第1話 ポンコツ漫画編集
高校二度目の春が訪れるまでの短い春休み。
場所は俺の家にある仕事場兼俺の自室。
俺は仕事机に座って怒鳴り声を上げていた。
「ミチルにバレたらどうするつもりだ‼」
打ち合わせのために見本誌を手にして、ウチへやって来た担当編集。
俺はベッドの上に座るその男のある連絡事項を聞いて、怒りを露わにしていた。
「なんでサイン会なんて仕事を取って来るんだ」
「何を言うんですか、サイン会ですよ。むしろ取ってきた僕を褒めて欲しいぐらいです」
アロハシャツを着たとても編集とは思えない男。
このなんともボーっとした男が俺の新しい担当だ。
名前は編沢漫徒。去年の四月、大学を卒業後にすぐウチの編集部へ就職してきたらしい。
それにしても編集部の人間は誰も、俺に関するタブーを教えてないのかよ。
「編沢。前の担当からノートを渡されなかったか?」
「安心してください。あれなら編集部の僕の机の中です。最終回のネームですよね」
「違うわ‼ つうかお前、絶対に一度も開いてないだろ‼」
「当然です。僕、読んでない漫画でも最終回はちゃんと単行本を買って読むタイプですから」
編集長のオッサン。なんで俺にこんなポンコツを預けたんだよ。
今すぐ殺してやりたいぐらい憎たらしい。
「どうやら先生も驚いてるようですね。僕の優秀な働きぶりに」
「ああ。それはもうとてつもなく驚いてるよ。お前の所為で俺は近々切腹せにゃならん。『漫画家くんと幼馴染ちゃん』は、作者死亡により永久休載だ。全部、お前の所為でな」
俺が描いている漫画は俺とミチルを題材にしている。
そしてその事実を隠すため、俺は自分が学生漫画家だということをミチルに隠してる。
つまり顔出しNGの作家として活動しているわけだ。
それなのにウチのポンコツときたら。
「とにかくサイン会はキャンセルだ」
「え~。もう無理ですよ。整理券はもう配り終わっちゃいましたし。そもそも『月日』先生初のサイン会じゃないですか。読者の皆さんは先生と会える日を心待ちにしてます」
「最もらしい正論を行ってるけどさ。俺、何度も言ってるよね。顔出しはNGだって」
「問題ありませんよ。先生のブサイクな顔なんて誰も――」
「誰がブサイクじゃ‼ お前は俺が今までサイン会をして来なかった理由。それをちゃんと考えろ‼」
俺は今週の見本誌をたまらず、編沢の顔面へお見舞いした。
編沢の鼻からポタポタと血が垂れていたが、ここは一切お構いなし。
「どうするんだよ‼ ミチルに俺の仕事のことがバレたら破滅だぞ‼」
「大丈夫ですよ。先生の幼馴染さん、先生と同じで鈍いですから」
「……その言葉、お前だけには言われたくないんだが」
編沢漫徒には義理の姉がいる。名前は編沢小子さん。
新人一年目の時にミチルのところのおばさん――日向雫の担当編集を務めていた女性だ。その人は現在、小説部門に異動したらしいが、ミチルと交流があるため俺も何度も遭遇している。それで交流する中で気づいたんだけど、どうやら小子さんはこの義弟に好意を抱いてるらしい。ラブコメ漫画家である俺の太鼓判だ。これは信じてもいい。
ただしその気持ちは編沢には伝わっていない。
さてはこいつ、鈍感系ラブコメ主人公様だな。
本当、ロクでもない属性持ちだ。
「ところで先生。小説部門の方からコミカライズを担当して欲しいと――」
「……お前は本当に俺の了解を得ずに仕事を持ってくるな」
「お褒めに預かり光栄です」
「早くお前、解雇とかにならないの?」
編沢から渡されたのはプリントアウトされた小説だった。
主人公は小説家の女の子。内容は主人公とその幼馴染の男の子の恋愛もの。
一見すると俺の漫画と酷似しているけど。
「先生の漫画よりも色々と綺麗ですよね?」
「ば、バカ。俺の漫画はあくまでもラブコメだぞ。ギャグありきなんだ、ラブだけに擦り寄ってる作品とは違うんだよ。それに俺の場合は主人公が男で漫画家なんだぞ。そこが大幅に違う。だから比べる必要なんて微塵もないさ」
俺は読み掛けの小説を静かに机の引き出しにしまう。
編沢がいると静かに読めそうもない。
あとで一人の時にコッソリ読むとしよう。
「コミカライズの件は了解した。月刊ならギリギリ週刊と併用しても描ける」
「先生、話作りは苦手ですけど。ペンだけは早いですもんね」
「バカ言うな。話作りだって得意だろうが。現に読者アンケートも常に5位以上をキープしてるんだぞ。それはつまり俺の話が面白いって――」
「いえ。恐らく先生が題材にしてる先生の日常が面白いだけかと」
編沢の言葉に俺は思わず椅子から転げ落ちそうになった。
確かに俺の場合、題材が自分やミチルのことじゃなかったら漫画家になんてなれなかったはずだ。今なんて漫画を描く時、ミチルによく似たヒロインを世間に広めるために書いているようなもの。話作りよりも確かに絵の方へ集中している。でも俺としては売れているんだから、別に気にするようなものでもないと思うけど。
「よし。連絡事項は今ので終わりだな。ならちゃんと原稿の話をしようぜ」
俺は既に書き上がったネームを編沢に見せつける。
次に描く話は去年の俺とミチルの誕生日を題材にした話だ。
名付けて――
「バースデーパニック④ですか?」
「今までも誕生日ネタはやって来たからな。今回は高校入学直前の誕生日回だ」
「僕、今までの誕生日回を知らないんですが――」
「担当ならちゃんと原作読めよ‼」
「む、無理ですよ。だって『マンオサ』の単行本って15巻以上出てるじゃないですか」
「お前、それでも俺の担当編集かよ」
なんで小子さんは移動しちゃったんだろう。
あんな優秀な人、なかなかいないと思うんだ。
現に当時、病気で大変そうだったおばさんに間隔連載を提案してみせたし。最初の打ち合わせまでには、おばさんの50巻近い漫画を全部読み込んで着ていた。それなのに編沢は驚くほどのポンコツで。ミスどころか、俺の漫画の内容についてもほとんど理解してない。恐らく編沢が知っているのは、俺が自分のリアル恋愛をモチーフにして漫画を描いていることだけ。それ以外は本当に何も知らないと思う。やっぱりポンコツだ。
そして打ち合わせが終わり、ウチの玄関前。
「サイン会の方は、ちゃんとお前の方でキャンセルしておけよ。俺は昼飯に行く」
「また幼馴染さんの御実家ですか? 本当に好きですね」
「別に何もおかしくないだろ。ただ、行きつけの喫茶店に行くだけだ」
俺はまだ四月前の澄んだ青空を見上げた。