相合傘➁
昇降口へ向かいながら、二人並んで歩く。
最近の部活の話なんかをしながら歩いていたけれど、これでは部活動の時と話す内容が一緒だ。たまにはなにか違う話題はないかな、と思案していると、
「美音?」
と後ろから聞き馴れた声がした。
声の方を振り返ると、ジャージ姿の椿が立っていた。
「あ、椿!部活中?」
「え、ああうん、雨降るまでの間少しでも練習しようと思って…」
「そうなんだね」
椿にしてはなんとなく元気がなさそうな気がする。さっきまではいつもと変わらず元気だったと思うんだけど。もしかして体調悪い?
「えっと、隣の…この前話してた部長さん?」
そう問いかけながら、私の隣の菅原先輩に視線を向ける椿。
「うんそう、サッカー部の菅原先輩」
「こんにちは」
と先輩が笑顔で挨拶する。「こんちは…」と椿も挨拶を返した。
「椿どうかした?元気なくない?体調悪い?」
そう問いかけるが、「え、いや」と、どことなく歯切れが悪い。
「私帰るけど、あんまり無理しちゃだめだよ」
「お、おう」と返事する椿の顔はみるみる青冷めていくように見えた。何かを迷っているような思案しているような不安そうな表情に見えた。
本当に大丈夫かな?
そうして私達は再び昇降口を目指して歩き出す。
少ししたところで、菅原先輩が口を開いた。
「彼は友達?それとも恋人かな?」
「え!?」
突然の質問に私は大袈裟に反応してしまった。
「こっ恋人!?ち、違います!ただの幼なじみです!」
昇降口へと向かう生徒達が一斉に振り返る。
私は慌てて口元を手で押さえると、声を小さくして言った。
「小さい頃から一緒で、えっとあの、幼なじみです…」
そう伝えると先輩は、「そうなんだね、驚かせちゃったみたいでごめんね」と言った。
こ、恋人だなんて、私と椿ってそういう風に見えたりすることもあるのかな?この前藤宮くんにも似たようなことを聞かれた気がする。
驚いたり慌てたりしたせいなのか、なんだか頬が火照っている感じがして、私は両頬に手を当てる。
「じゃあ、帰ろうか」
「あ、はい!」
先輩に促され、私達は昇降口を後にした。
外は相変わらずの曇天。というよりも、もう今にでもまた大雨が降り出しそうな暗さだった。雨の匂いがして、遠くの空が光っているような気がする。先輩も空を見上げながら同じことを思ったようだった。
「雲の流れが速いね、急ごうか」
「はい!」
遠くで小さく雷が鳴った。
ちらっと先輩の横顔を見ると、相変わらず穏やかそうな表情をしている。この人が怒るところは見たことがない。どんなにきつい練習でも難なくこなし、後輩にもすごく好かれている。
そういえば先輩って恋人いるのかな?そういう話って聞いたことがない。私、隣歩いていて大丈夫なのかな。彼女さんがいたら、この状況をよく思わないのではないだろうか。この機会に聞いてみようかな。先輩に対して失礼かな。
そう迷っていると、先輩の方から声が掛かる。
「佐藤さんって、好きな人はいる?」
「ふぇ!?」
私への突然の質問に声が裏返ってしまった。それはまさに私も聞こうとしていたことで。
「い、いません!その、お恥ずかしいことに初恋もまだなんです」
先輩は一瞬驚いたように目を丸くしてから、いつもの穏やかな表情に戻って言う。
「恥ずかしいことなんかじゃないよ」
「あ、ありがとうございます…えっと、失礼かもですが、先輩は好きな人いらっしゃいますか?彼女とか。私、一緒に帰ってて大丈夫かな?って思って」
そうおずおずと尋ねると、これまた穏やかな調子で返答があった。
「彼女は残念ながらいないよ、気になっている女の子はいるんだけどね」
そう話す先輩の表情は少し切なげに見えた。
「そう、なんですね」
先輩、気になる人がいるんだ。恋、してるのかなぁ。先輩が好きになる人ってどんな女の子なんだろう。いつもにこやかな先輩が珍しく少し困ったような表情をしていて、もしかしてうまくいっていないのかな。お相手の方は難しい方なんだろうか、などと勘ぐってしまった。
そんな思考を巡らせながら視線を落とし、ふと自分の鞄を見ると「あれ?」いつもの見慣れた鞄になにかが足りないような気がした。
あ!定期券の入ったパスケースが付いてない!教室に忘れた?どこかで落としたのかも。
「佐藤さんは、…」
と言いかけた先輩と、私の言葉が被ってしまった。
「先輩、すみません!」
「どうかしたの?」
菅原先輩は不思議そうに小首を傾げる。
「定期入れ、落としてきちゃったみたいで、ちょっと学校戻って見てきます!」
そう告げると先輩は、いつもの優しい笑顔で、
「僕も一緒に行くよ」
と言ってくれる。
「え!えっと…」
先輩と一緒に帰りたい気持ちはものすごくある。せっかく部活以外で憧れの先輩とお話ができるんだもん、こんな機会なかなかない。けれど…。
「ありがとうございます!でも、雨も降りそうですし、先に帰っていてください。せっかく誘ってくださったのにすみません」
「それはいいんだけれど、やっぱり僕も一緒に行くよ」
尚も食い下がってくれる先輩。本当に優しい人だなぁ、と感動している場合ではなくて。
「私、折り畳み傘持ってますし、大丈夫です!」
「あ、いや、」
先輩はまたなにか言いかけていたけれど、
「また部活で!」
と私は学校への道を駆け足で戻ることにした。
先輩ごめんなさい、先輩はこれから大事な試合を控えているし、受験勉強だってある。雨に濡れて帰って、体調を崩したなんてことになっては、マネージャーとして失格なのです。
そう弁解しながらも、せっかく憧れの先輩と帰れるチャンスを棒に振ってしまったことと、いつからか消えていたパスケースに気付かなかった私のおっちょこちょいを少し嘆いた。
定期券の入ったパスケースは、教室の私の席の後ろに落ちていた。
よかった、と安堵しつつもやはり若干の落ち込みは引きずっていた。
先輩との下校チャンスが…、残念。
悲しい気持ちに追い打ちをかけるように、外は土砂降りになっていた。
あちゃあ、結構降ってきちゃった。
靴を履き替え直したところで、スマホがぴこんと音を立てた。
ポケットから取り出し画面を確認すると、菅原先輩からメッセージが届いていた。
『パスケースは見つかったかな?無事家に着いたら連絡ください』
律儀な先輩だなぁ。こういうこまめな気遣いとかすごく女の子にモテそうなイメージがあるのだけど、先輩でも恋は難しいものなんだろうか。先輩が気になる女の子かぁ、どんな子なのかなぁ。
なんてことを考えながら、折り畳み傘を取り出そうと鞄を開ける。
「あれ?」
鞄に手を入れ探してみる。
あれれ?
鞄をひっくり返して探してみても、折り畳み傘は入っていなかった。
「あ、あれ?」
そういえば今朝、お母さんが傘持って行きなさい、って言ってて傘、鞄に入れたっけ…?
今度こそ教室に忘れた、などということは絶対になくて。
「傘…家に忘れた…」
今日の私あまりにドジ過ぎませんか…。
自分のあまりの情けなさに、私はがっくりと肩を落としたのだった。
あれから三十分。
土砂降りの雨は一向に止む気配がない。どころか更に雨足が強くなってきているような。
うーんどうしよう。このまま止まないのかなぁ。それだったらさっさと帰っちゃった方がいいよね、いつ帰ってもどうせ濡れるんだし。
靴箱の前で、帰るべきか様子を見るべきか、尚もうーんとうなっていると、一際眩しい光が視界を覆った。続いて大きな地響きのような音が鼓膜を鳴らす。
「ひゃっ!」
ドーン!と鼓膜がびりびりするような大きな音だった。雷が近くに落ちたのかもしれない。音に驚いたせいか、鼓動が少し早くなった。
びっくりしたぁ。すごい音だったぁ。
「何してんだ?」
「わあ!」
急に声を掛けられて、私の心臓はまたも飛び上がった。
あまりに近くから声が聞こえて振り返ってみると、そこには大きな傘を持った藤宮くんの姿があった。
「びっくりしたー、なんだ藤宮くんかぁ」
立て続けにびっくりして、心臓がうるさいくらいにばくばくいっている。
彼は少しむっとしたような顔をしていたけれど、それよりなにより私は彼の手に握られている大きな傘を凝視してしまう。藤宮くんがその視線に気付く。
「なんだ、傘ないのか?」
「う、うん」
私はおずおずと頷く。思わず彼の表情を窺ってしまう。
もしかして、傘に入れてくれたり…。さっきノートを拾ってくれた彼なら、もしかしたら傘に入れてくれるかもしれない?と淡い期待を抱いてしまう。
しかしそんな私の希望をあっさりと打ちくだくように、彼は事も無げに言った。
「ふーん、じゃ俺は帰るから」
そう言うと、あっさり校舎を出ていく。
「…………」
ぽつんと一人昇降口に残された私。
何を期待していたのだろう、藤宮くんが傘に入れてくれるわけないじゃない。女子に超絶塩対応なあの藤宮くんだよ?それに…相合傘みたいになっちゃうのは私もちょっと恥ずかしいし。でも…。なんとなく今日の藤宮くんだったら傘に入れてくれるような気がしたんだけどな。図々しい考えだったよね。
さくっと一人反省会をしたところで、相変わらず止む気配のない雨の中、私は濡れて帰る決意を固めた。
「よし!」
気合を入れ雨の中に飛び出すと、思ったよりも雨足は強く冷たかった。
駆け足で校門を出て、あっという間に藤宮くんの横を通りすぎる……瞬間、腕をぐいっと引っ張られた。
「わわっ!」
よろけて体勢を崩しそうになった私を、抱き寄せるように支えてくれる。
あれ、こんなこと前にもあったような…。
腕を突然引っ張ったのも、支えてくれたのも、当然藤宮くんだった。密着する身体に少し緊張しながらも、私は彼を見上げる。
「な、なに…?」
顔を上げると睨むような彼とちょうど目が合った。傘の青が眩しく映る。
「お前、馬鹿か?」
「なっ!」
突然の罵倒に驚いていると、私の肩が濡れないようにか更に引き寄せられた。あまりの密着度にさらに心臓が大きく跳ねた。近い近い…!
藤宮くんは怒ったように続ける。
「幼なじみに傘入れてもらうとかしろよ」
「え?」
私が何も言えないでいると、彼は面倒くさそうにため息をついた。
「どうしてお前は人を頼らないんだ?」
「え、え?」
藤宮くんの言いたいことがいまいち分からず、私は戸惑うばかりだった。
それよりもこの近すぎる距離が落ち着かなくて、何か考えてる余裕なんてないよ!
先程よりも大きなため息をつく藤宮くん。その後に続く言葉は雨音で上手く聞き取れなかった。
「…風邪、引くだろ」
「なんて?」
私がうまく聞き取れず困惑していると、彼は少し照れくさそうに小さく呟く。
「風邪うつされたら迷惑だから、入っていけば?」
その言葉に私がきょとんとしていると、彼はそっぽを向いてしまった。
え?なに?どういうこと?傘に入れてくれるの?
胸にじわじわと温かい気持ちが広がっていくのを感じた。
「ふふっ」
私はものすごく嬉しくなってしまって、ついに笑いがもれてしまった。
「なんだよ」
嬉しい。ぶっきらぼうだし、言い方冷たいし、人をからかって楽しんでるような人だけど、やっぱり優しいんだ。勉強教えてくれたり、ノート運んでくれたり。ぶつかった時だって、私が離してほしそうだったから、手を離しただけなのだ。私が勝手に勘違いして怒っていただけ。多分言葉足らずで不器用なんだよね。それに、藤宮くんでも照れたりするんだ。また新しい一面を見てしまった。
「ありがとう!」
私は精一杯感謝の気持ちを伝えた。しかし彼から返されたのは、実に彼らしい言葉だった。
「……やっぱ、なんかむかつくから出てけ」
「えっ!?」