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“あらすじ”について

 小説は書きだしが肝であるといわれている。肝とはなんであろうか? いい換えてみれば内臓ということかもしれない。

 いきなりに眼前に胃袋を見せられる。いや、消化途中の何某なにがしかもしれない。ではなく、とても清浄なピンクの胃壁かもしれない。何にしても、そうしたものを見たならば、多くの人は、えッ!? となることだろう。

 何この人……どんな顔してるんだろ? 声の高低は? リズムは? どんな表情をして話すの? と気になるのが人情というものではないだろうか。それゆえ書き出しが肝といってみたのだ。

 こんなふうに初めに肝を見せられてしまった読者は、当然ひきこまれてその先を読みすすめてしまうのではないだろうか。だからといって刺激が強すぎる肝もちょっと困る。そうして考えれば考えるほど、書き出しというものがいかに重要かは見えてくると愚考する。

 では、“あらすじ”はどうだろう。これは案外と顧みられていないような気がするが、小生は大事であると思っている。

 ちなみに手元にある新潮文庫のあらすじの文字数を拾ってみたところ、約百八十字であった。おおよそ二百字以内におさめるのが妥当と思える。あとは配分の問題かもしれない。物語のあらすじを語る本来のあらすじ、これは百字を目安にするのが良いのではないか。そして余った八十字ほどで、テーマの片鱗をちらつかせたり、なにげに寓意性もあるとか、実はシリーズものであるといった付記を書いておくのがよろしいのではないか。

 結局のところ、小説本文の冒頭へいかに導くかという書き出し――肝のまた肝とでもいえばいいか――があらすじなのではないだろうか。

 ここまでお話をすれば、賢明な書き手のかたなら“あらすじ”の重要性にお気づきになったことだろう。

 そういっているわたしはどうかと問われれば、もちろん意識して書いていると答えはする。が、それが評価に値すると自負しているわけでもない。

 言うは易く行うは難し、である。

         

                  (了)

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