第二章 26
26
ロッテとリールは、大広間に行く前に、主の部屋を訪れた。主の部屋も見てみたかったが、さすがにそれは無作法だと思ったので、ネイリンはそのまま大広間に向かった。これからの段取りは分からないが、そこにいて、事態から取り残されることはないだろう。
大広間に入ると、そこに見たことのない人物がいた。黒い法衣をまとい、同じ色の帽子を目深にかぶっている。帽子からははみだしている髪や、胸元まで伸びているひげは白い。体型はかなりふっくらとしている。ひげが長いため見えないが、おそらくあごの下には、もう一つの段があるに違いない。帽子やひげのせいで顔はほとんど見えないが、なんとなく温厚そうな印象を抱かせる人物だった。
彼は、横に若い男を従えていた。年はネイリンやラパルクよりも上。おそらく姉のセナぐらいの年だろう。こちらも同じような格好をしているが、帽子は浅くかぶっており、顔が見えた。だが表情はほとんどなかった。外界を拒絶するような雰囲気を持っている。
彼らの前にはカーテがいた。カーテはネイリンたちを認めると、彼女たちを手のひらで指し示しながら、彼らに紹介した。
「はじめまして」お客人、として紹介されたネイリンとラパルクは、それぞれ挨拶をした。
「こちらは、オイス教会のオイスガーデ神士様と、お付のバティ様でございます」
カーテは、二人を指し示しながら紹介してくれた。二人は黙って礼をする。
葬儀は、市に知らせないということだったので、身内だけの密葬という形になるのかと思ったが、さすがにそこまではしないらしい。
だが、絶対に情報がそこから漏れない人間を選んだんだろうなと思った。主の性格から考えて、というのもあるが、この二人の様子からそう思った、というのもある。
「もうしばらくで、旦那様がこられると思います。どうか、あちらのソファでお休みください」カーテがソファを示していう。
「いえ……」そう答えたのはバティだった。
その後二人は身動き一つしなくなった。
口は堅そう――というより、軽くてもこの二人なら、はなし相手がいないだろうなと思った。
彼らが座らなかったことでソファは空いたままだが、この二人を置いたままネイリンたちが座るわけにもいかない。結局五人で、所在なげにたたずむことになった。だが、そんな気まずい時間もわずかなものだった。主がやってきたのだ。
「オイスガーデ」主が神士の姿を見止めいう。
「ガードナー様」オイスガーデが頭を下げる。「お話はうかがいました。どうか、お力を落とされませぬよう……」
「そんな言葉はよい」主は邪険にいう。「おまえには、やるべきことをしてもらえれば、それでいい」
「はい。それで、ご遺体は……」
「庭に、安置しております」リールが口をはさむ。「土の方も、準備はしております。他に、なにか必要なものがあれば、おっしゃっていただければ」
「いえ、他には。ただ、墓石を玄関口まで運んだのですが、それを庭まで運んでいただけたら幸いです」
「分かりました。おい、イボー」リールが目配せし、玄関口に向かう。
「なんだ?」
「……墓石を運ぶ。おまえも手伝え」
「分かった」
二人が表玄関から外に出て行く。
残されたネイリンたちは、歩き出した主を先頭に移動をはじめた。
歩きながら、今更ながらにネイリンは、埋めるの早いな、そう思った。
ネイリンの両親が亡くなったときは、なくなったその日に埋める、などということはしなかった。ただそのときは、村の一大事でもあったから、葬儀を中心に物事を進められなかったから、というのも理由にはあったが、平時においても、亡骸と一夜を共にする時間を村では設けていた。
この町での、普段の習慣がどのようなものなのかは知らないが、このようにあわてて埋葬してもいいことなどないような気がする。
まあ、この場合しょうがないことではあるのかもしれないが。
この屋敷の中には、死人を生き返らせる石がある。ある程度の時間で見切りをつけ埋葬しなければ、遺体の腐敗と生き返りの未練の狭間で遺族が苦しむことも考えられる。
一行は、家人の部屋が並ぶ廊下を歩き、その先にある裏口から庭に出た。
「こっからも外にでれるんだね」一番後方を歩いていたネイリンは、ラパルクに小声でいった。
「ああ」ラパルクがつぶやくようにいう。「たぶん、厨房の方からも、でられるだろうな」
一行は、そのまま庭を歩いた。昨夜からの雨は上がっていたが、地面かぐちゃぐちゃとぬかるんでいる。
「これ、足跡とか残るな」ラパルクが立ち止まり、土をつま先で掘り返すようにしていう。
「どういう意味?」考えてネイリンは、疑問に思う。「もしかして、外部犯行説を考えてるの? ……なんか、あんたが一番、ジーナス犯人説を信じてない感じ」
「べつに、そういうわけじゃないさ。ただ……」
「ただなによ」
「不安なんだ」
ラパルクは顔を上げる。つられて見ると、主をはじめとして、みんなとずいぶん距離が開いていた。これ以上開くと、いぶかしがられるだろう。二人は、小走りで後を追った。走りながらラパルクがいった。
「このままいくと、ジーナスさんは兄を殺した人間として見送られるわけだよな」
「ちょっと、今更なによ。あんたが自信持っててくれないと、」ラパルクに目配せされて、ネイリンは口をつぐんだ。主たちに近づいている。
二人は無言で最後尾についた。
この庭は、主のデザインしたものだという。たしかに、ある美意識の下に統一されて、石や木などが配置されているように感じる。ところどころにベンチなども置いてあり、状況が状況なら、散策を楽しむのにいい庭だろう。
その庭は、大雑把にではあるが、大きな木によって囲まれている。おかげでその中にいると別世界にいるような気がする。
その外界とを隔てるための大木郡の中に、穴があった。最初は気づかなかった。枝振りの関係でたまたま向こうが透けて見えているだけかと思ったのだが、主を先頭にして一行はそちらに向かう。
近づくと、穴の下は草が生えておらず、道になっていた。その入り口をくぐると、その道は幹や枝によりトンネルのようになっており、外光が遮られていた。
別世界に続く道のようだった。
ある意味ではそうなのかもしれない。
予期していた通り、そのトンネルを抜けると、そこは墓地だった。
柵で緩やかに囲まれたそこには、板石が等間隔で並んでいた。ガードナー家の、先祖たちが生きた証、あるいは亡くなったことを示して。
その柵の中に入り、しばらく歩くと、穴が二つ並んで開いていた。
そしてその横に、毛布をかけられた、二つのふくらみ。
主は、そのふくらみに近づく。ロッテはその横で寄り添って歩いている。屋敷を出たときから、彼女は祖父にくっついている。友だちかもしれないが、ネイリンに入り込む余地はないし、そもそも、ここにいていいのだろうか、そんなことをネイリンは思う。
雨がやみ、日差しは暖かかった。上を見ると、ダイヤの形をした光が直線に並んで目に差し込んでくる。ときおり吹いてくる生暖かい風はかさかさと、どこに湿っていない葉があるのだろう、揺らしてわずかに音を鳴らしている。
そういえば、トーイはどうしているだろう、と不意にネイリンは思った。
彼を追ってはじめて村を出て、そしてやってきたばかりの家で葬儀に参加している。いつか、世間話ではなせるときがくるだろうか。そのときトーイとネイリンはどこで話をしているのだろう。
神士様の声がきこえる。が、かすかにしか聞こえない。それは意味のある言葉でもなくて、どこかで鳴く鳥の声や、いつから鳴っているのか分からない耳鳴りや、耳の中の血管を流れる血の音のように、さりげなく耳に入ってきていた。
ぼんやりと視線を下げる。そのことで、今まで視線を上げていたことに気がついた。
リールとイボーがジーナスを穴の中に運び下ろしているところだった。穴の上でロッテが泣いていた。カーテも泣いているようだ。
ジーナスを土に下ろすとリールたちは上に上がってきて、それからどこに用意していたものか、ロッテをはじめとして、次々に花を一輪づつ投げ込みはじめた。ネイリンもカーテに花を渡されたので、それを穴の中に投げ込んだ。ジーナスの胸のあたりに落ち着いた。
ジーナスは目を閉じており、穏やかな顔をしていた。
いつも酔っ払っていたらしいジーナス。
ネイリンは酔っていない彼を、はじめて見たのかもしれない。
――彼は、本当に兄を殺したのだろうか。
ラパルクではないが、不安になってくる。
――間違いは許されないんだよな。
ジーナスの死に顔を見てあらためて思う。
ネイリンは、振り返り屋敷の二階の窓を見た。
プライ。
彼は今病気で寝込んでいる。だから当てにはしていなかった。しちゃいけないと考え、そもそも頭数に入れていなかった。
だが無理やりにでも起こして、見解を聞く必要があったのではないか。
リールとイボーの手によって、穴の上に土がかけられていく。
ジーナスの身体に、土で薄っすらとかかっていく。ざく。ざく。そんな音とともに、足元。胸元。顔。彼はなにも反応しない。
少しづつ埋まっていく。
土の中に、つい先ほどまで生きて、歩いて、はなし、笑っていた人間が。
埋まっていった。