幕間 アークハウスの執務室にて前半
──旅路の途中。
昼の陽光が斜めに差し込み、地平線を黄金色に染めていた。
砂混じりの街道を、ゆっくりと巨大な影が進む。
それは移動要塞。
八星騎士団が誇る移動式の拠点にして、外見は小さな家ほどの大きさだが、内部は魔導空間によって拡張されており、寝室・訓練室・簡易研究室まで備わっている魔導構造体だ。
地面を押しつぶすような低い駆動音が響くたび、要塞の外壁に刻まれた魔紋がかすかに光り、車輪のような魔法陣が回転していた。
王都を発ってから、すでに四日が経過していた。
◇ ◇ ◇
要塞の内部、回廊を抜けた先にある小さな部屋──そこが《執務室》と呼ばれる空間だった。
広さは十畳ほど。
壁際には棚と書類の束、中央には木製の机が一つ。
机の隅には、小さな魔法陣が描かれている。
淡く青く光るそれは、王都の行政局とつながった《転移陣》──だが、通せるのは紙や小包ほどの大きさまでだ。
「……ん?」
リアムは、机の上に置かれた封書に目を留めた。
王国の紋章が押されたその封蝋は、見覚えのあるものだった。
「これ……王宮からの手紙じゃないか?」
軽く首を傾げながら封を切ると、中には整然とした筆跡の文が並んでいた。
◇ ◇ ◇
【至急】
騎士団長レオン殿
先日より未提出となっております補給費および
活動報告書について、再三の督促を申し上げます。
期日までに提出が確認されない場合、予算割当の
一時凍結も検討せざるを得ません。
王宮会計局
◇ ◇ ◇
リアムはその文面を見て、眉をひそめた。
「……これって、かなりマズいんじゃないか?」
誰もいない執務室を見回す。
レオンは、今まさに訓練室で修業をしているはずだ。
とはいえ、このまま放っておくのも気持ちが悪い。
リアムは手紙を持って、重い足取りで訓練区画へ向かった。
◇ ◇ ◇
「団長、これ……王宮から来てました」
リアムが差し出すと、レオンは汗を拭いながら受け取った。
金色の瞳が手紙をざっとなぞり、次の瞬間──あからさまに顔をしかめる。
「うげぇ、またか。
あいつら催促ばっかしてくるな……」
「またって……まさか前も?」
「いやぁ、ほら。
こういうのはセラがやってくれるんだ。
おれ、書類仕事って苦手でさ」
軽い調子で笑うレオン。
リアムはその言葉に、思わず目を瞬いた。
「じゃ、じゃあ今回も……セラさんに?」
「ああ、そうそう。セラに頼んでくれ。
おれは数字とか細けぇの無理だからな!」
にかっと笑いながら、訓練に戻っていく背中。
リアムは呆然とその姿を見送った。
「……団長、ちょっと無責任すぎませんか?」
呟きは、もちろん届かない。
◇ ◇ ◇
アークハウスの二階、魔導研究区画。
扉を開けると、硝子瓶と書物の匂いが混じる独特の空気が漂ってきた。
机の上では青い炎が揺れ、セラが何やら液体を調合している。
「セラ、今いい?」
「……何? 実験中なの、邪魔しないで」
「その……王宮から書類の催促が届いてて。
団長がセラに頼めって……」
その瞬間、セラの表情が硬直した。
無表情の中に、はっきりとした「嫌そう」という感情が浮かぶ。
「……はぁ。あの人、まだそんなこと言ってるの?」
瓶を置く音が、カチリと響く。
セラは髪をかき上げ、長いため息を吐いた。
「前まではね。
王宮にいるときは期限を守れだの形式を整えろだの、うるさい連中がいっぱいいたの。
だから仕方なくやってたけど……今は旅の途中。
小言を聞かなくて済む場所にいるのよ。
気にする必要ないわ。」
「え、でも……送らないと予算が止まるって……!」
「止まらないわよ。きっと。……たぶんね。」
「たぶんって!?」
リアムは思わず声を上げたが、セラは全く動じない。
むしろ、「めんどくさい」という顔をして、肩をすくめた。
「大丈夫。
あの手の書類なんて、出さなくても三度くらいは催促してくるから。
三回目で出せば間に合うの。」
「そういう問題じゃ……!」
リアムは頭を抱えた。
憧れの二人──八星騎士団の誇り高き団長と、冷静沈着な天才魔導士。
その実態が、こんなにも怠惰だったとは。
『これが……英雄ってやつなのか?』
小さくため息をついたそのとき、セラの目がわずかに光った。
「……ふふ。そうだわ」
「え? なんですか、その顔……」
「いいことを思いついたの」
セラが微笑む。
その笑みは、悪魔的な輝きを帯びていた。
リアムの背中に冷たい汗が流れる。
「リアム。
あなた、私たちに恩を返したいと思わない?」
「え? えぇ、まあ……命を助けてもらったし……色々と恩はありますけど」
「なら決まりね」
「決まりって、なにが──」
「この書類の書き方、教えてあげる。
あなた、賢いでしょ?
半日もあれば覚えられるわ」
「ちょ、ちょっと待って!?
まさか俺にやらせる気じゃ──」
「大丈夫、慣れれば楽しいから」
「ぜったい嘘だぁぁぁ!」
次回:アークハウスの執務室にて後半
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