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よろしく哀愁




 スーパーに寄って半額シールの貼られた惣菜弁当を買い、マンションのエレベータに乗った。帰ったらシャワーを浴びてから弁当を食べ、すぐにログインだ。わくわくが止まらん。


 学生時代はPCを起動しながら飯を食い、食べている最中からログインしたものだったが、VR全盛期となった現在ではそういうわけにはいかない。こぼしたらコンソールが死ぬ。

 そんなことを考えながらエレベータを降り、自宅のドアに鍵を挿す。


「……?」


 くらり……。

 目眩とともに景色が歪んだ。ドアノブをつかんで倒れないようにする。

 頭を振って目を閉じ、ため息をついた。


 疲れているようだ。

 七海に言えたことではないが、俺も『神竜戦役』を相当やり込んでいる。学生時代から寝不足には慣れていたため、あまり気にしたことはなかったが、もうそろそろ気にすべき年齢だ。今日はログインしない方がいいだろう。


「……頭がふわふわするな……」


 眠りに落ちる寸前のようだ。

 割と頻繁に、今日こそログインせずに睡眠負債を返済しようとは考えるのだが、シャワーを浴びているうちに目が覚めてしまって、結局ログインして負のスパイラルに陥る。少しだけ、と考えて一度ログインしてしまえば、朝方近くまで続けてしまうんだ。


「やっぱ今日はやめとくか……」


 くそぅ。それもこれも七海のせいだ。いや半分、四分の一くらいは自分のせいか。

 もう一度ため息をついてドアを開き、足を踏み入れた――瞬間に、俺の意識は心地よい眠りの中へとぶっ飛んでいた。


 どれくらい寝転けていただろうか。

 しばらくして、あまりの寒さに目を覚ます……。

 無意識にエアコンの冷房をつけ、直接風のあたる場所で眠ってしまっていたのだろうか。それが必要な季節ではないというのに。我ながらマヌケだ。

 薄目で見るあたりは薄暗い。それに、ゴォゴォと凄まじい暴風の音が鳴り響いていた。


「う……。……外……?」


 うつ伏せ。震える手が冷たいものをつかむ。鋭い痛みが指先に走った。

 雪……?


「う、うわっ!?」


 雪だ。俺は降り積もる雪の中に半身を埋めて眠っていた。

 意識が一気に覚醒する。両手を立てて身を起こした。


 どこだ、ここは!? 雪山!?


 周囲が暗くてほとんど何も見えない。かろうじて見えている範囲はすべて雪。それと縦横無尽に荒れ狂う猛吹雪だ。秒間ごとに叩きつける方向が変わっている。


 なぜこんなところにいるんだ!?


 マンションのドアを開けてからの記憶が何もない。誰かに連れてこられたとしか思えない。いや、いや。まだ秋だぞ。さすがに北海道だってこんなに雪は降っちゃいない。


 外国? それとも?

 とにかくスマホで救助の連絡を――……。


「……なんだ、この服……?」


 俺はジャケットを着ていたはずだ。なのにいまは見知らぬ素材で作られたコート――じゃないな、フードのついたローブを纏っている。ローブの下に着慣れたワイシャツはなく、柄のひとつも入っていない薄いブルーの簡素なシャツだ。

 着替えさせられている。ローブに触れてもスマホはなく、代わりに腰に巻かれたベルトから二振りの短剣が見つかった。

 抜けば刃が微かに光を帯びている。片方は紅く、片方は蒼く。


「双竜、牙? ……はっはっは、コスプレしとる場合か~い」


 誰もつっこんでくれない。だめだ、正気を保て。

 ゲーム内で自身のアバターである〝M〟が愛用する、魔力の宿った武器だ。二対一組、竜種特攻効果のついた短剣。

 ある予感が脳裏を過ぎった。いや、荒唐無稽に過ぎる。しかし、生まれてこの方コスプレの趣味を持ったことはない。

 それにこの天気。この服装――というか装備は間違いなく『神竜戦役』だ。

 だとするならば。まさかここは。


「レイゼリアの氷棺か!?」


 そんなわけがあるか!

 コンソールが大型VR機器とはいえ、『神竜戦役』に寒さや暑さを感じる機能は備わっていない。あくまでもゲームというか仮想世界だ。そこに痛覚や嗅覚、味覚などを実装したらプレイヤーの脳が壊れてしまう。


 全身が寒さに震えた。

 だめだ。寒さがキツすぎる。一旦ログアウトしよう。

 脳内でコンソールを思い浮かべる――が、いつもであれば眼前に現れるはずのホログラムのキーボードが出現しない。


「バグ……? 管理A.Iの暴走? ……勘弁してくれ……」


 こうなると誰かに現実の肉体をVR機器から引き剥がしてもらわなければ、自力でのログアウトはできない。当然、独身ひとり暮らしのおっさんにゃ、そんな身内はいないわけよ。

 そもそもこれが仮想世界だとも思えない。感覚がリアルすぎる。


「ああ、もう」


 考えている時間がもったいない。もしここが氷棺だとするなら、山岳地帯の外側から氷棺へと続く洞窟があるはず。そこならいくらか寒さをしのげる。

 だがこの猛吹雪では方角がわからない。仕方なくデタラメに進む。

 自棄になったわけじゃない。氷棺は絶壁に閉ざされたクレーター状のマップだ。超重量の巨竜が神の手により墜とされたときに、山を圧し潰しながら大地に沈んだからだ。ならばどの方角へ進もうとも、いずれは壁に辿りつくはず。

 巨竜の棺とはいえ、それほどの広さはない。せいぜいが直径にして五百メートルほどといったところのはず。そこに円周率をかければ歩くべき最長距離が大体算出できる。この場合は千と六百メートルといったところか。そこに壁に辿りつくまでの距離を足す、と。


「……ぅぅぅ、け、けけ、結構、と、遠いぃぃ~……」


 駅から家までの往復距離以上あるじゃねえか。この状況で泣きそうだ。

 フードを被り、ローブの端をつかんで前を可能な限り閉じる。けれども風が吹くたびにひらひらと開く。


「クソ、感覚を実装するならジッパーくらいつけとけ、開発陣め!」


 しかし十数歩ほど歩いたとき、足裏に雪とは違う柔らかなものの感触がして、俺は慌てて足を上げた。嫌な感触だった。まるで生き物を踏んづけたときのように。俺にそういう趣味はない。そう、〝M〟だけにね! ってそんなことを考えている場合か。正気を保てというのに。

 だが、凍っていないということは、まだ息がある可能性が残されている。


「くぅぅ……どこのどいつか知らんが、凍え死んだら恨むぞ……」


 仕方なく雪に膝を突いて、凍える手で雪を掻く。すぐさま髪が出てきた。長い髪だ。埋まって間もないらしく、ずいぶんと浅いところから。


 こっわ……。懐かしの火サスみたい……。


 掘る、掘る、掘る。爪が剥がれそうな上に、凍傷にもなりそうだ。仮想世界とは思えない。このままでは指が死にそうなので、ローブの袖越しに掘る。

 とにかく呼吸の確保をさせなければならない。頭部の周囲だけを先に掘り、呼吸のできる隙間を作る。口元に手をやると、かろうじて呼吸しているのがわかった。


「おい、あんた! 返事をしろ!」


 返事がない。

 次は身体だ。ここまで来て思い出した。双竜牙だ。紅い方の短剣には炎の力が宿っている。スキルや魔術のように放つことはできないが、灼き切ることには長けている。

 ……これが本物の双竜牙ならだが。

 短剣を抜いて雪を掻く。ジュっと音がして、雪が一瞬で溶けた。


「嘘だろ、本物かよ……。ありがてえけど、もっと早くに気づきたかった……」


 だが間違いない。ここはアクアティアの氷棺、つまり俺は『神竜戦役』の中にいるらしい。ちくしょう、運営め、プレイヤーを殺す気か。

 そこからは早かった。

 俺はうつ伏せの人物の周囲を双竜牙で掻いて、一気に掘り出した。そうして軽装姿の女を仰向けにひっくり返して抱きかかえ、声をかける。


「おい、おい、しっかりしろ! 生きてる――か? ……あ?」


 勘弁してくれよ。


「七海……七菜香……」


 そりゃそうか。氷棺にまで辿りついていたプレイヤーは、俺たちだけなのだから。

 呼び声に反応したのだろう。七海が微かに眉間に皺を寄せ、喉奥から小さなうめき声をあげながら、うっすらと瞼を開く。

 そうして俺の顔を見るなり片手を空高く持ち上げ――。


「きゃあああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 耳をつんざくような悲鳴をあげて、俺の頬をひっぱたいたのだった。

 ……むぃぃ……もう泣きたい……。


楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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― 新着の感想 ―
プロフェッサーモリアーティ活躍♪
起きた瞬間の七海さん、、、 キャー、変態! ってとこでしょうかね、、、 九鬼さん踏みつける趣味はなくても、名前がMだったが為にwww そうか、睡眠負債を貯め続けると異世界転生するのか、、、そろそろか…
更新お疲れ様ですヽ(´▽`)/ 現実世界最後の思考が、教え子に対する八つ当たり地味たモノだったのは如何なモンかと(苦笑) しかしまぁ、ゲーム世界で寒い思いをしてまで折角助けてあげたのに、会話する意図間…
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