第1話:初夢
世界は狂った。
世界:1
人間の命:約7000000000
全生命:∞
命すらも数えられてしまう時代。
この世はある種、作られている。理屈と法則によって作られている。それによって、人間は束縛と束縛の中の自由を手に入れた。それはやはりどこかに不安を持っていたが、野生の動物達の生活と比べると、それは確実に平和な世界であった。人間と物質が世界を駆け巡り、絶妙なバランスを保っていた。しかし、人間はそれに安心しきってしまっていた。
その法則が崩れた瞬間、世界が崩れる事も忘れて。
そしてその法則は、たった今崩れた。
そう、たった今。
嘘だと思うかい? そりゃあ、キミの周りにはまだ変化は起きていない可能性の方が高いだろう。全世界が同時に変化の波に呑まれるわけがない。波という物は、発生源から順番に全てを呑み込んでいくのだ。音もなく、少しずつ勢いを増しながら、人間の言う非現実が、この世を蝕んでいく。
ほら、お前のすぐ後ろにも……。
「っていう夢を見たんだけどさ……」
「夢オチかよ」
「別にいいじゃん。オチを重視して話をしてたわけじゃないし」
「あっそ……」
「いやな、重要なのはさ、今日元旦じゃん」
「あー、初夢って事?」
「そそ。結構良く分からない夢だったんだよ」
「そりゃあお前がいっつも妄想してるからだろ」
初詣の帰り道、厚着のジャンバーを着た2人組が横並びで歩く。人混みから離れ、やっと澄んだ空気を満喫できる下り坂。田舎道、道の両脇には草と霜が見える。
右側の男が立ち止り、後ろを振り返った。
「おい、何後ろ見てんだよ?」
「さっきさ、夢の話したじゃん。その時、目が覚める前に最後に言われた言葉がな」
――ほら、お前のすぐ後ろにも……。
「んなの夢だって言ってんじゃんかよ」
「いや、けどさ、やけにリアリティがあったっていうか、普通の夢に見えなかったん……」
「お前……そんなに夢とかに敏感な奴だったか……?」
返事はない。
「おい」
返事はない。
左側の男も、振り返った。
「お……」
ごとん。
何かが落ちた音。そして血しぶき。
首のない人間が、仁王立ちしている。それはついさっきまで会話していたはずのあの、あの。
そしてその後ろ、坂の上。
狼……じゃない。
狼としては体格が大きすぎた。それは既にトラすら超え、高さは2.5mほどあるように見えた。そして足は、6本。灰色の身体。柔らげな毛並み。見た事のない、恐らくこの世界で誰も見た事のない、生き物。
首を無くした死体が崩れ落ちる前に、男は駆け出した。
空気が一気に寒気を帯びたのを、男は感じる。空が暗くなったと思ったが、それは雲ではなくその巨大な生き物の作り出した影だった。
跳躍していた。
男は、凍えるような寒さと押しつぶされる感覚と、死を感じた。
波乱と混沌を孕んだこの年を作ったのは、一体誰なのだろう。崩壊の足音を聴いた者は誰もいなかった。
この物語には何もない。法則も理屈も正義も悪も、そして主人公も。
ただ、命だけがある。
世界:1
人間の命:約7000000000-2=約7000000000
全生命:∞+α=∞