第16話 魔女ノエル登場、小さな日常
王都の影が遠ざかるころ、道の両脇は豊かな草原へと変わっていった。
鳥のさえずり、風の音、そして広がる青空――。
リアムは小さく息を吐く。
「やっぱり、外の空気って全然違うな」
「そうだろう?」とレオンが笑う。
「世界は広い。
城の壁の中にいたんじゃ、一生見えない景色もある」
「……うん」
セラは前を向いたまま地図を開き、冷静に言葉を続けた。
「目的地アルメリアまではエリュシオンの森を通る必要があるわ。
エリュシオンの森まではあと五日ほど。
途中に宿場町エルドがあるわ。
補給と情報収集はそこで行いましょう」
「了解。」
「私は念の為に魔法障壁を張っておくわ。
森の近くは魔物が現れるから」
リアムは彼らの頼もしさに、自然と憧れていた。
かつて何も知らずに暴走しただけの自分とは違う。
今は――頼れる仲間がいる。
◇ ◇ ◇
日が落ち、空は群青に染まっていた。
アークハウスの中では灯りがともり、三人の影を揺らしている。
レオンは剣を磨き、セラは古びた魔導書を開いていた。
リアムは少し離れた外で、神器の修練をしていた。
『……王の言葉、まだ胸に残ってるな』
恐れは剣を鈍らせ、疑いは仲間を傷つける
その一文を思い出すたび、心のどこかが疼く。
彼の中の力――それはまだ制御できず、暴走すれば全てを壊しかねない。
「リアム、もう寝なさい」
セラの声に振り向くと、彼女が微笑んでいた。
「セラは寝ないの?」
「星が綺麗だから、ちょっと魔力観測でもしてみようと思って」
「……ありがとう。なら、僕は休ませてもらうよ」
『この前の三日間、寝ていなかったせいか、セラが早く寝るように言ってくる。』
そう思いながらリアムは、移動要塞で割り振られた自分の部屋に戻り、ベッドに横たわった。
空を覆う星々の下で、静かに瞼を閉じる――。
◇ ◇ ◇
どこまでも白い霧が満ちていた。
空も地も、境界すら曖昧な世界。
風の音もなく、ただ静寂だけが支配している。
リアムは気づけば、そこに立っていた。
足元は水面のように波紋を広げ、踏みしめるたびに光が淡く揺れる。
――ここはどこだ?
思考が追いつく前に、柔らかな声が響いた。
「……初めまして、継承者リアム」
振り向いた先、白の霧の向こうから一人の女性が歩み出る。
長い緑髪が月光を受けて輝き、瞳は夜空に浮かぶ星のように冷たく、美しかった。
背には淡く透き通る羽――現実よりも、幻想に近い存在。
「……君は?」
リアムの問いに、少女は静かに微笑んだ。
「私の名は、ノエル・グラシア。――魔女の一人よ」
その一言で、空気が一変した。
リアムの背筋が粟立つ。
魔女と名乗る者に良い記憶など一つもない。
彼の人生に災厄をもたらした存在――それが、魔女たちだ。
「また……魔女か。 君も僕を殺すのか。」
「そんなに構えないで。
今日は、戦いに来たわけじゃないの。
少し……話がしたいだけ。」
ノエルは霧の中を滑るように近づく。
だが、瞳の奥に宿るのは穏やかさだけではなかった。
底知れぬ何か――まるでリアムの内側を見透かすような冷たい光があった。
「あなたの中の力――それは本当に、人を救うものだと思う?」
「……何が言いたい?」
問われた瞬間、心臓が強く鳴った。
まるで核心を突かれたような痛みが胸を走る。
リアムは一歩後ずさるが、霧の地面は波紋を返すだけで逃げ場がない。
ノエルの指先が、静かに動いた。
「なら、試してみましょう――継承者の力を」
瞬間、世界が弾けた。
ノエルの掌から緑色の魔法陣が展開し、そこから炎が渦を巻く。
風が刃となり、水が鎖のように絡みつき、土が槍となって飛び出す。
四大属性の奔流が、ひとりの人間に容赦なく襲いかかった。
「くっ――!?」
リアムは反射的に横へ跳び、迫る火球を躱した。
だが、避けると同時に、彼の体を冷たい衝撃が貫いた。
視界が白く塗りつぶされ、感覚が遠のいていく。
『私はね、リアム。あなたが嫌いなの。
だから――また私と出会ったとき、あなたがその力を手放したくなるほど、苦しめてあげる。』
ノエルの声は、まるで風のように遠ざかっていった。
『今日は……ただの忠告。
けれど次は――全力で試すわ、継承者リアム』
その言葉を最後に、世界が音を失った。
光も、声も、痛みすらも消え――リアムの意識は、深い闇へと沈んでいった。
◇ ◇ ◇
朝。
木々の隙間から柔らかな陽光が差し込み、鳥たちの囀りが静寂を破った。
焚き火の灰は夜の名残を留め、白い煙がゆるやかに空へと昇っていく。
リアムは自分のベッドの中でゆっくりと目を開けた額には汗が滲み、胸の鼓動が早い。
何か――恐ろしい夢を見ていた気がする。
だが、内容を掴もうとするほど、霧のように消えていった。
「……夢、か?」
ぼそりと呟くと、下の階へ降りた。
セラが調理場に立っており、鍋に何かの食材を入れている。
ローブの袖をまくり、銀のスプーンで鍋の中をかき回していた。
「おはよう、リアム。珍しいわね、寝汗なんて」
「うん……なんか嫌な夢を見た気がする。
でも覚えてないや。」
「そう。 きっと寝苦しかったのね。」
セラは肩をすくめると、火にかけていた鍋の蓋を閉めた。
リアムは顔を洗い、軽く朝稽古を終えて戻った。
すると、立ち上る湯気とともに――香ばしいような、しかしどこか焦げ臭い匂いが漂う。
「さぁ、朝食よ!
セラ特製、森のキノコと野草のスープ!」
明るい声とともに、銀の椀に注がれたそれは灰色がかった緑色をしていた。
表面には何かの泡がぷくぷくと浮かんでいる。
リアムは思わず顔を引きつらせる。
「お、おいしそう……かな?」
「当然でしょ! 野草は夜のうちに採ったのよ。
魔力を帯びた薬草も少しだけ混ぜてあるの!」
彼女の笑顔は眩しいほど自信に満ちている。
だが、その横でレオンは机の傍に腰を下ろし、持っていた王国の補給用乾パンを静かに取り出していた。
「……セラの料理は、実験体になる勇気が要るからな」
「ちょっとレオン! 失礼ね!」
「安心しろ、悪い意味だ。
俺はまだ死にたくないだけだ」
レオンが淡々とパンをかじる。
セラは真顔でレオンを睨み、リアムの方へ鍋を差し出した。
「ほら、リアムはちゃんと食べてくれるわよね?」
「え、えっと……」
視線の圧。
リアムは一瞬レオンを見るが、兄のような男は小さく首を振るだけだった。
――つまり、やめておけという無言の忠告。
しかし、作ってくれた気持ちを無下にはできない。
リアムは覚悟を決め、椀を受け取った。
「いただきます……」
一口、飲む。
次の瞬間――喉の奥から何とも言えない熱と痺れが広がり、視界がぐにゃりと歪んだ。
「っ……!? ごほ、ごほっ!!」
リアムは思わず口を押さえ、地面にしゃがみ込んだ。
涙目で見上げると、レオンが溜息をつきながら水を差し出してくる。
「ほら、言わんこっちゃない」
「……だ、大丈夫……ちょっと……苦いだけ、だから……」
「ちょっとって顔じゃないぞ。完全に毒見だな」
セラは腕を組み、ため息をつきながら呟いた。
「やっぱり、異世界人でも無理なのね……」
「やっぱりってどういう意味だよっ……!」
リアムが泣き笑いしながら訴えると、レオンがくすりと笑った。
「リアム、お前は本当に仲間思いだ。
だが、次からは死ぬ覚悟で食え」
「フォローになってないよ、レオン!」
セラは顔を背けつつ、もう一度鍋を覗き込んだ。
魔力の残滓が淡く揺らめき、泡が弾ける音がする。
「……でも、改良の余地はあるわね。
次はもう少しマシになるはず」
「次!? ま、まさかまた……」
「もちろんよ! 次も実験よろしくね、リアム」
リアムの顔が青ざめる中、レオンは肩を震わせて笑いを堪えていた。
そんな朝の光景に、焚き火の煙がゆるやかに溶けていく。
リアムはまだわずかに残る吐き気を抑えながら、遠くに目をやった。
風の向こう――深い森が霞のように揺れている。
それが、彼らの最初の目的地――《エリュシオンの森》。
「……さぁ、行こうか」
レオンの声に、リアムは息を整えて立ち上がった。
夢の内容は思い出せない。
けれど、胸の奥に残るざらついた不安が静かに疼いていた。
それでも今はただ、仲間と共に歩む。
彼の物語は、まだ始まったばかりだった。
次回::リアム修行の日々
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