王妃に求めるただひとつの 08
港都の城には離れがある。
その離れはウィルフレッドが幼い頃から両親と過ごす憩いの場所だった。
別荘のようにいつでもウィルフレッドが寛げるようにと、家政婦長のグレンダと、家政婦のチェルシーが常に掃除やメンテナンスをしてくれている。
ウィルフレッドにほぼ無理矢理城に連れて来られたアルマは、その離れで飼い猫のロックとウィルフレッドの相棒犬タビーとアフタヌーンティーを楽しんでいた。なおウィルフレッドは城で絶賛仕事中である。城に着いたら直ぐダレルに連行された。
「いつも坊ちゃんがお世話になっています」
そう頭を下げて挨拶をしてきたグレンダとチェルシーとはすっかり打ち解けてしまった。
グレンダに髪飾りと手荒れの軟膏のお礼を兼ねてシモンズ食堂のコーヒー豆を渡すと、凄く喜んでくれたし、チェルシーは家政婦をしながら書士を目指しているらしく、週の半分は平民向けの役所にお手伝いに行っているらしい。今度シモンズ食堂にも遊びに来てくれると約束してくれた。
シモンズ食堂でのウィルフレッドの様子を聞かれたので、大活躍振りを話すと、グレンダとチェルシーは喜んで聞いてくれる。
「私自身もお世話になってるんです。私、髪を結うのが苦手で……毎日ウィルフレッドさんが結ってくれるんです。毎晩軟膏も塗ってくれるんですよ。塗り方にコツがいるからって」
すると、グレンダとチェルシーがポカンとした表情をした。
「あっ! 王様にしてもらうことではないですよね。すみません」
ウィルフレッドがあまりにも普通に接してくれるから、一国の王様だということを忘れてしまいがちだ。グレンダやチェルシーに呆れられてしまったかもしれない。深々と頭を下げて謝る。
「違うの! いいの、いいの!」
とチェルシーが言う。
「グレンダさんの軟膏、私も使ってるのよ! 塗り方にコツがいるって知らなかったから……もっと効果的な塗り方があるなら、王様に聞いてみようかなって……アハハ!」
「そう、坊っちゃんがそうしたいと言うなら塗ってもらってください」
グレンダもお気になさらずと笑い、坊っちゃんがお役に立っているのであればグレンダは安心しましたと微笑みながら紅茶を口にした。
「坊っちゃんは元々庶民的な生活を好まれるんですよ。城での暮らしよりもこちらの離れの方が幼少の頃から好きでしたね」
アルマに新しい紅茶を入れながらグレンダは昔のことを思い出しているようだ。
「ウィルフレッドさんって子供の頃はどんな子供だったんですか?」
あのウィルフレッドの幼少期だ。凄く知りたい。
「それはそれはヤンチャでね。城を抜け出しては町の子達とケンカばかり。護衛隊隊長の四人は子供の頃からの喧嘩仲間。特にダレルくんとは今でもしょっちゅうやり合うのよ」
ふふふと笑うグレンダの笑顔に優しさを感じながら用意してもらったケーキを食べる。
「城のパティシエにアルマさん好みのケーキを作ってもらっているんですよ」
ウィルフレッドはお城には行きたくないとお断りしたアルマを、ケーキをダシにして連れてきたのだ。甘い物に弱いアルマの性格を良く熟知した戦略だった。
でも、確かに美味しい……グレンダとチェルシーにも会えたし、来て良かったな。そう思った時。
「アルマさん!」
バン! っとリビングの窓からウィルフレッドが入って来た。何事かと驚くアルマとは対照的にグレンダとチェルシーは落ち着いている。
「待て! この猛獣め!」
一瞬遅れてダレルも窓から入って来る。
「まだ仕事は終わってねーよ!」
「部屋に置いてある分は終わっただろ⁉︎」
「今日の分もあるんだよ!」
仕事をするしないで取っ組み合いの喧嘩が始まろうとした、その時。
「二人ともお止めなさい!」
グレンダの喝が入った。
「いい歳した大人の男性が……お客様の前でみっともないですよ!」
グレンダが居るとは思っていなかったのか、二人ともバツの悪そうな顔をして喧嘩をやめた。チェルシーも溜息を吐きながら、
「二人とも、アルマちゃんがビックリしているじゃない」
目を丸くして驚いているアルマに、すみませんと謝るウィルフレッド。
「ダレルくん、坊っちゃんは一時間したら城に帰しますから、少し休憩させてくれないかしら? さぁ、ダレルくんもお茶にしましょう。チェルシーさんお手伝いしてね」
はい! とチェルシーが立ち上がり、アルマちゃん、またね! と三人で離れを出て城へ行ってしまった。
気づけば離れにウィルフレッドと二人きり。
「ふっ! ふふふっ!」
アルマは耐えきれずに笑ってしまう。
「ウィルフレッドさんってば……子供みたい……ふふふふっ」
シモンズ食堂ではいつも大人で頼りになる存在のウィルフレッドの違う一面に緩みっぱなしの頬を押さえる。
「ダレルがしつこいんですよ……」
ウィルフレッドが自分で紅茶を淹れようとしたので、アルマは私が淹れますとポットを取った。
「お仕事お疲れさまです」
アルマが城に居るのが不思議な感じだ。
「パティシエが作ったケーキはどうですか?」
城に戻る前日、パティシエにチョコレートケーキをメインに様々なお菓子をリクエストしておいた。
「すっごく美味しいです! ほら、このチョコレートケーキなんて、オレンジピールがビターチョコの生地に入っていてこれぞベストマッチ!」
ほら! ケーキを切り分けたアルマがフォークに刺してあーんと差し出してくる。それをそのままパクリと食べると、確かにアルマ好みの味。
「グレンダさんとチェルシーさんと仲良しになりました。ウィルフレッドさんはいい方達に恵まれていますね。安心しました」
ダレルとの騒動を見てもそう思うのか。ちょっと恥ずかしくなり、話題を変えるためにポケットから木彫りの髪留めを取り出すとアルマに差し出す。
「これ、僕が作ったんです。アルマさんにつけてほしくて……」
ウィルフレッドの手には猫の形の髪留め。しかもロックと同じ尾曲がり猫柄……というかロックそのもの。
「凄い! 可愛い! ……いいんですか?」
目を輝かせて喜ぶアルマに頷くと、ありがとうございます! と言って受け取り、しばらく眺めた後、付け替えてとウィルフレッドに渡す。
「アルマさんに幸運が訪れますように……」
尾曲がり猫は幸運を運ぶと言われている。アルマには辛いこと悲しいことなんかと縁のない人生を送ってほしい。そう願いを込めて彫った。
「私はもう充分幸せです」
ウィルフレッドを見上げてもう一度ありがとうと言うアルマの笑顔にウィルフレッドの胸は高鳴るのだった。
一時間後。
城の執務室に戻ったウィルフレッドをグレンダとチェルシーが待ち受けていた。
「坊っちゃん、軟膏を使って若い女の子の手を触ろうなんて……紳士としては失格ですよ」
「王様の変態……下心見え見えです」
グレンダとチェルシーの冷ややかな視線に、断じてそんな気持ちはないとウィルフレッドは弁解する羽目になるのだった。