死がふたりを分かつまで
だめだ。さっきと同じだ。
こちらに妖刀がある限り、魔物は常に俺たちの方へと向かってくる。それにナナを背負ったままでの移動では、走る速度もあげられない。
息が切れる。体力はもうとっくの昔に尽きている。
青年の背中が遠ざかっていく。視界が端から徐々に暗く染まっていく。やがて斜めに傾いて。
「しっかりしろ! もう少しだ!」
どうやら俺たちの様子に気づいてくれたようだ。青年がいつの間にか戻ってきて、背中のナナを押し上げてくれた。全身にかかる負担がわずかに軽減する。
「す、まない……」
「構わない! いいから走って! もう少しだ!」
地響きが近づいてきている。このままでは追いつかれる。
青年は時折振り返っては、ひとつの弓に複数の矢を番えて放つ。そのたびに背後からの足音は乱れ、魔物たちの悲鳴が上がる。
「あんたは振り返るな! 走ることに集中しろ! 少し先に大賢者様の張った結界がある! そこまで行ければ逃げ切れる!」
大した腕だ。叫ぶ間に三度、先ほどのアローレインなるスキルを放った。
わずか数本、空に打ち上げられた矢が、数百もの雨となって降り注ぐ。すごいスキルだ。
のたのたとしか走れなくなった俺を支えて、青年は背中を――ナナの背中を押す。そうして背後を警戒し、走りながら俺に言った。
「ギルス王国の巫女庁を統べられる大聖女様からご神託があったんだ。今日、氷棺に異世界の勇者様が現れると。私はそれを迎えに来た。だが、ふたりとは聞いていないぞ。どちらがそうなんだ?」
表情が言動から察するに、少なくともNPCではなさそうだ。かといって俺たちと同じプレイヤーでもないだろう。異世界の現地人か。
ああ、ああ、ここは仮想ではなかった。それだけは確かだ。信じられん。本当に異世界転移とは。
しかし勇者か。俺じゃあないな。どう考えてもナナのことだ。レベルを縛り力を得る機会を失うような間抜けより、ナナは遙かに強い。
「……こいつが、そうだ……」
正直わからん。俺たちではないのかもしれん。だが、こう言っておけばこの青年は死に物狂いでナナを守ってくれるだろう。
俺がいなくとも。
「ならあんたは!?」
「……保護者……かな……?」
「使用人か」
失敬な……!
いや、まあいい。ペテンと罵られようが構わない。生徒を守るためならば。
青年が笑顔を見せた。
「そうか! ならば守らなくてはな! 勇者様を!」
「……たの……む……」
視界が消失した。
今度は下半身だけではない。全身の感覚を失って、俺はその場に倒れた。
「ナナ……を……連れて……行……け……」
背中のぬくもりが離れる。どうやら青年がナナを抱えてくれたようだ。
これでやっと眠れる。もう何もかもが限界だ。どうでもいい。命を失うのだとしても、いますぐ眠ってしまいたい。もうゲームができないことだけは残念だが、大好きなゲームと見分けのつかない世界で死ねるならば、それも一興というもの。
――アローレイン!
意識が飛んだ――が。
だが無情にも引き起こされる。
「バカか! 結界まであと数歩だ! ここまで来て諦めるのはバカでしかないぞ!」
「……数……歩……?」
かろうじて戻った意識でまぶたをあげると、目の前の景色が歪んで見えた。陽炎のように揺らいでいる。それほど暑くもないのに。
あれが結界か。
「ああもう!」
青年は左手でナナの服をつかみ、右手で俺の服をつかんで引きずる。倒木を踏み砕き、大地を上下に震動させ、魔物が俺たちに迫った。
あと、三歩――。
間に合う。
青年が結界を超えた。そうして俺たちを力任せに結界内の大地に投げ飛ばす。
俺は腐った落ち葉を巻き上げながら転がった。
助か――。
直後、結界全体に轟音とともに青白い閃光が走った。
「な――っ!?」
青年の驚愕の声に視線を向けると、ナナだけが結界の外に取り残されていた。俺は四足獣のように両手両足で走り、上半身を結界の外に出して結界の外で転がったナナの両腕をつかむ。
そうして引きずり込もうとしたとき、再び轟音とともに青白い閃光が走り、ナナだけがはじかれた。
「……?」
その衝撃で気がついたらしい。ナナが目を見開いた。瞳の赤い目を。人間族ではない目を。
そうして青年が叫んだ。
「こ、こいつ、魔族じゃないかッ!!」
そうか。理解した。大賢者の結界とやらは、魔族を通さないんだ。この世界は『神竜戦役』と同じで、人間族と魔族が対立している。つまり結界とは、魔物に対処するために存在しているのではなく、魔族の侵入を拒むために張られたものだったんだ。
「M……?」
「ナナ!」
結界の内と外。
視線が交差する。
無数の矢を背中に突き立てたサイクロプスが現れた。ナナのすぐ背後から。巨大なひとつ目が、怒りで真っ赤に充血している。
やつは走る勢いそのままに石の棍棒を振りかぶった。ナナを睨みながらだ。
「やめろ!」
俺は双竜牙を抜いて、結界の外へと飛び出していた。
どうにもならん。わかってる。棍棒を受け止められるわけがないし、うまくサイクロプスを仕留めることができてもその頃にはナナはもう血と肉片だ。
瞬時に状況を理解したのか、ナナが叫ぶ。
「来ちゃだめ!」
「よせ! 魔族なんかのために命を捨てる気か!? キミこそが勇者なのだぞ!?」
青年が伸ばした手を振り切って、俺は――。
わかってんだよ、無駄だってことくらいは。助けられるわけがない。でもな、死を試すときは一緒にだ。そうすりゃ運良くふたりとも地球で目覚めるかもしれないだろ。
だから俺は、ナナの全身に覆い被さった。
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