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第一章 10

      10


 食事を終えたあとは、この家の習慣なのだろうか、お酒を飲みながらの団欒なども特になく、すぐにお開きとなった。

 主は、ゆっくりとした足取りで、しかし一番早く食堂をでた。ロッテのおじさんとルイーザがそれにつづく。ロッテも勉強しなくちゃ、といって食堂をでていった。彼女は、そのまま寝てしまうからと、就寝の挨拶も残していった。またお話しましょうね、という彼女の言葉に、ネイリンは素直にうなづくことができた。

 ラパルクは、ジーナスにつかまってなにかいわれていた。そんなジーナスに嫌そうな顔をしながらも、ラパルクはついていった。これから何かをするのだろうか。

 みんなは大広間に続くドアからでていったが、ネイリンはロッテに聞いていたもうひとつのドアから一人厨房に向かった。

 ドアを開けるとすぐに厨房、といった感じではなく、一部屋分ぐらいの空間があった。そこから廊下につづいている。厨房は左手のドアから入るとあるらしい。右側にいくつかドアがあるが、そちらは使用人たちの部屋だとのことだ。

 ネイリンは厨房につづくはずのドアをノックした。中から、少し緊張した声が戻る。失礼します、といってネイリンはそっとドアを開けた。

 中には、カーテと中年の男がいた。男の方は、カーテの夫だろうか。しかし彼は、気難しげな雰囲気を持っていて、明るく屈託のないカーテの夫には似つかわしくない気がした。

 二人とも前掛けで手を拭きながらこちらを向いていた。彼らの怪訝そうな顔に、内心萎縮しながらも、ネイリンは微笑みながらいった。

「あの、後片付けをお伝いしようかと思いまして」

「まあまあ、おやさしいこと」カーテは表情をくずし、ぷっと吹き出した。「お気持ちだけいただいておきます。でもネイリンさんはお客さまなのですから、ゆっくりなさっていていいのよ」彼女は、男がいるからか、少しかたいいいかたで答えた。

「はあ。そうロッテにもいわれたのですが、でもあたしたちは、そもそもは紛れ込んだだけで、正式に招待されてきているわけではないですし、なんかお客として扱われるのは申し訳なくて……」

 それは本心であった。だがそれだけではなく、これまでこの家のことや、石のことについては、主にロッテの口からしか聞いていなかったので、ほかの口からもそれらを聞き、情報を多面的にしたかった、というのも本音にはあった。

 カーテはそこまで読み取ったとは思えないが、ただ、ネイリンが自分とはなしたがっている、とだけは感じ取ったようだった。カーテはいたずらっぽい笑みを一瞬浮かべると、

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えちゃいましょうか。正直いうと、ちょっと人手が欲しかったところでもあるんです」

「そんなことはない。ここは二人いれば十分だ。お客様に働いていただくなんてのは……」

 男が口を開いたが、すぐにカーテがそれをさえぎった。

「でもリール、ここをネイリンさんが手伝ってくれたら、あなたが外にでてイボーを手伝ってあげることができるわ」

「べつに、私が手伝わなくていいだろう。イボーは、ルイが手伝いにいっている」

「でも、石をどかしにいったわけでしょ。イボー一人じゃ大変かもしれないし、でもルイがいたって大して力にはなれないじゃない」

「しかし……」男は、まだなにかいいたかったようで、口を開きかけたが、カーテの押さえ込むように言葉をつないだ。

「あなたがいいたいのは、ご病気のお客様のお食事をどうするのか、ということでしょ。それぐらい私にだって作れます。だから、あなたは……」

「分かった、分かった」男は、うるさそうに手を顔の前で振った。「じゃあ、ここは任せる」男は前掛けをはずすと、それをテーブルの上に置き、ネイリンに向かった。「それではすいませんが、私は外を手伝ってきます」

 カーテとはなしているときは、仏頂面で、不機嫌そうにも見えたが、ネイリンには意外なほど愛想のいい顔を見せた。少なくとも、気難しい人間ではないようだ。そう思ってから先ほどまでのカーテとのやり取りを思い出すと、お互い気を許しあっているからこそできる、ほのぼのとしたかるい喧嘩とも思える。

 ――やっぱりカーテのだんなさんなのかな。

 そう思って、ネイリンはすこし安心した。

 男が部屋から出るのを待って、カーテは口を開いた。

「あの人は、ここの料理人でリール。ぶつくさと文句ばっかりいうし、腰は重いし、まあ、つかえないんだけど、腕だけは確かでね」カーテは、最初に合ったときのような口調に戻っていった。「美味しかったでしょ?」

「ええ、とっても」ネイリンは答える。

「でもね、元からうまかったわけじゃないのよ。だって、ここへきた当時は、ただの使用人だったんですもの。それが、先代の料理人にセンスを見込まれて、それから料理はじめたのよ」

「あ、そうなんですか」

 やっぱりしゃべる人だな、と思った。それはべつにいいのだが、とりあえず、しゃべっている今、彼女の腕は止まっている。先ほど、プライの食事はこれから作るといっていた。彼がお腹を減らしていたらかわいそうだ。できれば、早く作りはじめたかった。

「ええ。リールの父親はね、この土地の小作人だったから、ふつうにいけば農家になるところだったんでしょうけどね。めぐりめぐって今は凄腕の料理人よ」

「へえ」うなづきつつ、ネイリンはリールがしていたエプロンに手を伸ばした。「あの、これ借りちゃってもいいかな?」このままでは、いつまでも話がつづきそうな気がして、ネイリンは嫌味にならないように気をつけながらいった。

「いいわよ。って、ほんとに手伝ってくれるの?」

「ええ、なにかしてる方が気が楽ですし」エプロンをしながらネイリンはきいた。「ねえ、カーテさん。さっきの方、リールさんていうの? その人、カーテさんのだんなさん?」

 そういうと、またカーテは吹きだした。

「まさか! 冗談やめてよ。私はこう見えても、面食いなのよ。あんなのとは、頼まれたってごめんだわ」

「あ、そうだったんですか」ネイリンはエプロンの紐を縛るために手を後ろに回した。なかなかうまく縛れない。「……あたし、勝手にあの、ルイくん? がカーテさんのお子さんで、リールさんがだんなさんなのかなって」

「ルイが子供なのは当たってる」カーテは、ネイリンの後ろに回って、エプロンの紐を縛ってくれた。「でも、だんなは死んだのよ」カーテの声だけが聞こえた。

「あ、」瞬間、頭が回らなかった。とっさに言葉をだした。「そうだったんですか……。ごめんなさい……」

「ううん、いいの。もうずっと昔の話だからね」そういってから、カーテは一際明るい声をだした。「さ、できた。じゃ、働いてもらいましょうかね」

 そういい、台所の前に戻ると、私が食器を洗うから、ネイリンさんはすすいでそこにおいてね、とネイリンに指示をだした。なにをすればいいかは分かったが、なにをいっていいかは分からない。カーテは、だんなさんのことを乗り越えたようにいっているが、内心どうかは分からない。

 黙っているネイリンの心境を察してか、カーテが明るい口調ではなしはじめた。内容は先ほどの続きのようだった。

「うちのだんな、男前だったのよ。ネイリンさんにも見せたかったわ」

「はあ」

「でも身体が弱くてね、ルイが生まれてすぐに死んじゃって。死んですぐは大変だったけど、ここの旦那様が親子で拾ってくれてね。それからは、使用人とはいえ大豪邸住まいだからね、けっこう楽しい毎日よ」

「うん」

「リールも、似たような境遇でね。さっきはいろいろいったけど、あの男も苦労してるのよ。親御さんが借金残して亡くなられて、それからは路頭に迷うような感じだったんだけど、そこをやっぱり旦那様に拾われて。旦那様、最初怖かったでしょ?」

「ええ、まあ……」今も怖い。

「でもね、気難しそうに見えて、とてもお優しい方なのよ」

 そう、なのか?

 しかし、違うだろうともいえないので、ネイリンは微笑みながらうなづいた。

「ロッテ様のお生まれになったときなんて、それはもう相好をくずされて」

「へえ」あのじいさんのにやけた顔は、ちょっと想像がつかない。「初孫ですか?」

「うん、そう。今考えると、その時期がこの家の一番幸せなときだったかもしれないわね」

「だんだん……そうじゃなくなってきたんですか?」

「ええ。跡取りがジーナス様にできて、トーナス様も焦りみたいなものを感じはじめたのかもしれない。そのころから、厳しく取り仕切るようになって。奥様が亡くなったのだって、」カーテは、突然口調を切った。「あら、ごめんなさい。こんなこと、お客様にいうことじゃないわよね」

「いえ……」

 奥様とは、文脈から判断してジーナスの妻、つまりロッテの母だろう。

 やはり、お母さんは亡くなっていたのか――。

 ふと過去の思い出したくない出来事が頭をよぎった。

 両親が巻き込まれた惨劇。

 ネイリンは一度目をつぶり、小さく息を吐いた。もうずいぶん前のことになるが、いまだに冷静には振り返れない。

 ネイリンは強制的に、その記憶から目を逸らした。

 何かのきっかけで思い出しても、目を逸らす術は、無意識のうちにものにしていたのだ。

 逸らしていた先にあった記憶は、ロッテの顔だった。

 胸が締めつけられるように感じた。

 ネイリンはもう、立ち直りかけている。正確にいうなら、その忌まわしい記憶のしまい方を覚え、その出来事がよみがえりそうになったときも、やり過ごす方法を覚えた、といった方がいいが。

 根本的な解決にはなっていないが、両親の死に根本的な解決などありえないともいえる。

 だから大事なことは、乗り越えられない壁がやってきたとき、うまくやり過ごすことなのだとネイリンは知った。

 それを知るまでの幼少期はつらかった。

 恐怖と寂しさに、圧迫されて息も苦しかった。

 その時期のネイリンを支えてくれたのは、ネイリンには姉であり、お隣のウォルマー家であった。彼らの支えがあったから、なんとかネイリンは持ちこたえた。

 彼らがいなかったら、早い段階で自分はだめになっていただろうと、ネイリンは確信している。

 ロッテはどうなのだろう。そういった人がいるのだろうか。彼女の家族の顔が、次々浮かぶ。――もしいないなら、

「どうかした?」

 カーテの声で我に返った。見ると、心配そうに顔を覗き込んでいる。その顔を見ていると、なんだか、すごくほっとした。

 ――この人なのかも。

 ネイリンは、ここを通り過ぎる人間だ。ロッテに同情しても、結局のところ、大したことはできない。できることがあるとしたら、ここにいる間、真摯に、友人として接することだけだ。

 ネイリンは、止まっていたらしい手を動かしながらいった。

「いえ、どうもしません。あの……奥様っていうのは?」

「ああ、ジーナス様の奥様。それはきれいな方だったのよ」カーテは、当たり障りのないことをいった。

「ええ、それはロッテ、さんを見ていても分かります」ネイリンは、とっさにロッテにさんをつけた。「でもロッテさん、かわいそう。お母さんを亡くされてたんですね」

「ええ。奥様だって、まだ小さなお嬢様を残していくのは、さぞかし無念なことだったと思うわ」息子のことを思い出しているのか、カーテはふと窓を見た。「でも、今のお嬢様を見たら、きっと奥様も安心なさるんじゃないかしら。とっても落ち着いておられるし、難しい立場なのにひねくれたりした時期もございませんし」といってからカーテは、眉をしかめた。「こういうこといっちゃいけませんよね。どうもあたしは一言多いわ。自覚してるんだけど、ついついしゃべっちゃうのよねぇ。難しい立場、というのは聞かなかったことにしてね」

 ついついしゃべっちゃうカーテの性格は、話をききだしたいと思っているネイリンからすると好都合だ。愛想笑いを浮かべながら、ネイリンは頭を働かせた。

 難しい立場とは――当然、石がらみの話だろう。この家では、石を継ぐものが家督を継ぐのだ。立場は、石を巡る力関係と無関係ではいられない。

 だが石の話は、ネイリンは知らないとカーテは考えているはずだ。ネイリンも、知らないふりをする必要がある。ただネイリンは、玄関での気まずいやり取りに立ち会っているし、食堂でのロッテの立場をめぐるやり取りにも立ち会っている。そのことは知っている、といっておいたほうが話を進めやすいだろう。そう思って、ネイリンはいった。

「あ、でもあたし、ロッテさんが難しい立場にいることは知ってました。さっき、ルイーザさんがきたとき、玄関でいろいろあったし、食堂でも、そのようなことで気まずい雰囲気にもなったんです……」

「そうなの。じゃあ、なんとなくは知ってるのね」といってカーテは、眉根を寄せた。

「なんとなくですが。……えっと、ロッテさんのおじ様、でいいのかな。ロッテさんに、子供が命令なんかするなって、叱ってました」

「ああ、トーナス様は、子供が命令されるのを好まないから」カーテは、そこでうれしそうな顔をした。「でも、トーナス様のいないところでは、しっかり命令して下さるんですけどね」

「なんかうれしそう。命令されるのがうれしいんですか?」

「人によるわよ。どこの馬の骨ともしれない人に偉そうにいわれちゃ、そりゃカチンときますけどね。お嬢様は、お生まれになってから知っている方なんですもの。ちゃんと、伝わるものがあるんですよ」

 そんなロッテが、かわいくてしょうがない。カーテの顔は、そういっていた。

「ロッテさんて、頭がいい方ですよね」

「そうね。頭がよくて、やさしい……照れ屋さんなのよ」カーテはそういって、ふふっと鼻息をもらした。


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