カイロと呪いの装備
俺の腕の中から転がりながら逃れた七海七菜香が、雪だらけの髪を振って俺を睨んだ。ご丁寧に両腕で自身を抱きしめるようにしてだ。
そのポーズやめてよね。俺が変態みたいじゃん。
「ちょ、ちょっとあんた! いまわたしに何をしようとしてたの!? それ犯罪だからね!?」
だが俺の意識はそこにはなかった。いや、多少はあったけども。
それよりも痛みだ。やはりというべきか、頬に痛みが走った。『神竜戦役』に限らず、VRを利用したゲームには感じるべき痛覚がない。ケガを負っても多少の衝撃とともに派手な血液のエフェクトが飛び散るだけだ。食事をしても味はないし、匂いもしない。本来ならばそういうものだ。
それに、もうひとつ。
「聞いてんの、M!?」
先ほどの彼女の行動。九鬼ではなくあきらかにMの扱いだ。要するにいま俺は装備だけではなく、顔や肉体までMの形を取っているということになる。
てか、Mって呼ばれたしな。
俺はため息交じりにつぶやいた。
「埋まっていたから助けようとしてたんだ。まさかこんな仕打ちを受けるとは」
「はあっ!? 埋ま……え……?」
ようやく気づいたらしい。
周囲を見回している。おそらく見たことのある景色だろう。俺の存在も含めて。だが、この身を切るような寒さは本物としか思えない。
七海は足下の雪に手を入れてからすぐに引き抜き、自分の息で手を温めながら俺を見上げた。
「え?」
「説明を求められても知らんぞ。俺もびっくりした。レイゼリアの氷棺のように見えるが、気づいたらここで倒れていた」
ナナは前髪に手を入れるようにして、何かを思案している。
数秒後、彼女は不安げに視線を上げてつぶやいた。
「……わたし、ログインした記憶ないんだけど……。……これ、ほんとにVR……? すごく寒い……」
同じく。リアルにしか思えない。
もしこれが安全に提供されたVR技術のひとつであるならば、昨晩から今日までの間に数十年分の技術革新と、人体における脳の解明が進んだことになる。知らんけど。
いずれにしても、あり得ん。
「俺に聞かれてもわからんて。ちなみに俺もログインした記憶はない。だから万が一のことを考えて、埋まっていた七海を――」
「ちょっと、ゲームの世界で七海って呼ばないでよね!」
俺はちょっと照れながら言い直した。渋い声で。
「七菜香を助けようとしたんだ」
勢いよく首を振って叫んだ。
「名前はもっとだめぇ!」
「だめか」
「ナナ、ナナよ!」
意外と元気だな。そんなことを気にしている場合ではないはずだが。
「わかった。ナナナナだな。呼びにくくて噛みそうだ」
「二文字でいいからっ」
「冗談だ」
「性格わっる……」
「とにかく、氷棺に続くエメリオの洞窟へ向かおう。少なくともこの猛吹雪はしのげる。このままじゃふたりとも数十分と保たん。ライフゲージも見れないが、たぶん相当減ってるはずだ」
七海――ナナがあらためて寒さを感じたかのように、両腕で自分を抱きしめるようにして首を縮めた。
ほとんど制服と変わらないほど軽装のナナだ。ローブがない分、俺よりも危機が迫っている。いまは〝M〟という危険人物と出くわしたことによってドーパミンだかアドレナリンだかが出ているだろうが、冷静に戻ればかなりまずい。すでにガチガチと歯を鳴らし始めている。
「おい、七海――」
「ナナ!」
「どっちでもいいよ。おまえ、レベルカンストなら魔術もある程度持ってるよな? 炎の魔術で暖を取れないか?」
「無理。攻撃魔術を使ったって火は一瞬で消えるもん。燃やせるものがあれば別だけど」
やはりエメリオの洞窟まで歩くしかないか。
けど、ナナはすでに顔色を失ってしまっている。唇も白くなってしまっている。相当まずい。
……この険悪な関係性では気が進まないが。
俺は双竜牙の紅を鞘ごとナナに投げた。
「わ、ちょ――」
「カイロ代わりに持ってろ。鞘越しでもほんのり温かいはずだ。俺にはローブがあるから」
「え……。い、いいわよ。どうせ死んだって街でリスポンできるでしょ」
ため息をついて眉をひそめる。
「それを試す勇気があるなら返してくれ」
実に荒唐無稽な話ではあるが、俺にはこの世界が本物のように思えて仕方がない。要するに、死ねばそこまでだ。肉体もアバターではなく、本物のように感じる。ナナが俺を見て〝M〟と呼んだ以上、いまの俺の姿もまた九鬼慶次郎ではないのだろうが。それでもだ。
ナナがうつむいてから、すぐに顔を上げた。
「ない。ごめん。借りる。担保にわたしの太刀を渡したいところだけど、これ外せないんだよね。魔物を寄せる上にステにデバフのかかる妖刀だし。……あ、やっぱだめ、外れないや」
デバフ!? あの強さで!?
ナナは腰の太刀を外そうと、ガチャガチャやっている。
「呪いの装備じゃねえか!? なんつうもん使ってんだ!」
現状、呪いを解く方法は未実装だ。あるいはまだプレイヤーには明かされていないし、その方法に辿りついた者もいないと聞く。だからプレイヤーによっては、呪われてしまった瞬間にアバターを作り直すやつもいるくらいなんだ。
産廃武器使いの俺が言えたことではないかもしれんけど、俺の武器が産廃ならあれは大型ゴミだ。
「えへへ、案外便利なんだよ。呪いのおかげで敵がどんどん寄ってきてくれるから、レベル上げの時短ができるんだ」
なるほどな。わざと妖刀を装備して魔物を寄せることで、カンストまでのレベル上げに利用していたのか。頭おかしいのかな。
「呪いのせいでな」
教師として、言葉の間違いを正してあげた。
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