教師だからでいいじゃない
信じられん。まさか本当にどうにかなるとは。
う~ん、やっててよかったゲーム脳。
ドラゴニアはエメラルド色の肉体をぐったりと伸ばして息絶えている。ぴくりとも動かないし、呼吸もしているようには見えない。
双竜牙の蒼によって凍結していた額の傷口が、未だ残るドラゴニアの体温で徐々に溶けていく。赤く滲み、やがてそれは流れとなって地面に血だまりを作った。
心臓の鼓動はまだ鳴り止まない。血が全身を駆け巡っている。
勝った。あんなわけのわからないバケモノに。
全身がゾクゾクした。両手をあげて大声で叫んで歓喜したい気分になる。さすがにもういい大人なのでやらないが、いつまで経っても興奮は冷めない。
正直に言う。
すんごい楽しい! 最高!
だが反面、ますますここが現実なのか仮想世界なのかがわからなくなった。
現実にしては、この肉体は動けすぎる。俺の身体にしては軽すぎるんだ。とはいえこれはゲーム内だからというよりは、どちらかと言えば十代の肉体のおかげのようにも思える。
ゲームというよりは夢……なのだろうか……。
だがここまで追い詰められて覚めない夢なんてあるだろうか。それに肉体の節々にまでフィードバックされる五感は、現実のものとしか思えないほどにリアルだ。
けれども、ここはあまりにゲーム世界に似すぎている。それこそ『神竜戦役』のゲームはこの世界を学ぶための教科書だったと言われても不思議ではないくらいに。
「あ……」
教科書で思い出した。俺は教師で、そしてそばには守るべき生徒がいたのだった。
勢いよく振り返る。
こんなんでも教師だからな。クビになるのは困る。
「ナナ!」
ドラゴンブレスを吐かれた瞬間から、彼女を気にかけている余裕はなかった。だがどうやら無事だったようだ。ナナは先ほどと何ら変わらぬ位置に立っていて、何やら自身の左手をしげしげと見つめている。
「無事か、よかった」
生徒に死なれたら、俺の教師生命も共倒れで死亡する。むろん可愛い教え子だ。そういうのを抜きにしても心配はしていた。
……や、ほんとに。ほんとだよ。戦ってる最中は楽しすぎて、存在自体忘れてたけど。一瞬だけ。
それにしても――。
「う、うん」
彼女の立っている地面の周囲は、四方八方ともに焦げついていた。
ドラゴニアがブレスを薙ぎ払った痕跡が、チリチリとまだ残っているんだ。岩石の表面が溶解している。ところどころ、マグマのような赤い輝きさえ残っていて。それにこの鼻をつく独特な臭気は、岩を溶かした際に出るものだろう。
「あの一瞬でよく躱せたな」
俺がそうつぶやくと、ナナが左手から視線をあげた。
「ううん。躱せてない。……防いだ? みたいな?」
「……はん?」
何言ってんだ?
「えっと、Mが躱すのは見えてたんだけど、わたしはパニックになっちゃって……つい反射的に……その……」
「反射的に?」
「こういうふうに、いつもゲームでやるみたいに位相結界を張ったら……」
位相結界。『神竜戦役』における最強と呼ばれる結界術だ。これまた使い手は全ワールドでわずか数十名と言われている。
時空間に干渉し、コンマ以下ほんの一瞬だけ向かいくるすべての事象を掻き消すことができる。使用の際に重要になるのは、自身の方へと勢いよく向かいくる攻撃のみ、という部分だ。
掻き消された事象は一秒にも満たない結界術の有効時間を経て再度出現するのだが、その時間分だけ効果を失う。
「防げた? みたいな?」
要するに先ほどのドラゴニアのブレスで言えば、勢いよく向かいきたブレスはナナに命中する寸前で一旦消失し、彼女の肉体に命中するはずだった時間帯だけを別時空で駆け抜け、そしてコンマ以下の時間を経て彼女の背後に出現した、ということだ。
もっと雑に説明すれば、SFでよくある宇宙船のワープのような認識になる。ドラゴンブレスがワープして彼女を避けてくれたと、彼女は言っているんだ。
んなアホな。頭でも打ったのか。俺以上のゲーム脳じゃないか。
だから俺は顔を思いっきり歪めて。
「何を言っているんだか。いいか、よく聞け。ここはゲーム世界じゃない。おまえももう高校生なんだから、現実と分けて考えないと――」
「ああ、もう。そういうのいいって。わかってるから。――じゃあちょっと見てて」
そう言うとナナは足下にあった石ころをひとつ拾い上げて、自分の直上へと軽く投げた。
石ころは洞窟の天井付近まで上昇すると、空中で一瞬だけ停止し、すぐに落ちてくる。そして彼女の頭頂部を打つ――寸前、ナナは左手を右へと流した。
――位相結界。
左手があたる寸前、石ころが消失する。そして一秒と経たぬうちに、彼女の両足の隙間でカコンと小さな音を鳴らして転がった。
まるで頭から股ぐらまでを貫通したかのように見えたが、ナナに変化はない。
「ほら、できた。ね、ほんとでしょ?」
「お、おお? おお……。……おお? え?」
やっぱりゲームなのか、この世界?
いや、いや。技術的にあり得ないし、俺の知らない間にVR技術が劇的進化していたのだとしても、こんなリアルな痛みや寒さをアバターが死亡するまで受け続けたら、現実の人間だって脳死してしまっても不思議ではない。そんな危険なゲームを日本でリリースできるものか。
けれども、それならばいまナナがやって見せた事象はどう説明するのか。
俺の肉体だってそうだ。現実の俺は冴えない四十男なのに、十代後半の少年の姿になっている。若いって素晴らしい。
「M? どう思う? ここって現実かな?」
何にせよ、この世界を実際に歩いてみなければわかるものもわからん。
「試すにはリスクが高い。とにかくエメリオの洞窟を抜けよう。竜種がうろついているところで休憩なんてできない。この世界が『神竜戦役』どおりなら、洞窟を抜けて山を下った先に人間族の村があったはずだ。村人がNPCなら会話でわかるだろ。昨今のA.Iによる受け答えだとわかりにくいかもしれんが、とにかくいまは少しでも判断材料を増やしたい。それにゲームだったら他のプレイヤーもいるかもしれんしな」
「そうよね。よし、うん。大丈夫。スキルが使えるなら、洞窟を抜けることくらい」
戦闘面ではな。控えおろう、カンスト様のお通りだい、ときたもんだ。
……いまさらながらに、なんで初期値の俺が命がけで頑張っちまったんだと思うばかりだった。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




