~異世界で初体験~
そこはまさにファンタジー。
という光景が広がっているのだと思っていた。もちろん、それは俺の勝手な想像で、現実とは全く違っていた。俺の今、目の前に広がっている光景というのは先程とそんなに変わらない山の中。違う点といえば、先程までは夜だったのに対して今はお昼という点くらいだろう。
「シル。ここは本当にお前の世界で合ってる?実はお昼になっただけーなんていう落ちじゃないよな?」
「あはは、リョウは私の事を馬鹿にしているのー?そんなわけないよ。ここはまさに違う世界。今私達がいるのは【ミストルティア】この世界の名称だよー」
ミストルティア。なんかどこかで聞いたことあるような、ないような。とりあえず、違う世界に来たというのは間違いないみたいだな。冒険かぁ…おら、ワクワクすっぜ!
「ちなみにリョウは、前の世界の名前はもう忘れてると思うんだけど思い出せる?」
「おいおい。何十年慣れ親しんだ名前だと思ってるんだよ。俺の名前は……まじかよ」
「やっぱり、忘れてるねー。よそうどおーり。この世界ではリョウという名前で生きていこう」
そんな馬鹿なことがあるものなんだな。一体どういうことでそんなことになってるんだ。訳がわからない。前の世界の記憶はあるものの、名前だけが思い出せないとか普通に恐怖を感じるレベルなのだが。
「もう思い出すことは出来ないのか?」
「うん。それは無理かなー。この世界にきた時点で、リョウはこっちの世界の住人として認識されてしまってるから。あっちの世界の名前は失われてしまうんだ」
「私が覚えてるリョウって名前で、これからは生きていかないとねー」
「少し覚えてるのか?」
「うん。だから、リョウが私に名前をつけてくれたように、私がこの世界でリョウという名前をつけてあげるー」
悲しいような嬉しいような。名前を失ったと知った、その瞬間から新しい名前を手に入れる。
まぁ、こっちの世界で生きていくと決めた時点で、そういうこともあるかもしれないとは思っていたから素直に受け入れることは出来た。
「さてさて、定番ファンタジーみたいにお城に行って王様に勇者じゃ!って言われるようなイベントはないからねー?」
「そこまで期待はしていないからさ。それで俺達はこれからどこに行くんだ?」
「うーん。ごめん。私もこの世界の人間ではあるものの、この世界について詳しいってわけじゃないんだよねー」
この子は俺を異世界に手引きして、という話しだったはずだ。シルは俺を手引きして、異世界で活躍させるためとか聞いていた。確かに聞いていた。手引きする人間が、良くわからないとか言われたら、どこに行けというのだ。
「提案!前の世界に戻ろう」
「残念!これは一方通行。もう戻れませーん」
八方塞がりだな。こりゃ。
「とりあえずはー山から抜けて道に出よっか。そうしないことには、どこにも行けないし。人見つけたら街どこか聞けば大丈夫でしょー」
「そりゃそうだけどさ。このまま山で遭難。死亡ってフラグに感じてしまうのは俺だけか?」
「あはは。そんなことになったらまじでうけるー」
変に前の世界の言葉を使いやがって。確かに見た目的には、使っていてもおかしくはないだろうけどさ。そこで、そんな軽い言葉を言われたらフラグにしか感じないぞ。
それから4時間。ひたすら山を歩いた。植物に関しても、元の世界では見たこともないようなものが生えている。危険なのか、危険じゃないのかもわからない。シルさん。もう俺、異世界に来たばかりで心が折れそうだよ。
「うん。困ったねー。迷子かも」
「いや、これ確実に迷子だから。4時間も歩いてやっと気づいたの!?」
「いやー多分歩けばどこかに出ると思ったんだけどねー。まいったねー野宿かも」
そんな笑顔で言われたら、何も言えないだろう。野宿とか俺の人生で初体験になるんだけど。それが意味もわからない、植物が生えている山の中。日本ならまだしも、どこか知らない世界で初日が野宿。もう日が傾いているから、暫くしたら日が沈むのは間違いない。もしも日が沈んでしまったら、山道を歩くのは危険だろう。
「ふぅ。野宿できそうな場所探すしかなさそうだな」
「イエス!リョウ頑張って。シルちゃんは寝心地良くないと寝れないタイプだからさ」
山の中で寝心地が良い場所などある訳がない。本当困った子だな。とりあえず、周りに何か野宿できそうなとこ探しに行くか。とりあえず腹減ったな。
この辺りに生えてる、きのことか食べたらどうなるんだろうか…いや、辞めておこう。食べたらきっと、死ぬ。異世界に来た初日に死亡とか笑えない。もしも雨が降ったとしてもしのげそうな、大きな木を見つけたから今日はここで野宿することにしよう。
「とりあえず大きな木があったから、そこで今日は野宿するか」
「はぁ。そんなとこじゃ寝れないかもだけどねー。この際、我慢するしかないかー」
むしろ、俺が言いたいよ。そのセリフ。知らない世界で、どうやって生きれば良いのかもわからないのに初日から野宿とかハードモード過ぎるだろう。俺はもっとイージーモードで楽しい異世界ライフってのを送れると勘違いしてたよ。ある意味、詐欺だからな。
綺麗なお姉さんに訪問されて話を聞いて、契約してしまったら凄い金額の商品でローン地獄とかになってしまうくらいの詐欺だよ。これは。
「お腹すいたー」
「お腹が空いてるのが、シルだけだと思うなよ。俺だってさっきからずっと腹なってるんだよ。山の中のきのことかで、食べれそうなのないのか?それよりも火を起こすという方法さえわからないんだけどな」
「あはは。お互いサバイバル能力ゼロだねー」
これはもう初日から死亡フラグびんびんだな。悲しいかな。思ったよりも異世界がハードだとは思わなかった。明日にはなんとか、なんとか山だけは脱出したい。水とかはちょくちょく、沸いてあるところがあるから助かってはいるものの。それがなければ、本当に死んでいただろうな。
「とりあえず、休むか。俺たちずっと歩いてるけど、昨日?でいいのかわからないけど、ずっと歩いてるわけだけど、そんなに体力使った感じしないな。山道のほうが大変なはずなんだが」
「それは多分異世界に来たおかげで、リョウの体力が上がっているからだねー。私もあっちではひ弱だったけど、こっちだと体力上がるもーん」
そうだったのか。不思議と根をあげないと思ったら、そういう理由があったわけだ。普通なら、もう歩くのは無理って言っていても不思議ではないと思っていたんだけど、それなら納得だ。
「寝るときのために大きな葉っぱ探しにいこー」
「そうだなー。少し座ったら、疲れも出てきたことだし寝るための準備するか」
そこからはお互い寝るための準備で、大きな葉っぱを探したり。枕にできそうなものを探したりと、お互い山の中を必死に探し回る。もしかしたら、俺は異世界にサバイバルをしに来ただけだったのかもしれない。お腹は空いてるが、これはこれで楽しいと感じている。
寝て起きて、電車に乗って仕事に行くだけの毎日ではなく、こうして歩いて生きるために頑張る努力をする。もちろん、本質的には同じなのかもしれないけれども、やっていることはもっと率直に生きるために繋がっているというような感覚だ。
「やったね!これでゆっくりとお休みできそー」
「だな。枕になりそうな木に、柔らかめの葉っぱを巻いたし。大きな葉で布団の代わりは完璧だ」
寝る準備はバッチリ。山の夜というのは、恐ろしく暗い。月明かりがあるものの、やっぱり暗いな。家で寝るのとは、大違いだ。
「ねーねー。リョウ」
「どうしたー?」
「いつもみたいに寝てもいい?」
おいおい。甘えん坊め。こういうシルの甘えん坊なところは、おじさんいつもドキドキさせられるんだよな。可愛いやつだ。
「しょうがないなー。いつもみたいに背中くっつけて寝るか?」
「うん!寝るー」
暗くて良く見えないものの、シルが笑っているのがなんとなく伝わる。シルが悲しい思いをしないで済んで本当に良かった。
「リョウありがとうね」
「なんだよ。藪から棒に」
「こっちの世界に来てくれて。本当に嬉しいから」
「まぁー初日から山で野宿になるとは思わなかったけどな」
「私もだよ。でも、こうして夜一緒に寝ることが出来て、背中に伝わるリョウの温もりを感じられて。私は凄く凄く幸せだよー」
俺、こういうのに弱いんだよな。すぐ泣きそうになる。年を取れば泣くことなんてなくなるものだと思ったけれども、逆に涙もろくなってしまっている気がする。
「馬鹿。一度、こっちに来るって決めて約束しただろ。俺の出来る範囲ではこれからも頑張っていくさ」
「うん。ありがとう。私はそういうリョウの優しさ大好きだよ」
照れるから。大好きとか本当照れるから。
「ふふ。真っ赤になってるでしょ。あ、外でえっちなことはしないからねー」
「するわけないだろう。明日は朝早めに起きて、街を探しに行くんだから寝るぞ」
「はーい、じゃあリョウおやすみ~」
「ああ、おやすみ」
異世界初日。街にもまだ辿り着けず、山の中での野宿。これから前途多難な生活が待っているような予感しかしない。けれども、隣にシルが居てくれれば、それなりに楽しい毎日は過ごすことが出来そうな予感もしているのだった。