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第一章 7

      7


 ネイリン、ラパルク、ロッテの三人は、食事をするため部屋を出た。プライは寝かせておくことにした。

 通路を歩くと、すぐに曲がり角に着いた。そこにある扉。

「ここか、鏡が封印されてるって部屋は」ラパルクがいった。「なんだか、変な扉だな。でこぼこしてる」

 さっきここを通ったときには気がつかなかったようだ。

 扉の前で三人は、なんとなく立ち止まった。

 でこぼこといってもランダムに凹凸があるわけではなく、規則的に凸がある。いや、正確にいうなら、格子状に彫刻等で彫ったような感じで凹んでいる、といった方が正しい。

「これ、向こう側もこういうふうに凹んでるの?」

「ええ。向こう側も同じですわ」

 なら厚みもそれなりだ。通り抜けるのは大変そうだな、とネイリンは一瞬思ったが、薄いからといって通り抜けられるわけではないから同じか、と思い直した。

 そこにいすわっていてもしょうがないので、誰からともなく歩き出した。

 階段を下り、大広間に着いたところでネイリンはいった。

「ロッテ、厨房はどっち?」

「右側の扉を出て、通路左手の奥側の部屋がそうです。でも、」ロッテはネイリンを見上げていう。「ネイリン、先ほどもいいましたが、本当に手伝おうなんて考えなくていいんですのよ」

「ありがと」そういってもらえるのはありがたいが、しかし、子供の言葉を鵜呑みにして顔を出さないわけにはいかないだろう。もともと、肩身の狭い立場なのだ。隙を見て得点を稼いでおくことに越したことはない。「あたし、けっこう料理とか好きだし、こんなに大きな家の厨房ってどんななのかなぁっていう興味もあるしね……」いいながら、しかしネイリンの目はあるものに吸い寄せられた。「ねぇ、あれって……」

 玄関から見て右手側の壁に扉が二つある。右側が厨房に通じているそうだから、左のものは食堂に通じているのだと思う。

 その間にあるケース。

 ここにきたときは、なんとも思わなかった。だが今は違う。

 ――あれが鍵を封印したケースか。

「見てもいいのかな?」

 ネイリンがいうと、ロッテは笑顔で答えた。

「かまいませんが、わたくし以外の人がいるところでは、あまり見ないほうがいいですわ。ネイリンさんたちは、鏡や鍵のことについては、何も知らないことになっているのですから」

 そうだった。何も知らないということになっているし、そもそも、主には石絡みのことに興味を持たないという約束までしていたのだ。

 ――まあ見るけどね。

 ネイリンは小走りで近づくと、ケースを覗き込んだ。

 あの扉とは違って、遠目には一見、ふつうの茶箪笥のように見えた。だが、よくよく見ると、風変わりな特徴がいくつか見て取れた。

 まず、前面はガラス張りなのだが、取っ手の付近には頑丈そうな鍵がつけられている。なんら隠す気のないそのデザインに違和感を覚える。ふつう、こういったものは、もう少し控えめに、目立たないように配置すると思う。盗む気を起こさせないための工夫だろうか。

 次に目がいくのは、やはり収納されている鍵だろう。ネイリンの背丈ほどもある大きなケースなのだが、中にあるのは、その小さな鍵一つだけだった。それが、真ん中の棚の上にぽつんと置かれている。空間の余白の大きさとの対比によって、ただでさえ小さな鍵が相対的により小さく見える。

 そしてその鍵は、二つ見えた。

 鍵が二つあったわけではない。向こう側の面が、一面鏡張りだったのだ。そこに映った鍵にも目がいく。

 石は鏡の中にあると言い伝えられている。その鏡が置かれている部屋は閉ざされている。その扉を開ける鍵は……もしかしたら、鏡に映ったほうの鍵ではないのだろうか。

 ふと、そんなふうに思った。

「そういえばよぅ、鍵が入ってるケースにあの言葉が書かれてるんじゃなかったか?」

 ラパルクの言葉に、ロッテはうなづいた。

「はい。ケースの横に」といって、ロッテは向かって右側面を指差した。

 ネイリンとラパルクは、ケースの横に回りこんだ。側面は板製だった。ガラスはきれいだったが、その板は相当に古びていて、色も相応にくすんでいる。だが、不潔な感じはしなかった。

「ああ、これだな」

 ラパルクが顔を近づけた付近にネイリンも注目した。かすれがかった感じで、あの文語体が書かれていた。

 内容は、ロッテのいったものと同じだった。

「これよぅ、厳重に鍵かけてあるのは分かったが、しかし実物のケースを見るとちゃっちいな。ケース自体がもろそうだし、その前にガラスを割れば簡単に鍵が盗めるだろう」いつの間にか正面に戻っていたラパルクがいう。

 ネイリンは、古びたケースから、威厳や真実味を感じていたので、そういった発想がなかった。だが、いわれてみればたしかにそうだった。鍵を盗む気になれば、誰にでもできそうだった。

「盗むことはできないそうです」ロッテがいい切った。「わたくしは、いつからこの鍵やケースがあるのか分かりませんが、でもこれまでにはいろいろあったそうで、何人もの人間が、今ラパルクさんがいわれたようなことを試みたそうです。しかし、誰にも盗めなかった。それどころか、盗もうとした人間は、ここに書かれているように、お亡くなりになったそうです」

 ――え、本当に死んじゃうの?

 ケースにさわりかけていたネイリンは、あわてて手を引っ込めた。

「なんか、呪いがかかってるってことか?」

「というふうにいわれております」ロッテがうなづく。「だから、だれもケースに触りもしません。呪いについては、わたくしなどは半信半疑、というか、信じていない気持ちの方が多いのですが、それでもやっぱり、気持ちが悪いですからね」

 彼女がそういって眉をしかめたときだった。

 馬車か? と、ふいにラパルクが玄関の方を見ていった。

 ネイリンとロッテも振り向く。扉の横にある窓には、雫が這っている。まだ雨は降っているようだった。くるときにみたが、窓の上にはひさしがついていたから、風もでてきている様だった。その雨の中、いわれてみればたしかに馬車の音がした。

「きっとルイーズさんね」ロッテがいう。

 ロッテのいうルイーズさんか分からないが、とにかく馬車の君がつくまでは、なんとなく動けないような雰囲気になった。三人はケースからはなれて、窓から外を見た。

 しばらくして、馬車が玄関の前でとまった。

 出迎えなくてもいいのだろうか、と一向に動く様子のないロッテを見たときだった。主たちが現れた例の通路から、中年の男が姿を現した。

 長身で、それなりに肉はついていそうだったが、それでいながら引き締まった身体を持っていた。頭髪はきれいに後ろに撫でつけられており、ひげが鼻の下とあごに生えていた。

 ――怖そう……。

 それが第一印象だった。

 この人がロッテのおじさんだ、そう思ったネイリンはロッテの顔を見ると、彼女もネイリンのいわんとしたことが分かったのか、小さくうなづいた。

 彼はきびきびとした足取りでこちらに近づいてきた。ネイリンは反射的に身を硬くしたが、彼はネイリンたちのことを一瞥しただけで横を通り過ぎると、勢いよく玄関をあけた。

 ふっと雨の匂いが、冷たい風とともにネイリンの鼻を刺激した。

 玄関に姿を現したのは、均整の取れた顔立ちをしている、身なりのいい女性だった。ロッテの、どこか人工的な美しさとは対照的な、自然の花々を連想させるような雰囲気を身にまとった女性だった。どうしてかは分からないが、なぜかムカッときた。

 この人がルイーズさんとかいう人だろうか。瞬間、この家との関係性が見えなかった。どういう立場の人なのだろう。

 玄関に入ってきた女性は、ロッテのおじさんと親しそうに挨拶を交わした。そのときになってやっと、彼女の立場が分かった。

 二人が触れ合っていたその間、ネイリンとラパルクは所在なげにたたずんでいた。ロッテも自分からは口を開こうとしなかった。

 ネイリンは非常に気詰まりなものを感じたが、この状況では、自分からはなかなか口を開きにくい。誰かに口火を切ってもらいたかった。

 しばらくそのままで待っていると、彼女がコートを脱ぎ、それをラパルクに手渡そうとした。顔は笑みをたたえたまま、ロッテの方を向きかけている。

 反射的に手を伸ばしかけたラパルクを、ロッテがやんわりと制した。

「おばさま。この方は使用人じゃなくてよ」ロッテの表情は、これまでに見た、どのときよりも純粋無垢なものだった。「ラパルクさんとおっしゃるの。旅をされている方よ」

 おばさまと呼ばれた女性は、ロッテのおじさんと目を合わせてから、おかしそうに噴出した。子供だからしかたないわね、といった感じの表情で、大人特有の優位性を意識した、また意識させようとしたものだった。

 おじさんの方は、今気がついたとでもいいたげな顔で、ネイリンとラパルクを、頭の先から足の先まで露骨な視線で眺めた。

 ――なんて感じの悪い二人だ。

 そう生理的に感じ、ネイリンは戦闘本能に火がついたのを自覚した。

「まあ、ロッテ。今日はいつにも増してかわいらしいわ。まるでお人形さんみたい」彼女は微笑んだ。悔しいことに、その表情は、今までに見たすべての人の、すべての表情よりも完璧で魅惑的だった。「わたしにも、あなたぐらいのときがあったのよ。そのころに戻りたいわ。でもね、わたしだってまだまだ若いのよ。おばさまなんていわれる年じゃないわ」 

 怒っているような感じではなかった。実際に若いせいだろう。余裕が感じられる。その余裕をふくんだ笑みが、また見惚れるほどにきれいだった。

「そういう意味ではなかったんです。つい、もう伯父様と結婚されているのかと錯覚してしまって。でも、まだされていないのですから、おばさまなんて呼んでは、失礼に当たりますわよね」ロッテは微笑んだまま、ラパルクを手のひらで指し示した。「ラパルクさんです。旅をされている方よ」ロッテは、先ほどいったことを、わざわざ繰り返した。

 ルイーザの顔が、笑顔のままで凍りつく。

 瞬間、時が止まったように感じた。

 ルイーザは、ラパルクを使用人と勘違いした。そこまではいい。しかし、仮に使用人だったとしても、客が自分からコートを渡すのはマナー違反だろう。ルイーザの身のこなしを見るかぎり、マナー違反などとは縁遠そうな人だった。しかし彼女はそれを犯した。それは、この家の住人と結婚する予定にあるらしい彼女が、もう自分はこの家の住人なのだと認識、誤認していたせいなのだろう。

 わざわざ指摘するほどのことではない。あいまいなままにしておけば、ほほえましい間違いですんだのだ。だがロッテはやんわりと、しかしルイーザの認識を指摘した。

 わざわざ指摘したことで、彼女の立場や認識は浮き彫りになる。それは、この家の経済規模と合わせて考えることで、実際はどうあれ、大人の計算を連想させるものだった。

ロッテの言葉は好意的に聞くと、もう自分はこの家の住人だというルイーザの認識を注意、指摘しただけのものだった。だが、いい方などと合わせて類推するなら、邪知することもできる結婚それ自体への不快感の表明、ともとれるかもしれない。

 いや、事実、不快感の表明だったのだろう。それは、ルイーザの表情で分かった。

 ロッテはきっとこれまでも、あまり好意的には彼女に接してきていなかったに違いない。その自分の思いを、ネイリンたち第三者の前で、ルイーザに恥をかかせるという形で再表明したのだ。

 場の温度が下がり、白けた雰囲気がではじめた。

 その理由としては、わざわざ正論をいったロッテの行動もあるが、それを引き起こしたのはルイーザの露見した認識、さらには邪知すれば邪なものすら感じさせる心積もりだ。

 おじさんも子供じゃない。ルイーザのそういった心の可能性など百も承知のことなのだろう。その上での結婚のはずだ。だが、第三者からの指摘によって、違った温度でルイーザの感情を測る思考が、瞬間芽生えたかもしれない。つまらなそうな表情に、かすかな疑問の色が、浮かんでいるようにも見える。

 使用人として扱われたラパルクは、なにを考えているのか、あるいは何も考えていないのか、無遠慮な目でルイーザを見ていた。

 ネイリンは、ロッテの言葉の意図に気づいていない振りをしながら、彼女の意図に沿った形でルイーザを見た。

 ほんのわずかな無言の時間だったが、その時間に各々の辿った思考は、ルイーザを、華麗な女性、という立場から引き下ろした。

 ルイーザの顔はこわばっていた。

 いい気味だった。彼女にいい感情を持っていなかったネイリンは、一瞬でルイーザをやり込めたロッテの行動に内心喝采をあげていたが、同時に、やはり彼女もプライと同じく、味方にすれば心強いが敵に回すと厄介な相手であることを再確認していた。

「で、その旅人は、誰の許しを得て滞在しているんだ?」

口火を切ったのは、ロッテのおじさんだった。その目は、苛立ちを内包していた。ロッテに対してか、ルイーザに対してかは分からないが、その矛先はネイリンたちに向かっているようだった。純粋にネイリンたちに苛立っていたのかもしれない。

 ネイリンは、殊勝な態度で口を開いた。

「あたしたちは旅をしていたのですが、連れのものが体調をくずし……」

「そんなことは聞いていない。今すぐこの家から出ていけ。話は終わりだ」

 ここの家の主に許しを得た。それを順番にはなそうとしたのに、このオヤジときたら……。

 ロッテのおじさんに対する不快感がまたぞろ頭をもたげてくる。あごが前に出てくるのを自覚した。

「伯父様。お祖父様の許可はでていますわ。それに、お連れの方は寝込んでいて、今は上の部屋でおやすみになっています。今さら出ていけなんてあんまりだわ」ロッテは、ネイリンを見上げた。「ネイリン、出ていくことなんてないわ。プライさんがよくなるまで、ずっといてくださいね」

「ロッテ、それはお前が決めることじゃない」おじさんが、抑制の利いたバリトンでいう。「お前は黙っていなさい」

「伯父様こそ、何も分かっていないのに命令しないで」ロッテが強い口調でいった。「最初はお祖父様も反対なさったわ。でも、はなした結果、滞在を許可されたの。それで正式な、この家のお客様のはずだわ。それに、」とロッテはネイリンをちらと見る。「わたくしたち、今までずっとおはなししていたの。もうネイリンもラパルクもお友達よ。伯父様が、この家のお客様としてお二人を向かい入れるのに反対なさるなら、わたくしが友人として、お二人に滞在をお願いすることにします」ロッテはおじさんを見た。「ここは、わたくしの家でもあります。問題ないですわよね?」

 ロッテの言葉に、不覚にもネイリンは、胸を打たれた。

 ネイリンとラパルクを、友人として招き入れる、という言葉もうれしかったが、それ以上に、ロッテがふだん置かれている状況が頭に浮かび、切なくなったのだ。

 酔っ払いの父、伝説を丸まま信じ込んで疑いもしない祖父、不遜でやさしくない伯父、お金がなかったら伯父を選んでいたか怪しいルイーザ。そんな人々の中に、一人子供としているのはつらく、心細いことなのではないだろうか。

 しかもロッテはただの子供じゃない。頭も回るし、状況把握能力も大人なみだ。いや、周りにいる大人たちよりも、ある意味では上なのかもしれない。

 なのに子供として扱われる。悔しいこともあるだろう。

 最初ネイリンはロッテを、底を隠した恐るべき子供、といった感じで斜に見ていたが、すっかりロッテ贔屓になっていた。

 それは、遅まきながら、彼女を友人として認めた瞬間でもあった。

「ありがとう、ロッテ」ネイリンは思わずいっていた。

 いってから気がついた。このタイミングでこういっては、もうおじさんは、認めないなんてことはいえないだろう。姪っ子に激しくいわれたおじさんから、選択の自由も奪ってしまった格好だ。

 客としては――ちと気まずい。

「勝手にしろ」おじさんは、顔の前でじゃまくさそうに右手を振った。「ただ、うろちょろはするな。目障りだ」

「伯父様!」

 おじさんは、ロッテの声を無視して食堂に向かった。あわててルイーザもあとを追う。

 ロッテのおかげで滞在できることにはなったが、ロッテのせいで立場がどんどん悪くなっている気もする。

「ありがとう」でも、そう小声でいった。

 それは、具体的な何かを指しての礼ではなく、村を出て以来、初めてできた女友達への、ささやかな感情表現だった。


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