接触成功
「やれやれ、年取ると約束より随分早めの時間に来てしまうものねえ、まだ権田原さんはお見えになっていないようだわねえ」
小笠原がボソボソとつぶやくとイヤフォンから上森の声が聞こえた。
『ターゲットはまだのようですね。Bチームは見える範囲にいますか?』
「あらあら、噴水の所に仲の良さそうなカップルが、いいわねえ若い人は」
小笠原は独りごとのように言う。
『了解しました。Bチームにも小笠原さんの方を注意しているように指示します』
小笠原は120万円を入れた赤いバッグを大事そうに抱え、キョロキョロしながら公園のベンチに座った。昼下がりの下町公園、まだまだ寒い事もあり周囲に人影はない。時折吹く冷たい風に、ちょっと前屈みになる長坂トミ子こと小笠原。
しばらくすると背後から野太い男の声がした。
「長坂トミ子さんですか? 長坂コウジさんのお婆さんの...」
小笠原は “オヤオヤ『長坂コウジさんのお婆さんの』って、口のきき方も分かってないね、この人!” と思いながら振り向くと、そこにはガッシリした体型のスポーツ刈りサングラスの男が立っていた。昨日の電話の話し通り、なんだか品のない色彩感覚の背広姿だ。
「ぁあ、権田原さんでらっしゃいますかぁ? この度は孫のコウジが大変なご迷惑をおかしてしまったようで、申し訳ないですねぇ」
小笠原が長年の声優仕事のテクニックを駆使して老婆風にヨボヨボと、しかし心配そうな雰囲気を身体中から発散させ、ペコペコとお辞儀をすると、男は言った。
「ええ、権田原です。大阪の金融会社の方から頼まれて、お金を受け取りに来ました。お金持ってますか?」
小笠原は “オイオイ、少しは敬語の勉強しようよ” と内心ツッコミながら、
「はいはい、ここに...」
と、赤いバッグをターゲットの前に差し出した。
それを受け取った権田原は、
「そうですか、それじゃ金額を確認します」
そう言いながら無造作にバッグを開け、指にツバをつけると現金を数えだした。
“まあまあ、品のない金融業者さんですこと!” と、再び小笠原の内心ツッコミ。
「1.2.3.4.5.〜〜〜〜〜、117、118、119、120。はい、確かに120万円ありました。これでコウジさんに貸していたお金はチャラです。それじゃ、これ領収書と借用書です」
権田原はポケットから2枚のシワくちゃの紙を取り出すと、小笠原に渡した。
「ぁあ、そうですか。これでコウジのお借りした借金は無くなるんですね。良かったわぁ... あ、権田原さん、あの〜、書類のここんとこなんですけど、サインを入れていただけますか? ぇええと、この辺に...」
小笠原は受け取った紙の下の方を指差しながらボールペンを差し出した。
権田原は一瞬困ったような顔をしたが、
「え〜と、こ、ここんとこすか? 名前ですね、名前名前と...」
そう言いながら、
「ご・ん・だ・わ・ら、え〜とゴンの字は〜〜、ゴンゴン...」
と、蛇がノタクリ回ったような汚い字で署名をすると、
「はい、それじゃこれ」
と紙を小笠原に渡し、
「それではお金の受け取りも終わりましたんで、私はこれで...」
と言いながら、きびすを返すとそそくさと公園を出て行った。
小笠原は呆れ顔で、
「あらあら、随分と素っ気ない対応ですこと。もう少し権田原さんとお話ししたかったわぁ。あぁ、でもサインもいただけたし、嬉しい事! きっとコウジさんとか言う人も喜んでるわね!」
と、独りごとを言うと、イヤフォンから上森の声が聞こえた。
『お疲れ様でした。インチキ書類にターゲットの指紋も署名も取れましたね。それでは一応コウジに電話してみてもらえますか?』
「そうそう、孫にも電話してみなければねぇ」
小笠原はそう言いながら、昨日の番号に電話してみると、”お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません” とメッセージが流れた。
「あらあら、どうしたんでしょう? コウジは電話を解約しちゃったのかしら?」
『予想通りですね。ターゲットの方は公園を出て駅の方に向かっています。今、Bチームが尾行を開始しました』
その言葉を聞くと、小笠原は話し方を普通に戻した。
「高野君たち頑張って欲しいですね。それにしても、権田原さんって東映のヤクザ映画で最初に突進して行って、刺されて死ぬ役みたいな人でしたねえ...」
『会話の様子から察するに、大した連中ではなさそうですね。Bチームの尾行の方は現在順調です。それでは小笠原さんはお疲れ様でした。今夜のソナスタのアフレコの方もよろしくお願いします』
「はい、上森さんもお疲れ様でした。それではご武運を祈って!」
小笠原は先ほどとは打って変わってスタスタと足早に歩くと、マイクロバスに戻った。
「ゥウ〜ン、モニターで聞いてましたよ。小笠原さん最高! お・つ・か・れ!」
加瀬はそう言いながら小笠原の肩をもむ。
「この後はどうしますか?」
という運転席からの声に小笠原は、
「そうですねえ、とりあえず分室にお願いします」
運転手は軽くうなずくと、車は滑り出すように白金方向に向かった。