友達ならいませんが?
よほど疲れていたのだろう。あるいは猛吹雪で自覚していた以上に体力を持っていかれたか。俺もまたナナと同じく、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
目を覚ましたのは、奇妙な動物の鳴き声が遠くから聞こえたような気がしたからだ。
身を起こして身構えると、ナナは背中を壁にあて、真剣な表情でエメリオの隠し部屋から洞窟をのぞき見ていた。
「ナナ」
ちなみにエメリオの部屋の岩扉は開きっぱなしだ。どうやら中からは閉められない構造らしい。もしかしたら何らかの方法があるのかもしれないけれど、俺にはわからなかった。
ナナが振り返る。
「もー。やっと起きた。よくもまあこんな状態で寝ていられるわね」
「どの口が言うんだ」
ナナにかけたはずのローブが、俺にかけられている。
案外いいところもあるじゃないか。
「先にぐーすか寝てたろ。それより、いまの鳴き声は――?」
「わかんない。でも……」
不安げな顔で言葉が途切れた。
言わんとすることはわかる。俺も同じことを考えた。いるのかもしれない。『神竜戦役』のモンスターが。本当に。このゲームだかリアルだかわからない世界にも。
「ううん、まだ遠いわ。救助が来てくれるかもしれないし、少し様子見する?」
自分がどこにいるのかさえわかっていないのに、そんなものが来るだろうか。誘拐されてどこかに放り出されたのだとしたら、可能性はなきにしもあらずだが。
とにかくいまは、生徒を連れて危険なことをするわけにはいかない。
「そうだな」
けれど食糧がない以上は、いずれは動かねばならなくなる。それも早い段階で。
ナナがこちらに戻ってきて膝を折り、俺の隣に腰を下ろした。気を紛らわせたいのか、何かを言いたそうにしている。
こちらとしても、生徒の不安は可能な限り取り除いてやりたいところだ――が。
「ねえ、Mって学生よね? わたしの知ってる人なら、そろそろ名前とか教えてくれてもいいんじゃない?」
よりによって、その話題か。そうだな。そうだった。ナナは一方的に俺に正体を知られていることで、不安になっていたのだった。
だが、俺としてもおいそれと正体を話す気はない。模範となって若者を導くべき教師のくせに、どっぷりゲーム世界にはまっているだなどと噂を流された日には、理不尽なモンペから抗議の電話が職員室に殺到する。
世の中には日夜まじめに叩けるものを探している暇な連中もいる。芸能人や教師は格好の餌食だ。
俺は視線を逸らしてつぶやいた。
「俺には興味ないんだろ。たかがネトゲで知り合ったくらいで、あれこれ詮索するなよ」
「いいじゃん、別に。それにわたしだけ知られてるのはフェアじゃない」
自爆したくせに。
「ヒント! ヒントだけ!」
「ヒントもやらん。その迂闊さで名前バレしたのは誰だ?」
七海七菜香とは違って、ネットでの俺は秘密主義だ。
「嫌な言い方。あんた、リアルに友達いないでしょ。や~い、陰キャ」
「その通りだが?」
こちらが素直に認めると、ナナは少し慌てたように付け加えた。
「あ、えっと。ごめん。冗談だから落ち込まないで」
「謝られると余計に傷つくんだが?」
見ろ、こみ上げてきたぞ。涙が。
「あー、あはは。その、実はわたしも色々と忙しくて、そういうの少ない方だし」
七海の中では、どうやら一方的に話しかけてくるだけのクラスメイトや生徒会の仲間なんかは友人には数えられないようだ。報われんなあ。
……まあ、でもそうか。俺だって同僚を友人だとは思っていない。たまに学校帰りに飲みに行く英語教師の田中くらいのものだ。それでも完全なプライベートでは不干渉だ。あいつの趣味はアウトドアらしいしな。
そのときだ。
――…………ギァ……………………ッ……。
「いまの!」
「少し近づいたな」
猿か。あるいは鳥か。まったく正体のつかめない鳴き声だ。……現実ではな。だが仮想では聞き覚えがある。
ナナが姿勢を変えて、怯えるように俺に近づいてきた。
「な、なんだと思う? まさか本当に魔物なんていないよね?」
「わからん。わからんが、氷棺やエメリオの洞窟があって晶石まで存在してる」
――………………ギャア……ァ……ァ……。
魔物らしき声がしている。まだ遠い。
この『神竜戦役』というゲームでは、エメリオの洞窟には高位の魔物が多く棲み着いている。ゲームの最終ダンジョン候補とくれば、その強さも伺い知れるというもの。特にレイゼリアの肉片から生まれたという設定の、古竜の眷属は厄介だ。本当にいるなら、なるべく遭遇は避けたい。
ふとナナに視線を向けると、彼女のグリーブの隙間から見覚えのある靴下が見えた。
俺は素っ頓狂な声をあげる。
「お、おい、それ!」
「何よ? ……あ、見えてた!?」
慌ててスカートの股ぐら部分を押さえた。
「靴下のことだっ」
「靴下? そんなんに興味あるの?」
「ちーがーう! よく見ろ、その靴下を」
「普通の学校指定の靴下でしょ。………………え?」
ようやく違和感に気づいたようだ。
そう、学校指定だ。この仮想世界で、それは絶対にあり得ない。
俺は自身のパンツの腰紐を引っ張って、下着を覗く。
「……チクショウ、俺のだぞ」
「それって、リアルにってことよね?」
「そうだよ。灰色のボクサーだ。メーカーまでリアルと同じだ」
同時に顔を見合わせた。
その後、徐々に血の気が失せていく。
「ちょっと、嘘でしょ……。やっぱりゲーム世界じゃなかったってこと……?」
「コンソールに下着姿をスキャンさせるアホはいないだろ。いたとしても、そもそも『神竜戦役』は全年齢対象のゲームだ。そんな姿では最初の街にすら立てん。それどころかキャラクリしてもアバターの完成ボタンが押せない仕様になってるはずだ」
ナナがジト目になった。
「……試したの?」
「ちがわぃっ! 何だその目は!? リアルは当然として、仮想世界であっても俺に露出の趣味はない! そういうネットの記事があったんだよ!」
「あははははっ、必死っ」
「人を指さして笑うな」
楽しそうだ。学校ではこんな満面の笑顔など見たことがない。友人に向ける笑顔だろうか。友達が少ないと自称したのは、七海の中では本当のことなのだろうな。
……ということは、七海にとって〝M〟は友人のカテゴリーなのか?
無駄に一歩前進してしまったようだ。ちくしょうめ。
「あはは、ごめん。冗談じゃぁ~ん」
「わかってるよ!」
それでも釈然としない、この関係性よ。
俺はおまえの倍は生きてる担任教師だぞ。いっそばらしてやろうか。内申点にびびってひれ伏すがいいわ。いや、だめだだめだ。正体を明かせば今後の仕事に支障を来す。我慢だ。我慢。
しかし、そうなるとだ。
ここは『神竜戦役』のアクアティアをリアルで再現した空間ということか。だがレイゼリアの氷棺を含め、エメリオの洞窟まであるとするならば、こんな規模をどこに建設したというのだろう。ましてやたかだかゲーム会社が天候まで操り猛吹雪を再現するだなどと、あまりに荒唐無稽。
ナナがのんきに言った。
「まるで異世界転生みたいだね。ほら、最近流行りのやつ」
「……」
もしも、もしもだ。
ここがアクアティアを再現した世界なのではなく、アクアティアこそがここを再現したゲームなのだとしたら。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
 




