短えくそゲーだったなあ
どちらにしてもあり得ない状況。そして同時に命に届くほどの危機的状況にいることだけは間違いない。
ああ……。
口元を手で覆う。自然と口角が上がってしまう。その口を俺は片手で塞いで隠した。
立ち上がって双竜牙を両手で撫でる。ナナが不思議そうに俺を見上げてきた。
「M? どしたの?」
ナナに早口で囁く。
「何か来る。さっきの鳴き声の主かもしれん。逃げる準備しとけ」
「……え。逃げるったって、氷棺に戻――」
「とりあえず部屋からは出よう。急げ。ここに入ってこられたら袋のネズミだ」
「う、うん」
俺は双竜牙に両手で触れて存在を確かめ、先にエメリオの隠し部屋から飛び出した。
音が聞こえる……。
ぺたり、ぺたり。
湿った岩肌を裸足で踏みしめる音が、洞窟の奥から聞こえてきていた。猛吹雪に掻き消されそうなほどに小さく、けれども闇から響いている。微かに。不気味に。
足音だ。そして。
――ギ、ギギ、ギ……。
ぺたり、ぺたり。
先ほどよりも少し大きく。今度ははっきりと聞き取れるくらいに。
肌が粟立つ。寒さのせいではない。
光晶石がなければ、洞窟の奥は暗闇だ。何も見えない。だがそこに何かがいる。
「どうしよう、M。逃げ道ないよ」
「しっ」
俺たちはエメリオの洞窟内の、位置的には氷棺からほど近い場所にいる。
まだ見えない。数十歩も進めば、氷棺からの光が届かない真の闇に閉ざされる。『神竜戦役』内で俺がここまで来た方法は松明だ。だがそういったアイテムを収めていた革袋は見当たらない。もしかしたら雪に埋もれてしまっていたのかもしれないが、目覚めたときはそこまで頭が回らなかった。いまさら回収など言うに及ばず。
ナナが俺の肩につかまりながら、途切れ途切れにつぶやく。
「い、一応、武器はあるけど……」
緊張で喉が詰まりそうなのだろう。つかまれた肩が軋むほど痛い。
ぺたり、ぺたり、ぺたり。
音が近い。確実にこちらに向かってきている。迷うことなく、まっすぐに。まるで妖刀に引き寄せられているかのようにだ。
ここが『神竜戦役』内であるならば、おそらく俺がナナを見捨てて逃げれば、魔物は妖刀を持つ彼女の方を襲うだろう。
「た、戦ってみる……?」
でも、教師なんだよなあ。
教え子を置いて逃げるなど以ての外。さらにそれが世間様にバレた日にゃもう。学校を変えようとも二度と職場復帰などできない。
あと、さすがに罪悪感がなあ。
「やめとけ。リアルと仮想を一緒に考えるのは危険だ。――念のために尋ねるが、七海に剣道や剣術の心得はあるか?」
「……ないっす。華道とか茶道とか舞踊なら~……」
絵になるのが想像できる。さすがは名家のお嬢だ。まるっきり役に立たん。せめて薙刀だったらよかったのに。
「Mは?」
「正式に習ったことはない」
習い事なんて人生に余裕のあるやつらができることだ。ずっと余裕なんてなかった。教職につくまで、学業を積みながらバイト三昧だった。
そもそもオンラインゲームを趣味にしたのだって、外で嗜む趣味より結果的に安く上がるからだ。初期投資にコンソールさえ買ってしまえば、あとは一回の飲み代以下の値段でひと月は楽しめる。
いや、いや、のんきにそんなことを思い出している場合ではない。
もう見えてくる。
もしここが『神竜戦役』と繋がった世界であるならば、エメリオの洞窟内にいるのは上位の魔物ばかりだ。それも、そのほとんどがボスを除けば最強と称される竜種だ。
「それって、正式ではないとこならあるって好意的判断をしてもいいところ……? 実はヤンチャな喧嘩自慢だとか!? もしくはスポーツでインハイ行った過去があったり!?」
「……残念ながら前者はゲームになんてはまりそうにないし、後者はそんな暇があるなら自分を鍛えてるんじゃないか?」
「だよね~……。ヤンチャどころか陰キャだもんね……」
悲壮感漂う表情になった。かわいそうに。でもナチュラルに俺の心をえぐるのはやめてほしい。
そろって闇へと視線を向ける。
「ドラゴニュートやドラゴニアだったらどうしよう……?」
この『神竜戦役』では、竜は感染する。病のように感染するのだ。
そして感染した人や魔族、魔物といったあらゆる生物は、数日を経てレイゼリアの眷属である竜種と化し、この氷棺へと集まってくる。要するにエメリオの洞窟は竜種の住処ということだ。
中でも厄介なのが、人間が感染変異したドラゴニュートや魔族が変異したドラゴニアだ。この二種はモブであっても、そこらにいるボスモンスターをも凌駕する強さがある。
ゲーム世界なら死んでも痛くも痒くもなかったし、氷棺に至るまでには実際に彼らを何体も屠ってきた。だがもはや現実ではないという可能性に賭けるには、相当な勇気が必要だ。
「ねえ、もう来るよ! どうすんの、M! 逃げるったって氷棺は猛吹雪よ!」
「……下がってろ」
俺は背後のナナを振り返りもせず、右腕で押し放した。
腐っても教師。生徒に手を出させるわけにはいかない。くたばるまでは。というか、教師である限りは、自分が死んでも生徒が死んでもリアルゲームオーバーってやつだ。
……短え人生だったな~……。
「ねえ、やるの!? ほんとに!?」
「ちょっと黙っててくれ! 集中できない!」
背面の鞘から双竜牙を抜く。右手に紅を、左手に蒼を、逆手で。微かに届く外からの光に、敵の足が見えた。
二足歩行だ。エメラルド色の鱗に覆われている。水棲の魔物であるリザードマンのような水かきはなく、人間と鳥の間のような形状……ああ、ああ。最悪だ。
この寒さの中で、つぅと額から汗が流れたのがわかった。
エメラルドの輝きは蝙蝠のような形状の翼どころか、頭部や毛髪の一本にまで及んでいた。胸には微かな膨らみがあり、元が女性であることがわかる。
「ドラゴニア……」
悪い予感ってのに限って的中するもんなんだ。
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