第9話 夜の図書館
──夜が、静かに降りていた。
聖堂の窓から差し込む月光は白く冷たく、部屋の壁をぼんやりと照らしている。
リアムはベッドの上で、ただその光を見つめていた。
最近、眠れない夜が続いていた。まぶたを閉じれば、決まって自分が殺される嫌な夢を見ていると感じる。
「……また、変な夢を見るのか。」
小さく息を吐き、リアムはベッドから身を起こした。
レオンやセラには夢のことを話していない。
夢の内容もひとつも覚えていない。
ただ、自分が殺されているという感覚だけが残っている。けれど今夜はもう、眠る気にはなれなかった。
「俺は……強くならなきゃ。」
ぽつりと呟く。レオンとセラは、自分を守ってくれる。だが、いつまでも二人に頼ってばかりでは駄目だ。あの夢の中で感じた無力さが、胸を刺す。
何かを壊す恐怖。
何もできない自分。
それを変えたいと思った。
リアムはそっと聖堂の部屋を抜け出した。
歩いていると、廊下の先に古い扉がひとつ。
昼間は閉ざされていたが、今夜は月光に照らされ、わずかに隙間を開けていた。
「……ここ、図書館か。」
木の扉を押し開けると、冷たい空気とともに紙とインクの匂いが鼻をくすぐった。高い天井まで本棚が並び、無数の本が眠っている。蝋燭台に火を灯し、リアムはゆっくりと足を踏み入れた。
──知識。レオンが言っていた。
「力だけでは、戦えぬ」と。ならば、学ぶことも強さだ。リアムは手近な棚から数冊の本を取り出した。
『魔力理論書』『古代術式の解析』『歴史書』……。
どれも分厚く、見たこともない文字が並んでいる。
「……なんだ、これ。」
ページをめくるたびに、頭が痛くなる。読めない。まったく理解できない。見覚えのある文字もない。何かが違う。まるで別の言語のようだった。
「……俺、バカなのか。」
ぽつりと漏れた声は、誰にも届かないはずだった。
だが──背後から、軽やかな足音が聞こえた。
◇ ◇ ◇
「──こんな時間に、何をしてるの?」
澄んだ声。
振り向くと、そこには蒼い髪を揺らす女性──セラが立っていた。白い衣の裾を持ち上げ、ランプを掲げるその姿は、まるで夜の光に溶けるように美しかった。
「セラ……!」
「まさか、こんな夜更けに子供が勉強しているなんて
ね。眠れないの?」
セラは微笑を浮かべて近づいてくる。
リアムは慌てて手に持った本を閉じた。
「えっと……ちょっと、勉強をしようと思って……」
「勉強?」
セラは本の表紙を覗き込み、眉を上げた。
「ふむ、『古代術式の構造解析』?
……それはね、王立学院の高位魔導士でも読むのが
大変な専門書よ。」
「……そう、なんだ。」
「リアム、あなたその字、読めてるの?」
「……読めない。」
セラはほんの一瞬だけ呆れたような顔をしたが、すぐにくすっと笑った。
「まあ、そうでしょうね。三歳の子供が読むような本
じゃないわ。」
リアムの動きが止まる。
「……どうして、俺が三歳って知ってるの?」
「え?」
セラは一瞬だけ目を伏せ、それから微笑んだ。
「そんなこと、聞く意味ある? 気にしなくていい
わ。」
その笑みはどこか誤魔化すようで、リアムの胸に小さな違和感を残した。
だが、彼女の次の言葉がその違和感を上書きした。
「字が読めないなら、私が教えてあげる。」
「えっ、いいの?」
「当然よ。どうせ私は研究ばかりで、あまり寝ないか
ら。」
リアムは心の中でつぶやいた。
『それ、たぶんダメなやつだ……。』
セラは机の上に本を置き、リアムを座らせた。
彼女の声は柔らかく、灯りのように暖かかった。
「焦らず、ゆっくりでいいわ。まずはこの文字、
『ア』。これは始まりを意味する文字よ。」
リアムは真剣にペンを握り、ぎこちなく文字をなぞった。セラはその指先をそっと導きながら、ひとつひとつの意味を教えていく。
リアムは時間が経つのを忘れるほど、集中していた。
「すごいわね、リアム。飲み込みが早い。」
「セラの教え方が上手いからだよ。」
「ふふ、そう言ってくれるなんて、嬉しいわ。」
その笑顔を見て、リアムの胸の奥に、ふと温かい何かが灯る。
──夢の闇よりも、ずっと強く、あたたかい光だった。
◇ ◇ ◇
どれほどの時間が経っただろうか。
窓の外が白み始め、鳥の声が遠くで聞こえ始めていた。
「……もう朝?」
リアムが顔を上げると、セラは机に頬杖をつき、少し眠たげな笑みを浮かべていた。
「そうね、もうすぐ朝日が昇るわ。」
リアムのノートには、震えた文字ながらも、しっかりとした筆跡が並んでいる。
「……俺、本当に字を書けるようになったんだな。」
「当然でしょ。君は努力家だもの。」
セラは立ち上がり、リアムの頭を軽く撫でた。その手の温もりに、リアムの胸がじんわりと熱くなる。
「ありがとう、セラ。」
「礼なんていらないわ。私も久しぶりに、教えるのが
楽しかったもの。」
その時だった。聖堂の外から、重い扉の開く音がした。
「リアム! お前、こんな所にいたのか!」
勢いよく現れたのは、金髪の青年──レオンだった。
肩には訓練用の木剣を二本抱えている。
「もう朝だぞ。まさか、寝ていなかったのか?」
リアムは少し気まずそうに笑い、セラが肩をすくめた。
「徹夜で勉強してたのよ。ね、立派でしょ?」
「立派というより……無茶だろ。」
レオンはため息をついたが、その瞳にはどこか感心の色があった。
「だが、やる気があるなら付き合ってやる。
……訓練、行くぞ。」
「うん! お願い、レオン!」
リアムは本を抱え、元気に立ち上がった。
セラは微笑みながら見送る。
「……がんばって、リアム。
眠気になんか、負けちゃダメよ。」
リアムは笑って頷いた。
──そうして、眠らぬ夜の学びは、彼の次なる挑戦の始まりとなった。
次回: リアム修行開始
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