、あの娘を治してあげられる」
彼女は薬草をたんまりと詰め込んだカバンを撫で、本当に嬉しそうに言った。
自分の命を助けてくれてありがとう、ではない。妹を助けることが出来ることに、彼女は感謝を告げている。
その在り方はとても美しいと感じた。黒魔女、などと言われてはいるが、ローザは妹を心から愛している。
「なに、礼はいらないさ。それよりも、君は自分の仕事に集中すべきだろう。薬の調合は君の腕にかかっているのだからな」
「それこそ心配無用よ、私天才だもの。なんて……素手で竜を倒す人に言っても自慢にもならないでしょうけど」
ローザはそう言って微笑むが、全身に滲む緊張を隠しきれていなかった。
無理もない。今まで何度試しても治せなかった妹を治せる最後の希望なのだ。
さて、ここからはデリケートな進行が重要となる。俺は横目でロベリアに視線をやった。
彼女の様子は普段と変わりない。いつもの調子で、ローザと治療についての話をしている。
ロベリアを連れてきて本当に良かったのか。一抹の不安がよぎる。
そうこうしているうちに、魔法研究所に着いてしまった。
いや、今は迷っている場合ではない。俺は意を決して言う。
「よし、ローザはすぐに魔法薬の調合に取り掛かるといい。俺たちでミザリィを見ておこう」
「ええ、そうしてもらえると助かるわ。本当に、何から何までお世話になるわね……この礼は必ず返すわ」
そう言って、ローザは不敵に笑った。自分の失敗を微塵も疑わない、気高き魔女の笑みだった。
「ヴィンデンさん、ミザリィさんとはお知り合いなんですか? ローザさんとも面識があるような言い方で初対面だったみたいですけど……」
「二人共はじめまして、さ。俺が一方的に事情を知っているだけだよ。じゃあ入るぞ」
俺はノックをしてミザリィのいる病室の扉を開けた。
薄ぼんやりとした瞳がこちらを向く。ミザリィは入ってきたのが姉でも研究所の職員でもないことを理解し、一気に覚醒した様子だった。
「あの……どなた、ですか?」
「これは失礼しました、私はシスター・ロベリア。こちらは«四輝将»のヴィンデンさん。あなたの姉君の……そうですね、友人といったところです」
先行してロベリアが一礼する。
知らない男よりも、物腰やわらかなシスターの方が警戒されないと判断してのことだろう。
その判断は的確だったらしい。ミザリィは少し弛緩した雰囲気となった。
「そう、でしたか……姉が、お世話になって、おります。あの……ヴィンデンさん、は。もしか、して……姉の、恋人、ではないですか?」
「えっ」
ミザリィの一言にロベリアが凍りつく。
下手なことを言うと墓穴を掘りそうだ。俺は黙って首を横に振った。
すると、ミザリィは申し訳なさそうにする。
「ごめん、なさい。もし、そうだったら、いいな……と、思ってしまった……ので。うちの姉、男っ気が、ないものですから……私、心配で」
「ローザのような美人なら大歓迎だが、生憎とそのような関係ではないよ。彼女は今、魔法薬の調合中だ。それまで様子を見に、ね」
「そう、でしたか……ありがとう、ございます」
そう言って目礼するミザリィ。その顔は青白く、生気が失われつつあるように思える。
ゲームでの展開のことを思えば、まだ時間の猶予はあるはずだ。しかしファフニールの討伐は彼女が亡くなる直前に達成するイベント。
ファフニールを討伐したことで、彼女の死期がより近づいてしまった、ということは有り得るのかもしれない。
それに、心配ごとはまだある。俺はロベリアをまたも横目で盗み見た。
まだ彼女の様子に変化はない。どうやら、ミザリィを見ても何も気付いていないようだ。
しばらくすると、勢いよく廊下を駆ける音が聞こえてきた。音の主は、当然ローザ・ネグノワールである。
彼女は蹴飛ばすようにドアを開けると、会心の笑みで言った。
「――出来たわ! 完璧よ!」
彼女がそう断言するからには完璧なのだろう。ローザにはそう思わせるだけの自信と天賦の才に満ちている。
「お姉、ちゃん。うるさい。お客様も、いるのに……」
「ああもう、それどころじゃないのよ! これでついに、ようやく……あなたを治してあげられる……!」
ローザは居ても立ってもいられず、といった風情で妹に駆け寄る。
その手に持ったコップには黄金に輝く魔法薬が注がれていた。ローザはそれをゆっくりとミザリィに飲ませていく。
俺とロベリアはその光景を固唾をのんで見守っていた。
ミザリィが魔法薬を飲み干す。すると彼女の体が輝かしい光に包まれていく。
そしてしばらくすると、劇的な効果が現れた。
青白かった肌に生気が戻ってくる。浅かった呼吸が落ち着き、苦しげな表情が和らいだ。
ミザリィは驚いたように両目をぱちくりとさせている。
「あ……苦しく、ない……痛いのも、苦しいのも治ったよ、お姉ちゃん!」
「……ああ、あぁ……ミザリィ! 良かった、本当に良かった……!」
ローザがミザリィをぎゅっと抱きしめる。今まで折れてしまいそうだったから出来なかったであろう抱擁を、これでもかと。
溢れ出る歓喜が姉妹を支配する。その光景は、どうしようもなく綺麗だった。
――だから。
――俺はこの先の展開を、許すわけにはいかない。
異変は突如として訪れた。
まるで高所から突き落とすためだけに、一時の奇跡を演出したかのような悪辣さ。
今までの綺麗事は全て前座だったのだと、思い知らせるように。
「あ、ぁあ、あああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「ミザリィ!? どうしたのミザリィ!?」
病が完治したはずの少女が、先程とは比較にならない苦悶に喘ぐ。
希望は反転し、あっさりとその掌を返した。絶望を象徴するかのごとく、少女の体から暗色の瘴気が溢れ出す。
「これ、は――これは、まさか――魔王の、呪い?」
ロベリアが呆然と呟いた。事ここに至って、彼女もようやく気がついたらしい。
そう、ミザリィが侵されていたのは病だけではなかった。彼女は同時に、呪いにもかかっていた。
ネグノワールはかつて魔王を封印した一族である。それゆえに――ネグノワールの一族は、魔王から最悪の呪いを受けた。
子々孫々、遺伝していく呪いである。今世代はたまたま妹であるミザリィに発現したのだろう。
『黒魔女の献身』では、ミザリィの病気を癒やすことは出来る。しかし、この呪いを解くことが出来ず、結局彼女は死んでしまう。
呪いは、病気によって衰弱していたミザリィに対してはその効力を十全に発揮していなかった。
しかし、病気を治してしまったことで呪いが活性化し、ミザリィを食い殺そうとしているのだ。
なんという悲劇か。救いの手が差し伸べられた瞬間、その手に突き落とされることになるなど。
「嘘、どうしてこんな……! 魔王、ですって。呪い、ですって……!? どうして、そんなわけのわからないものにミザリィが殺されなくちゃいけないのよ!?」
ローザが必死に手をかざす。が、溢れ出る闇は一向に収まらず、むしろその濃さを増して来ていた。
神官であり呪いに関しては専門家であろうロベリアは硬直したまま動かない。
それも無理はないことだろう。彼女にとって、魔王の呪いは地雷にも等しいのだから。
俺はロベリアが動かないことに、かえって安心さえしていた。
そうだ、これでいい。あとは、俺が手助けする。それで――この結末を、変えてみせる。
「この、この、このっ……! 止まれ止まれ止まれ、ああ、なんで止まらないのよ! ミザリィ、ミザリィ! 駄目、魔力が圧倒的に足りない……このままじゃ……」
ローザが呪いを必死に抑え込もうとしている。解呪の魔法自体は効いていないわけではない。
ただ、魔王からもたらされる呪いの膨大な魔力量に押されているだけだ。
俺はローザの後方から声を掛ける。
「……魔力が足りさえすればいいんだな?」
「ええ、でもこんなの無理よ……! 人やエルフにどうこう出来るような量じゃない! それこそ、千年単位で魔力を貯蔵した魔力結晶でもない限り――」
「あるぞ」
「そんなものが都合よくあるわけ――――え?」
ローザが信じられない言葉を聞いたとばかりに振り返る。涙に濡れた両目が見開かれ、こちらを見た。
「い、今……なんて?」
「だから、あると言ったのだ。千年級の魔力結晶が、な」
俺は無造作にアイテムポーチから目当てのアイテムを取り出した。
濃紫の輝きを放つ魔力結晶――それも、俺の掌に収まりきらないほど巨大なもの。
魔王の呪いにも対処し得る、最高級の魔力ブーストアイテムだ。
ローザの両目がさらに見開かれる。そして、俺に縋り付きながら懇願した。
「お、お願い! それを私に譲って! それが、それさえあれば妹を助けられる! お願いします、私に出来ることなら何でもします! だから、だからどうかそれを――」
「ああ、いいぞ。ただし条件がある。ローザ・ネグノワール、君が俺たちの仲間となり、共に旅をしてくれることだ。それを呑んでくれるなら、喜んで受け渡そう」
「え――それ、だけ? それだけで、いいの? だってこれ、売れば一生遊んで暮らせるような代物なのに――」
「男に二言はない。それに、君を仲間にしてミザリィも救えるんだ。俺にとっては、それだけで十分お釣りが来るぐらいさ」
俺は魔力結晶をローザの手に渡した。
彼女は半ば呆然と手にとったが、次の瞬間には、彼女は魔女に戻っている。
その目は決意に満ちていて、言葉よりも雄弁に語っていた。妹を助ける、と。
「――あぁああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
ローザは絶叫するミザリィの胸に魔力結晶を押し付け、強引に解呪魔法を発動する。
放たれる極光。ファフニールのブレスをも凌駕する膨大な魔力と魔力が激突し、狂想曲を奏でる。
「ぐぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!?」
ローザは必死に抗っていた。それはもはや天才の名を背負った魔女としての姿ではなく。
ただ、妹を救いたい一心の、必死な姉の姿がそこにはあった。
俺にはもう何も出来ない。俺が介入出来るのはここまでだ。ここから先は、ローザの意志にかかっている。
その時、ロベリアが動いた。石像のように固まっていた彼女が、酷く鈍い動きで。
「……私も、お手伝いしますローザさん。一緒に、妹さんを助けましょう」
「……ええ、ええ! あと、少し――!」
光はさらに膨れ上がる。部屋一帯が眩い閃光に包まれ――世界に、静寂が訪れた。
光が収まると同時に、ローザはガクリと力尽きたように膝を折った。
その背が小刻みに震えている。俺はその肩を優しく叩いた。
「――おめでとう、ローザ・ネグノワール。君の力で、確かにミザリィは救われた」
解呪は、成功していた。穏やかな表情で眠るミザリィに、呪いの影はない。
彼女は、勝ったのだ。ミザリィを蝕んでいた病と呪いに。
黒魔女の献身は――ついに、報われた。
それを見たローザはその震えをさらに強くし、たまらずミザリィに飛びつく。
「……ぁ、ぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」
妹を抱きしめ、まるで幼い少女のように泣くローザを、俺とロベリアはいつまでも見守っていた。




