第99話 リアム、ごめん。これは鬼燐の恋のためだ。
朝の光が、鬼人の村をやさしく包んでいた。
昨日までの喧騒が嘘のように静かで、鳥のさえずが澄み渡る。
戦の焼け跡も、今は朝露に濡れて穏やかに輝いている。
リアムは肩に荷を背負い、村の門へと歩いていた。
白い息が朝の空気に溶ける。
長い滞在を終えた彼の足取りは、どこか名残惜しさを帯びていた。
「……一ヶ月か。」
呟いた言葉が朝霧の中に消える。
鬼人たちとの日々は短かったが、濃密だった。
戦いの中で救われた命、修復された家々、そして新しく結ばれた絆。
彼にとって、それは旅の節目とも呼べる経験だった。
門へ向かう途中、背後から聞き慣れた声が響いた。
「おはよう、リアム。」
振り返ると、アルトが立っていた。
いつもと変わらぬ笑顔。
だが、その表情の奥にはどこか迷いが見える。
「アルト、おはよう。」
二人は軽く挨拶を交わし、並んで門の方へ歩き出した。
「ここで会えたなら、このまま鬼人の村を出て、アークハウスに向かおうか。」
リアムが提案すると、アルトは一瞬顔を曇らせ、そして両手を合わせて頭を下げた。
「すまない、リアム。……今日は行けなくなった。」
リアムは驚いたように立ち止まり、彼の横顔を見た。
「どういうことだ?」
「急な魔物狩りを頼まれたんだ。
村の西側で異常が出てるらしくて、俺が行くことになった。」
「そうか……」
リアムは短く呟くと、すぐに言葉を返す。
「じゃあ、俺も手伝うよ。」
リアムが申し出ると、アルトは首を振り、笑って見せた。
「大丈夫だ。魔物程度、俺一人で十分だ。」
「そうかもしれないが……アルトの道案内がないと、俺はアークハウスに戻れないんだぞ。」
リアムの正直な言葉に、アルトは苦笑いを浮かべた。
そしてポンとリアムの肩を叩く。
「安心しろ。
昨日のうちに案内を頼んでおいた。」
「頼んだ? 誰に?」
「お嬢――鬼燐に、だ。」
リアムの眉がわずかに動いた。
「鬼燐さんに……?」
「そうだ。
あいつ、方向感覚も良いし、護衛にも向いてる。
道案内としては申し分ない。
門の前で待ってるはずだ。
……すまんな。」
アルトはそれだけ言うと、踵を返した。
軽く手を上げて笑う。
「じゃあ、行ってくる。
お前は気をつけて行けよ。」
リアムが「ありがとう、アルト」と呟いた時には、もうその姿は朝霧の向こうへ消えていた。
風が静かに吹き抜ける。リアムは息を吐き、再び歩き出した。
次回:紅き着物、揺れる心
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