一晩一緒は怖いしぃ
エメリオの洞窟だ。凍った岩肌に、ぽっかりと口を開いている。これがあるということは、やはりここは『神竜戦役』の世界、アクアティアということになる。
「信じられん。本当にゲーム世界なのか?」
だとするならば、デスペナ覚悟で死ねばリスポンできる……?
「ここらへんのリスポン地点はどこだったか……」
「にににに人間族は知らないけど、魔族はオオオルネアという小さな町だったと思う」
もはやつま先の感覚がない。全身を針で刺したかのような痛みはある。呼吸のたびに内臓が冷えて、吐く息は白く濁り、吹雪に連れ去られてすぐにかき消される。数値化されていないライフゲージが抜けていく感覚だ。極めつけはログアウトできない。
ローブの中のナナが震えながらつぶやいた。
「でも、た、試さない方が、いいと思う。そそれより、は早く洞窟入ろ」
「そうだな」
中はほんのり暖かく感じられた。
ほとんど同時に、ふぅと息を吐いた。
もぞもぞとナナがローブの中から出てきた。
「うう、あんがと。正直助かったわ。今度戦うときは手加減してあげる」
「上から目線だな。昨日は俺の勝ちだったろ」
次はちょっと勝てそうにないけども。
屈託なく、ナナが笑う。
「へへ~、あんなまぐれはもう通用しないよ」
ですよねー。
まあ、別にいいか。嬉しそうだし。それに長時間吹雪にさらされたにしては元気そうだ。むしろ俺の方がぎりぎりかもしれん。
これが若さか。認めたくはないものだ。
あるいはレベルの差が出ているという可能性もある。だとしたら、やはりこの世界はゲームの中なのだろうか。
いや、いまは仮想か現実かなど考えるだけ無駄だ。俺はさておき、ナナには家族がいる。いざとなれば家族がナナの肉体をコンソールから引き剥がすだろうし、そうなればナナは唐突にこの世界から姿を消すはず。デスペナ覚悟の自死はそれからでいい。
ナナが俺の眼前で手を振っている。
「お~い。どしたー、M? 寝落ち?」
「これからどうしようか考えてただけだ」
いずれにせよ、しばらくは行動を共にしておくべきだろう。
あらためて周囲を見回す。まだ記憶に新しい岩肌だ。そりゃそうだ。昨日通ったとこだからな。
実際には氷点下に近い温度なのだろうが、それでも猛吹雪の吹き荒れる氷棺上よりは遥かにマシだ。しかし、どのみちこのままでは、ふたりとも朝まで保たないのは同じ。
ここが現実なら……。
現状、それを確かめる方法はない。ゲームのデスペナならばさておき、リアルのデスペナは取り返しがつかない。
「これからどうするの? 氷棺よりはマシだけど、これでもかなり危険な気温だよ。死ぬほど寒いからめっちゃ寒いに変わっただけだもん」
「氷棺側の入り口付近にはエメリオの遺産があるはずだ」
「なんそれ?」
俺は眉の高さを変えて彼女に視線を向けた。
「氷棺まで来てるのに、ストーリーを追ってないのか?」
「あー、うん。えっへっへ。効率重視でレベル上げてきたから、そっちはほとんどテキトー」
「NPCの話は聞かないタイプか。もったいねえ。『神竜戦役』はハナシも結構おもしろいのに」
俺の授業も聞いてないのかもな。聞く必要もないのだろうが。虚しい。
ナナが照れたように頭を掻く。
「そんな時間があるならモンスター殴りに行っちゃう」
「そらカンストするわけだ。ちっとは落ち着いてじっくり楽しめばいいのに」
唇を尖らせ、拗ねたようにナナが言った。
「だって時間ないんだもん」
だろうなあ。学業に生徒会、受験に習い事ときたもんだ。七海七菜香の日常は多忙だ。
ま、それならそれでこちらもその流儀に倣ってやろう。
俺は答えを待つ彼女に背を向けて、冷たい岩肌を凝視しながら歩く。
「それ何してんの?」
ここが『神竜戦役』の世界ならば、ここらへんにエメリオの隠し部屋があるはずだ。
「ねえ、ちょっと。無視しないでよ」
「俺のことはNPCだとでも思ってモンスターでも殴っててくれ」
「あはは、なんそれ。……いるの? モンスター?」
「知らん」
あった。細かく尖った自然の岩肌が、妙に削れて滑らかになっている部分がある。
俺は掌をそこに当てた。氷のように冷たい壁だ。そのまま力を込めて押す。ゴゴと石を擦り合わせるような音がして、壁の極一部がへこんだ。大地が鳴動し、岩肌がゆっくりと左にずれる。
「ええええええっ!?」
「穴掘りドワーフ、エメリオの隠し部屋だ」
中から現れた二十畳ほどの空間は、光に満ちていた。この洞窟内は当然として、少なくとも常に吹雪いている氷棺よりも明るい。
隠し部屋の天井には、半永久的に光を放つ光晶石が埋め込まれている。
俺はナナを手招きした。
「エメリオは人嫌いのドワーフでな。誰も近づかん氷棺近くに居を構えてたんだ。……あ~、ストーリーは省くが、趣味が穴掘りなだけあってエメリオのコレクションは大体が晶石や宝石類だ」
部屋の奥には半透明に輝く様々な色の晶石が、色ごとに分けられて積み上げられている。部屋の真ん中には赤色が多く、透明が少々。黄色もある。ちなみに光晶石は白だ。
そして――。
俺に続いて中に入ったナナが、目を見開いてつぶやいた。
「うわあ、暖かぁ~い……」
「白は光晶石で赤は炎晶石だ。黄色は危険だから素手では触るなよ。雷晶石だ。少しだけ積まれてる透明なのは氷晶石だな」
「さすがに晶石類くらいは知ってるわよ」
「そらそうか」
いかん。教師の性分が出てしまった。
自分ではあたりまえの知識だと思っていても、説明しなければわかっていない生徒は割と存在しているからな。その点、七海七菜香は優秀だった。
「炎晶石のおかげで部屋が暖かいね。横の氷晶石は温度調整用かな」
「たぶんな」
決して広くはない部屋を、ナナは物珍しげに見回している。
「へえ~。エメリオの洞窟にこんな部屋があったんだぁ」
いまの一言で、俺はまたひとつナナを理解した。
休憩も挟まずに氷棺まで辿りつく非常識な体力お化けだと。さすがはカンスト様だ。
何にせよ。
俺はほんのり暖かい壁にもたれて、そのまま背中を引き摺るように腰を下ろした。途端に疲労を自覚する。炎晶石のほど近くまで伸ばした足の指が、じわじわと感覚を取り戻していく。
「ここなら一晩くらいは越せるだろ」
「……えっ!? ちょ、ちょっと、同じ部屋で寝るの!?」
おい。
逆に問いたい。
「ちょっと待って!? 俺を氷像にでもするつもりなの!?」
「そういうわけじゃないけどぉ~。一応男女だしぃ……ちょっとなあ~って。ストーカーになるくらいわたしのこと好きな人と一晩一緒は怖いしぃ、名前はMでも夜はSになって突然ってこともあるかもだしぃ、見るからに目つきとかぁ……」
……と、散々こちらを警戒していた割に、ナナは横になって数秒で寝息を立て始めた。
嘘だろ、おい。いったいどうなっているんだ、Z世代。
ちなみに呪いの装備だけあって、妖刀はしっかり握られたままだ。俺はため息をついて、眠っているナナにローブを被せたのだった。
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