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タイムカプセルをもう一度

作者: 青野菜穂


「また今度行ってみようかな」


 同級生たちの笑い声の中で、何とか聞き取れたのは他愛ないものだった。




 今日は同窓会で、小学生の頃の同級生たちが一堂に会している。十数年ぶりに会う彼らは変わらないようで大きく変わっていた。名残はあれど成長しきった顔は懐かしくもあり、全く知らない人のようでもあった。

 確か昔は大人しかったはずの子が大きな身振りと声で場を盛り上げ、威張ってリーダーをしていた子は落ち着きを得て静かに話を聞いている。

 どこもかしこも笑顔が溢れ、久しぶりの再会とは思えない雰囲気だ。一方で、昔は垣根など無かったのに不思議と異性同士では微妙な距離が置かれていたり、同性同士もどこか距離を掴みかねているように見えたり、些細な違和が漂ってもいる。


 そのことを悲しく思うほどの思い入れは彼らに無いようで、みんな大人になったのだとただ受け入れていた。たとえ寂しさを感じていても飲み込めるだけの成長をしている。それに、そのように感じる間柄であれば同窓会以前に交流があっておかしくない。もう子どもではないのだから。

 私もみんなと同じく、久しぶりの再会に特に感慨深くなることは無かった。子どもではなく大人として会ってしまうとこんなにも無味乾燥なものなのかと、変なことに関心する始末だ。友達と毎日遊んでいた子どもの頃を思えば、時の流れは残酷だとしか言えない。


 騒がしい会場内ではあちこちで輪ができている。恐らく始めに近くにいたからというだけの即席の輪もあれば、昔よく遊んでいた友達で集まった輪もある。

 私も適当な輪に入って談笑していたが、そこから抜け出してからはどこにも入らずにぼうっとしていた。さっきまで当時の暴露話をしてくれた同級生の名前がどうしても思い出せない。あんなに色々話をしてくれたのに申し訳ないと思いつつも、気まずい話題から解放されて安心した。


 私は当時のことをかなり忘れ果てているらしかった。話を聞いて思い出すことや思い当たることもあったが、さっぱり思い出させないことが多く、だんだん苦痛になってしまった。

 こうして同窓会に足を運んでいることからわかるように、特に大きな問題は起こらない子ども時代を過ごした。しかし、それはもしかしたら自分に都合の悪いことは忘れ去ったからなのかもしれない。

 人間は忘れる生き物だからこそ生きていけるのだと聞いたことがある。ならば私はこの上なく人間なのだろう。

 そんなことを考えるうちに気もそぞろになり、そっと同級生たちから離れてしまった。私が抜けたことを彼らは誰も気にしていないから問題は無いだろう。

 手にしているグラスにはまだアルコールが残っている。これが空になったら帰ろうと決めたところで声をかけられた。

 相手は幸いなことに名前がすぐ思い出せる同級生だった。


 お決まりの『久しぶり』という言葉から始まった会話はつつがなく進んだ。軽く口にできる程度の近況を語り、適切な相槌をうって笑い合う。

 話かけてきた彼は今、普通の会社員をしているらしい。給料がとても高いことも特別低いこともない会社で多分定年まで働く予定で、同窓会は今も仲良くしている幼馴染が行くというから来たらしい。会場を見回すと確かに彼の幼馴染がいた。

 私は大手飲食店の従業員で、最初はさっさと辞めようと思っていたが、転職活動が面倒で仕方なく続けているうち慣れてしまった。同窓会は有休消化にちょうどよかったから来た、というようなことを少し盛りながら話した。

 とても当たり障りのない世間話だ。たとえ嘘をつかれていてもわからないだろう。それくらい内容が薄い話をしている。卒業以来会っていない同級生相手ではそれくらいしか話すことが無いから仕方ないが。

 だから会話の内容よりも目の前の彼自身に関心を持つのは当然の流れだった。


 彼は印象がかなり変わっていた。大人びたというのか、垢抜けたというのか。面影が残っているので誰かすぐわかったが、この会場にいる誰よりも一番変わった気がする。

 子どもの頃からすっかり変貌を遂げた同級生は数人いるが、彼らとはまた異なる方にがらりと変わったのが彼だ。『変化』というより、彼は『成長』したのかもしれない。

 私は、彼がこの中の誰よりも大人に見えた。


 それでも不思議と話し方は変わらないものらしい。

 のんびりとした、悪く言えば間延びした話し方。声量も控えめの上に語尾が消えがちで、人によってはハキハキ話せと言いたくなるかもしれない。ここのように騒がしいところだと聞き取りにくい。

 子どもの頃からそうだった。話をしているうちに思い出したが、教室でも彼の声はよくかき消されていた。何度も同級生や先生に聞き返されていたのを覚えている。

 今は職場の話題から、有名飲食チェーン店で何が美味しいか必ず頼むメニューは何かという他愛ない話に移った。彼は子どもっぽい、甘めの味付けの料理が好きらしい。

 彼の人となりの表したような声に耳を傾けていると、どうしようもなく懐かしい気持ちになった。私は昔もこうして彼の話を聞こうと必死になっていたような気がする。


 いや。

 気がする、じゃない。

 そうだ。

 そうだった。


 私は静かに昔のことを思い出した。一気に鳥肌が立つ。

 こんなことを今の今まで忘れていたのか。人間というのは本当に不思議な生き物だ。

 少し息が浅くなり、手汗でグラスが滑りそうになって持ち方を変える。喉が渇いてきたが、手元のグラスはとっくに空だった。

 何か飲み物を取りに行こうかなんて考える私をよそに、彼は私の働いているチェーン店によく行く会社の先輩の話をしていた。




 結局、同窓会には最後までいた。

 彼と話している間に人が増えて新しく輪ができあがったが、今度は気まずくならずに同級生たちと楽しく笑い合うことができた。抜けることを考えることなく、ただみんなと同じように楽しく過ごした。

 別れの挨拶は呆気ないもので、連絡先を改めて交換することもなかった。それでもみんな満足していた。私もみんなも今日一日以上のものを求めなかっただけ。それを無味乾燥だとはもう思わない。

 一人の帰り道、私は思い出した記憶と向き合っていた。


 すっかり忘れていた。こんな思い出をどうして記憶の彼方に追いやってしまっていたのか。

 忘れたいと思ったことはない。世間一般的にもありふれたもので、なんてことはない思い出だ。それでもきっかけがないと思い出せないほどに忘れ去ったのは私の頭が不要と判断したのだろう。

 これまで一度も思い出すことが無かったのだから、私にとって必要なものではないのは確かだ。


 そして、恐らく再び忘れるのだろう。思い出したからといって、これで何かが大きく変わることもない。彼との縁がこの先続くことはなく、会って話ができたのも今日が最後になる可能性が高い。

 私と彼は世間話と社交辞令しか口にしなかった。今日聞いたことは多分明日には思い出せなくなる。そのうち同窓会で話したことすら記憶の彼方に消えていく。もしどこかですれ違ってもお互いに気がつくことはないだろう。

 忘れていく思い出の中にしか、彼の居場所はないのだ。

 だからこそ思い出したことを丁寧になぞってみることにした。いつかまた今日のように思い出せるように。


「大好きだったなあ」


 彼が大好きだった。

 好きになるのに理由はいらないと、私は彼に恋をして知った。

 いつの間にか彼のことが好きだった。特別なきっかけはなく、気がついたら彼を目で追うようになっていた。

 一緒にいるとドキドキして、それでも彼のそばにいたくて、二人でいるときは全然目も合わなかった。

 彼にも私のことを好きになってほしかった。告白しようと何度も考えたが、思いを伝えることは恥ずかしくてできなかった。

 私は本当に何もできなかったのだ。


 臆病のせいで恋を成就させることも失うこともできなくて、だから私は忘れることにしたのかもしれない。

 始まりも終わりも無かった恋は枯れさせるしかなかったのだ、なんて夢見がちだろうか。いや、ただ酔っているだけか。楽しくて少し飲み過ぎたかもしれない。何にしても確かなことは、私は彼に恋をしていたのだ。

 子どもの頃の彼は、おっとりとした子だった。好きなものについてのんびりと話すのをよく聞いたものだ。あの頃の彼は生き物が特に好きで、動物から植物まで色々と教えてくれた。

 あれは何の時間だったか。不思議と他に誰もいなかった。教室で私と彼だけだった。


 そうだ。あれは朝のことだ。

 彼は登校するのが早くて、いつも教室に一番乗りする子だった。それを知った私はできるだけ早く行くようにして、他の同級生が来るまでの少しの間、二人だけの時間を過ごした。

 他に誰もいない、静かな教室で彼の話を聞くのはとても幸せだった。残念なことに私は早起きが得意ではなく、また集団登校が始まったことから朝の時間は長くは続かなかった。

 すっかり忘れてしまっていたが、彼と過ごしたあの時間は私の宝物だった。


 もう彼を思ってドキドキすることも、幸せな気持ちになることもない。今の私は大人になってしまって、恋に恋することはしない。

 ただ昔の恋を思い出しただけ。たったそれだけのことが特別に感じる。サプライズプレゼントをもらったような感覚だ。嬉しさと戸惑い、それと気恥ずかしさがある。

 思い出の中で恋は鮮やかすぎるほどに輝いている。こんな恋をしていたのだと、大人になった私に語りかけてくる。


「大好きだったんだなあ」


 このことを全てまた忘れたとしても、いつか何かのきっかけで思い出すことができるなら。

 思い出の中で生き続ける恋も報われるに違いない。




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