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第一章 2

    2


 その後、老人はすぐに通路の向こうに姿を消した。自室に戻ったのだろう。

 ただ、老人にジーナスと呼ばれていた男は、その場に残った。暇なのだろうか、興味深そうにネイリンたちを見回しては、アルコールで弛緩した顔の中に、いたずらっぽい表情を垣間見せる。そのたたずまいは、遊んでほしそうに、じっとこちらをうかがう猫のものにも似ていた。

 ネイリンは、そんな彼の視線には気づかないふりをした。

「ではみなさん、とりあえず暖炉の前にどうぞ。少し服も濡れていますね。タオルを持ってきましょう」そういって、カーテは大広間右手前の扉を開け、消えた。

 ちらとジーナスの様子をうかがうと、彼は恭しいしぐさで、両の手を暖炉に向けた。ネイリンたちは、武器を扉の前に置くと、暖炉の前に移動した。ジーナスもついてくる。暖炉の前で三人固まった。じんわりと暖かく、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が心地よかった。ネイリンは、ラパルクからプライを受け取ると、上半身を軽く抱きかかえるようにして寝かせた。その姿勢になって、ほっと肩を落とした。ジーナスが口を開いた。

「さ、やっと落ち着いたね。では、ここで自己紹介をさせてもらおうかな。おれの名前はジーナス。ここ、ガードナー家の次男だ。一つ、お見知りおきを」といって、しゃっくりをした。一人ソファの上に座っている。

「あたしは、ネイリン・パークエムです。彼はプライ・リーベルト」といって、プライを見下ろした。先ほどよりは多少よさそうだが、依然息は荒かった。「で、こっちの男が……」

 ネイリンの言葉をさえぎって、ラパルクが口を開いた。

「ラパルク・バナといいます。先ほどは失礼な言い方をしました。謝ります」座ったままで頭を下げた。「だが、あなたの言い方も初対面の人間に対するものとしてはどうかと思うが……」腹に据えかねていたのか、ラパルクはそんなことをいった。

「ちょっとラパルク。これからお世話になるのよ」あわててネイリンはいった。

「いや、まったくその通りだな。非礼はわびるよ。これこの通りだ」いってジーナスは、そのままの姿勢で首だけかくっと下ろした。それのなにがおかしかったのか、彼は一人でわらった。「おっと、怒らないでくれ。こっちにだって事情はあるんだ」

「事情って?」おそらく宝のことだ、とネイリンは思った。ジーナスからいいだしたことなのだ。このタイミングなら訊いても不自然じゃないだろう。「さっきいってた『あれ』ってやつのことですか?」

「まあ、そうだ」ジーナスは首をすくめた。彼のボディ・ランゲージは、首辺りのみでなされるようだ。「べつに大した事でもないが、知らないといっている部外者に、わざわざ言い触らすことでもない。ノー・コメントで通させてもらうよ。それより、君らは人を探してるんだったよな。さっき聞かせてもらったよ。誰を、なぜ探してるんだい?」

「それは――」それも、べつに大したことじゃないが、進んでいいたいことでもない。

 いいよどんでいると、カーテがお盆を持ってやってきた。ネイリンは、そちらに気をとられたふりをした。

「温かいスープを持ってきたわよ。これを飲んで薬を飲めば、きっとすぐによくなるわ」カーテはお盆を三人の前にさしだした。スープが入った皿一枚とカップが二つ、水の入ったコップが一つ、それから紙包みが載っていた。ネイリンは、お礼をいってそれらを盆から取り、脇に置いた。ラパルクも礼をいってカップを取る。

「プライ。スープをいただいたわよ」かるく身体をゆすると、眠りが浅かったのか、すぐにプライは薄目を開けた。「プライ、大丈夫? 苦しい?」

 訊くとプライは、わずかに首を横に振ると、それから苦しそうな顔をした。

「あ、しゃべらなくていいからね。これ飲んで、それからお薬もいただいたから、それも飲んで。そしたら、あとは寝てていいから」

 プライはうなづくと、ネイリンがスプーンにすくったスープを飲んだ。六口めで口を固く結んで頑として開けなくなったので、ネイリンはスープをあきらめ薬を飲ませた。

「おっきな赤ちゃんだ」ジーナスが笑う。「カーテ。おれもスープが飲みたいな。琥珀色のやつ、持ってきてくれないか」

「ジーナス様、おひかえください。呑みすぎです」

「いいじゃない、カーテ。お父様が呑みたいっていってるんだから、好きなだけ呑ませてあげればいいのよ」上のほうから、透き通ったかわいらしい声が聞こえた。階段の上からのものらしい。

 プライに薬を飲ませ終えたネイリンは、声のしたほうを向き、目をむいた。

 ――ぜんぜん似てないじゃない。

 階段を一人の少女が下りてくる。年はたぶんプライと同じくらいか。過剰にフリルのついたワンピースのドレスを着ていて、髪の毛がトルネードのようにカールしている。人形を連想させるような、人工的な美しさを持っていて、絵本から飛び出してきたような印象を抱かせる少女だった。

 ネイリンは、なんとなくむっとした。

「お父様がお酒を呑まれている姿を見るのが大好きですの。なんでしたら、私が樽ごとお持ちしましょうか?」ジーナスに天使のような表情を向けるが、言葉の内容は刺々しい。

 そのギャップが意外だった。どういう娘なのだろう、とネイリンは、さりげなく彼女を観察した。

「そういう口の利き方はやめてくれ」ジーナスは苦々しい顔をした。「ロッテ。お客様だ。ご挨拶なさい」

「はい」彼女はネイリンたちの前に姿勢よく立った。その様子も、父親とは似ていない。「はじめまして。ロッテ・ガードナーといいます。あなたたちは?」

 そういって、小首をかしげながら微笑んだ。曇りのない、まさに子供のような笑顔だったが、目の奥に、冷静に物事を捉える理知的な輝きがあった。

 ――プライほどじゃないにせよ、頭のいい娘かもしれない。

 なんとなく、ライバル心のようなものが芽生えた。同じ年下でも、プライには諸手を挙げて降参するが、この娘には負けたくない、となぜかそう思った。

 ネイリンは目一杯大人っぽく微笑みを返すと自己紹介し、ラパルクが名乗るのを待ってから、三度目になる『ここにきた事情』をはなした。

「そうでしたの。では、ご病気が治るまで、ゆっくりなさってね」ジーナスの隣に座りながら、カーテにいう。「カーテ。ネイリンさんたちにお泊りいただく部屋は、もうご用意してあるの?」

「いえ。只今」カーテはその場にいた全員に対するようなお辞儀をし、そのまま階段を上がっていった。

 ロッテの態度は、大きな館のご息女として堂に入ったものだった。自分にはできないな、と思うと同時に、したくもないな、ないよね? とネイリンは自分に確認した。

「ところで、お探しの人ってどういう方ですの?」ロッテが無邪気な顔をしてきいた。

「あたしの幼馴染みよ」ネイリンは笑顔ですぐに答えた。拒むのは癪だ、と反射的に思ったのだ。カウンターに、笑顔のまま訊いた。「あたしも気になることがあるんだけど。盗もうとすると死んじゃう『あれ』ってなに?」

「ああ、『再命の石』のことね」ロッテはこともなげにいう。ネイリンとの会話を、楽しんでいるように見えた。精神年齢は高そうだった。「あれはね、」

「おい、ロッテ。あれのことは口にするんじゃない」あわてた様子でジーナスがいう。

 先ほど自分の父親に対しては「あれ」のことを自分から言い出したジーナスだったが、事細かくしゃべることには抵抗があるようだった。もしかしたら、あのときの言葉は父親に対するちょっとした反発だったのかもしれないな、とネイリンは思った。

 ならばロッテが『石』のことをあっさり口にしたのも、ネイリンに対する意地などではなく、ジーナスを困らせたいからではないか、とも思える。

 ならば二人は、似ていないようで似ているのかもしれない。

「あら、どうして、お父様。べつにいいじゃありませんか。だってあんなもの、どうせあるわけがないんですもの」ロッテは目を細め、裾でほとんど隠れた両の手を口元に当てた。「そうおっしゃったのは、お父様でしてよ」

「そうだが……」ジーナスは、どうやら彼女が苦手らしい。ロッテがきてからというもの、先ほどまでまとっていた傲岸不遜な態度が霧散していた。常に腰が引けている。彼は、しどろもどろになりながらつづけた。「しかしあの石は、いや、あの石にまつわる話は、この家に代々伝わるものだ。たとえ嘘でも、伝えてきたことは本当なんだから、部外者にぺらぺらとはなすことでもないだろう」

「石ではなく、逸話を内密に伝えること自体に価値がある。そういうことですの?」

「……そういうことだ」しばらく考えてから、ジーナスはうなづいた。

「そうですわね。先祖の方々が大事に伝えてきたことですものね」ネイリンに向けて、すまなそうな顔をしてみせる。「そういうわけですのでネイリンさん。石のことについては、聞かなかったことにして下さいますか?」

「ええ、もちろん」そうとしかいえない。「立ち入ったことを訊いてしまって、すいませんでした」

「いいんですのよ、そんなこと」

 ジーナスにいったつもりだったのだが、ロッテが応えた。これでは、ネイリンがロッテに敬語で謝ったかたちになってしまう。いや、

 ――きっとわざとだ。

 ネイリンはロッテを見て、微笑んだ。


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