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プロローグ2

     プロローグ 2


 判然としない。

 なにもかもがはっきりしない。

 寝ぼけている? そうかもしれないが、少し違和感。あたしは頭を振って、目をこすった。そして辺りを見回す。視界はぼやけているが、外であることは分かった。

 ――どうして外なんかに?

 と思ったところでくしゃみが出た。肌寒い。しっとりとつめたい地面から、朝らしいことが分かった。そのためなのか、人っ子一人いない。見たところ、建物や、その密集具合で、繁華街、というほどではないが、街中であることは分かる。だが今風ではない。クラシカル。それも飛びっきりの。なんなら中世のたたずまいを残す欧州って雰囲気。

 ――欧州?

 混乱した。こんなの近所にはって――そもそも、あたしはどこに住んでるんだろう。欧州な雰囲気に違和感を感じるってことは、そこ以外のどこかに住んでたってこと?

 アメリカ? アジア? それとも中東? っていうか、なんでこんなことが分からないわけ、あたしは。……あたし?

 ――あたしってだれ?


 ここはどこ? あたしはだれ?

 いわゆる、よく聞く、噂の記憶喪失、ということなのだろう、あたしは。

 などと冷静に自己分析ができるあたしは、冷静だ。どうしてだろう、もって生まれた気質、性格だろうか。大人だね、あたしは。え、大人なの? それすら分からない。手を見て、それから着ている服を見た。あまり大人っぽくは思えない。そういうことは分かる。

 顔は? これはけっこう重要だ。あたしはこの身体で、あたしとして生きていかなくてはならないのだ。

 鏡でも持ってないだろうかって、バッグを探すがなく、振り返ってみて、地面を探し、やっぱりないよなぁ、と気落ちしたところで、おあつらえ向きに鏡があるのに気がついた。というか、背後全面が鏡だったのである。

 ――あ、あたし結構いけてんじゃん、ていうかアジア人だ。ちょっとがっかり。

 それにしても――とあたしは首をかしげた。

 背後にあったのは二階建ての建物で、大きめな鏡がそこにあった。そこに映るあたしの見てくれがいいものだから、まるでマネキンを飾ったショウケースのように見える。

 でも、ショウケースではないのである。ガラスではなく、鏡。

 ……なんで? なにに使う鏡? なんか不自然だ。それに、鏡が見たいときに、都合よく、運よく、こんなものあるかな?

 あたしは鏡に手を当てた。鏡の中のあたしと手を合わせる。

 ――あなたはどうなの? 記憶はある?

 彼女も不思議そうな顔で見返すばかり。

 鏡の前で、記憶をなくしていたあたし。

 あたしは振り返り、鏡に寄りかかった。

 ――鏡から出てきたんじゃないの?

 なんて考えつつ前にダイブする。

 手を突き四つん這いになった。

 もしかすると、あたしは鏡の中から生まれたのかもしれない。そうだとするなら、名前が分からないのも当たり前だ。ここがどこかが分からないのも当然だ。

 だってゼロなんだもん。

 もし、あたしが赤ん坊なら――これはもう、することは一つである。

 あたしは大声を上げて泣いた。


 ひとしきり泣いた。疲れるまで泣いた。泣くだけないたらすっきりして、違う、ということに気がついた。こんな状況で、涙一つ流さないのは不自然ではないか、との思いが頭のすみにあり、その思いに身を任すように泣いてみたが、どうもあたしは違うらしい。あたしは本来、危機に直面したときに泣くような人間でなく、論理的に解決法を探るような、徹底的に理の勝った人格のようだ。そのことに泣いてみて気がついた。

頼れるのは自分だけである。あたしは頬を叩いて、気合を入れた。

 泣くのではなく、考えよう。それがあたしのやり方だし、あたしを取り戻す最善の方法でもある。

 あたしは座りなおし、状況の整理にとりかかった。

 まず、分かっていることは、あたしには記憶がないということ。記憶がないながらも、この場所の雰囲気に違和感を覚えたということから、ここではない場所にいたらしいこと。そして、顔からして、それはアジアのどこかということ。

ということは――異国の地で記憶をなくした、ということか。

 そういうことなら、とあたしはあらためて身の回りを観察した。だがやはり、バッグどころか小石すらなく、服中のポケットを探るが何もない。海外にいて、パスポートや財布を持っていないというのは不自然ではないだろうか。強盗にあった? そのときに殴られでもして、そのショックで記憶が……。

しかし頭どころか、体のどこにも痛みはなかった。海外にいるなら、財布とはべつに、お金を体のどこかに隠しそうなものだが、それもなかったし。

 ここ、どうも海外ではない気がする。だが、記憶喪失とはいえ、これだけはっきりとこの場所に違和感を覚えているのだから、旅行中であった可能性は高い。ということは――旅行で海外を模した場所、リトルなんとかみたいなところにいるとき、なんらかのアクシデント、例えば突発的な脳の病気とかで気を失い、起きてみたらその後遺症で記憶を失っていた――そういうことだろうか。

 そう――なのだろう。少なくとも、鏡の中から生まれたわけではないことだけは確かだ。

 そういうことならどうするか。

 ――歩くしかないか。

 財布も身分証明証も記憶もないのだ。自力ではどうにもできない。人に会わなければ始まらない。

会って、現状を伝え、助けを求める。

 とにもかくにも、今はそれしかない。


 そう思い歩いていると、陽は昇り始め、眠そうな人々の姿をちらほらと見かけるようになった。一人目を見たときは笑った。二人目を見たときは不審に思った。三人目を見て怖くなった。頭を抱えたくなった。

 ――いったいどういうこと?

 街中を歩く人々は、白人だった。あたしだけが黄色人種。

 さらに彼らは、昔風の、中世風の服を着ていたのである。

 アミューズメントパークのようなものなのだろうか。いや、違う。彼らの表情で、そうじゃないことが分かった。驚き、彼らの顔、姿に見入ったあたしだったが、彼らもまたあたしを驚きの目で見返してくるのだ。その表情から、彼らはここでふつうに暮らしていて、どうやらイレギュラーな存在はあたしのほうなのだということが分かった。

 やはり、街並みから感じられたように、ここは外国ということなのだろうか。しかし、そこまでは百歩譲って認めるとしても、あの格好は……。

 あたしはタイムスリップにでも失敗したのだろうか。それとも、

 アリスみたいに、鏡を通り抜け、不思議な世界に来てしまった――とか。

 ……ばかげている。いくらなんでもそんなわけはない。

 あたしは頬をつねった。痛かった。つまりこれは夢じゃない、現実だ。

 これが現実ならここは、現実に在りえる場所でしかない。

 ならば、彼らは一見時代錯誤な格好をしているが、訊けばなんてことない理由があるはずだ。そんな場所にあたしがいたということにも、思い出せば納得のいく理由があるはずだ。

だから不安に思う必要もない。少なくとも、この場所や彼らの格好については、訊けばそれで分かることなのだから。

 そう思いながら歩き、そして歩き続けた。

 話しかけず歩き続けたのは、道行く西洋人とは言葉が通じないだろう、まずは言葉が通じそうな人、あるいは場所を探さなければ。そう思ってのことだった。だが――。

 結果からいうと、その心配については杞憂だった。

 彼らの話す言葉が完全に理解できたのだ。

 最初、すれ違った二人連れの会話が理解できたときは偶然だと思った。たまたま彼らだけがあたしの母国語を話せるのだと思った。しかし、はなしかけようかなと後を追っているときにすれ違った三人連れの会話も理解できた。驚き、ためしに意識を聴覚に集中させてみると、それまではどうせ理解ができないのだからと聞き流していた、店先で大声ではなしている店主と客との会話や、忘れ物をした亭主を呼び止める奥さんの声などが、意味のある、理解のできる言葉として耳に届いたのである。

 ――なんで?

 感覚的に、自分は言語を一種類しか操れない、ということは分かる。それでいながら彼らの言葉が分かるということは――、

彼らは(あたしは?)異国人ではない、ということ?

 ――それってどういうこと?

 あたしはここで生まれた、ということだろうか。

 いや、もしそうだとしても、あたしだけが違う服を着ている説明にはならないだろう。それに第一、あたしはここに、最初から違和感を感じていたのだ。ここが生まれ育った場所のはずはない。

 でも、だったらここは――?

 思考は堂々巡りだった。やはり一人で考えていても埒が明かない。幸い言葉は通じるのだ。訊こう、はなしかけよう、変なふうには思われるだろうけど……。

 ダメージを最小限に抑えるため、優しそうな人を求めて歩いていたら、いつの間にか最初にいた場所に戻ってきた。どうやらぐるっと回ってきたらしい。しかし、べつに行きたいわけじゃないが、例の鏡の前にはいけなかった。あの鏡を囲むように人垣ができていたのである。

 ――なんだろう?

 何か落し物でもしたのだろうか、しかしそもそも物なんて持ってなかったし……。

 あたしは人垣の後ろから背伸びをして、中を覗き込んだ。

「さあさあ、見てってよう。ここじゃなければ見れないよう♪」鏡の前には、タキシードにシルクハットをかぶった男がいた。口ひげをはやしているのは分かったが、帽子のつばで顔は見えない。妙な節をつけながら、歌うようにしゃべっている。何かの見世物のようだった。「今見逃しても一生見られない奇跡をこれからご覧に入れるよう♪」

 彼が一呼吸入れた瞬間、取り囲む観衆から失笑にも似た声が漏れた。意味が分からなかった。男は、そんな彼らの反応にはお構いなしにしゃべりつづける。

「ここにある鏡。これは一見なんの変哲もない鏡だが、ところがどっこい、ここではないべつの世界に通じている鏡なのでございますよう♪」

 その言葉を聞いたとたん、背筋がひやっとした。

 ――べつの世界に通じている?

 あたしが先ほど考えたばかげた妄想を、このシルクハットの男は、真顔で観衆に向かってしゃべっていた。

 いったいこれは――。

「べつの世界になど通じているわけがない、そうお思いの皆々様に、これから面白いものをご覧に入れますよう♪」そういって彼は、懐から新聞紙大の紙を取り出した。「私のこの右手にて、直接向こうの世界からりんごを取り出してみせますよう♪」

 そういうと彼は、左手に持った紙を鏡の左端に当てた。そして右手を上げ、ゆっくりと観客を見回した。かと思うと、突然その右手を紙に向かって勢いよく突き出した。あたしは思わず目をつぶった。そんなことをしては骨折、よくて突き指はするだろうと思い、その痛そうな場面を見たくなかったからなのだが、いくら待っても、そういった衝突音は聞こえなかった。

 ただ、紙の破ける音はした。

 ――まさかほんとに?

 恐るおそる目を開けると、彼の右手は鏡に当てた紙に肘まで埋まっていた。

 ――あたしは、

 シルクハットの男は、ゆっくりとその右腕を鏡から引き抜いた。腕が触れている紙の破れ目が、かさかさと小さな音を立てる。

 そして完全に引き抜いた右手は、りんごを手にしていた。

 ブラボーと、やや芝居がかった声が上がる。

 彼は左手で手にしていた紙で鏡をこすった。

 そして、紙を鏡からはなした。

 鏡には穴が開いていなかった。

 歓声が上がる中――混乱した。


 ――あたしは、やっぱり鏡の中から生まれたのかもしれない。


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