ゲーム感覚で行こう
あの角と牙は竜のものではなく魔族のものか。だが両手に生えた鋭い鉤爪は竜のもの。
闇と光の境界線で、やつが立ち止まった。
やむことのない猛吹雪の音に混じって、呼吸音が聞こえている。俺もナナも止めてしまっているから、ドラゴニアのものだ。
空気が張り詰めている。俺は祈った。どうかこのまま、何事もなく立ち去ってくれと。
眼球の瞳は縦に長い。ぎょろり、ぎょろりと、俺とナナの間で視線を行き来させている。
けれども次の瞬間には祈りも虚しく――。
――アアアアアアァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
甲高い咆哮を上げた。
そいつが洞窟の壁に反響しながら襲い来て、俺たちの耳をつんざく。
「~~ッ」
「――!」
頭蓋が痺れるような感覚に、俺たちは思わず耳を塞いだ。
悲鳴ではない。威嚇でもない。そんな段階などとうの昔に踏み越えられている。これまでのゲーミング体験では決して得られることのなかった明確なる殺意が、俺の前身を貫く。
だから――!
ゾク、ゾク、背筋に悪寒が走り、口角が上がる。
心臓の鼓動がドグっと一度だけ大きく鳴った。
己を鼓舞する檄にも似た咆吼を上げながら、ドラゴニアは地を蹴っていた。
たった一歩――だが、瞬歩なみの凄まじい速度と移動距離!
十数歩あった距離は一瞬でなくなり、頭上から鋭く伸びた五指の爪が叩き下ろされる。
「――っ!!」
俺の額をドラゴニアの爪が削った。
血肉が飛散し、やつの爪はそのまま地面に突き刺さる。
「M!?」
大丈夫。傷は浅い。そんなことを言う暇すらない。
だが、いまの既視感のあるモーションで確信を得た。
ドラゴニアの爪は俺の額を裂いた。裂くだけに留まった。本来ならば、頭部ごと串刺しにできる力を持ちながら、だ。
先ほどの瞬間、やつが距離を見誤ったのではない。俺が後退で躱したんだ。
だから確信した。
やれそうだ――!
ドラゴニアがもう片方の腕で俺の頭部を薙ぎ払う。フック気味の軌道だ。すんでのところで屈んで躱し、紅を順手に持ち替えてその腹部へと突き刺した。
正直びびりながらで腰が引けていたため、さほど力を込められたわけではない。だが。
ピキリ、とエメラルドの鱗にヒビが入り、わずかに刃先が侵入する。ジュウと肉の焦げる煙が立った。
――アアアアァァァァァァァ!
「竜特攻!?」
「竜特攻!?」
奇しくも、俺とナナの驚嘆が重なる。
乗るのかよ。特攻効果が。
ということは、この双竜牙は色や形を似せて作っただけの偽物ではない。
ドラゴニアが顔を歪めながら悲鳴をあげ、両腕をデタラメに振るった。
最初から深追いするつもりはなかった俺は、バックステップで後退する。その背後でナナが慌ててまた距離を取る足音が聞こえた。
「わ、わ! すご!」
心臓がバクバク鳴っている。
ゲームと同じだ。いや、むしろゲーム感覚でいい。このアバター〝M〟には、最初からナナのような現実離れした必殺スキルは覚えさせていない。それどころが初期からステータスひとつ振っていない。防御スキルもなければ、魔術だって使えない。
レベルは初期値。つまり1だ。
俺が『神竜戦役』にはまった理由は、プレイヤーの知識や操作次第でそういったスキルや魔術がなくともボスを倒して進むことができる点だ。ターン制RPGのようにステータスやスキルのぶつけ合いではない。そんなものがなくとも、現実に再現可能な体術だけでも最終ステージまで来られる。
レベル1縛りプレイ。そいつがたまらなく楽しかった。
剣道も剣術も格闘技も学んだことはない。でも、ゲーム内ではトライ&エラーを繰り返しながら一撃死のスリルを楽しんできた。ただの趣味ではあったけれど、まさかここにきてそれが生きるとは。人生わからないもんだ。
さらにそこに双竜牙の竜特攻が乗るのであれば――!
口角が上がった。悦楽の感情が抑えられない。脳内麻薬が頭部の穴という穴から噴き出そうだ。
付け加えるなら、ドラゴニアのモーションも見たことがあった。『神竜戦役』に出てくるそれの動きそのものだ。ますますここが現実なのか仮想世界なのかわからなくなってしまったが、少なくとも仮想世界でできていた戦い方をすれば生き残れることだけはわかった。
「すごいじゃん! M! ほんとに何も習ってなかったの!?」
「こちとら昔っから貧乏でなっ」
ぷくり、とドラゴニアの頬が膨らむ。
「うぉ!?」
これにも見覚えがある。
俺は背後のナナに叫んだ。
「屈め!」
「へ? ――きゃあああ!」
その直後、ドラゴニアが右方から左方へと、炎を吐き出しながら首を振った。屈んで避けたはずなのに、毛先がパチパチと音を立てて焦げる。ドラゴニアは執拗に俺を灼くべく、今度は首を縦に振った。俺は地を蹴って走る。それを追うように炎が迫った。
「のわぁぁあっちぃ!」
背中が熱い。絶対現実だろ、これ。
炎に追いつかれる寸前に全速力のまま壁を蹴って跳躍し、後方回転する。空中から大地を見れば、炎が爆ぜていた。
着地する。
現実の肉体ではできそうにない芸当だが、アバターを若く設定していたおかげだろうか。現実にしてはやけに肉体が軽い。気がする。たぶん。イメージ通り動くのはありがたい。
「この野郎!」
ブレスを吐ききったドラゴニアへと疾走する。
低く、低く。前傾姿勢で。
速く、速く。もっと速く。
ドラゴニアが息を吸い、頬が再び膨らむ――瞬間にはもう、双竜牙の蒼はやつの頭部に突き刺さっていた。竜特攻で鱗や頭蓋など、まるで紙のように貫いて。
ずぐり、と頭蓋とその柔らかな中身を貫く、ゲームでは決して体験できない嫌な感触がした。ドラゴニアの全身から力が抜けていく。膝を折り、しゃがんで。ぐったりと。
崩れ落ちたドラゴニアの額は、蒼の魔力によって凍結していた。おそらくは貫いた脳までだ。
命を奪った。この手で。仮想ではない本物の命を。
俺は彼女の胴体部を蹴って蒼を引き抜きながら、エメラルド色の肉体を乱暴に突き放した。ドラゴニアが力なく倒れ込み、仰向けとなる。
「……」
「……」
頼むから立ち上がってくれるなと、願いながら。
動か……ない?
俺は震えながら、ゆっくりと安堵の息を吐いた。
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