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待っているから


 動かなくなってしまった麻里を見て、加奈子と司が顔を見合わせた。

 司が携帯でパリの現在の時刻を調べ、

「今、一時半らしいけど、どう思う?」

と加奈子に聞いた。加奈子がきょとんと首をかしげて

「一時半ってどっちの。午前?午後?」

「午後だよ!こっちが夜なんだから」

「あ、じゃあ電話してみようよ。私、ちょっと祐也にかけてみるね!出られない時間だったら、留守電になってるから大丈夫!まあ、ちゃんとした要件じゃない時は折り返しはないんだけどね!よく査定落ちしてるよ、私の電話。折り返し率は、まあ、15パーセントくらいかな!」

「ひっく……!!!」

 加奈子のあっけらかんとした言葉に、司が声をたてて笑った。


加奈子がさっそく祐也に電話をかけ出して、そのコール音が小さく響く。

それをうつむいたまま聞きながら、麻里は小さく息を吐いた。

 いいなぁと思ったのだ。

 加奈子のああいう、明るくさっぱりとした性格も、電話に出られない時間ならスパッと留守電に切り替えて、しかも内容によっては折り返しをしてこない、祐也の竹を割ったような性格も、………それでうまくやれている二人の関係も、もうすべてがうらやましい。


 自分と誠二は、日本に居た時は、あれだけ顔を合わせていたくせに、少し距離があいてしまうと、まったく連絡を取り合うことがなくなった。

 子どもの頃、ちょっとした喧嘩から、誠二と絶縁に近い状態になったことを思い出す。

 自分と誠二は、そういうことができてしまう関係なのだ。

 一度距離が離れてしまえばすっぱりと離れ、出会えたらまた、距離が昔の距離感に戻る。


 そうだとしたら、次はいつ、誠二と出会うことができるだろう。


 誠二が向こうに行ってから、彼からグループライン以外に麻里へ連絡が来たためしがない。

 誠二がプライベートの時間に長く、誰かにメールやラインを返信している姿を見ない。



 しばらくのコールのあとに、それがとまった。

「あ、祐也!」

 嬉しそうな加奈子の声が、人のいない、夜の明るいトレーニングルームに響く。

 祐也から呆れたような、けれども微笑ましそうな声で、何やらお小言を言われたらしい加奈子が、それをまったく気にしていないポジティブさで、

「祐也のそのセリフ、三日ぶり!なんか毎日聞かないと落ち着かないんだよね。ねえ、毎日電話してもいい?」

『嫌だよ』

「あははは!あ、ねえ、ところでなんだけど、今ってそこに、誠二はいる?」

「!?」

 麻里は驚いて顔をあげた。

 電話を耳元にあてながら、加奈子がちらっと麻里を見て、ウインクをしながら小さく笑った。

 まあ、私に任せてよ、という表情だ。

麻里はどうする気なんだと目を丸くして、加奈子と司を見比べる。 

 目が合った司が笑いながらベンチから降りて、麻里の向こう隣に移動した。

 加奈子の隣に行けということなのだろう。

 麻里が動けずにいると、加奈子の方が電話を耳にあてながら、ひょいと麻里の横に移動してきて、麻里の隣にとんと座った。


「あ、誠二?ひさしぶり!たまには連絡してきてよ。ところでなんだけどさ、知ってる?今、こっちで、誠二の熱愛報道が、出始めているところなんだけど!」

「!?」

 麻里は驚いて身体を揺らした。

 いや、日本で誠二の熱愛報道はまだ出ていない!出始めてもいなかった。

ただ、現地の言語で、現地のニュースが、現地のサイトにあがっただけだ。


 え、なんのこと?


と、驚いているような誠二の声が小さく聞こえる。

 すぐそばにいたらしい祐也が、「あれじゃないのか?ほら、×××の、〇〇〇、」と誠二に何か話している声がして、すぐに誠二が「でもあれはすぐにデマってことになっただろう」と不思議そうにそう言った。

 祐也が笑いながら

「でも、ニュースにはなってましたよな、三日くらい」

「三日だろ。すぐに火消してただろう、×××が」


 そんな会話を聞きながら、そこに加奈子が割って入った。

「でも誠二が指輪をしてたって」

『指輪!?え?この写真もあがったの?俺、一般人なんだけど!』

『指輪がどうしたんだ、誠二』

『指輪の写真もあがったんだって。もしかして、あの時の?』

『さあ?』

 祐也が不思議そうな声で言った後に、加奈子との電話に出て、言った。

『もしもし、加奈子。それで、何がどうなったって?』

「ううん、たいした話、……じゃないのかもしれないんだけどね。麻里が、仕事仲間から、誠二の熱愛記事の情報を見せられたらしくって、ものすごいショックを受けてるんだよね」

「いや、待って、加奈子!私は、ショックは受けてない!」

 麻里はベンチから片足をおろしながら、慌ててそう否定した。司が笑いながら麻里の腕をぽんぽんとたたき、

「まあまあ、桜岡、ちょっと落ち着けって」

と、麻里をいなす。加奈子がちらりと麻里を見て、楽しそうな表情をうかべ、また電話口に向かって話し出した。

「誠二に、別の恋人ができたんじゃないかって、それはそれは心配してるよ~!誠二、ちゃんとちょくちょく連絡入れてる?麻里だって、かなりモテるタイプだからね。誠二とはなんでもないってわかったら、簡単に誰かにとられちゃうんじゃないかなぁ……。ああ、心配……。そういえば、まだ二人って、お付き合いしてなかったんだって?知らなかったな!この話、こっちの人に知れたらどうなるんだろう…」 

 加奈子が、わざとっぽい、からかうような口調でそう言って、またちらりと麻里を見た。

 麻里は、わけがわからなくて、ただひたすらにまばたきをする。


 だってこの話ぶりだと、なんだか麻里が誠二の、大切な相手のような感じだ。

 電話の向こうで誠二が慌てたように祐也に何事か話していて、祐也が呆れたように、それに何かを言っている。内容は聞こえない。ただ、雰囲気だけが流れてくる。学生時代に時々見ていた、懐かしい二人のやり取りだ。

 加奈子が笑いながら、携帯を麻里に差し出してきた。

「誠二だよ。ひさしぶりに、声でも聴いてみたら?」

「………」

 そう言われ、おそるおそる携帯を耳にあててみた。

 司が加奈子に別のマシンを指さして、「競争しようぜ」と別の勝負を持ちかけている。それに加奈子が「よしきた!」と返し、二人がベンチから離脱した。

 気を、使ってくれたのだろう。

 二人の室内用のスニーカーの靴底が、ジムの床を踏み鳴らして、元気よく向こうの方へ遠ざかっていった。

 一人残された麻里は、ジムの、押さえた白い蛍光灯が照らすベンチの上で、息を飲んで電話の向こうに耳をすませた。

『………麻里?』

 なつかしい誠二の声がした。

 誠二の声だった。少し前までは、あれほど毎日、飽きるほどに聞いていたのに、最近は、まったくもって聞けていない誠二の声だ。

 なつかしくて、胸がドクンとして、心臓が変に早くなる。

『あ~、元気?』

『元気?じゃないだろ。もっと他に何かないのかよ』

と、電話の向こうで呆れたように祐也が言った。

その祐也は、遠くの方で誰かに呼ばれ、どこかに向かって返事する。それから誠二の持っていたらしい携帯電話を抜き取って、

『桜岡さん、おひさしぶり』

「久しぶり、祐也。声が聞けて、とても嬉しい」

『俺もだよ。あと少しで帰るから、お土産話、どうか楽しみにしてて』

『うん』

 電話口でもわかるおだやかそうな祐也の様子に、麻里は思わず小さく笑った。

 何が理由かよくわからなかったのだが、ひどくほっとしたのだ。

 ふたたび電話が誠二の下へとやってきて、誠二が電話の向こうで言った。

『あのさ、その』

「………」

『麻里にお土産があって』

 お土産があって、じゃないだろ!と、遠くから祐也の声がした。

 そのツッコミっぷりに、麻里は思わず笑ってしまう。

『ああ、そのお土産というのは、あれで…。麻里、今、自分の携帯持ってる?その携帯、遠藤のだろう?』

 言われ、そういえばこれは加奈子の携帯だったと思いだした。それで自分の携帯をポケットから引き抜くと、誠二が向こうでやっぱり、祐也の携帯を耳にあてながら、自分の携帯を操作したのだろう。数秒あけてから、久しぶりに、麻里の個人ラインに誠二からの写真が何枚か届いた。

 驚いて見てみると、二つ並んで同じケースに収まった、きれいな指輪の写真だった。

 購入したばかりなのだろう。傍にはラッピングされていたらしいリボンがきれいに飾られていて、ケースの中の指輪たちは、きらきら、きらきら輝いている。

 そのうちの一つが、どうもあの時写真で見た、誠二の指についていたものにそっくりで、麻里は思わず息を飲んだ。

 電話口で、麻里の既読を確認したらしい誠二が

『この写真の、下の銀色のほうの指輪が、麻里へのお土産なんだけど…』

と言ってくる。


 麻里は「ん?」と首をかしげた。


 だって指輪は、……この二つ並んだきれいな指輪は、どこからどう見てもデザインがそっくりの、色違いのペアリングだ。

 仕事仲間に「現地の有名人とのペアリングらしい」と教えられた、あの誠二の指輪と瓜二つである。

「誠二に、そっちで恋人ができたと聞いたんだけど」

『×××のこと?』

 誠二が、一瞬では聞き取れないような異国の名前を告げてきた。よくわからないまま、「おそらく」と頷けば、

『その人は現地の〇〇〇〇で、………』

と、簡単な略歴を紹介される。

『日本に恋人を残してきたって話をしたら、なんだか妙に気に入られてね。話が合ったから、よく空いた時間にお互いに恋人の話をして、惚気あっていたんだけど、向こうが微妙に有名人だったから、そこを撮られて誤解された』

「………、やっぱり恋人がいるんじゃない」

『麻里との関係は、外では説明しにくいんだよ!恋人じゃないけど幼馴染で、子どもの頃からずっと近所に住んでて、大学を卒業した後も頻繁に顔を合わせてデートして、しかも俺はそいつが好きって、誰に話しても恋人とどう違うんだって言われるの!片想い、片想いって言い続けるのも気が滅入るし。だからごめん、うっかり恋人だよって口をすべらせたら、おしゃれな指輪を紹介されてね。誠二の×××も喜ぶと思うって、実際にデザインを見せてもらったら、悪くない感じで、麻里にもすごく似合いそうだったし………』

 どうやら誠二のほうにも、色々と言い分があるらしい。


 それはわかったが、どうして、麻里へのお土産が、誠二とのペアリングの片割れなのだろう。

 ………いや?


さきほど誠二は、なんと言った?



 お前との関係は説明しにくい。

 俺はそいつが好きだから。

 片想い、片想いと言い続けるのも気が滅入る。

 麻里にもとても似合いそう。

 …………。


 麻里は、加奈子の携帯を一度耳元から離して、自分の携帯の画面を見つめた。

 キラキラとした、お揃いの指輪の写真が載っている。

 向こうの方では、ものすごい勢いで何かのマシンを漕いでいる、加奈子と司のとても楽しそうな、けれどもとてもがんばっているらしい、元気な声が聞こえている。


 麻里は再び、加奈子の電話を耳にあてた。

 気づかなかったが、誠二がしきりに麻里に何かを言っていて

『聞いてる!?麻里!』

と聞いてきた。

 麻里は首を横に振った。

「……ごめん。ぼうっとしていて聞いてなかった」

『なんでだよ!聞いてよ!今、告白したところだったのに!ぼうっとしてるってなに!』

「その、誠二が送ってくれた指輪の写真を眺めていたんだ」

『え、』

「指輪の写真だ。ネットのニュースで見た時は、誠二と現地の恋人とのお揃いだと思っていたから、なんだか感慨深くって」

『………俺が好きなのは、麻里だよ』

「冗談でしょう?」

『本気だって。逆に、これまでの俺の、麻里に対する態度とかふるまいとかを見てみてさ。麻里以外に好きな奴が居そうに見える?俺、わりと麻里に対してはわかりやすい態度じゃなかった?』

「幼馴染だから、やさしいのだと思ってたんだけど」

『幼馴染だからって理由もあるけど、でも一番は、好きだからだね』

「………知らなかった」

『と、思ったよ。でもそれでいいとも思ってたんだ。俺が、一番近くに居られるならね。こっちに来て、麻里となかなか会えなくなって、それで初めて心配になった。俺がいない間に、麻里が誰かに目移りしたらどうしようって。俺は麻里のことがずっと好きだったから、今更目移りもなにもないけどさ。麻里は誰かのことを、好きなったことがなかっただろう。だから、俺がそっちにいない間に誰かを好きになられたらいやだなって、気になって気になって、どうしようもなくなっちゃって』

 それで、指輪、買っちゃった。


 冗談めかした口調で誠二が笑う。


『でも、日本に送りつける勇気がなくてね。自分だけ、こっそりこっちでつけてたんだけど』

「………、指輪は、……、なくても私は、大丈夫」

『っ、』

「あ、ちがう。そういう意味じゃないの!……指輪がなくても、私は誠二のことを待てる。目移りなんて、するような時間も余裕もないよ。だから、その、」

『それって、どういう、………あ、時間だ』

 電話の向こうで、誠二が誰かに呼ばれた気配があった。そろそろ時間切れなのだろう。

 誠二が向こうの言葉で何ごとかを返事して、ふたたび電話を耳に近づける。

『麻里、さっきの言葉って、』

「………」

 麻里は、ちらりとジムの中を見まわした。

 向こうの、大きなトレーニングマシンのさらに向こうで、加奈子と司が何やら楽しそうに笑いあい、競争している気配があった。リズミカルなマシンの音や、「勝った!」「負けた~!」という、元気な声も聞こえてくる。

 それを確かめ、他に誰も来ていないことを確認してから、麻里は電話を頬に近づけた。

小さな小さな、本当に小さな声で、電話の向こうに空気を送る。




 誠二が好きだ。

 早く会いたい。

 誠二のこと、―――待っているから。




 麻里は小さくそれだけ告げて、誠二の反応を待たずに電話を切った。


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2024/05/30 08:03 退会済み
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