第115話 アークハウスの夕刻、地獄の説教
──移動要塞アークハウス・夕刻。
戦闘の余韻が、まだ訓練場の空気にわずかに残っていた。
鉄の床には拳の跡がいくつも刻まれ、砂埃が静かに舞っている。
アルトとリアムの激突は終わり、ようやく静寂が戻っていた。
リアムは息を吐きながら、先ほどの勝負を思い出し、心が軽かった。
怒りも疲れも、今はすべて空っぽ。
代わりに、妙な達成感だけが残っている。
「……さて、仕事を終わらせるか。」
彼は汗を拭きながら執務室に戻り、机の上に残していた書類を再び手に取った。
ペン先が滑る音が再び響く。
魔力石の残量報告書、補給物資の使用記録、次回の遠征経路の確認――。
やることは山ほどある。
だが今は、不思議と手が軽かった。
やがて最後の署名を終え、リアムはペンを置いた。
「……これで終わり。」
小さく呟く声に、充実感がにじむ。
外の窓から差し込む夕陽が、赤く机を照らしていた。
「よし、次は夕飯だな。」
彼は軽く伸びをして立ち上がると、ロビーの方へ向かった。
鍋の準備、火加減、調味料の配分――全ては頭に入っている。
いつもの日常、いつもの時間。
だがその日だけは、空気が違っていた。
──ロビーに足を踏み入れた瞬間、リアムは固まった。
「……うわ。」
視界の中央、ソファの前。
そこには雷雲のようなオーラを纏ったセラがいた。
眉間に皺を寄せ、腕を組み、笑顔ひとつない表情。
いや、むしろ──その笑顔が怖すぎた。
床の上では、アルトが正座させられている。
目を閉じ、背筋を伸ばし、完全に観念した姿勢だった。
その周囲には、張り詰めた沈黙。
レオンの姿は、どこにもなかった。
リアムは、全てを一瞬で理解した。
『……なるほど。
俺とアルトの決闘でアークハウスの壁が……』
脳裏に、訓練場の天井を吹き飛ばした光景が蘇る。
アルトの体が床をぶち抜き、鉄板が宙を舞ったあの瞬間。あれを見逃すセラではない。
リアムは、無言でくるりと踵を返した。
階段の方へ向かい、静かにその場を離れようとする。
──が、カン、と鈍い音が響いた。
見上げると、階段の入り口に薄い魔力の膜が張られている。
透明な障壁。
出口、封鎖。
「……詰んだ。」
背後から、柔らかな、しかし底冷えするような声が聞こえた。
「リアム。私から逃げられると本気で思ってる?」
振り向けば、セラが満面の笑みで立っていた。
その笑顔の奥、目だけがまったく笑っていない。
リアムは即座に悟った。
逃げ道は、どこにもない。
「……誰か、助けて。」
淡々としたその一言が、静かなロビーに虚しく響いた。
──そこから先は、まさに地獄だった。
「まず聞くわ。
アークハウスの壁を壊した理由、何かしら?」
セラの声は低く、ゆっくりとしたテンポで続く。
リアムとアルトは、並んで正座。
どちらも目を合わせようとしない。
空気が重い。
息をするのも罪に思えるほどだ。
「いや、その……ちょっと勢いが出ただけで……」
「うっかり拳が……」
「床が薄かったんだ……」
セラの目が細く光る。
「床が薄かった? ……それ、言い訳?」
アルトとリアムは同時に首を横に振った。
「いえ、すみません。」
「いいわね。じゃあ次。修理費、誰が払うと思う?」
「……えっと、王国……?」
「……整備班……?」
「違うわよ。あなたたちの給料。」
ピシッと音がした。リアムの背筋が凍りついた。
アルトは膝の上の手をわなわな震わせながら、心の中で泣いていた。
その後の説教は、もはや時空が歪むほど長かった。
「魔力の扱い方に責任を持ちなさい!」
「アークハウスは王国の財産なの!」
「鍛錬はいいけど、破壊活動は違うでしょ!」
リアムは途中で意識が遠のき、何度か気を失いかけた。
アルトも「はい」「すみません」しか言えず、まるで死人のような顔になっていた。
気づけば外は夜。
窓の外には星が瞬き、すでに夕食の時間を過ぎていた。
「──はぁ。説教、以上。」
二人は、魂の抜けたような顔で項垂れたのだった。
次回:静かな晩餐──明日は巨人の国
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