SS #006 『隊長室の観察記録』
女王に隠し子がいた。
そんなニュースが王国を駆け巡ると、国民はまずその人物の顔と名前、これまでの経歴を知りたがった。
王子の名前はマルコ・ファレル。クエンティン子爵家の次男として育てられ、王立大学法学部を卒業後、半年間の研修を経て幹部待遇で騎士団に入団。自らの足で領内をパトロールし、農民たちにも気さくに話しかける好青年。銃の腕前はなかなかのもので、畑を荒らすイノシシやクマを幾度も仕留め、村の人々と一緒にジビエ料理を楽しんでいたという。
そんな話が信じられるか。どうせ王宮側が用意した『もっともらしいストーリー』だろう。
大多数の新聞記者はそう考え、すぐさまクエンティン子爵領へ向かった。現地住民にちょっと小金を掴ませれば、口止めされている『良くない噂』がいくつも出てくるに違いない。
だが、記者たちの読みは大きく外れた。
「マルコ様はほんにいいお方です。ほれ、これを見てくだされ。畑仕事中に鎌で切っちまったとこなんですけどね? マルコ様が魔法で治してくだすったおかげで、痕も残ってねえんですよ」
「この毛皮はマルコ様が下すったもんです! うちの子がお古のコートを着ているのを見て、ご自分で仕留めたシカを一頭持ってきて下すったんです! おかげさまで、風邪もひかずに冬を越せました!」
「マルコ様が隣村でインフルエンザが流行っていると教えてくださったおかげで、うちの村の子供たちには早めに予防接種を実施できました。例年より流行が早かったので、教えていただけなかったらうちの村もやられていたところでした」
「わしら農夫は、法律なんてわかりません。どんな法律があるのかも知りません。マルコ様はそんなわしらにもわかりやすいように、よ~くかみ砕いて教えてくださる。去年の毛虫の大量発生も、マルコ様に手続きの方法を教えていただいたんです。おかげで農業監督省から十分な量の農薬を手配してもらえました」
「芋の泥を洗ってから市場に持っていくだけで、今までより二割も高く売れるようになりました! 町の人がどんなものを欲しがっているのか教えていただけたので、とても助かっています!」
どこの村に行っても、誰もがマルコを褒めちぎる。騎士団支部を訪ねてみれば、支部員たちは我先にとマルコの逸話を話し始める。
新聞記者らは驚愕した。どうやらこの人物は、本当に『好青年』であるらしい。
取材方針の変更を余儀なくされた彼らは考えた。
スキャンダルとして報道できそうな黒歴史は存在しない。ならば、どうする――?
ここで一部のゴシップ紙は方針を転換し、ロドニー・ハドソンとの仲の良さを『同性愛疑惑』として報じることにした。けれども大多数の新聞社は全く別の方針を打ち出した。
それこそが『マルコ王子アイドル化計画』である。
顔ヨシ、性格ヨシ、血筋も学歴も現在の職位も申し分なし。マルコには『国民的英雄』に仕立て上げるにはちょうどいい要素がこれでもかというほど詰まっていた。これを使わない手はない。
大手新聞社が王子の『美談』の数々を報じると、真っ先に動いたのは商魂たくましい中央市商工会だった。クエンティン子爵領の農産品、工業製品、伝統芸能や流行のファッションを前面に押し出した『マルコ王子フェアー』を開催したのだ。
それと呼応するように出版業界も動き出した。出版社お抱えのイラストレーターたちを総動員し、Tシャツ、ノート、ボールペン、キーホルダー等々、ありとあらゆる『王子グッズ』を雑誌の付録につけ始めた。
そして極めつけが、ダウンタウンでの『竜退治』である。封印されていた竜族の生き残りを王子が成敗したという劇的すぎる報道に、これまで王子に興味を持たなかった十代の少年たちも心を動かされた。『顔がいいだけで話題になっている王子様』から、一気に『憧れのヒーロー』に昇格したのだ。
新暦552年7月現在、ネーディルランド国内、特に王宮のお膝元である中央市内では空前絶後のマルコ王子ブームが巻き起こっている。
「……隊長? これはいったいなんでしょうか……?」
隊長室に呼び出されたマルコは、応接セットのローテーブルに並べられたグッズの山に目を丸くしていた。
山の中からコンドームの箱をつまみ上げながら、ベイカーは言う。
「そろそろ王子グッズの規制が必要ではないか、という話が関係各所から出ていてな。今日はそのことで呼び出させてもらった」
パッケージに印刷されているのは少年漫画風にデフォルメされたマルコの似顔絵と、『レジェンドソードで突きまくれ!』という非常にわかりやすいコピーである。
「ノートやボールペンはいいとして、さすがにこういうのは……なあ?」
マルコは両手で顔を覆った。
レジェンドソードって何だ。
まずはそこからツッコミを入れたいと思ったが、ローテーブルの上には情報部がまとめた『売上ランキング順グッズ総覧』なるファイルが置かれている。はじめからマルコのほうに向けられているのだから、目を通せということであろう。
勧められた席に腰を下ろし、分厚いファイルを手に取った。
開いた瞬間、マルコは完全にフリーズする。
「まあ、そういう反応になるよな?」
ファイルの一ページ目は目次だ。ざっくりと商品ジャンルごとに分類されていることが分かるのだが――。
「あの……もしかして、この件で問題視されているのはコンドームやアダルトグッズではなく……?」
「ああ、一番下の項目だ。数は少ないが、倫理的にどうかとな……」
ファイルの最後、申し訳程度に付け加えたような項目。そこに記載されている品名は『クローン動物』である。業者の案内状によれば、それはマルコが中学生時代に可愛がっていたモルモットをもとに製造されたクローン個体であり、個体の性格、外見的特徴なども完全に再現されているという。
「中学生時代に飼っていたモルモットと言いますと……しかし、あれは……」
貴族の子弟が通う私立中学校では、授業の一環として小動物が飼育されている。生活のすべてが人任せになっている貴族の子弟らに『家畜の世話』と『食肉加工』について教育するためだ。自分たちで一年間かけて育てたモルモットやウサギ、鶏やアヒルを目の前で殺され、解体されるというトラウマものの授業だが、この授業ではじめて命の尊さ、領民たちの苦労、普段の食事で自分が何を口にしていたかに気付く者も多い。
食肉加工の際に出た骨や内臓、毛皮がどのように一時処理されるのか、処理後にどこに運ばれて何に使われるのかも、実際に処理場に見学に行き、現場で詳細に教えられる。
マルコは自分の眼で見て、舌で味わって、はっきりと覚えている。自分が飼育していたモルモットがシチューの具になったところも、工場に運ばれた骨と内臓が養殖魚の餌に加工されたところも、何もかも。だからマルコは、ベイカーに向かってはっきりとこう言った。
「この業者は、私とは全く無関係の個体を『クローン動物』として販売しています。直ちに販売を差し止めるべきです」
「本当に無関係の個体か?」
「はい?」
「情報部でも、一般客を装って一匹購入してみたそうだ。これがそうなのだが……」
「……え?」
ローテーブルの下から取り出された飼育ケース。その中にいたのは、見覚えのある白黒まだら模様のモルモットだった。
マルコは言葉を失った。
これは『似ている個体』ではない。そっくりそのまま、『自分が育てたあの個体』なのである。
ベイカーはソファーの背もたれに体を預け、ため息交じりに説明する。
「中学校側に保存されていた記録とも突き合せて確認済みだ。それはお前が育てたモルモットのクローンで間違いない。学校では食肉加工の授業の前、食品衛生法に則り、病害虫の感染検査のために血液サンプルを採取する。そのサンプルは中央市衛生保健局に運ばれ、半分が検査に、もう半分が予備サンプルとして冷凍保存される。今回クローニングに使われたのは、その『冷凍保存された予備サンプル』だった」
「あの……血液検査用の予備サンプルというものは、検査結果に不備があった場合、再検査に使用されるものですよね? その予備サンプルがなぜ民間業者に? 違法性は……」
「ない。正規の手続きを経て無償提供されている」
「どういうことでしょう?」
「中央市が実施している感染症対策のひとつだ。酪農家や養殖業者が感染症で飼育動物の五割以上を失ってしまった場合、近親交配のリスクを回避するために市が保存している血液サンプルが無償提供される。食用モルモットの繁殖業者からサンプルの請求申請があったのは昨年八月。審査からサンプル提供までにかかった時間は三か月。それから細胞核と卵子を使ったクローニング作業に一か月かかり、約二か月の妊娠期間を経てこの個体が生まれたことになる」
「ということは……」
マルコは思わず指を使ってしまった。
八月から三か月、一か月、二か月と足していくと、今目の前にいるこのモルモットは、今年の二月生まれということになる。マルコが『女王の隠し子』と発表されるより二か月も前のことである。
「まさか、本当に偶然……?」
「ああ、そういうことになる。この業者は『畜産農家』でなく、あくまでも『繁殖用親個体の販売業者』だ。生まれて三か月経った頃に病害虫の検査をして、安全確認書を添付したうえで畜産農家にモルモットを販売する。その安全確認書にはモルモットの血統もきっちり記載されるというから……まあ、愛玩動物の『血統書』と似たようなものと思っていいだろうな」
「なるほど、血統書ですか。それでしたら、親個体のブリーダーとして私の名前も記載されますね……?」
「二月生まれの個体の安全検査が行われたのは五月。その時に業者が『マルコ・ファレル・クエンティン』の名前に気付き、食用ではなくペット用に販売することを思いついたのだろうな」
「ええと……経緯は理解できました。何の違法性もありませんね。ですが、やはり……」
「同一個体を工業製品のように量産するというのは、倫理的にも遺伝子の多様性の面から見てもまずい」
「はい。なんとしてもやめさせねばなりません」
「問題は、その方法なのだが……」
ベイカーのデスクには中央市衛生保健局や法務局のスタンプが押された封筒が積み上がっている。すでに関係各所から『違法性はない』との回答が得られているようだ。
正規の手続きを経て入手した血液サンプルを、国と市が定めた正しい手順で繁殖した個体である。それだけでも違法ブリーダー排除に力を入れている愛護団体の後ろ盾を得られるし、食用として出荷されそうになっていたところを『王子の名によって助命された』という感動ストーリーまでついている。正しい事業者から正規のルートで健康チェック済みの愛玩動物を購入したいと思っている人間にとっては、非常に魅力的な個体ということになるのだろう。
「現在確認できているだけで三十匹が販売されている。業者に問い合わせたところ、二月生まれの個体はそれですべてだそうだ。現在は五月に人工授精させた『第二期』の予約を受け付けていて、八月半ばごろに二百七十匹程度の出生が見込まれている」
「二百七十!?」
「第二期の評判を見て、それから第三期の予約受付開始時期を決めるつもりだとも言われた。やめさせるなら今しかない。マルコ、何かいい手は思いつかないか?」
「えっ!? そ、その、突然訊ねられましても……モルモットのシチューが想像以上に美味しかったことを発表してみるとか……?」
「味か……いや、それはよそう。『そんなに美味しいのならもっと増やそう』という話になりそうだ」
「あ、それもそうですね……」
うんうん唸る二人の間で、当の本人、食用モルモットくんは愛らしさを全開にして牧草をかじっている。
モルモットに罪は無いし、繁殖業者にも罪はない。購入希望者にも何の罪もなくて、マルコやベイカーも、もちろん欠片も悪くない。悪いのは同一個体を大量生産してしまうことと、その後の遺伝子の多様性の問題なのだ。これで第三期、第四期のクローニング計画が発表されて『有名人のペットのクローン』がブームになってしまったら、十年後、二十年後には近親交配の末に生まれた動物だらけになってしまうだろう。
そんな事態を防ぐために、まずは新たな法律を制定せねばならない。女王の愛人として知られているベイカーと王子が連名で法案を提出すれば、新法は間違いなく即日制定・施行される。しかし、法学者たちに他の法律との整合性を審議させる時間が必要である。畜産業界は技術革新が速い分野であるため、細かい規定を織り込みすぎては新たな繁殖手法の登場を阻んでしまう。かといって、あまりに緩い法律では何も規制できない。丁度いい塩梅の法案を出すには、法学者をどれだけ急がせても三か月くらいはかかってしまうものなのだ。
だが、三か月も手をこまねいていたらモルモットは次の子供を産んでしまう。妊娠中にその次の子作りが可能という驚異の繫殖力を持つからこそ、大型動物の繁殖に適さない土地での主な蛋白源として重宝されているのだが――。
「あの……こういうのはどうでしょう? 私がこのモルモットとは全く異なる色柄のモルモットに囲まれている様子を騎士団の広報誌に載せてしまうとか……。法的な対処が可能になるまでの、間に合わせとしてですが……」
「おお、それはいいな! 白黒まだら模様以外のモルモットも人気になれば、同一個体ばかりが流通することは防げるかもしれん! 早速手配しよう! ……と言っても、食用を大量購入したのではまずいな?」
「ええ、クローン個体を購入しようとしているのは、あくまでも『ペットのモルモット』を求める方々ですから。そのような層に向けたアピールでなくてはなりません」
「ならば……強権を発動するか」
「強権?」
「特務部隊長権限で本部内にふれあい動物園を作る」
「ふれあい動物園」
「激務に追われる本部職員たちに心の癒しを、という名目で」
「それは名目ではなく、核心では?」
「ぶち明けて言うと、俺も癒されたい」
「分かります」
「モルモット以外で希望の動物はあるか?」
「アヒルをつがいでお願いします。つがいで飼えばヒヨコが見られます!」
「それなら池が必要だな! どうせ池を作るならフェアリーペンギンも買ってこよう!」
「ヤギは大きすぎますよね?」
「ああ……いや、本部内の除草に使えるから、一応候補に入れておこう。猫は他の動物を襲うから駄目だな」
「ええ、鳥とモルモットがいる場所では危険です。気性の穏やかな子も、ごく少数存在しますが……」
「運よくそんな個体を買えるとは限らんからな。やめよう。犬……は、騎士団にはいっぱいいるから要らないな」
「はい。イヌ科種族の皆さんは、よくイヌに変身しておられますからね……」
正確には、普段が『他の人間に合わせて人型に化けている状態』なのである。二足歩行で人間語を話すことは彼らにとってストレスと疲労がたまる行為であるらしく、休憩時間は犬の姿に戻る者が多い。
疲れ果てたイヌだらけの休憩室の様子を思い出し、マルコは苦笑する。
「イヌ科種族は感情を言葉に変換することが苦手なのだと知っていたら、私ももう少し、うまく立ち回れたと思うのですが……今更ですよね。無知ほど大きな罪はありませんね……」
「うん? トニーのことか? 気にするな。あいつはあいつで、お前を目標にしている部分もある。分かり合わずとも、認め合うことはできるさ」
「分かり合わずに、ですか? 和解なくして、協力関係を築くことは可能でしょうか?」
「可能だ。理解と和解は別物だからな。一応、成功例のような先輩たちも知っているぞ。仲は良くないが、互いに実力を認め合ってそれぞれのベストを尽くしている。無理に互いのプライベートにまで踏み込む必要はない」
「隊長にも、そのような方がおられますか?」
「もちろんだ。むしろ、お前と話すときのように素で振舞えるほうが珍しい。あまり親しくない人間が相手だと、だいたいテンパってるからな」
「本当ですか? 隊長はどなたとお話しするときでも、とても落ち着いておられると思いますが?」
「そう見えるのなら、俺の演技力もなかなかのものだな。これでもけっこう緊張しているのだぞ?」
「全然そうは見えません!」
「あはははは! そりゃあ、簡単に見破られるようでは金や宝石の取引はできないからな! ベイカー家の子供は帝王学より先に、ビジネススマイルと相場の読み方を仕込まれるんだ。三歳くらいからみっちりと!」
「三歳から!」
そのころの自分は何をしていただろう。
幼少期を思い出そうとして、マルコは気付いた。
クエンティン家にもペットの動物たちがいた。それも、かなりの数と種類が。どの動物もみな同じくらい可愛がっていたが、繁殖させたアヒルの雛や子ヤギたちはその後どうしたのだったか――?
マルコはハッとした。
『王子のペットのクローン』を欲しがる人々に対し、最も効果のある作戦を思いついたのだ。
「隊長! ふれあい動物園よりも良い手があります!」
「なに? どんな手だ?」
ずいっと顔を寄せ合い、マルコは思いついたアイディアを話す。ベイカーもそれを聞くうち、次第に目が輝いてきた。
「なるほど、いい手だ。よし、やろうじゃないか!」
二人は早速、具体的な計画を練り始めた。
それから数日後、中央市の新聞にこんな募集記事が掲載された。
〈市民の皆さまへ。
私は今、幼少期に飼育していた動物の子孫を探しています。クエンティン家で飼育していた動物は、その大半がつがいでした。生まれた子どもたちはクエンティン領内だけでなく、中央市の一般家庭にも引き取られたと聞いております。人づてに里親を探したため、こちらではどこのご家庭に引き取られたのか、その後彼らがどうなったのか、何ひとつ把握しておりません。
彼らの子孫が幸せに暮らしている様子を写真に収めて、下記の宛先にご送付いただけましたら幸いです。子孫である可能性が少しでもあるのなら、それで構いません。お手紙をくださった方全員に、ささやかなお礼の品を差し上げます。
王立騎士団特務部隊、マルコ・ファレル・アスタルテより。〉
反響は大きかった。
新聞に掲載された『ペットのリスト』は十七種、四十四頭。いずれも子供が生まれ、里親を探したおおよその時期のみが記されている。クエンティン子爵はこだわりのない男であったため、すべての動物がシェルターから引き取られてきた雑種だった。
つまり、人づてにもらった由来不明の雑種であれば、すべてが『王子のペットの子孫』である可能性が浮上してしまったのだ。
募集記事の掲載以来、中央市の写真館には途切れることなく大行列ができている。百貨店では記念撮影用の『ちょっとお高めな服』が飛ぶように売れ、ペットサロンは雑種犬のトリミング予約でいっぱいになるという異常事態。公園や河川敷公園など写真映えしそうな場所はペットを連れた市民でごった返し、ペットショップでは普段は全く売れないイグアナ用ハーネスが完売した。市営シェルターにいた動物たちにもあっという間に引き取り手が見つかり、動物愛護の機運も一気に高まった。
情報部から送られてきた最新の報告書に目を通し、マルコはほっと胸を撫で下ろす。思いついた勢いのままに提案した作戦は、どうやらうまくいっているようだ。
ローテーブルを挟んだ向かい側でささやかなお礼の品、『王子のオリジナルブレンドティー』を淹れながら、ベイカーは商売人の笑みを見せる。
「中央市商工会のお偉方がお前に会いたがっているが、どうする? お偉方を本部に呼び出すか、それともお前が商工会事務局に顔を出すか。今後のことを考えれば、お前がお忍びで出向いたほうが良好な関係を築けると思うが?」
「ええと……やはり、直接お会いせねばなりませんか……?」
「当然だ。このオリジナルティーも、商工会に加盟する市内十七件のティーショップが動物の種類ごとにオリジナルレシピを考案・ブレンドしてくれた。パッケージングと配送の手配はティーショップと提携している大手百貨店四件が足並みをそろえて頑張ってくれたし、お礼状やオリジナルパッケージの印刷も、市内の十二件の印刷所が通常の倍以上の速さで刷り上げてくれた。王子本人から商工会へ感謝の言葉があってしかるべきだぞ」
「はい……いえ、私としても直接お礼を申し上げたいのはやまやまなのですが、なにやら皆様の熱意が、私の想像以上と申しますか……」
「それはそうだろう。このブームに乗りたくても、それらしい雑種のペットを飼っていない国民は参加できないわけだからな。次は『お礼の品』をもらいそこねた富裕層をターゲットに、オリジナルブレンドティーの特別限定販売を企画している。最高級茶葉を使ったブレンドティーが十七種も作られたと聞いて、社交界のマダムたちも興味津々のご様子だったからな。さ~て、初回予約だけで何万セット売れるかなぁ~♪」
「あの、隊長? それ以上淹れるとこぼれますよ?」
「おっと! 危ない危ない。まあほら、お前もとりあえず飲め。うまいぞ♪」
「ありがとうございます。いただきます」
ベイカーが淹れた紅茶を口に含み、マルコはその口当たりのまろやかさ、後味の良さに目を見張った。これは本当に最高級の茶葉を使っている。「金銭面の問題は心配するな、俺のポケットマネーでなんとかする」との言葉に甘えてすべてを任せてしまったが、いったいいくら使ったのだろうか。はじめから超高級ブレンドティーの宣伝のつもりで『お礼の品』をばらまいたに違いない。
「大変美味しゅうございます。まったく、隊長の商才にはかないませんね。出て行った金額の何倍を回収なさるおつもりですか?」
「最低で五倍。もちろん、俺の取り分だけでだぞ? 総額で言ったら、そうだな……今年の年末商戦で、少なくとも十億は動くと踏んでいる」
「紅茶だけで?」
「もちろん」
断言するベイカーに、マルコは小さく拍手してみせる。
貴族向けの最高級茶葉は一番安い物でもひと箱十万。中身が十七種詰め合わせともなると、一種類ごとの内容量は非常に少ない。貴族のティーパーティーで十数人分の紅茶を淹れるには、最低でも五セット程度は購入する必要がある。地方の小貴族にとっては高い買い物となるが、これだけ大きなブームになっているのだ。買わないという選択はあり得ない。おそらくマダムたちの会話は、自分が何セット買ったかを自慢し合うような流れになるのだろう。
どんな時でも一石二鳥、いや、三鳥でも四鳥でもバンバン撃ち落としていくベイカーの手腕に、マルコは完全降伏の構えを見せた。肩をすくめて手のひらを見せ、「そちらにすべてお任せします」との意思表示をする。
「うんうん! 大船に乗ったつもりで、ドーンと任せてくれよ! 捨て犬・捨て猫は殺処分を免れ、中央市の景気は良くなり、全国各地の茶葉農家には臨時収入が舞い込む! もちろん話の発端であるモルモット繁殖業者も、わざわざ手間のかかるクローニングをしなくとも、普通に繁殖させた雑種個体がジャンジャン売れるようになって万々歳! これにて一件落着! わはははは!」
万々歳で一件落着。そう、確かにその通りかもしれない。しかしマルコには、どうしても納得のいかないことがあった。
「隊長。そちらのモルモットは、どうしても隊長室で飼育されるのですか?」
「ん? ああ、もちろんだ。情報部は参考資料として購入しただけで、必要なくなったら殺処分するつもりでいたらしいからな」
「でしたら、飼育場所は特務部隊オフィスでもよいのでは?」
「それは困る。俺がモフモフできないではないか」
「独り占めはずるいと思います」
「ずるくない。全然ずるくないぞ。特務部隊長の仕事にはモフモフ癒しパワーが必要なんだ」
「それは隊員たちも同様であると考えます。ですので、ここはやはり平等に可愛がれる特務部隊オフィスのほうで……」
「ヤダ! ダメ! あげない! このモフモフは俺の!」
「お考え直しください!」
「無理! もうこの子俺のだから!」
「もとは私が飼っていた個体のクローンですよ!」
「クローンは同じDNA情報を持つだけの別個体だ!」
「情報部からその子を譲渡されたのは『特務部隊』であって隊長個人ではありません!」
「特務部隊長権限発動! この子は俺の! はい決定!」
「王立騎士団の管理者である王族の一員として、特務部隊長権限の発動を即時無効化致します!」
「なっ!? お、俺以上の強権を発動させるとは……ッ!」
「私の勝ちです!」
「く……マルコ……なんて恐ろしい奴だ……っ!」
「ということで、今日からこのモルモットはオフィスで飼育いたします」
「あ、だめ、お願い、連れて行かないで……俺のモフモフ……俺の……」
「では隊長、お話も終わりましたし、私はオフィスに戻らせていただきます」
「もふ……」
「失礼します」
「うぅ……」
マルコがモルモットを連れて隊長室を出て行くと、ベイカーはソファーの上で体育座りをして、膝の間に顔を埋めてしまった。
互いに心の底から打ち解けているからこそ、大人げない喧嘩もできるというもの。しかし、なぜこの二人が絡むとなぜこうなってしまうのか。ベイカーとほかの隊員、マルコとほかの隊員が話をしていても、ここまで子供じみた言動にはならないのだが――。
「お互い、対等な立場で言い合えるお相手が他にいないのは分かりますけどねぇ……?」
王子と特務部隊長の『国民には絶対に見せられないやりとり』を目撃していたアレックスは、超特大の溜息を吐いてガックリとうなだれた。
何か特別な用事がない限り、アレックスの定位置は隊長室の片隅の補佐官用デスクである。情報部の人間が王子グッズについてのファイルを持ち込んだ時も、その件でマルコが呼び出された時も、アレックスは毎回そこにいた。いつでも衝立の裏からベイカーと来訪者の様子を見守っていて、必要であれば関連資料を手渡したり、その場でデータベースを検索したりしている。
そんな隊長補佐だからこそ、『機能停止状態』のベイカーの復旧方法もよく心得ていた。
「あのぉ~、隊長?」
「……なんだ、アレックス……」
「一過性のペットブームに乗って動物を購入したものの、飼育しきれず手放すパターンも少なくありませんから。あと二週間くらいもすれば、また市営シェルターに動物があふれることになると思いますがねぇ?」
「……二週間か。長いな……」
「まあ、早い人は数日で『やっぱり無理だった』とか言い出すようですが」
「え? 数日?」
「モルモットが持ち込まれていないか、ダメもとで市のほうに問い合わせを……」
してみるというのはいかがでしょうか、と、最後まで言うことはできなかった。
「あ、もしもし? シェルターの担当者様でしょうか? 里親募集中の動物がいるのならぜひ引き取りたいと思っているのですが、今そちらのシェルターにモルモットは……え? いない? ほかに屋内飼育可能な小動物は……チンチラならいる?! 何歳ですか? 健康状態は? 今これからお伺いしても? ……ええ、はい、わかりました! 身分証と公共料金の支払い証明書があればいいんですね!? すぐ行きます!」
通話を切る『ピッ』という音と隊長室のドアが閉まるのとは、ほとんど同時だった。
ああ、なぜこういう行動力だけはズバ抜けているのだろう。
隊長室に一人取り残されたアレックスは、ベイカーの執務机に山積みにされた未決済書類を見て溜息を吐いた。
「事務方からの催促に平謝りするのは、私なんですけどねぇ……」
そしてチンチラ飼育に必要な消耗品を買い揃えるのも、数週間経って飽き始めたベイカーに小言を言うのも、何もかも自分の役目なのだろう。
アレックスは席を立ち、応接セットに置かれたままのティーカップを片付けながら呟く。
「ま、『これもまた善行』というやつですな……」
天の国に富を積んでいるのか、それとも功徳を積んで悟りの境地を目指しているのか。いずれにせよ、そのうちまとめて何倍にもなって返ってくると信じてやり過ごすしかなさそうだ。
有能すぎる隊長補佐は隊長室内を掃除し、チンチラの飼育ケースとフード、予備のペットシーツ類を置く場所を確保した。
その日の夕方、特務部隊には新メンバー、チンチラの『もふまる君』が加わった。が、もふまる君を連れ帰ったベイカーは机の上の未決書類かいくつか無くなっていることも、隊長室がスッキリと片付けられていることも、ティーカップがきれいに洗われて戸棚に戻されていることも、何一つ気付くことはなかった。
貴族の中では『目下の者を大切にする良い人』でも、平民目線では『まあそんなモノ』である。
人間の都合で飼い主が変わったチンチラは、飼育ケースの中からそんな人間たちを見つめていた。
つやつやと濡れた黒い瞳の奥で彼が何を考えているのか、それは誰にも分からない。もふまる君は何も言わず、ただムシャムシャと草を食んでいた。