第二章 3
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シャワーを浴び終えたネイリンは、一人で食堂に向かった。ラパルクが、気まずそうな顔でイスに座っていた。彼のほかには、まだだれもいなかった。ネイリンは、彼を無視して厨房に向かった。
ノックをして厨房に入ると、カーテとリール、そしてカーテの息子・ロイがいた。三人とも、忙しそうに立ちまわっている。
今、何時かは分からないが、朝食前であることは確からしい。だれもいない食堂を見て、もしかして朝食を食べそこなったか、あらためてお願いするような羽目になったらいやだな、と心配していたネイリンは一安心した。
「あら、ネイリンさん。おはようございます」といって、カーテはおかしそうな顔をした。「昨夜はぐっすりとお眠りだったようですね」
昨夜はほとんど眠ってはいない。だから、朝方大広間で眠っているネイリンを見かけたのだろう。
「あ、もしかして、毛布をかけてくれたのカーテさん」
「いえ、それは息子がやりました。あたしは、噂を聞いただけ」
顔を見ると、ロイが恥ずかしそうにうつむいた。
「あなたが。ありがとう。暖かかったわ」
「いえ。ほんとは起こせばよかったのかもしれないけど……」
「起こしたらしいわよ。でもネイリンさん、起こそうとしたロイを弾き飛ばしたんだって」
「うそぉ」ネイリンはつい大声をだした。
「うそうそ」カーテは笑いながら首を振った。「でも、いくら起こしても起きなかったそうですよ」
「おい、はなすのはいいが手を動かしてくれ」リールがむすっとした表情でいった。「まだまだ作らなきゃいけないものは山ほどあるんだ」
「あ、あたし手伝います」
「……じゃ、ばれないようにね。ばれちゃあたしたちが旦那様に怒られてしまいます」
テリル村で姉と二人暮らししていたときは、朝食など昨夜の残りなどが大半だったが、ここではやはり、朝から何品も作るらしい。
ネイリンは、リールの指示のもとサラダを作った。手伝えているのは、気が楽になってありがたいが、昨夜といい今朝といい、料理の勉強になるようなことはできていない。
パンにスープ、サラダにフルーツ、メインになるテリーヌができたところで、ネイリンは食堂に行くことにした。さすがに、一緒に配膳するのは好ましくない。
食堂に行くと、ラパルクのほかには、ロッテだけがいた。食堂でなにをしていたのかを、トーナスあたりに聞かれたら面倒だと思っていたので、彼らがまだきていないのはありがたかった。
「おはよう、ロッテ」といって隣に座る。彼女は今日も、お人形のような服装だった。
「おはようございます。ネイリン、もしかして食堂でお手伝いしていたのですか?」
「うん。大したことじゃないけどね。そういうことしてる方が、気が楽だから」
「そんなことされなくてもいいのに」ロッテは、笑みをもらした。
「えっと、お父さんたちはまだ?」
「ええ、朝はいつも、テーブルにパンとサラダが並んでから、お呼びに行く慣わしになっていますから」
「そうなんだ。じゃ、あたしも運ぼ」そういって席を立った。
「ネイリン」眉根を寄せてロッテが服のすそをつかむ。
「いいのいいの。身体動かしてる方が楽な体質だから」
そういってネイリンは食堂をでた。厨房に入り、パンを運ぶというと、また驚かれた。
「なんだか、一週間後には、あたしたちの仲間になってそうね」
カーテの言葉を背中に、ネイリンは渡されたパンの載った盆を手に厨房をでた。お尻で扉を開け食堂に入る。一応、二人以外だれもいないのを確認してから、お待たせぃ、といって盆を少し掲げた。ロッテが呆れたような表情を向ける。その顔を見て、今のはいくらなんでも子供っぽかったか、と後悔した。寝不足もあって、まだテンションが高い。
ネイリンは、はい、といってロッテにパンを渡した。ジーナス、主、おじさんにルイーザ、といった順番で席にパンを並べていって、ラパルクの側頭部に盆をぶつけた。
「いてっ」ラパルクが頭を押さえる。「なんだよ、おまえ。おい、おれのパンは」
「なに、あんたも食べるの?」ネイリンは、パンをラパルクに投げた。
彼はあわてた様子でそれを受け取った。ロッテが怪訝な顔をする。
「ネイリン、なにかあったの?」
「ううん、べつに」と応え、自分の席の前にもパンを置いた。「昨日あんまり寝てないから、テンションが高いのかも」
「だからといって、なにもラパルクの頭にぶつけなくても……」
「ああ、それはいいの。あれじゃ、足りないくらいなんだから」
ロッテは不思議そうな顔をした。
カーテとロイがサラダと飲み物を持って入ってきた。
「そろそろ旦那様たちを起こしに行くので、ネイリンさんは、もう座ってらしてね」
これ以上手伝われると、主たちにその様子を見られるかも、そう思っているのだろう。ネイリンは、うん、といって席に座った。盆はカーテに渡した。
カーテは盆を手に厨房に向かった。ロイは大広間につづく扉を開け食堂をでていった。きっと主たちを呼びに行くのだろう。
「ネイリン、昨日あんまり寝てないって、なにしてらしたの? もしかして、お連れの方の容態が……」ロッテが覗き込むようにいう。
「ううん、プライはよくなったみたい。たぶんだけど」
「じゃあ、なにしてらしたの」
「えっと、」なんとなくいいにくい。「ロッテのお父さんとラパルクとあたしで、ビリヤードを……」
「つき合わされたのね? まったく、お父様ったら」不機嫌そうに顔をしかめた。
「違うの、ロッテ。最初は遅くまでやるつもりなんてなかったんだけど、盛り上がっちゃって……」
「負けてばっかりのお前が、一人で盛り上がってたんだろ」
ラパルクがいう。ネイリンは思いっきり無視してやった。
「夜遅くまでされてたんですか?」
「うん、まあね」ネイリンは、ロッテの質問に答える。「朝方まで、休み休み……」
「んまぁ」とロッテはおばさんくさい感嘆をもらした。「でもそれじゃあ、お父様は食堂にはこられないかもしれませんわね。遅くまで起きていたときには、そのまま遅くまでお眠りになるお方ですから」
ロッテはとげのある口調でいった。先ほどのジーナスの、娘を気遣うような発言を思い出して、ネイリンは少し切なくなった。なにか、彼を擁護するようなことをいおうとしたところで、ラパルクがいった。
「そういえば、ルイーザさんもこないと思うぞ。昨日の夜、ジーナスさんとビリヤードをやってるときに帰っていったから」
「そうなの?」ネイリンのいないときのことだろう。「じゃあ、早くいいなさいよ。パン置いちゃったじゃないの」
「それも、いつもの習慣なんです。でも忘れていました」
とロッテがいったところで、扉が開いた。入ってきたのは、主と、彼を支えて歩くロイだった。
食堂の中の空気が、一瞬にしてぴんと張り詰める。
主がイスに座るのを手伝ったロイが、主が落ち着いたのを見て、静かな、しかしすばやい動きで食堂をでていった。
――気まずい。
どうしてよいか分からず、なんとなく下を向いているとロッテが、ネイリンと小さな声で呼びながら袖を引っ張った。見ると、テーブル・ナプキンで作った主の顔を、膝の上においていた。その表情は、しっかり、しかめっ面になっている。
――似てる。
ぷっと吹きだして、あわてて口を押さえた。見ると、思いっ切り主と目が合ってしまった。ネイリンはあわてて、また下を向いた。横目で見ると、ロッテが涼しい顔をしている。
脇でもくすぐってやろうかと思ったが、それだとしゃれにならない反応をするだろうし、その場合は本格的に主に怒られそうな気がする。どう仕返ししてやろうか。
と、そんなことを考えているうちに、ロイが戻ってきた。そのまま主のもとに行き、なにやら耳打ちした。放っておけ、という主の小さな声が聞こえた。
「神の使いである勇者に、今日も日々の糧を与えたもうことを感謝いたします」ロイが食堂をでたのを見て、唐突に主がいった。
「お祖父様、まだお父様と伯父様がこられていませんわ」
「放っておけ」
「まだ寝ていらっしゃるんですか?」
「ジーナスはな」そういって、パンを引きちぎった。
ジーナスは――。なら、おじさんはどうしたというのだろう。
だが主の雰囲気は、これ以上の会話をつづけさせないものだった。
ネイリンはロッテと顔を見合わせ、二人で首をひねった。