第一章 4
4
プライが心配だったので、着替えを終えてから、彼の部屋にロッテとともに移動した。
プライはさほど苦しそうな様子もなく、すやすやと寝ていた。最初は静かにはなそうとしていた二人だったが、この分では、大声でもださないかぎり、彼は起きないだろう。プライの布団を直してやってから、先にソファに座っていたロッテの向かいにネイリンは腰を下ろした。
そのとき、控えめなノックがした。
「はい」やれやれ、そう思いながら立ち上がり扉を開けた。
「おう。お色直しか?」
「なんだ、ラパルクか」
彼は着替えていなかった。彼の着ていた服はデザインも簡素なものだったし、面積も小さかったから、もう乾いているようだった。
「入る?」
おう、といって中に入ってきた。書き物机の前にある椅子を引っ張り出し、それに逆向きに座った。斜めに座るロッテはソファに深く腰かけている。そのため足が床についていなかったが、それを楽しむようにぶらぶらさせている。
「お嬢さんはいいのかい? こんなところにいて」
ラパルクが、なんとなくはなしにくそうにいう。ネイリンも座る。
「ここにいないければ、お勉強をしなくてはいけなくなりますから」
「お勉強、大変なの?」ネイリンが何気なく訊く。
「ええ。ほとんど一日中していますわ」ロッテが、ぶらぶらさせている足を見る。
「一日中?」一日中、ほぼ勉強しなかったネイリンからすると、まさか、としか思えない。
「うちは伝統的にそうなんです」ロッテは、一瞬大人な顔をする。「この土地を統治するものとして最低限覚えなくてはいけないことが山ほどある。それがお祖父様の口癖ですの……」
やはりガードナー家は地主らしい。それも、ロッテの口ぶりから判断するに、今まで持っていた漠然とした印象よりも、土地の規模は大きそうだった。
――そんな家に生まれたら、一日中勉強させられるっていうこともあるのかな。
勉強嫌いのネイリンは、身震いした。小さな雑貨屋の娘に生まれた自らの境遇に、はじめて感謝した。
「ですから、お父様も、それから伯父様も、小さなころはお勉強ばかりしていたそうなんですの。今のお父様の様子を見ていても、そうは見えませんでしょうけど」ロッテは屈託のない表情でいう。「でも、子供のころは、勉強漬けだったらしいですわ」
「適当にやればいいんじゃないか? そんな勉強ばっかりやってたら、逆に頭が悪くなるぞ」ラパルクが、絶対違うようなことをいった。
「サボることはできませんの。一階のわたくしたちの部屋は、廊下から中が見えるようになっていますから」
「中が?」ラパルクが驚いた顔をする。「それは、ちゃんと勉強しているか、監視するための窓があるってことなのかい?」
「ええ」
「何もそこまでしなくても……」それはやりすぎなんじゃないか、という気がする。「学ばなくちゃいけないことって、そんなにあるものなの?」
「いえ。家督を継ぐものとして覚えなくちゃいけないことなど、そうはありませんわ。わたくしたちが学ばされるのは、知識全般ですの」
「おれなんかだと、縁がなさすぎてよく分からなぇけど、そういうのを帝王学っていうのかな?」ラパルクが、誰にともなくいう。
「そういうことではないんですの。この家で学ぶことにはべつの意味があって……」
「べつの……?」
「ええ」ロッテは、不意に窓の外に目をやる。「石を継ぐためには、智がないといけない、ということになっていますから……」
「石?」ネイリンとラパルクが異口同音にいった。
また石だ。この家では石が物事の中心になっているようだった。
先ほどは石のことはいえない、いうべきでない、という話になっていたが、ジーナスのいない今は、石の話が聞けるのだろうか。ロッテの最前からの様子だと、彼女は石のことについて、そう秘密にしたがっている様子ではなかったが……。
といって、あまり興味をむきだしにすると、さすがに警戒されて口を閉ざされる可能性があるから、それとなくネイリンは訊いた。
「石って、さっきいってた『再命の石』のこと?」
「ええ。石を継ぐためには、智がないといけないといわれていますの。ただ、その『智』というものが、具体的になにを指しているのかが分かりませんので、とにかく知識を……と」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。なんだか話がよく分からねぇな。さっきは、統治者として勉強が必要とかいってなかったか?」
確かに先ほど、それがお祖父様の口癖だ、といっていた。
「それは表向きの理由なんですの。子供に勉強させる本当の理由は、石を継ぐものを育てるためなのです。ただ、石を継ぐものが、結果的に家督も継ぐことになるので、表向きだけともいえないのですが……」
ロッテの言葉から、石を守るということが、このガードナー家にとって重要な意味を持っていることが分かった。だが――その前に、
「えっと、そもそも石っていうのはなんなの?」ネイリンは、わざとらしくならないように手を口に当てる。「あ、ごめん。こんなこと訊いちゃっていいのかな?」
「石のこと?」ロッテはころころとした表情で笑う。「ええ。何も問題はありませんわ。お父様たちは、外の人たちには隠したいようですけど、そもそも知っているのはわたくしたちだけではありませんしね」
そうだ。ネイリンは酒場でも石の話を聞いている。情報が漏れていることは事実だ。
「気になるのでしょ? 最初からおはなししましょうか?」
ロッテがネイリンの顔を、澄んだ瞳で見る。その瞳は、何でもお見通しだといっているように感じて、ネイリンはそっと息を呑んだ。そしてうなづく。
「再命の石というのは、伝わっている話では、わたくしたちの先祖が、伝説の勇者から直接いただいたものだ、ということになっています。そしてその石を持っているものは、一度死んでも生き返る――と」
「え?」またもラパルクと異口同音にいった。
とても信じられない話だった。伝説の勇者から直接ものをもらっている、ということがまず信じられないが、百歩譲ってそれを認めるとしても、その石を持っているものは生き返る、などという話は到底信じられない。
「その話、本当なの?」ネイリンは、思わず訊いた。
「わたくしは信じておりません。ただ、お祖父様は、その話のすべてを信じておられるようですわ」
ネイリンは、大広間でのやり取りを思い出した。ジーナスが石の話を持ち出しただけで、ずいぶん興奮していたから、おそらくロッテのいうとおり信じているのだろう。
「お祖父様だけではありません。お祖父様のお父様も、そのお父様も、ご先祖の方々はみんな信じておられたようですわ」
ネイリンは、不思議に思う。そんな話を、ふつう信じるものだろうか。いや、ふつうは信じない。だが、信じていたとするなら――根拠、つまり石そのものが、
――あるってことか。
「ロッテ。その石って、本当にあるの?」
勇者からもらった石など、あるとは思えない。石を持っているだけで生き返るなんてありえない。だが『そういわれている石』なら、あってもおかしくない。
「その石は、鏡の中にある、といわれています。でも、」
――そんなの、ばかげていますでしょ?
そういってロッテは立ち上がった。そのまま窓辺に向かう。
『そいつは、鏡の中に隠されてるって話だぜ』
酒場で聞いた噂話がよみがえる。
そうだった。その話はきいていたんだった。
でも――そんなこと、あるわけがない。
「鏡の中って、どういう意味だ? なんかの比喩かい?」ラパルクが訊く。
「いえ、文字通りの意味です」
ラパルクは、ぽかんとした顔をしている。ありえない話を重ねられて、どう考えていいのか分からないのだろう。
「その鏡は、どこにあるの? あ、いや、べつに盗もうとか考えているわけじゃないのよ」
「ネイリンを疑ってなんかいませんわ。わたくしは、お友達を疑うようなことはいたしません」ロッテは窓枠に腰かけながら微笑んだ。「その鏡は、二階の廊下の手前端の部屋にあります」
曲がり角にあった、表面がでこぼこしていた扉の部屋だ。その扉だけ手が込んでいると思ったら、やはり特別な部屋だったのだ。
――夜中に忍び込んじゃおうかな。
「入れませんけどね。鍵がかかっていて、その鍵は一階の大広間のケースにしまわれていますの」
――夜中にそれ、盗んじゃ
「そのケースも開けることはできませんの。鍵がかかっております。その鍵を持っているのはお祖父様だけですの」
――あのじいさんしか入ることはできないのか。
「ですから、あの部屋、お祖父様がじきじきにお掃除なさるのよ」ロッテはおかしそうに笑った。
「てことは、その鏡はあのじいさ、あ、いや、おじいさましか見たことないってわけか」ラパルクが考えながらいう。「で、じい、おじいさまはどういってるんだい? 鏡の中に石はあったっていってるのかい?」
鏡の中にあるとはどういうことだろう――とネイリンは、あらためて考えた。
鏡の中にあるってことは、鏡の中に見えるが、鏡の外にはないということか?
あらためて考えてみて、やはりそんなことはありえないと思った。
「お祖父様はなにもおっしゃってはいません。鏡の中にある、とは鍵の入ったケースに書かれているのですが、その言葉をなぞるだけです」でも――とロッテはおかしそうに笑った。「鏡の中に石なんてございませんでしたわ」
「え、どうしていいきれるの?」ネイリンもそうは思うが、ロッテの口ぶりは、まるで見てきたように聞こえた。
「わたくし、あの部屋に入ったことがございますから。まだ二才ぐらいのときですが、はっきりと覚えています。鏡の中に、石なんてございませんでしたわ」
「あ、部屋に入ったことあるんだ」ちょっと驚いた。
「ええ。本当は、鍵を託されていない人間は入ってはいけないことになっているのですが、まだ言葉もはなせないころでしたので、お祖父様も油断なさったのでしょう。でもわたくし、はっきりと覚えていますの」ロッテは当たり前のようにいった。
二才のころの記憶なんて、覚えていられるものだろうか。ネイリンには無理だ。だがプライなら覚えているだろう。この娘――も、きっと覚えているのだろうな。ネイリンはそう思った。
ロッテはつづけた。
「なにもない部屋でした。文字盤が反転した時計と、その真向かいに大きな鏡が置いてあるだけ。鏡にも、その時計が映っているだけでしたわ」
やはり鏡の中に石などはないのか。そう思うと同時に、引っかかることがあった。
――反転した時計。
それに、なにか意味があるような気がしたのだが、ロッテが話をつづけたので、そちらに意識がいき、疑問が霧消した。
「お祖父様は、それは丁寧に鏡をお磨きになっていましたわ」ロッテは眉根を寄せる。「かわいそうなお祖父様。鏡の中に石があると本気で信じてらっしゃるんだわ。きっと、小さなころから、そう聞かされつづけたせいね」
――洗脳されたということか。
しかし、鏡の中に石が隠されているなんて、そんなこと、いくらいわれつづけたとしても、信じるものだろうか。よしんば信じていたとしても、鍵を継ぎ、あの部屋に入り、石なんて映っていない鏡を見た段階で、やはり石はなかったのか、と思いそうなものだが。
あのおじいさんが鍵を継いだころ、おそらく息子たちは大変な勉強中で、もう今さら石はなかった、なんていえるような状況ではなく、それを隠すために信じている振りをした、ということか。いや、それなら、あの部屋の外だけで、そういった素振りをしていればいいことだ。自分がただの赤ん坊だと思っているロッテの前で、わざわざ鏡を磨くといった、鏡を尊重するような行為をしてみせる必要はない。
鏡に映っている、つまり表面にある必要はない。鏡の中の世界に、石は安置されているのだ――おじいさんは、そう思っているのだろうか。
「まあ、おじいさまは信じてるとして、ほかの人はどういってるんだい?」ラパルクがいった。「お嬢さんのおやじさんや、あとはおじさんかい? その人たちは……」
彼らは、代々継がなくてはいけない石、というものがあるのを前提に、少なくとも子供時代をすごしている。心境として、今さら疑えないものなのか。先ほどのジーナスの反応は疑っているように見えた。だが、穿ってみれば信じているようにも見えるのか……。
「伯父様は信じていると公言されています。でも、どこまで本心なのか……」ロッテは、顔の端に、ほんの少しだけ嫌悪感を見せた。「欲深い方ですから。信じている、といっておいたほうが有利だ、とお考えになっているのかもしれませんし」
そうだった。この家では、石を継ぐものとしてふさわしい、と判定されたものが、家督も継ぐんだった。だから逆にいうなら、家督が欲しい場合、まずは石を継ぐものとしてふさわしい、と判定されなくてはいけない、ということになる。石を信じない、などといった日には、その時点で、同時に家督を継ぐ権利も失うことになるのだろう。
まあ、おじさんのスタンスは、一般的な大人として妥当なとこだろう。
「お父さんはどういってるの?」ネイリンは訊いた。
「お父様は、信じていない、と常日頃からいっています。それはつまり、家督への興味もない、ということですが――負け惜しみでしょうね」
「負け惜しみって……」
「ガードナー家の所有する土地の管理は、すでに伯父様が任されておりますの。お父様の出る幕などございませんわ」
ロッテの口ぶりは、親のことになっても冷静で客観的だった。
「てことは、おじさんが鍵を受け継ぐことになるのか?」ラパルクがいう。少し、納得のいっていない表情だった。おじさんに会ったことがないのに、なぜそんな表情になるのかが分からない。
「そうなるのでしょうね」
「でも、お嬢さんのおじさんは欲深いんだろ?」ラパルクがいう。「鍵を託す人間の条件に智を挙げてるってのは、要は石をつかってしまわないだけの自制心を求めてるってことだと思うんだが……」
ああ、そうか。ラパルクが、会ったこともないおじさんが鍵を受け継ぐことに違和感を覚えた理由が分かった。
石がもし本当にあるのなら、鍵を手にしたものはそれをつかってしまうだろう。なにせ、もう一度生まれてくることができる、などという品物なのだ。だからこそ、それを隠した鏡の部屋の鍵を継ぐものの条件として、それをつかわないだけの自制心、つまり智を挙げているわけだ。だが――とネイリンは思った。
だが、つかってはいけないということは、このガードナー家が石を継ぐ目的は、自分たちで、いずれそれをつかおうというのではなく、保存するのが目的ということか。
――なんのために?
「お決めになるのは、お祖父様ですから」ロッテの口ぶりは、おじさんの知性のことを避けたもののように感じた。
しかし、おじさんが継いでしまったら、石をつかってしまわないだろうか。
――いや、それは石があることを前提にした心配か。そもそも、持っているだけで生き返る石なんてあるわけがないのだし……。だが、この家のシステムは、石があることを前提に組まれている。奇跡的な効果を持つ石も不自然な存在だが、そんな石がなかった場合は、今度はこの家のシステムに不自然さを感じる。
……思考が堂々巡りにはまりそうな気がする。
ここは、考えをシンプルにする必要があるのかもしれない。
石があることを前提に存在しているここガードナー家を理解するためには、持っているだけで生き返る(といわれている)石があることを前提に思考を、話を進めた方がいいのかもしれない。
ネイリンは考えながら、先ほどの疑問を口にした。
「ねえ、ロッテ。そもそも、ガードナー家が石を大事にする理由ってなんなの? 自分たちでつかう気もないみたいだし……」
伝説の勇者から譲り受けたという石に、金銭的な価値を見出している、ということなのだろうか。いずれ一族が金銭的危機に陥ったときに、それを切り札にしようと――いや、石はあの部屋になかったんだよなぁ。……あの部屋は陽動作戦で、べつの場所に隠している、ということもあるのか?
そんなことを、瞬時に考えていたネイリンだったが、ロッテの口から出てきた言葉は、そんな世俗的なものではなかった。
――鍵は智の血を継ぐ者に託すべし。鏡中の宝は時満ちしころ現る扉を開けし真の智者に託すべし。邪な心が欲するとその命はない。
突然の文語体に、すうっと現実が遠のくような感覚に見舞われた。
「あの部屋の鍵がしまわれているケースに書かれた文句です」ロッテは一瞬微笑を見せ、首をすくめる。「わたくしたち一族は、この言葉に囚われているのです」
現実から遠のいたネイリンの頭に、ケースに書かれているという言葉が染み入るように入り、なんとなく納得してしまった。
鏡の中の石。そしてそれを受け取りに、真の智者が現れる。
――そんなこともあるのかな。
そう思った。だが、
「へんだぞ、それ」ラパルクの調子の外れた声で、目が覚めたように思考が現実に戻った。「だってよぅ、もし鏡から石を取り出せる真の智者とやらが現れたとしても、厳重に扉を閉めてたら、そもそも部屋に入れないじゃないか」
ロッテが呆れた顔を見せる。ラパルクは、なにを聞いていたんだろう。ネイリンも、彼の間違いに思わず笑った。にごりかけた頭がすっきりとする。
「違うわよ、ラパルク。鏡から取り出せるのが真の智者だ、なんていってないじゃない。その扉を開けられるものが真の智者だといったのよ」いいながら、しかしその内容に違和感を覚えた。
「はい。ネイリンさんのいわれるとおりですわ。ガードナー家は、あの扉を開けられる真の智者が現れるまで鏡の中の再命の石を守ることが使命と考えているんですの」
「うん? 頭がこんがらがってきた。なんか変な気がするんだけど……」ラパルクが頭をかきむしる。
ラパルクは混乱しているようだ。気持ちは分からないでもない。ネイリンも混乱しかけている。だが不思議なもので、彼が取り乱せば乱すほど、同時に冷静になっていく。
透き通る思考の中、先ほどの言葉が文字になって見え、そして思った。
この文言は――納得できるものではない。新たな疑問を呼び起こす。
まだ理屈のない、感覚的な予想だった。その予想を当てにして、話を整理する必要がある。ネイリンは目を閉じ、集中した。
まず、鍵がしまわれているというケースに書かれている言葉は、『扉を開けたものを真の智者とする』といっているが、そもそもあの扉は、完全には封印されてはいない。当主が鍵を持っているのである。扉を開けたものに石を譲るというのなら、鍵を奪えということか? いや、邪な考えを持っては、その人間は死ぬといっているのだ、それは違うだろう。
当主が、真の智者と判定したものに鍵を渡す、ということか? 扉を開けしものに、という文言から、それも違うと思う。
だいたい、その真の智者が現れたとして、そして石が本当にあるとして、どうやって鏡から取り出すのか。扉を開けることなんかよりも、その方がよっぽど難しく、ならば真の智者と判定する、よりよい判定基準になるのではないか?
そもそも、だれが石を鏡に入れたかという問題もある。勇者なら、石を鏡に入れるなんて芸当も、もしかしたらできるのかもしれない。だが、鏡に入れた常態で渡すだろうか。そんなわけはないと思う。だったら、それを入れたのは、ふつうの人間なのではないか?
しかし、ふつうの人間にはそんなことはできないのだから、つまり石は(仮にあったとしても)少なくとも鏡の中にはない、ということにはならないか?
最初、疑問は『持っているだけで生き返る石などあるのか』という、いってみればシンプルなものだった。だが、この家に伝わるという文言を聞いて、より疑問が具体的に、そして数が増えた気がする。
順番にロッテに聞いていかなくては。
ここまできたら、ロッテが持っている情報ぐらいは、最低でもほしい。べつに本気で盗もうなんて考えていたわけではないし、ならば知ってどうするのか、という気もするが、しかし、このままでは気になって眠れない。そういう性格なのだ。
「ねえ、ロッテ。扉を開けたものを真の智者とするってどういうことかしら? 扉を開けたものを智者とするより、鏡から石を取り出したものを智者とする、とした方が、まだ納得いくんだけど」
「それは、おれがさっきいったことじゃないか」ラパルクが憮然とした表情でいう。
「あんたはただ間違えただけじゃない」とはいいつつも、彼の勘違いも、同じ違和感がもたらしたものだったのかもしれないな、と思った。
「わたくしにいわれても困りますわ。わたくしは、石はないと考えているのですから」
そうだった。これは、彼女に聞いてもしょうがないのか。
「だけど、おじいさんは少なくとも信じているわけだろ? おじいさんは、その言葉をどう理解してるんだ?」
「さあ?」ロッテはかわいらしく小首をかしげる。「ただ、勇者は無から生まれ出でた、といわれております。ならば、真の智者も、鍵のかけられた扉を越え、密室状態の室内に忽然と現れるはずだ、とそう考えているのかもしれません」
なるほど。誰も入れない空間にするのは、それでも入れる人物を判定するため、という理屈か。
「鍵のかけられた部屋に入ることができるぐらいの人間なら、鏡から石を取り出すこともできるだろうと、そうおじいさんは考えている、ということなのかなぁ」
「そう、なのかもしれません。そこまではなしたわけではないですから、正確なことまでは分かりませんが」
「あの部屋とか鏡って、ミスリードするためのもの、っていうことはないのかしら?」
そちらに目を向かわせれば、再命の石かどうかはわからないが、何らかの宝を隠しやすいということはあるのかもしれない。
「でも、この家では、あの部屋が一番厳重ですのよ」ロッテが立ち上がり、こちらに戻ってきた。イスに座る。「もしわたくしが、なにかを守るとしたら、鏡の中には入れられなくても、あの部屋にしまうと思います」
――鍵を託されたものしか、絶対に入ることができない部屋ですから。
なにかがあるとしたら、ロッテのいうようにあの部屋なのか。だが、あの部屋にはなにもなかったとロッテはいっていた。それは、宝などないということを示しているのか、それとも宝――つまり石は、本当に鏡の中に入っているということか。
最初は再命の石なんてどうせないだろう、ましてや鏡の中になんて、と九割方思っていた。しかし石がないなら、ここまで石があるかのような体勢はとらないだろう、という気がだんだんしてきた。
――だいたい、その方が圧倒的に楽しいし。
理屈抜きで、まず信じちゃおうかな。そんな風にネイリンが考え始めたときだった。ラパルクが口を開いた。
「考えたんだけどよぅ、やっぱりこの家の大目標は、家の規模を小さくしないことなんじゃないか?」ラパルクがいった。さっぱりしているような、うんざりしているような、そんな不思議な表情だった。「それが一番自然だろ、資産家として」
「そうかもしれないけど……」半ば信じかけていた奇跡の石の話から、急に世俗的な話になり、ちょっとついていけなかった。あわてて、ラパルクの顔にピントを合わせる。
「家を小さくしないためには、優秀なものに継がせるのが一番だ。だが、子供はなかなか勉強しない。だからモチベーションをあげるために、『この家には宝がある、優秀じゃなければそれは託せない』、と子供が好きそうな話をでっち上げた。単純に、そういうことなんじゃないか?」ラパルクが、話をまとめようとしているような口調でいった。
つまり、今まで長いことはなしてきたが、そもそも石なんてなく、あるのは現実的な大人の計算だけ。ラパルクはそう結論づけたらしい。
石の疑問に対する答えがそれなら拍子抜けだ。だが冷静に考えれば、一番納得できる話なのかもしれない。つまらないけど。それが、ラパルクの口から発せられたものであることが、ますますつまらないけど。
「ロッテはどう思う?」
「わたくしも、そうなのだと思っています」ロッテが、また足をぶらぶらさせながらいった。「石がないことを前提に考えると、そう考えるのが一番自然なことだと思いますし。ただ、」ふとロッテは空を見た。「お祖父様は、それは大事そうに鏡を磨いていたのですよね。……かわいそうなお祖父様」
そうなのだ、ここの主は、心から信じているようなのだ。
ロッテは先ほど、それを洗脳のせいだといっていた。
だが今となると、本当にそうなのだろうか、と思う気持ちもある。
もし先ほどラパルクがいったような事情なら、先代から鍵を受け継いだ段階で聞いているはずなのだ。聞いていなくとも、なにもない部屋を見てそれでも信じるというのは……。
持っているだけで生き返ることができる石なんてあるはずがない。それはそう思う。しかしそれをいうなら、あたしたちが信じている伝説の勇者だって、無から現れるなんて超自然的なことをやっていて、それをみんな信じている。石はほかでもない、その超自然的な力がつかえる存在から与えられたといわれているのだ。なのに、なぜ石だけはあるはずがないといえるのか。
石の存在を信じたり疑ったり、振り子のように気分が揺れる。
石は――。
そのとき、扉を叩く音がした。