月の光が目に染みるわ
無人の生徒会室には、四角形を作るように会議用の長机が四脚設置されている。七海七菜香は北東側の角に座った。
対面では遠すぎるから、俺は彼女の斜向かいの席に腰を下ろす。
外からは運動部の声がしている。窓からは夕暮れ時の陽光が射し込んでいた。
俺は彼女の言葉を待ったが、何かを思い悩むように一点を見つめている。視線の先は長机の木目だ。精神的に参っているやつにはヒトの顔に見えるかもしれん。知らんけど。
「七海?」
「……机の木目がヒトの顔みたい……」
これはだめなやつだ。
両腕を組んで背もたれに身を預け、こちらから尋ねた。
「相談ってなんだ? さっきも言ったが、頭のよすぎる進学校へのアドバイスなら通り一辺倒のことしか教えてやれんぞ」
地雷を避けて、それこそ教師が生徒にされそうな通り一辺倒な質問をあたかも想定していたかのように言う。
七海が視線を俺に向けた。
「あ……いえ、そういうのではなく……。どう言えばいいのかと考えていました。先生はSNSとかってしていますか?」
そらきた。やはりゲーム内でのことか。しかしまたずいぶん遠回りなところから聞いてくるな。
軌道修正をしてやろう。早く帰りたいから。
「してない。業務連絡用のグループLINE〝職員室〟くらいだな。呼び出し音が鳴るたびにため息が出るよ。ああ、いまのは内緒な」
「あはは……。真面目な九鬼先生でもそんなところあるんだ」
そう。俺は勤勉で真面目な教師だと思われている。ふふ。
「そらぁあるだろ。ゆっくりしたいときくらい俺にだって」
ゲーム中とかな。言わないけど。
「他のSNSはやっていないし、例えやっていたとしても、俺なら気を許した友人以外には誰にも教えない。事件性のある面倒事に繋がるかもしれないだろ」
「先生、友達とかいたんだ」
七海がからかうような悪戯な目をしてそう言った。
「失礼だな!? ……まあ、確かに多くはないが」
いや、いや。ネットバレという問題から俺が遠ざかってどうする。七海にはさっさと本題まで辿りついてほしいのに。こちとら一刻も早く帰ってゲームがしたいんだ。
だが、ゲーマーである以前に教師の端くれ。職を失えばゲームもできん。ここは慎重に。
「そういう質問をしたということは、SNSで匿名から誹謗中傷でもされたか?」
「あ、いえ。そういうのでは……ないんです」
七海が慌ててパタパタと手を振った。
「あの、今日の相談、わたしの両親やうちの者には絶対に言わないでくださいね」
両親はわかるが、うちの者ときたか。金持ちめ。おそらくあの執事みたいな運転手のことだろう。
俺にとっちゃアクアティアの世界より、七海の住む世界の方がよっぽど異世界だ。ハッハー、泣きたい……。
「生徒との相談事は無用に他言しないよ。約束する」
口を開いた七海が一度閉ざし、目線を揺らして少しだけ頬を染め、意を決したように言った。
「じ、実はわたし、その、ゲームが好きなんです」
知ってる。『神竜戦役』でレベルをカンストさせているバケモンなんて、おそらくサーバー中を捜しても彼女くらいだろう。
放課後、習い事を終えたらすぐに直帰し、宿題をマッハで終わらせて朝方まで貼りつくような生活だと予想できる。課金では見た目しか変えられないゲームでは、そうでもしなければトップランカーになど入れない。
「いいんじゃないか、別に。宿題を忘れたり成績を落としたりしているわけでもないし。趣味として楽しむ分には問題ないぞ」
「えへへ、宿題はいつも送迎車の中で終わらせてたりぃ……」
……想像以上だった。
窓の外から鴉の鳴き声がしている。
一通りMMORPGのシステムや『神竜戦役』のことについて俺に説明を終えた彼女が、ようやく本題に入った。
「実はその『神竜戦役』で、知らない男の子に現実でのわたしのことを知られてしまって……」
「自分で教えたのか?」
「まさか、教えてません!」
リアルなグラフィックを売りにしてるゲームで自分の写真を取り込んだ上に、ご丁寧に名前まで文字って〝ナナ〟なんてつけたアバターを使っといて、よく言えたものだ。頭はいいのに、危機感だけが絶望的に欠如している。
「でも、なぜか彼――あ、〝M〟っていう性癖全開でつけたような欲望丸出しの名前をしている人なんですが」
違うよ!? 某推理小説の悪役教授の頭文字だよ!?
くぅ、弁解したいのに言えん!
「もしかしたらただの頭文字かもしれないだろう。モリタとかマサオとかマリオとか」
しまった。ちょっとだけゲーマーがはみ出た。
「……? いえ、危険が迫るとニヤついていたので、たぶん性癖の方だと思います」
くそッ、俺のスリルマニアな部分が仇となったか!
「その人、わたしの本名や今年受験ということまで知っていて。たぶんこの学校の男子だと思うんですが、知らない男子にずっと見張られてると思うと、だんだん怖くなってきて……」
うわあ、かわいそう! 青ざめてらぁ!
でも、俺だよ俺。たぶんこの学校にいる異性の中では一番安全だよ。
俺は神妙な顔つきでうなずいてみせる。
「そうか。だが、俺に相談されたところで犯人なんて見つけようがないぞ」
「ぅ……。ですよね……。警察に相談しようかとも思ったんですが――」
ひぃぃ! やめてよね!? クビになっちゃう!
そういうスリルはいらないんだ。本当に。
「――まだ何もされてないうちにそういうの……ちょっと……。事を公にしたら両親にもバレちゃいますし……きっとゲームができなくなっちゃう……」
「そ、うか」
喉が詰まるわ。水が飲みたい。
「でも、何だか先生に話して少しすっきりしました。事情を知ってる大人が近くにいてくれるだけでも安心できます。あの、だから――」
もじもじと両手の指を絡めながら、七海が俺を上目遣いで見上げてきた。
可愛い。弱ってる女の子って可愛く見えるわ。どっちかと言えば〝S〟かもしれん。
「現実で何か、その、されそうになったときは、真っ先に九鬼先生を頼ってもいいですか? 他には誰にも頼れなくて……相談さえできなくて……」
完全に守備範囲の外ではあるが、なるほど。とんでもなく破壊力のある表情だ。男子生徒の大半が心を奪われてしまうのも、まあうなずける。二十年前の俺ならまずかったかもしれない。二十年前ならな。あー若返りたいわ。
いまは面倒臭い。危険は遠ざけたい。そして早く帰りたい。ゲームがしたい。
そんな気持ちを押し殺し、俺は意識的に笑顔を作る。
「それはもちろんだ。これでも七海の担任だしな」
担任、なおかつ善人。でもおまえの心因、悩ます俺が犯人。
韻が踏めてしまった。
生徒会室にやってきたときとは正反対の安心したような表情で、七海が学生鞄から嬉しそうにスマホを取り出す。
「じゃあ早速、わたしとLINE交換してくださいっ」
「……」
「九鬼先生? だめ?」
ええ、ヤダぁ……。
SNSは心を許した友人以外には教えたくないとさっき言ったばかりなのに。これだからデジタルネイティブな世代は。
「あ、ああ、スマホをどこに置いたかと思い出していてな。どこだったか。……あ、今日は家に置き忘――」
「胸ポケットが四角に膨らんでますよ。先生って煙草吸いませんよね?」
クソがッ!! 百害あって一利ありじゃねえかッ!! 吸っときゃよかったッ!!
仕方なく取り出した。
「おお、ほんとだ。うっかりしていた。メガネメガネみたいだな。はは、古すぎてわからんか」
「あはは、有名なので知ってますよ。それに気づかなくっても仕方ないです。ジャケットって結構分厚いですもんね」
やっさし……。
もはやこの流れでは断るわけにもいかず、結局知られてしまった。
その日は遅くなる前に解散した。
帰り道、すっかりと日の暮れた道をとぼとぼと歩く俺のスマホが、ペコっと音が鳴らす。メッセージの受信音だ。顔認証された瞬間にタップしてしまったせいで、画面が開いてしまった。
ナナ『これからよろしくお願いしますね。九鬼先生♪』
続けてヘルメットを被った猫がお辞儀をしているスタンプが送られてきた。
既読をつけてしまった俺は、ため息をつきながら『はい』と二文字で返し、ポケットにスマホをねじ込む。
担任、なおかつ善人。でもおまえの心因、悩ます俺が犯人。
なのにLINE、知られて人生の敗因、ならねえことを祈るぜマジ堪忍、いぇー……。
月の光がやけに目に染みるわ……。
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