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第三章 御嶽丘の戦い

第三章 御嶽丘の戦い



「……あれ?」

 遠野は突然夜の闇の中に放り出されていた。

「ええええええええええええええええええええええ! どこだよここは!」

 初夏のやや暖かな夜風が頬を撫で、きつい潮の香りが鼻をつく。辺りに外灯はなく、そのせいで始めは真っ暗で何も見えなかったが、目が暗闇に慣れてくるとわずかだが景色の輪郭がわかってきた。

 山沿いの舗装された坂道があるだけの場所。右側には雑多に茂った森林、左側には海が見えた。ここは鹿島浦の御嶽丘へ続く道路だ。丘に住んでいる家は数世帯しかないため、ここを通る車はほとんどない。

 そのため道路の真ん中に立っていても安全だった。

 しかしこれはどういうことだろうか。ほんの数秒前まで、自分は確かに『分福堂』の座敷で風鈴と幻斎の二人と話をしていたはずである。なのになぜいきなりこんな場所に自分は立っているのだろうか。

「縮地の法じゃよ。仙術の中でも最も初歩の業じゃの。若い者の言い方で言うならば瞬間移動ってとこじゃのう。テレポートじゃ」

 声の方を振り返るとガードレールの上に幻斎が座り込んでいた。その隣には風鈴が立っている。

「ごめんね~遠野くん。驚かせちゃって。師匠ってばいつも唐突なんだもん」

「あらかじめ言ってくださいよ! びびって足の震えが止まんないっす!」

 テレポートだなんて冗談ではない。便利ではあるがいきなりやられたら誰でも怖い。

「この程度でびびっておるでない小僧」

「いや。ていうか、俺をこの御嶽丘の道路にわざわざ瞬間移動させたってことですよね。いったい何のためにですか」

「だから言ったじゃろう。『神撫』の使い方を教えてやると。そのためには実践――いや、実戦が一番というわけじゃ。風鈴!」

「はい!」幻斎の言葉に風鈴は敬礼をして応える。

「わしはしばらく姿を消す。隠居しておる仙人が人間と深く関わるのもなんだしのう。あとはお主が遠野の坊主に教えてやれ。わしの読み通りならば、今夜連中は現れるはずだ」

「わかりました。任せて下さい。これはわたしたち鹿島浦に暮らす“人間”の問題ですからね。わたしと遠野くんで頑張りられまふ!……ひっく」

 風鈴はまだアルコールが抜けていないのか微妙に呂律が回っていない。しかし幻斎はそのまま夜の闇に溶け込むように消えてしまう。

 後にはただ不安が残った。

「さあ。遠野くん、頑張るよ~。絶対に負けちゃ駄目だからね」

「負けちゃ駄目って、何と戦う気ですか!」

「勿論、悪い化け狸だよ!」

 風鈴の言葉を聞き、遠野は鶴子との会話を思い出した。確か巨乳の牧野さんが、この御嶽丘へと続く道路で怪現象に会ったのだとか。

「そうか。やっぱり化け狸の仕業だったのか」

 だけどなぜ狸はそんなことをするのだろう。人を化かして、いったい何の得があるのだろうか。お金になるわけでもないだろうし、ただの悪戯なのか。

 あるいは――人を憎んでいるのか。

「遠野くん、あれ!」

 風鈴は坂道の下を指さした。暗闇の中からヘッドライトを輝かせて一台の自動車らしきものがこちらへ向かってきた。慌てて遠野たちは隅に寄るが、通り過ぎる瞬間、それが自動車なんかではないことに気付く。

 それは巨大なトカゲだった。

 トラックほどの大きさのトカゲが、素早く足を動かして坂を疾走していた。

 ぎょろりとした目玉を光らせ、それがライト代わりに目の前の道を照らしている。トカゲはカーブを器用に曲がりながら、丘の方へと向かっている。

 遠野はただ間抜けにもぽかんっとトカゲを見送っただけだった。

「今のはなんだったんだ」

「化け狸だよ。狸がトカゲに化けてるの。きっと丘の人たちを脅かしに行ったんだよ。追いかけるよ遠野くん!」

 風鈴はがしっと遠野の腕を引っ張ろうとした。だが遠野はその足を止めたままである。

「待ってください。なんで俺が化け狸と戦わなくちゃいけないんですか」

「なんでって、このままじゃ困っちゃう人がたくさんいるよ」

「嫌ですよ! 今の見たでしょ。馬鹿でっかいトカゲですよ! やばいっすよ!」

 遠野は気付けばそう叫んでいた。今、巨大なトカゲを前にして遠野の足はすくみ、震えてしまっている。頭ではあれが狸の化けたものだと思っていても、どうしても恐怖を覚えずにはいられない。

 いきなり物の怪の類と戦えと言われても、はいそうですかと勇ましく戦えるものではない。いくら自分が『神撫』の力を先祖から引き継いでいるといっても、それで自分が戦わなければならない理由にはならない。

 つい昨日まで普通の男子高校生だったのに、突然そんなことを言われても動けるわけがなかった。

「でも遠野くん。きみにしかできないんだよ」

「無理! ぜーったい無理! 死にますよ! 死んじゃいますって! あーなんで俺こんなことになってるんだよ~~~~!」

「遠野くん!」

「は、はい!」

 風鈴にいきなり怒鳴られ、遠野は思わず背筋を伸ばしてしまう。風鈴の顔は怒っているのか、眉を上げ、真剣な眼差しをこちらに向けている。

 ふっと風鈴の腕が動いた。殴られる――そう思い遠野は目を瞑った。 しかしふんわりとした何かが遠野の体を包み込んだ。柔らかなものが顔に押し当てられ、いい匂いがするせいかとても心が穏やかになっていく。

「大丈夫だよ、遠野くん」

 風鈴は遠野を落ち着かせるために抱きしめたのだ。遠野はされるがまま、その華奢な体に抱かれて頭が冷えていく感覚だった。

いやらしい気持ちなんかではなく、むしろ癒されていく。

「風鈴さん」

「遠野くん、あのね。わたしはこの鹿島浦が好きなの。今この町は化け狸たちによってひっくり返されそうになっている。わたしはそれが我慢できないの。だから、お願いだからわたしに力を貸して」

「……ですけど」

「遠野くんもこの町の人たちを守りたくない? 大事な人がこの町で暮らしていない?」

 耳元でそう囁かれ、遠野は鶴子の顔が浮かんだ。

 そうだ。あいつは今日学校でなんと言っていた。丘に住む牧野さんの家でお泊り会をすると言っていた。ということは今現在、あの丘には鶴子がいる。

 このままトカゲをいかせたら鶴子はあいつらに化かされてしまう。

 いや、あんな奴知るか。いつも俺を馬鹿にして毒を吐いてる嫌な幼馴染だ。だけれど、だけれど、鶴子が泣いている顔や、悲しんでいる顔なんか見たくない。遠野はただ純粋にそう思った。

「風鈴さん、俺――」

「あのね、もしわたしに協力してくれるなら……おっぱい好きなだけ揉んでいいよ!」

「……えええええっ!」

 遠野は顔を上げ、顔を真っ赤にした。いきなりこの人は何を言い出すんだろうか。

「勿論、この戦いが終われば狸伝膏の薬代もチャラにしてあげるしね。いいことずくめじゃん。やったね遠野くん!」

「いいんですか! 本当に!」

 風鈴の柔らかな胸の感触を思い出す。あれに何度も触れられるのならば命だって惜しくはない。遠野の煩悩に火が付いた。

「約束は守るよ! えっへへへ」

 風鈴は笑いながら頭を掻いていた。なんなんだろうかこの人は、シリアスなシーンも台無しにしてしまうような能天気さがある。

 だけど遠野はそれに救われた。

 深く考えることなどなかったのだ。

 今はとにかく丘にいる鶴子のため。そして風鈴の胸のために戦ってやる。男が勇気を出す理由など、それだけで十分だ。

「わかりました、風鈴さん。俺やりますよ」

「そうこなくっちゃ。男の子だね~」風鈴はとんっと遠野の胸に拳を置いた。「じゃあさっそく追いかけましょう――化ける!」

 風鈴が叫ぶと、彼女の体は一瞬にして立派なバイクに化けた。ハリウッドのアクション俳優が乗っているようないかつい物である。

「さあ、乗って遠野くん!」

「いや、俺は免許持ってないんですけど」

「ええええ~~~~! じゃあ仕方ないなぁ。化ける!」

 次に風鈴は自転車に化けた。しかもマウンテンバイクとかではなく、ごく普通のママチャリだ。

「まさかこれでこの坂道を登れっていう気ですか」

「さあ早く! 時間がないよ!」

 遠野は仕方なくママチャリに乗り込む。しかし女の子に乗る、と表現するとなんだかいやらしくなるな、と遠野はどうでもいいことを考えてしまう。

「ひゃっ!」と遠野がハンドルを握ると風鈴は声を上げた。

「どうしたんですか?」

「な、なんでもないよ……でもそんなところ握られると……んっ」

 どうやらハンドルを握っただけで『神撫』の気持ち良さにもだえてしまっているらしい。いったいこのハンドル部分は風鈴のどこに当たるというのだろうか。

「しっかりしてくださいね。走ってる途中で元に戻ってしまったら大変なことになりますから。俺が!」

「大丈夫……まかせて!」

 しかしそう言う風鈴自転車のかご部分から「ぽん」と耳が生えた。全然駄目ではないか。このままでは危ない気がする。

 しかし臆していてはあの巨大トカゲは御嶽丘へとついてしまうだろう。遠野は「いくぞ!」と己に発破をかけてペダルを漕いだ。

 しかし、数分後遠野は力尽きていた。

「はあ……はあ……」

「しっかりして遠野くん。大丈夫?」

「駄目です。この上り坂、超きついです。おえええ」

 もう足はパンパンである。既にバランスもとれなくなってしまい、足を地面につけている。この道路は心臓破りで有名な坂なのだ。

「しょうがないな~。じゃあ行くよ、舌噛まないでね!」

 風鈴がそう言うと、急にペダルが高速で回転し始める。当然車輪も動きだし、時速七十キロを超えるスピードで坂を上り始めた。

「あばばばばばばばばば!」

 突然のことに、遠野はとにかく振り落とされないようしっかりとハンドルを握る。自分で走れるのならば最初からそうして欲しかった。

 そうして坂を駆け上っていき、やがて巨大トカゲの尻尾が見えた。どうやら追いつけたようである。

 遠野たちはトカゲの横につき並走する。しかしトカゲは遠野たちの存在に気付いたのか、そのギョロリとした目玉をこちらに向けた。

「気づかれちゃったよ。遠野くん、トカゲに飛びついて!」

「無理です無理無理! どうやって飛び乗れっていうんですか!」

「『ワイルド7』みたいに!」

「読んだことありませんよ!」

 猛スピードで走っている中、自転車から手を離したらそれだけで後方へとすっ飛んでいってしまうだろう。ましてやトカゲに飛び移るなんて不可能だ。

「こうなったら――化ける!」

 次の瞬間、風鈴は戦車へと化けていた。キャタピラで道路を走っていく。

 その砲身の中に遠野はすっぽりと収まっていた。

「戦車……って、どうして俺が大砲の中に入ってるんですか!」

「わたし前にテレビで見たことあるの。人間大砲ってやつ」

 風鈴の言葉に遠野はぞっとする。まさか、まさか……

「打ち出す気じゃ――って、うわあああああああああああああああ!」

 遠野が言い終わる前に大砲はトカゲに向かって発射された。砲弾代わりの遠野はまっすぐにトカゲの方へとぶっ飛んでいく。

「ちくしょう! こうなったらやけだ!」

 遠野はトカゲの背に掴まろうと手を伸ばす。だがトカゲの背中はつるつるとしており、手が滑ってしまう。だがわずかに遠野の『神撫』が触れたことで、ほんの少しだけ化けの皮が剥がれ、ふさふさの毛がトカゲの背から生えだしだ。

 遠野は「これだ!」とその毛をがっしりと掴む。

 振り落とされそうになりながらも遠野はなんとかしがみつき続けた。

 まったく風鈴は無茶苦茶なことをするもんだ。あと少しで死ぬところだった。恐怖に心臓が脈を打っているが、ここまで来たならばやるしかない。引き返すことはできないのである。

「貴様、何者だ。人間がなぜ我らに怯えず、立ち向かってくる」

 声をかけられ、はっと遠野は顔を上げた。いつの間にかトカゲの背中の上に、一人の女性が立っていたのである。

メッシュの入ったショーへアに鋭い瞳が特徴的で、とんでもない美人である。ダメージジーンズ姿であり、田舎町では浮いているパンクなファッションだ。

何よりも彼女は巨乳だった。Eカップは軽くあるだろう、遠野は思わずその二つの膨らみを凝視してしまう。

しかも無防備にもその豊満な胸を隠しているのは一枚の黒ビキニだけである。上には何も羽織っておらず、トカゲの振動に合わせてぷるんっと揺れている。

「うおおおおお! 巨乳のお姉さんだあああ――――――――――! 俺とメアド交換してくれませんか!」

 遠野は落ちないようにしゃかしゃかと四つん這いになりながら女のもとへと近寄った。

「うお、なんだお前気持ち悪い!」

 だが思い切り顔面を蹴られ、遠野はトカゲから落っこちそうになる。

「いやあ、美人のお姉さんに蹴られるってのもなかなかいいな」

 だが遠野は意外にも満足気だった。

「なんなんだお前、我らの邪魔をしに来たのか人間」

「まあ、そういうことになるっすね。ははははは。ってことは、お姉さんも化け狸の仲間だったりするんですか?」

「当然だ。我は人間ではない。誉れ高き化け狸ぞ」

 遠野はそれを聞いてがっくりする。せっかく巨乳のお姉さんとお近づきになれるかと思ったが、相手が狸では仕方がない。

「それにしてもどうしてあんたら狸は丘へ向かっているんだよ」

「決まっておるだろう。丘にいる人間共を化かし、脅かしてやるのだ。その邪魔をするのならば人間、ここで排除させてもらう」

 パンクファッションの女は手に一匹の狸を抱えていた。その大人しい仲間の狸を上に掲げ、名乗りを上げる。

「我こそは赤毛姫の家臣――市川静流。化けて参る!」

 すると手にしていた狸がエレキギターへと化けた。そのネックを両手で持ち遠野の方へと駆け出す。

「や、やばい!」

 静流はエレキギターをまるで刀のように振り回し、遠野の頭を殴りつけようと横に薙いだ。それをギリギリのところで首を下げて回避し、遠野は這うようにしてトカゲの背中を移動していく。

「ちょこまかと逃げるな。貴様はゴキブリか!」

「三十六計逃げるにしかず! 逃げるが勝ちだ! 痛いの嫌!」

 とはいえトカゲの背に立っている静流と、這うのが精いっぱいの自分ではすぐに追いつかれてしまう。逃げ場だってないのだ。

 エレキギターで頭を殴られたら失神では済まないだろう。仮に大した怪我を負わなくとも、そのままバランスを崩しトカゲから落ちれば大参事だ。

 今まで喧嘩なんかしたこともない自分が、いきなり化け狸と戦えと言われても無理だ。しかし助けを呼ぼうにも風鈴は戦車のまま並走するのがやっとらしく、手助けをしてくれると思った幻斎の姿は見えない。

 ならどうすれば――このままではいずれ殴られる。

 考えろ。考えるんだ、遠野忠保。そう己にそう言い聞かせた。

「何をぶつくさ言っておる。これでお仕舞にしてやる!」

エレキギターが遠野の頭へと振り下ろされた。

 なんとかそれを避けようと体を捻るが、右腕に直撃してしまった。

「――いっでええ! いたいたいたいたい!」

 右腕に電流のような激痛が走る。びりびりと神経が痺れるような感覚がし、遠野の腕は力が入らずだらんと伸びた。そのせいでトカゲに掴まる腕は左手一本になり、大幅にバランスを崩してしまう。

 遠野はみっともなくも涙と鼻水を流し、必死の形相でトカゲの背に張り付いた。

「逃げるのだけは上手いようだな。だけど、次で終わらせてやる。貴様の悲鳴で最高のセッションをしてやるよ」

 静流は向かい風に髪をなびかせて優雅に言った。

 もう絶体絶命だ――いや、待てよ、と遠野はある言葉に引っかかった。

 向かい風? そうだ。今時分は風上に立っていて、静流は風下だ。ならば、と遠野はトカゲの背を掴んでいた左腕をぱっと離す。

 慣性の法則により、遠野は思い切り前へと飛んで行った。

「我に殴られる前に手を離して自害を選んだか。それもまたよし――なにい!」

「必殺、おっぱいダーイブ!」

 飛んでいった遠野は思い切り静流へとしがみつく。直線状にいたために出来たことだ。静流が自分を攻撃しようと目の前に立ったのが幸いだった。

 遠野は振り落とされないよう、必死に抱きついた。その際に、静流の豊満な胸を思い切り掴む。傷ついた右腕もしびれが落ち着いてきたため、なんとか力を振り絞って静流の身体に手を回す。

 おっぱいマイスター遠野忠保。たとえこの状況下でも胸に対する執着だけは本能が忘れず、なんとか胸を掴むことができた。

「貴様、どこを触って……んっ、なんだこれ、こんな感覚……初めて」

 遠野の『神撫』で胸を触られた静流は顔を赤くし、もだえるようにして声を震わせている。次第に彼女の体から力が抜けていき「ポン」と耳と尻尾が生えだす。だがまだ完全に化けの皮が剥がれているわけではない。

「おおおおおお! や、柔らかい! でかい! 感動だ!」

 ここで死んでも一片の悔いなし! とさえ思えるほどに感激していた。

「問題はここからじゃ、遠野の坊主」耳元で幻斎の声が聞こえる。「ただ触るだけではここまでが限界。こやつらを完全に狸に戻すには技巧が必要じゃあ」

「でも、技巧って言ったってどうやってやればいいんですか」

「わしが指導してやる。まずは軽く撫でまわし、そして時に力強く」

「はい、師匠!」

 遠野は幻斎に言われた通りに静流の胸をまさぐっていく。人間に化けているだけとはいえ、その柔らかさは本物のようで、遠野の手のひらに心地いい感触が伝わっている。

「あっ……くそ、いい加減にしろ、この変態人間!」

 静流は遠野を振り落とそうと攻撃に移ろうとするが、その瞬間に強く指で胸をリズムよく弾くと、「ああっ」と力の抜けた声を出してエレキギターを手放してしまった。

「ふーん!」

 と鳴き声を上げながらエレキギターから戻った狸は後方へとすっ飛んでいく。

「ポン太!」

 静流は手を伸ばすが虚しくも闇の彼方に消えていってしまう。「その調子じゃ、坊主」と幻斎は激励する。「そのままお主の指先でこの雌狸を昇天させるんじゃ!」

「はい!」

 遠野は両手を駆使して静流の乳房を撫でまわしていく。時に優しく、時に激しく、責め立てていった。それだけではなく、遠野は指先を彼女のくびれた腰にまで持っていき、体全体に触れていったのである。

「駄目だ、やめろ! そんなところを触るな、この変態! あっ、あああ、うううううううううううっ、気持ちよくなんか、ないもん……あっ―――!」

 だが静流は我慢の限界だった。喘ぎ声を空の星に届かんばかりに発し、その美しい肉体は「ぽん」と一瞬でふさふさ毛並の狸へと化してしまった。

 ――やった。遠野は心の中でガッツポーズをとった。

 しかしもう少しだけ触っていたかった。勿体ない。

「よくもやってくれたな、この人間め~~~~~~~!」

 静流は叫び声を上げたがもはや完全に力を失い、トカゲから落ちていった。その際に遠野も落ちそうになる。しかしなんとか手を伸ばし、トカゲに掴まることに成功した。

「あとはそのトカゲの化けの皮を剥がしてしまうだけじゃ、遠野の坊主!」

 幻斎の言われるまま遠野はその両手でとにかくトカゲの背を撫でまわした。するとブルブルとトカゲは震え始め、無数の耳と尻尾をトカゲの体全体から生やした。

 一匹だけではない。何匹もの狸が集まってこの巨大トカゲに化けていたのだ。その光景はやや不気味である。

「げええキモイ!」

「ふーん! ふんふーん!」と巨大トカゲの形を保っていられなくなり、一斉に狸へと戻ってしまった。くっつきあっていた彼らはバラバラになりながらゴロゴロと道路を転がっていく。遠野もまたそのせいで道路に直撃しそうになった。

「今助けるよ、遠野くん!」

 遠野が凄まじい勢いでアスファルトにぶつかる瞬間、風鈴がマットへと化け、下敷きになるようにして滑り込んできた。

 マットに衝撃は吸収され、遠野は無事に済んだのだ。

化けの皮が剥がれた狸たちを見ると、それぞれ気を失っているようだが、毛深いせいか道路に落ちても無傷のようである。

「ふう……これで、とりあえずは一件落着だ」

 遠野は心臓がバクバクと脈打ち、体のあちこちが痛むことを自覚した。だけれど、これで丘に住む人々や、鶴子が無事ならば安い代償である。

「やったね遠野くん。おめでとう! かっこよかったよ!」

 人間の姿に戻った風鈴は、遠野を後ろから抱きしめた。実際立っていられないぐらいに疲労していたので、支えになってくれていて助かる。

「かっかっか。初戦にしては、上出来な戦いぶりじゃったのう。これも遠野の血がなせることか。いや、お主自身の素質かもしれんの」

 幻斎はいつの間にか姿を現し、またもやガードレールの上に座っていた。

「いや、幻斎さんのアドバイスのおかげですよ。ありがとうございます」

「ふん。まあ、じゃがこれからはお主の力で頑張るんじゃぞ」

 遠野に礼を言われ、幻斎は照れているのか鼻をぽりぽりと掻いている。そんな姿は年相応の幼女に見えた。

「名高き中立者、左右田幻斎様とあろうお方が人間に肩入れをするなど、感心致しませんわねえ」

 しかし和やかな空気を一瞬にして張りつめさせるような、鋭い声が夜の闇に響いてきた。

「だ、だれ?」風鈴は不安そうな顔で周囲を見渡す。だが辺りには気を失って倒れている狸たちしかいない。ではどこから――

「どこを見ているの、間抜けな半化け。妾はここであるぞ」

 声は真上からだった。遠野たち三人が顔を上げると、そこには船があった。

夏に宴会などが行われる座敷船が、どういう原理なのか宙に浮いていたのである。その縁に一人の着物姿の女が腰を下ろしている。

 女は見ただけで魂を抜き取られるような絶世の美女であった。

 歳のころは風鈴と大して変わらないように見えるが、風鈴には無い大人の色気を放っている。真っ赤な着物を崩して着ており、そのせいで肩が露出し、ふくよかな胸がこぼれ落ちそうになっている。

 そして着物と同じ炎のように真っ赤な長髪が特徴的だった。

 女は遠野たちを見下ろして、優雅に扇子を煽いでいる。

「すげえ! 今日は美人のお姉さんと二人も出会ってしまった!」

 遠野は彼女の胸の谷間に目が釘付けになってしまう。あんな高くにいなければ今すぐ告白したいぐらいである。

「あなたは、赤毛姫ね」

 風鈴が女を見て言うと、彼女は「いかにも」と頷いた。

「初目にお目にかかるわね、半化け。あなたのことは噂で聞いているわ。半分は化け狸の血を受け継ぎながらも、狸を裏切り、人間共の味方をして妾たち同胞を狩っているという悪名高き木嶋風鈴」

「わたしは別に狸のみんなを裏切ってるわけじゃない!」

「言い訳は聞きたくないわ。貴女は妾に敵対した。それだけが重要な事実よ」

 風鈴は赤毛姫に睨まれ、体を硬直させてしまう。彼女の瞳はそれだけの眼力があり、遠野もびびってしまう。

「目を逸らすな。しっかり見ておけ。あやつこそがお前たちの敵――化け狸たちの悪大将である赤毛姫じゃ」

 幻斎は真剣な面持ちでそう言った。

 あの美人さんが化け狸たちを率い、町の人々を怯えさせている張本人だという。

「出過ぎた真似が過ぎますわね、幻斎様。あなたは仙人として狸と人間の行く末を見守るだけの中立者であり傍観者だったはずですが」

「そうじゃ。中立。だからこそわしは均衡を考えておるんじゃ。今のお前らに対抗人間を用意すること、それでようやく釣り合いがとれる。ここから先は坊主たち人間の問題じゃ。わしはこれ以上深入りはせんよ」

「その言葉を信頼致しますわ」赤毛姫は扇子をパタリと閉じ、倒れている狸たちに目を向けた。「しかし、今日のところは見事にうちの家来たちがやられましたわね。あなたがやった、ということかしら人間よ」

「え? お、俺? いやいやいや、違うんですよこれは!」

 遠野はぶんぶんと首を振るうが赤毛姫はすべてお見通しのようである。

「見た目に反して少しは骨がありそうね。名前を聞いておこうかしら。そちよ、この妾に名乗ることを許可するぞ」

 随分と上から目線――物理的にも上からであるが――で言われ、遠野は躊躇するが、美人に名を尋ねられるなどこれ以上の喜びはなく「俺は遠野忠保です! よろしくお願いします!」と頭を下げる。 

だが名を聞き、涼しげだった赤毛姫の表情が一変した。

 眉間に皺がより、額には欠陥が浮かび上がる。眉を吊り上げ目には憎悪の炎が宿っており、鋭い犬歯を剥きだしにした。

「遠野――だと。そちはもしや遠野兼政の子孫か!」

 赤毛姫の怒号によって遠野と風鈴はその場を転がってしまう。叫び声だけでこの圧倒的迫力、遠野は抵抗する気力も湧かなかった。

「そうじゃ。こやつはあの遠野兼政の末裔じゃ」と幻斎が代わりに答える。

「そう。そういうことなのね。これもまた運命ということかしら。うふふふふふ。あははははは、はーはっはっははは!」

 憤怒の表情は快活な笑顔へと変化し、赤毛姫はこんなに面白いことはない、とばかりに大声で笑った。「聞いておくがいい人間。いや、遠野の末裔よ」

「妾は四百年前に貴様の先祖――遠野兼政に討伐された赤毛佐兵衛の末裔。鹿島浦赤毛一族の長よ。赤毛の名において、怨敵たる遠野の血族に宣言する。妾はこの町を――忌むべき人間共が住まうこの鹿島浦をひっくり返してくれよう。四百年間の眠りについている赤毛佐兵衛の封印を解き、復讐を果たすのだ!」

「復讐だって……」

 自分の先祖に対する復讐であろうか。遠野は自分の体に流れる化け狸退治の血に体を震わせた。

「次の満月までに妾を止めて見せよ、遠野忠保! これは赤毛の一族と遠野の一族との決闘である。ああ、楽しいのう。我が先祖の仇敵と合いまみえる日がこようとは、これだから化け狸というものは辞められない。それでは、一先ずさらばじゃ」

 赤毛姫は高笑いをし、宙に浮いた座敷船を天高く飛ばして夜空へと吸い込まれていった。いつの間にか気絶した狸たちも姿を消しており、夜の静けさが道路に戻っている。

「遠野くん。大丈夫?」

 風鈴は空を見上げたままの遠野の肩を抱いた。

 しかし遠野の血統と赤毛の血統、四百年以来続く気が遠くなるぐらいに長い二つの種族の因縁に、遠野はただ茫然とするしかなかった。


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