第2話 蒼き魔導士セラ、少年リアムを見つめて
──それから、一ヶ月が過ぎた。
王城の東側。
街の喧噪から少し離れた丘の上に、白い尖塔を持つ古い聖堂がある。
その内部は静まり返り、外界の時間とは切り離されたかのようだった。
高くそびえる天井からは、薄い朝の光がステンドグラスを透かして差し込み、赤・青・金の光が床の石に淡く模様を描いている。
その一室──客室の中央に置かれた柔らかなベッドの上で、一人の少年が静かに眠っていた。
少年の見た目は十一、もしくは十二歳ほど。
その瞼の奥に宿る存在の深さは、とても子供とは思えぬものだった。
まるで、幼さの中に何百年もの記憶が眠っているかのように。
彼の胸の上には、紅の光を宿す封印紋章が刻まれている。
それはまるで呼吸をするように、一定のリズムで明滅を繰り返していた。
一度鼓動すれば、空気がわずかに震え、床を伝って波紋のように魔力が広がる。
まるでこの部屋全体が彼の鼓動に呼応しているかのようだった。
蝋燭の火が微かに揺らめき、壁に長い影を映す。
石造りの壁のひんやりとした空気を、わずかな風が撫でて通り抜けた。
階段の上から、規則正しい足音が近づく。
その音はやがて止まり──扉が、静かに軋んだ。
「……今日も、目を覚まさないのね。」
柔らかな声が、長い沈黙を破った。
その声は水面のように穏やかで、それでいて凛とした響きを持っている。
青のローブを身に纏った女性が、部屋に入ってきた。
その髪は流れるような蒼。緩やかに束ねられ、肩から背にかけて月光を受けるように光を返していた。
透き通るような白い肌、そして瞳の奥には深い知性の光が宿っている。
その名は──セラ・ フィオネ。
アルセリア王国が誇る最高位の魔導士にして、八星騎士団の一人。
王都では知らぬ者のない、天才の名を持つ女性だ。
「セラ、また来たのか。」
部屋の奥、封印の間でリアムと出会った男がいた。
金色の髪、黄金の瞳を持つ戦士。
その名は──レオン・ドラグナイト。
八星騎士団団長であり、アルセリアの剣と呼ばれる男だ。
その姿は鍛え抜かれた鋼のように引き締まり、しかしどこか、少年を見守る父のような優しさも滲んでいた。
セラは唇に微笑を浮かべる。
「あなたこそ、毎日ここに通っているじゃない。
団長ともあろう人が、見張り番なんてね。」
レオンは短く息を吐き、微かに首を振った。
「……見張りではない。見守っているだけだ。」
「ふふっ、言葉の違いにこだわるところがあなたらしいわ。」
そのやり取りは、長い付き合いの気安さと、互いへの信頼を感じさせた。
セラはゆっくりと少年の傍らに歩み寄る。
長いローブの裾が床を擦り、青い魔法陣の淡い光を反射させた。
彼女はリアムの胸元に刻まれた封印陣へと手を伸ばす。
指先から走る淡い青光が、赤い紋章の線をなぞるように流れた。
魔力の波が静かに部屋を包み、空気が少し重くなる。
「封印は安定しているわね。
けれど...やはり、この子の中にある魔力は異常よ。」
セラの声が低く響く。
その表情は、学者としての冷静さと、わずかな畏怖が入り混じっていた。
「七つの異なる魔力と魂が、同時に循環している。
それも、互いを殺し合うことなく、まるで一つの生命体のように調和している。
一つでもバランスを崩せば、この聖堂が吹き飛ぶわ。
それが……完璧な均衡になっている。」
レオンの眉がわずかに動いた。
「なぜ、そんなことが起こり得る?
この封印を施したとき、術式には魔力量の制御以外の機構はなかったはずだ。」
「そう。 魂の循環を整えるような術式は一切施していない。
それでも、リアムの内部では完璧な調律が行われている。」
「……となると、あの子は生きているというより、生かされているのか。」
レオンの声が低く落ちる。
蝋燭の光が彼の頬を照らし、その眼差しに静かな炎が宿る。
「まるで神の意志が、この子を生かしているようだ。
そう考えるしかない。」
「神ね……」
セラは小さく息を吐き、視線を宙に向けた。その横顔には、理論で説明できぬ何かへの戸惑いがあった。
「私は、あまり信じないの。
神なんて、人が理解できない現象に名前をつけただけの存在だと思っているから。」
そう言いながらも、セラの指先は優しくリアムの頬に触れた。
その動作には、魔導士としてではなく、一人の人間としての温かさがあった。
「でも、この子が八星の一人であることは確かね。」
封印の光が反射して、少年の横顔を照らす。整った顔立ち。まだ幼いが、どこか神秘的な印象を与える。
その穏やかな寝顔を見つめながら、セラは小さく呟いた。
「……綺麗な顔。
彼がどんな風に成長するか、楽しみね。」
けれど、その瞳の奥には研究者としての好奇心が宿る。青い瞳がわずかに細められ、唇の端が上がった。
「彼ほどの魔力量なら……私の研究も飛躍的に進むわ。 ふふ、楽しみ。」
『こわ……。子供を実験材料扱いするなよ。
本当にやるなら、俺が止めよう。』
レオンは心の中で苦笑した。だが、セラの冗談には本気の半分が含まれていることを知っている。
彼女にとって未知は何よりも甘い誘惑なのだ。
沈黙が再び訪れる。
蝋燭の炎が小さく跳ね、二人の影が壁に揺らめく。
レオンは少年を見つめながら、低く呟いた。
「いつか目覚めたとき……あの子は、何を見るんだろうな。」
その瞬間、リアムの胸の封印が淡く輝き始めた。
「……今の、見たか?」
セラの瞳が一瞬で鋭くなる。
魔力の流れが変わり、部屋の空気が重く振動した。
「ええ……! 魔力の流れが変化しているわ!」
セラはすぐに杖を構えた。
青い魔法陣が床一面に展開し、幾重にも重なる。
青と白、二つの光が衝突し、風が渦を巻いた。
その中心で、リアムの指がぴくりと動いた。
ゆっくりと、ほんのわずかに。
そして──唇がかすかに動いた。
「……レ……オン……」
その声は、風の中で微かに響いた。しかし確かに、レオンの名を呼んだ。レオンの心臓が跳ねた。
胸の奥が熱くなる。
確かに生きている。
呼んでくれた。
そのことが、ただ嬉しかった。
光が収まり、部屋に静寂が戻る。
セラは額に浮かんだ汗を拭い、深く息を吐いた。
「……完全に目覚めるのは、まだ先ね。」
「ああ。だが確かに、この子は生きようとしている。」
レオンは静かに頷くと、眠る少年の髪に手を置いた。
その手の動きは、戦士のものではなく、まるで父が子を撫でるように優しい。
「セラ、頼む。この子の封印を監視していてくれ。
異変があれば、すぐ知らせてくれ。」
セラは小さく頷き、軽く笑った。
「了解。 でも、あなたも少しは休みなさい。
あなたが倒れたら、騎士団の書類仕事が私に来るわ。」
レオンは苦笑し、背を向ける。
その背中には、龍神の象徴たる神炎が揺らめいていた。
まるで、決意と責務そのものを炎に変えたように。
扉が閉じる音が響く。
再び、聖堂の客室は静寂に包まれた。
蝋燭の火が細く揺れ、リアムの胸の封印が柔らかく脈を打つ。
──それは、近い未来に訪れる再覚醒の鼓動。
この静寂の中で、誰も知らぬ力が確かに息づき、眠る少年の内で、光がゆっくりと──目覚め始めていた。
次回:静謐なる夢界の魔女と、少年の罪
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