第二章 30
30
朝、目がさめると、まず状況が把握できなかった。
目をこすりながら、周りを見回す。
ネイリンは、プライの部屋のソファの上にいた。最初は一人で寝ようと思っていたのだが、なかなか寝付けず、寂しくなって彼の部屋に掛け布団を持ってきたことを思い出す。
伸びをしてから、窓から差し込む陽の感じで、まだ早い時間だという気がした。
――なんで起きちゃったんだろ。
身体も疲れているし、頭も疲れているはずだ。もう少し寝て痛いし、寝ている必要があると思った。
神経が高ぶっているのだろうか。
そんな気もするが、違うような気もする。
ピリピリする。
気のせいかも分からないが、ネイリンの外側も高ぶっているような感覚がある。
「プライ?」ネイリンは、なんとなく不安になって、そう呼びかけた。
彼は無言だった。寝ているようだが、その顔色は、ここへきてから一番よいものだった。
ほっとした。プライの異常を、肌で感じたわけではなかったのだ。
だが、だとしたら、この感覚はなんだろう。
穏やかな陽の光には似つかわしくない気配が、依然、感じられるのである。
ネイリンは部屋の扉を開け、様子をうかがった。
階下で、どたばたとした雰囲気があった。
またなにかあったのだろうか。
――まさか、ロッテが……。
ネイリンは駆け出した。廊下を曲がり、上から大広間を見下ろす。リールとルイがはなしていた。
「あの、どうかしました?」
ネイリンが訊くと、二人はいっせいに彼女の方を見た。
「ああ、ネイリンさん。おはようございます。いえ、なんでもないんです。ただちょっと、イボーの姿が見えないものですから」リールはいうと、すぐに手を振った。「あ、とはいっても、こんなことは、そう珍しいことではないんです。きっと、庭に木の実でも取りに行ったのでしょう」
彼はそういうが、その表情は、緊迫感にあふれていた。
「探してるんですか? だったら、ラパルクを起こして、あたしたちも手伝いますけど」
「いえ、まだ早い時間です。どうか、お休みになっていてください」
リールはそういうと、ルイと何事か打ち合わせ、正面玄関から外に出て行った。ルイもネイリンに会釈し、こちらは住人が住む部屋が並ぶ廊下のほうに消えた。
取り残されたネイリンは、少し考えてから、ラパルクを起こしに行った。
歩いている間中、嫌な予感がしてしょうがなかった。
部屋の前まで行き、ノックする。
二度、三度と扉を叩いて、やっとラパルクが顔を現した。
「……なんだよ、こんな時間に」
「うん、さっきリールさんからきいたんだけどね、イボーさんがいないんだって」
「なんで?」彼は豪快にあくびをした。
「分かんない。木の実でも取りに行ったんじゃないか、っていってたけど、なんか不自然だったし……ちょっと気にならない?」
「そうか?」
「うん、気になるっていうか、不安。ロッテとか、大丈夫かな?」
「おれにいったってしょうがないだろ。そんな気になるなら、見てくりゃいいじゃねぇか」
「だって……」
昨日の、ジーナスやトーナスの死体を思い出す。まさか、そんなことになっているわけはないと思いながらも、一人で行くのは不安だった。
「はあ」ラパルクはため息をついた。「分かったよ、ちょっと待ってろ。着替えてくるから」
しばらく部屋の前で待っていると、ラパルクが部屋から出てきた。どこのなにを着替えたのかは分からなかった。
二人で階下に下り、ロッテの部屋に向かった。そういえば、ロッテの部屋に行くのは初めてだった。今までも部屋の前を通り過ぎたことはあったが、それどころじゃなく、あまり注視していなかった。
ロッテの部屋の前でくると、ネイリンはラパルクの背中を押した。
「ちょっと、中、見てみて。窓から見えるでしょ?」
「ああ」いってラパルクは、窓から中をのぞく。「寝てるみたいだな」目を細める。「うん、すやすや寝てる。生意気なお嬢さんも、寝顔はかわいいもんだな」
「大丈夫?」ネイリンも、彼の横に立って中をのぞいた。
ロッテは、ベッドの中で姿勢よく眠っていた。寝顔も見えるし、掛け布団が呼吸によって上下しているのも見えた。
「ああ、よかった」ホットネイリンは息を吐く。
「心配しすぎだよ。だいたい、イボーさんの姿が見えないのと、ロッテは関係ないだろ?」
「そんなの見てみないと分かんないじゃない」
「まあ、確かにな、昨日の今日だから、神経質になるのも分かるけど、もうちょっと冷静になれよ。だいたい、ロッテになにかあったら、リールさんがそういうはずだろ?」
「でもリールさんも見にきてなかったかもしれないじゃない」
「おまえ以上に気にかけてるよ、ロッテのこと。使用人なんだぞ」
「でもさ、」
「何事ですか、こんな時間から」ロッテが扉から顔をだした。目をこすっている。パジャマはピンク色のワンピースで、窓からのぞいたときには見えなかったが、やはりピンクの、ボンボンのついた帽子をかぶっていた。
ラパルクが、息を深く吸い込みながら、ロッテから顔をそらした。
「あ、ごめん。起こしちゃった」ネイリンは眉をしかめて見せる。
「いえ、かまいませんけど……」ロッテは当惑顔だ。「お腹が減ったんですか?」
「そうだとしても、べつにロッテのところにこないわよ」ネイリンは振り向き、大広間の方を指差した。「さっきね、リールさんと会ってはなしたんだけど、なんかイボーさんがいないんだって。それでね、ま、巡回にまわってたところ」
「そうだったんですか……」ロッテはあごを右手で、右手の肘を左手で押さえた。格好とつりあわない仕草だった。「どこいったんでしょう。ちょっと気になりますね」
「まあ、タイミングがタイミングだけにね……」
「ちょっと行ってみましょうか」そういうなり、ロッテはその格好のまま部屋を出てきた。
大広間に行くと、カーテが厨房につながる扉から出てくるところだった。
「あ、おはようございます」カーテが頭を下げる。
「おはよう、カーテ。イボーがいないと聞いたんだけど、見つかりましたか?」
「いえ。それが」カーテは頭を振った。何事かを思案している表情だった。「……あの、今旦那様のところにお知らせしにいこうと思っていたのですが、」
「なにをです? イボーがいないことをですか?」
「はい。それから、イボーの荷物がないことを」
「え?」ネイリンは思わず声を上げた。
「鍵もかかっていなかったので、一応様子を見てみたんです。そうしましたら、着替えなど、身の回りのものがすべてなくて……」
「どういうこと?」ネイリンはつぶやく。
「まさか……」ロッテもつぶやいた。
「逃げたんじゃねぇだろうな」
見ると、そういったラパルクの顔が真っ青だった。




