プロローグ3
プロローグ 3
――まさかね……。
ネイリンは、胸に渦巻く疑念を心の内で笑い飛ばそうとしたが、なかなかうまくいかなかった。やっぱりそうじゃないのか、そうとしか考えられないだろう、という思いが、どうしてもわきあがるのだ。
――でもな、そうだったら……すっごい失礼。だって、あれは、
どう見ても、ただの浮浪者だった。顔は、まあ気品があるというか、上品な顔立ちではあったが、服は胸から足先まで垢や泥でどろどろだった。
彼を追い越しざまに、なんとなく顔を見た。そのときはなんとも思わなかった。トーイとは、似ても似つかなかったからだ。しかし、それからもうずいぶんと歩き、気がつけば街中からはなれ、農業地帯に足を踏み入れ、たまに人とすれ違えば、そのたびにトーイの人相を伝え、こういった人を見なかったか、いやぁ見ないな、などというやり取りをつづけるうち、先ほど見た浮浪者のことが気になりだしたのだ。
ネイリンたちは、トーイの特徴を伝えるとき、一人前な体格に似合わない童顔で、終始表情がなく、しかし無表情というのではなく、対する人間を安心させるような、茫洋とした表情を常にしている、といった人相風体のほかに、とても長い剣を背負っている、ということも特徴として伝えていたのだが、先ほどすれ違った浮浪者(まあ旅人なんだろうけど)もまた、やけに長いものを背負っていたのである。だがそれは、長剣などではなく、いったいなにに使うのか、ただの木の棒だった。
ネイリンは、酒場のカウンターで突っ伏していた男の口ぶりを思い出した。
――うん? 見たなぁ、見た見た。ん! あれは……えっと、そう! ついさっきの話だ。ここにくる途中の、道、ん! ですれ違ったんだ。ひっく! そいつかい? そいつは、えと、ん! あっちだ! あっち、ん! に行った。
――信じたあたしたちがわるかったのかも。
ネイリンはため息をつき、ふと隣を歩いているプライを見た。
プライは、ゆっくりと倒れるところだった。
――え!
「おい、あぶねぇ!」叫びながら、ラパルクがプライの身体を支えた。「おい、しっかりしろよ。おい!」
プライは真っ青な顔をしていて息も荒かった。
おでこを触ると、びっくりするほど熱かった。
昨日は朝から小雨が降っていた。
気にならないほどのものだったが、気がつけば服はしっとりと濡れ、肌にまとわりついたそれが、ゆっくりと体温を奪っていた。
夜、宿についたころには、いいかげん嫌気が差していた。
もういやだ、これだけ歩いて、これだけ寒い思いをして、何人もの人に聞き、何回もの不快な思いをして、トーイの姿は、影も形も捉えられない。
もう帰ってしまいたい、そうネイリンは思ったが、しかし、彼らは勝手についてきたとはいえ、発端は自分なのである。そうはいえない。逆にネイリンは、気を使って明るく振舞い、ついてきてくれたともいえる彼らを元気づけようとしたのだが、ラパルクは半ばこの旅に飽きているのか、しゃべりまくったネイリンをうるさそうにし、どんなに疲れていても笑顔を絶やさなかったプライも、疲れた顔を返すだけだった。
今から考えると、プライは疲れていただけではなく、体調を崩していたのだ。本来なら、翌日は終日身体を休めるべきだった。いや、実際そうしようとも思っていたのだ。だが、夕食をとるために行った隣の酒場で、トーイに関する有力情報を耳にしたのである。
有力でもなんでもなかったのだが。初めての目撃情報らしきものに、冷静さを欠いていたといえる。このチームの頭脳ともいえるプライが、風邪っぽいといって、夕食をとらず一人部屋に残ったため、その話を直接聞けなかったのもわるかった。
――いや、わるいのは馬鹿で間抜けなあたしだ。あたしがわるかったのだ。プライはなにもわるくない。なのに、プライだけが風邪を引いちゃって。
木陰に寝かせたプライの顔を見つめながら、ネイリンは反省し落ち込んだ。
ラパルクが、おおい、大丈夫かぁ、といいながらプライの鼻をつまんだ。プライが顔をしかめる。
「ちょっとなにしてんのよ。プライが苦しがってるじゃない」
「だって、動かないからよぅ」
こいつも馬鹿で間抜けだ。
「ゆっくり寝かせてあげなさいよ」
「しかしなぁ。このまま寝てたってよくなるか?」
「分かってるけど……じゃ、どうするのよ。この近くに宿屋なんてないんだよ」
戻るにはきすぎている。しかし、進んだところで、なにがあるわけでもないだろう。どんどん人里から離れるだけだ。見渡す限りの農業地帯。ぽつりぽつりと小作人のものだろうか、この辺にも家はあるのだが、どちらかというと、助けたくなるほどその外見はみすぼらしく、行ったところでどうなるものか。いや、それでも、こんなところにいるよりはましなのか。
――どうしたらいいんだろう。
ネイリンは、またため息をついた。
――たくもう、簡単に見つからないあいつがわるいのよ。
ネイリンは、トーイの顔を思い出し、ほほを膨らませた。
トーイが、村を出るといったのは三年前のことだ。ちょっと外の世界を見てみたくてね、というのがその言い分だったが、ネイリンには分かっていた。トーイは、子供のころに村長さんの家で聞いた伝説の勇者の話に影響を受けている。一度もそういったことはないが、赤ちゃんのころから一緒の幼馴染みなのだ。そういったことは分かる。
だが、分かったからといって、できることはなかった。とめる筋合いにもないし、だいたい、そんな癪に障ることはしたくなかった。
だから、余裕の体で、いってらっしゃい、と見送ったのだが、
その後いろいろあって、結局は後を追って、村を出ることを決意するに至った。
あんなボーっとしていて頼りない男を一人旅に送り出すというのは自殺を止めないことにも等しい。そんな風に思って、胸の奥底から湧き上がる人類愛、隣人愛に押されて、
かどうかは分からないが、とにかくネイリンは村を出る決意をしたのだ。でも周囲の人たちに、人類愛がどうとかいっても絶対信じてもらえないと思ったので、夜中に一人で人知れず出発しようと思った。
だが、まずはプライがついていくといいだした。ネイリンは、とんでもないといって断った。プライは、村の明日を背負って立つ人材だ。そんな人間を連れて行ったら、村人たちからなにをいわれるか。しかしプライにも思うところがあるらしく、いえ、トーイさんと約束しましたから、などといって、頑として譲らなかった。
――いったいなにを約束したんだろう。
トーイはちょっと特殊な人間だった。子供のころは泣き虫で、弱虫で、どうしようもない子供だったが、長じてくるにつれ、不思議な雰囲気をまとうようになり、決してリーダーになるようなタイプではなかったが、気づくと人の輪の中心にいるようなところがあった。プライもまた吸い寄せられるようにトーイの後を小さいころから追っていて、今では六才という年齢差を超え(それはトーイが幼くプライが大人びているせいもあるのだが)、二人の間には、余人には入り込めない信頼関係があった。
それが少し悔しい、そうネイリンは思っていた。だから、ということもある。やはりネイリンは、なおも断ったのだ。だが、結局は押し切られ、ついてこられることになってしまった。まあ、一人旅が多少心細くもあったから、迷惑そうな顔をしながらも、内心ネイリンは喜んでもいたのだが。
でも、だからといって、道連れは二人も要らなかった。それも、あんな脳みそまで筋肉でできているような男は、頭を下げてでもきてもらいたくなかった。
だが、その筋肉男、ラパルクにも、いやもう約束したから、と強引に押し切られついてこられることになってしまった。
――いったい誰と、なんの約束をしたんだろう。
ラパルクのほうは、だいたい想像はついていた。
ふと頭に浮かぶ姉、セナの顔。そして、劣等感。
ネイリンは自分にむけて気づかない振りをした。
最初は、じゃまくさい、目障りだ、うっとうしい、などと感じていたラパルクだったが、移動中モンスターに襲われたときなどは重宝した。
プライは頭だけではなく、その身体能力にも年齢ばなれしたところがあり、戦力として十分計算できたが、剣技館副名代の一人にして、名代候補だったラパルクの、そういったときの頼もしさは格別だった。旅をはじめた当初こそ、モンスターに襲われたときはプライとともに剣を抜いた(正確には槍だが)ネイリンだったが、二回、三回とモンスターと戦ううち、これはあいつ一人に任せておいて大丈夫だな、と穂先を地面に突き刺して、その柄に寄りかかりながらプライと気候の話などをするようになった。
だから、まあ、いいチームなのかもしれない、とは思うようになった。
――頭脳のプライ。体力のラパルク。美貌のあたし。
旅は順調だった。これなら、トーイもすぐに見つかることだろう。あたしを見たら驚くだろうな。会ったらなにをいおう。ネイリンの頭の中は、旅をはじめてすぐにそういったことで占められたが――。
しかし、なかなか見つからないのである。
イライラがたまり、疲れがたまり、そしてプライがダウンした。
プライの苦しそうな顔を見て、ネイリンは小さくため息をついた。ため息をつくたびに幸せが逃げる、といったのは誰だっけ。そんなことを考えながら、ネイリンは立てた膝に肘をのせ頬杖した。
「おい、ネイリン、あれ見てみろよ。あそこに屋根が見える」ラパルクがいった。立っている。「あれ、この辺の地主かなんかの家じゃねぇか?」
ネイリンも立ち上がり、爪先立ちでいわれたほうを見ると、かなり先ではあるが、丘の上に赤い屋根がかすかに見えた。見えるのはわずかだったが、屋根から推察して立派そうな家だった。
「あ、ほんとだ。あそこなら休ませてくれるかも。いや、きっと薬だってあるよ」ネイリンは、ほっとしていった。「行ってみよう。はい、担いで」
「ここまでおれが担いだんだから、今度はおまえが担げよ。ずるいぞ」
「プライ、もう少しの辛抱だからね。ちょっと臭いだろうけど、我慢してね」
「おまえなぁ」
ふとプライを見ると、そういったやり取りにも、なんの関心も見せず、ただ荒い呼吸を繰り返していた。ラパルクとネイリンは顔を見合わせた。
「もしかしたら、思ったよりわるいんじゃないか?」
今までは、ただの疲れと風邪によるダウンだと思っていた。
違うのかもしれない、そう思ったら急に不安になってきた。
「早く担いで。急ごう」
いい終わると同時に、ぽつり。雨がプライの頬を濡らした。
その建物は、家と呼べるようなものではなく、屋敷、あるいは館と呼ぶにふさわしいほどのものだった。
「すげぇな」
感心したようにつぶやくラパルクを無視して、ネイリンは扉をノックした。
応答を待つ間、ネイリンは違う感想を胸のうちで転がしていた。
確かに立派な建物だ。だが、周囲の家々との落差を比較し、その相関関係を類推するなら、この家のものは、周りのおそらく小作人たちから、不当に搾取している可能性がある。
仮にこの家のものが地主で、もし自分がこの家の主人であったなら、こんな立派な家などを建てずに、利益を還元するのに。
そんなことを考えていたネイリンは、ふと、トーイの目撃情報を聞いた酒場で耳にした酔っ払い同士の噂話を思い出した。
「丘の上の地主、あいつァ、なんでもとんでもねェお宝ァ持ってるって話だゼ。「なんだよ、おまえ。まさか盗みに行こうってんじゃないだろうな。「そうしたいのはやまやまだけどな、あれだけは、どんな盗賊にだって盗めやしないサ。なにしろ、
――そいつは、鏡の中に隠されてるって話だゼ。