第2.5話 ブラックコーヒー
原稿を二階にある自分の部屋に隠しながら、私は改めて静流君のことが好きだと実感していた。だって普通の人なら少なからず気になったり、見ようとしちゃうはずだもん。かくいう私だって小さい頃、何度か静流君が描いていた漫画の原稿を覗き込んだ。
それなのに静流君は――
「やっぱり静流君が描いてくれないかな」
小子さんにはダメって言われたけど、今も私の頭の中には静流君しかなかった。
私の小説を漫画にしてくれる人なんて。
仮に問題があるとすれば、それは私の小説を静流君に見られちゃうこと。
それって告白と何も変わらないよね。
小子さん曰く、私の小説は盛大な静流君へのラブレレター。
静流君への大好きで溢れてるみたいで、改稿ではその辺りを少しだけ抑えるように言われた。読むのはあくまでも一般の人だから。でもコミカライズ版も出すと聞いた時、頭の中にあった最初の読者はいつも静流君で。
「静流君が今も漫画を描いてたら、話が早かったのに」
原稿を隠し終えて、一気に肩がガクーンと下がる。
少なくても今の私じゃ、まだ静流君に本当の気持ちは伝えられない。
お母さんみたいな漫画は描けないけど、いつかお母さんぐらい有名な小説家になって。その時が来たら、包み隠さずに静流君へ伝えるつもり。私のずっとずっと静流君に抱いて来た大好きの気持ちを。……静流君の彼女さんになれるなら、その前に告白しちゃうのもアリだけど。
***
一階にある喫茶店に戻ると、私との約束通り未だに静流君が店の外で待っていた。
いつもは平然と約束を破るくせに、私が本当に嫌がった時や護って欲しい約束は待ってくれる。そういうところも静流君の大好きなところの一つ。これでもいつも感謝してるんだよ。たぶん、ほとんど態度には現れてないと思うけど。
「ごめんね、静流君。お客さんなのにお店の外で待たせちゃって」
カランコロン。とベルが軽い音を奏でる。
すると店先でズボンのポケットに手を入れていた静流君が、見上げていた青空から視線を落として柔らかく笑った。
「気にすんな」
いつも見るその自然過ぎる笑顔に思わず胸がドキッとする。
学校の皆は静流君の髪型だけを特徴的って言うけど、他にも特徴的――格好いい部分なら沢山あるんだよ。ただいつも不器用で、周りの人に気づいてもらえないだけ。でも私は小さい頃からずっと見て来たから。静流君の目には見えづらい優しさを。
「今日も飲み物はブラックコーヒーで良いんだよね?」
「おう。とびっきり苦いコーヒーで頼む」
「ランチメニューはどれにする?」
「う~ん。ぶっちゃけミチルの料理なら何でもいいんだけど……」
静流君を引き連れて店の中へ戻った私は、彼をカウンター席へ案内した。
そこがいつもの彼の指定席。ご飯を食べたり、コーヒーを飲みながら店員の私とくだらない世間話をしたりする。それが静流君の食事スタイル。私も時には静流君の隣で賄いを食べたり。そんな習慣が、お母さんが頻繁に入院するようになって以降出来上がっていた。そして今では毎日、ウチへ食べに来るほどの常連客で。もしかしたら、お母さんがいなくなった私の心の傷を埋めるため。そのために毎日通ってくれてるのかも。本当に優しさのベクトルが他の人と違うんだよね。しかも本人は無意識だし。
「よし、決めた。今日はサンドイッチにしよう」
カウンターについてからしばらくして、ようやくメニューを決めた静流君。
その間に私はコーヒー豆を挽いて、静流君の所望通りに熱いブラックコーヒーを淹れた。でも実は静流君――
「相変わらず手際が良いな」
「もう何年もやってるんだもん。これぐらいできて当然だよ」
「じゃあいただきます」
砂糖もミルクも入れないで、今日も完全ブラックでコーヒーを嗜む。
すると一口飲み終えた後――
「うげ~。口の中が滅茶苦茶苦い」
ブラックコーヒーの苦さに負けて、カウンターに突っ伏していた。
静流君はどちらかというと甘党の部類に入る男の子。
だけどいつもコーヒーだけはブラックを選び続けてる。
その理由は静流君の趣向というよりも私の為に近くて。
「もう無理して、お母さんの代わりに飲まなくてもいいんだよ」
「いや、飲む。おばさんだって、俺の体を通してミチルの淹れたコーヒーが飲みたいはずだから」
静流君が苦手なブラックコーヒーを飲む理由。
それはブラックコーヒーが大好きだった私のお母さんのため。お母さんの弟子だった静流君が私の淹れたコーヒーを飲むことで、間接的に私のお母さんにコーヒーを飲ませるんだって。すごく無茶苦茶な暴論だと思うけど、静流君はウチのお母さんが入院して以降定期的に私が淹れたブラックコーヒーを飲んでた。それでお母さんが亡くなってからは毎日のように、私のコーヒーを飲んでくれる。
それが静流君なりの思いやり。
本当に少しズレてると思うでしょ。
でも私、嫌いじゃないよ。
そんな静流君も、静流君の考え方も。
何よりも漫画を描くことを辞めた今も、お母さんを大切に思ってくれているのがわかるから。だからこそ私は、静流君に私の小説のコミカライズを担当してもらいたいわけで。だって絵が下手な私から見ても、静流君の絵はすごく上手なんだもん。
それに思い出を共有している静流君なら、私の理想とする漫画を描いてくれるはず。
「静流君はさ。もう漫画は描かないの?」
「……時期が来たらまた描くさ」
コーヒーを飲んでいた静流君の目が、あからさまに私から逸らされる。
やっぱり。もう静流君に漫画を描く意志はないみたい。
だとしたら、またその世界に引っ張ってあげるのも私の役目だよね。
静流君が弟子としてお母さんの分のブラックコーヒーを飲んでくれるなら、私は娘としてお母さんの代わりに静流君の背中を押してあげたいから。
もちろん、それは私の小説のコミカライズを担当してもらうため。
だけどそこが終着点じゃないの。静流君には自分の作品も描いて欲しいの。
だって子供の頃、静流君は確かに私の周りにいる誰よりも漫画家を目指していたから。
それに私にはわかるよ。静流君には漫画家としての才能があるって。
だからこんなところで、本当に持ってるはずの夢を捨てて欲しくない。
「静流君にもう一つ聞いてもいい?」
「別に構わないけど、聞いたらちゃんとサンドイッチを作りに行けよ」
お腹を空かせた様子の静流君に対して、私は小さく頷いた。
そして彼の瞳を真っ直ぐに見据えて口にする。
「アルバム以外にも私たちの記録があるって言ったら、静流君はどうする?」




