婚約破棄された令嬢、ペナルティ無しで済まそうとするクズ令息に「ギャンブルで勝負しましょう!」と持ちかける
「ジェシカ・ダブリン。今日この時をもってお前との婚約を破棄させてもらう」
金髪の伯爵令息グスタフ・ムロアは子爵令嬢ジェシカにこう言い放った。
ジェシカを邸宅の一室に呼び出しての婚約破棄だった。一室といっても普段はパーティー会場に使われるような部屋でとても広い。周囲には使用人と兵士らが待機している。
貴族同士の婚約とはお互いの家同士が結びつくことになる“契約”でもある。当然ジェシカとしても黙ってはいられない。
栗色の髪を振り乱し、愛くるしい栗色の瞳を怒りに燃やし、食い下がる。
「待って下さい。こんなの納得できません!」
「納得できないのはこっちの方だ! お前みたいな頭の弱い令嬢は、この俺に相応しくないんだよ!」
この言葉にジェシカは愕然とする。
「ひどい……!」
「ひどいもんか。受け答えはとろいし、礼儀作法もきちんと身についてない。脳みそに蜘蛛の巣でも張ってんのか、お前は」
「……!」
罵倒され、ジェシカはその白い肌を紅潮させる。しかし、怒りをこらえながら言葉を紡ぐ。
「ですが、グスタフ様……」
「ん?」
「婚約は家同士繋がり合うという契約でもあります。それをこのような身勝手な理由で破棄なさるのなら、あなたもただでは済みませんよ」
ジェシカの反撃を、グスタフは鼻で笑った。
「契約……契約ねえ」
「何がおかしいんですか」
「その“契約”とやらの根拠をなすのは、二人で交わした契約書だよな?」
「その通りです」
「今ここにある。読んでみろ」
グスタフはジェシカに契約書を突きつける。
「ほら、ちゃんと書いてあるじゃないですか。この婚約はムロア家とダブリン家の両家の繋がりを――」
「よく読めよ。一番下に書いてある文章を」
「え?」
ジェシカが指摘通りの場所を見ると、非常に小さな文字でこう書かれていた。
『正式に婚姻を結ぶ以前に、一方が婚約を破棄しても、その責任は一切問われない』
目を見開くジェシカ。
「こんな小さな字で……!?」
「どんだけ小さかろうがちゃんと書いてあるんだよ! そして、契約書に書いてあることは絶対だ! それを覆そうとすればそれこそ取り返しのつかないペナルティが降りかかることになる」
この王国では契約書を伴った契約は絶大な効力を誇る。契約上の条項を踏み倒そうとして、家ごと取り潰された貴族もいるほどだ。
そしてこの契約書は正当なもので、ジェシカには何も言う権利はなかった。
「おいどうした、何か言いたいんじゃないのか。なんか言ってみろよ。契約書もまともに読めない文盲お嬢さんよぉ」
グスタフは心底嬉しそうに追い打ちをかける。
契約書にこんな仕込みをしていたということは、初めから婚約破棄するつもりだったのだろう。ジェシカは弄ばれたに過ぎない。
涙ぐむジェシカを、グスタフは愉悦を隠さない顔で眺める。
「こ、このままで終われません……」
「じゃあどうするってんだ。見苦しく俺を訴えてみるか。ダメージを負うのはお前の方だがな」
「いえ、そうじゃなくて……ギャ、ギャンブルで勝負しましょう!」
「は?」
グスタフはきょとんとしてしまう。
しかし、グスタフには思い当たる節があった。彼女との数ヶ月の付き合いで、ジェシカがギャンブルに興じる姿をちょくちょく見ていた。
街でクジを引いたり、使用人と小銭を賭けたチェスをしたり。ジェシカはほとんど負け越していたが、ギャンブル好きの一面も持ち合わせていた。
「なるほどなるほど、せめて好きなギャンブルで俺に一矢報いたいってか」
弄ばれた令嬢のささやかな抵抗。グスタフにはこう映った。
「別にいいけどよ、どんなギャンブルをするんだ?」
グスタフには自信があった。どんなギャンブルをしようが、こんな頭の悪い女に自分が負けることはあり得ない。
ジェシカは言い出したのはいいがギャンブルの内容は決めてなかったのか、あたふたする。
「えぇっと、チェスとか……鼠闘とか……」
「鼠闘? なんだそりゃ」
「二匹のネズミを戦わせてどちらが勝つか賭けるというギャンブルです。今、庶民の間で流行ってまして……」
「あいにく俺は庶民の事情にゃ疎くてな。そもそもんな薄汚いギャンブルやってられるか。チェスも時間がかかりすぎる」
ジェシカの案は二つとも却下されてしまう。
「ダメですね、いいアイディアが思い浮かびません……。グスタフ様なら、もっとスケールの大きいギャンブルを思いつくかもしれませんが……」
この自虐を聞いて、グスタフは気をよくする。
そして、ジェシカの期待に応えるようなギャンブルを思いついた。
「こういうのはどうだ? 駒やネズミじゃなく、人を戦わせるってのは」
「人を……!?」
驚くジェシカ。
「そうだ、今周囲には10人の兵士がいる。俺たちはそれぞれ、一人の兵士を選ぶんだ。一番強そうなのをな。そいつらに試合をさせて、勝った方が当然ギャンブルの勝ちってのはどうだ?」
ちょうど鼠闘を人に置き換えたようなギャンブルを提案してきた。
悪趣味ではあるが、確かにスケールの大きいギャンブルといえる。
「ちょっと待って下さい。兵士たちはグスタフ様の兵ですよね。グスタフ様が選んだ兵士が勝つように試合が運ぶに決まってるじゃないですか」
「この部屋は広い。あいつらは俺らの会話なんか聞いちゃいねえよ。ギャンブルのことを伏せておけば、選ばれた二人はきっちり真剣に勝負するだろ。それに試合をすぐ始めるようにすれば、俺からあいつらに何か教える暇もない」
「それは……そうですね……」
考え込むジェシカ。
「別にいいんだぜ? 俺の提案したギャンブルが不服ならとっととこの場から――」
「分かりました、やりましょう!」
「お、腹くくったか」
「ただし、どうせやるならちゃんと契約書を結んでやりたいんです。それでもよろしいですか?」
「ああ、いいよいいよ。契約、結んでやるよ」
先ほど契約書を盾にジェシカをやり込めたばかりのグスタフに断る理由もない。使用人に命じて、契約書を持ってこさせた。
「んじゃあ、どんな契約にする? もし俺が負けたら俺に土下座でもさせてみるか?」
ジェシカは首を振ると――
「このギャンブルで負けた方は勝った方に1000万ポルク払うというのはどうでしょう?」
「は……!?」
1000万ポルクといえば大金である。貴族の家でも傾きかねない額だ。グスタフは眉をひそめる。
「バカか、そんな額のギャンブルなんかやれるか!」
「え、怖いんですか? 負けるのが」
あまりにも露骨な挑発だった。
その露骨すぎる一矢は、グスタフのプライドをグサリと抉った。
日頃からとろくて、契約書の罠にも気づかない、ギャンブルの才能もない頭の弱い女に挑発されたという事実が許せなかった。
「ふざけやがって……やってやろうじゃねえか! ただし、お前は払えるんだろうな!?」
「払います。私の全てを、いいえダブリン家の全てを売ってでも……」
「上等だ!」
契約書が作られ、負けた方が1000万ポルク払うという契約が成立した。
ギャンブルが成立したので、いよいよどの兵士に賭けるかの段になる。
部屋にいる10人の兵士、誰が一番強いかを見抜かねばならない。
「じゃあまず、私からでよろしいですね」
ジェシカが先に兵士を選ぼうとする。
グスタフはそれを遮った。
「ダメだ、俺が先だ!」
「なんでですか。このギャンブルはあなたにアドバンテージがあるんです。私に先に選ぶ権利が……」
10人はいずれもグスタフの兵。それぞれの強さを知っていてもおかしくはない。
「お前のギャンブルに乗ってやったのは俺の温情だ! 俺が先に選ぶ権利がある!」
鼻息を荒くするグスタフにジェシカは気圧され、結局譲ってしまった。
「俺はあの窓際に立つ兵士……ゲノンにしよう」
ゲノンは決して大柄ではないが荒々しい顔つきで、鍛えられた肉体の持ち主だった。
続いて、ジェシカの番。
しばらく残り9人の兵士を見回してから――
「あの方にします!」
「リフィルか」
黒髪で黒い瞳を持つ、精悍な顔つきをした兵士。
ジェシカはこのリフィルという兵士に己の全てを賭けることにした。
組み合わせが決まり、グスタフが二人に命じる。
「ゲノン! リフィル! 今からここで試合をしろ!」
ゲノンは快く返事をする。
リフィルはきょとんとした表情だが、ゲノンに「若の命令だぞ」と怒鳴られ準備を開始する。
「いいか、絶対負けるんじゃねえぞゲノン!」
ゲノンは自信たっぷりの表情だ。
「とにかく全力で戦って下さいね」
ジェシカに声をかけられ、リフィルもうなずく。
だが、グスタフはすでに勝利を確信していた。
なぜならグスタフは10人の兵士のことを知っているから。
ゲノンは飛び抜けて強く、一方リフィルは最近入ってきたばかりの新兵。軟弱者でいつもいじめられてると聞いている。
まさか婚約破棄を楽しめた上に1000万ポルクも手に入るとは、とグスタフは内心ほくそ笑む。もちろん温情をかけてやる気などさらさらない。
二人が向かい合う。まもなく試合が始まった。
ゲノンもまたグスタフと同じように負けるはずがないといった感じの顔で、突っかける。
勝敗は一瞬で決した。
ゲノンの剣をリフィルは軽くいなすと、脇腹に強烈な蹴りを浴びせる。
膝をついて動けなくなったゲノンに剣を突きつけ、勝負あり。
「……!?」
呆気に取られるグスタフ。
自分の目の前で何が起こったか、まだ把握できていない。
「じゃあ1000万ポルク、用意して下さいね」
ジェシカの言葉で我に返る。
「……! ちょ、ちょっと待てえ!」
「なんですか?」
「なんだこれは!? どういうことなんだ!? なぜ、あいつがあんなに強いんだ!? ゲノンが一方的に負けるなんて……!」
狼狽するグスタフを冷たい視線を見つめると、ジェシカは種明かしを始める。
「それはそうですよ。彼……リフィル・バーネットはまだ若いながら“最強の傭兵”とも言われる人物です。もっとも野蛮な世界での話ですから、庶民の事情に疎い由緒正しい貴族のあなたが知らないのも無理はないでしょう」
ジェシカは皮肉のつもりか、「由緒正しい貴族」の部分に特にアクセントを置いていた。
グスタフはさらに混乱する。
「なんで、そんな奴が……俺の兵に……」
「まだ分からないんですか。私は前もって彼を潜り込ませていたんですよ。全てはこの時のために」
「は……!?」
グスタフは頭をハンマーで殴られるような衝撃を受けた。
「あなたが私に婚約を持ちかけてきた時、全てを察しました。あなたのよくない噂は知っていましたし、ああ、この人はいずれ婚約破棄するだろうなと」
「契約書のあの文章にも気づいてたのか……!」
「もちろんです。まず私はリフィルをあなたの兵として潜り込ませ、彼には“弱い新兵”を演じるように頼んでおきました。おそらくあのゲノンという方は、軟弱を装う彼を徹底的にいじめたはずです」
未だに動けずにいるゲノンを見る。
事実、ゲノンはこの数ヶ月、新兵リフィルを大いにしごいた。
「さて思惑通りあなたは婚約破棄をして下さいました。私は契約書も読めないかよわい女を演じる。そして、せめてギャンブルで一矢報いたいと申し出る。あなたは快く引き受けてくれた」
婚約期間中ささやかなギャンブルに興じ、負け越していたのも、この時のためだった。
ギャンブルが好きだがギャンブルに弱いバカな女を演じていた。
「私はチェスや鼠闘といったギャンブルを提案してから、あなたにも話を振った。あなたは案の定“人を戦わせよう”というギャンブルを思いついた。あなたは自分で思いついたつもりでしょうが、私に誘導されてただけなんです」
自身がマリオネットだった事実に、グスタフは脂汗まみれになる。
「とはいえあなたからすれば絶対に勝てる勝負。私はあなたを焚きつけ、1000万ポルクの勝負を受けさせた。この時点で私の勝ちは決まったんです」
グスタフはかろうじて言葉を返す。
「なんで、こんなことを……?」
「最初に言ったでしょう。あなたのよくない噂は知ってました。これまでにも婚約話をちらつかせ、大勢の令嬢を弄んできたと想像ができます。いかがですか? 自分の武器のはずだった契約書で刺される気分は。彼女らの無念を少しでも味わえましたか?」
「う、ぐ……」
「それに――」
ジェシカはリフィルの腕に抱きついた。
「ちょうど結婚資金が欲しかったの! 1000万ポルク、ありがたく頂きますね!」
リフィルも照れ臭そうにしている。二人はそういう仲だったのかとグスタフは悟る。
最強の傭兵が新兵を演じる屈辱に耐えてきたことにも説明がついた。
子爵令嬢と身分の低い傭兵が結婚すれば苦労も多かろうが、1000万ポルクもあればその苦労は軽減されるどころかお釣りが来るだろう。
しかし、グスタフはまだ納得いっていない。
「だけど……もし俺が婚約破棄してなかったらどうしてたんだ!? ギャンブル話に乗らなかったら!? 兵を戦わせるギャンブルを思いつかなかったら!? 1000万の話に俺がビビったら!? ゲノンが万が一そいつより強かったら!? 穴だらけじゃねえか! こんな穴だらけの計画で……策士ヅラしてるんじゃねえぞ!」
ジェシカはそんなグスタフを鼻で笑う。
「だからこれは賭けだったのです。とても大きな賭け。やるだけやって、あとはどう転ぶか分からない。ギャンブルって……そういうものでしょ?」
綱渡りを成し遂げた――というより綱渡りそのものが楽しかったといった感じの笑顔。たとえ計画が破綻しても、彼女はそれを堂々と受け入れたに違いない。
あまりに常軌を逸したジェシカの表情にグスタフは打ちひしがれた。
ゲノンがああも完敗したのだ。残りの8人をけしかけたところで、リフィルを倒すことはできないだろう。
もはや打つ手はなかった。
己の未来が閉ざされたことに絶望し、グスタフは崩れ落ちた。
帰り道、ジェシカはリフィルの頬にキスをする。
「ありがとうね、リフィル。あんな奴に仕えさせちゃって。大変だったでしょ?」
「いや、俺も案外楽しめたよ。それにジェシカのためならたとえ火の中水の中、貴族の家の中さ」
「もうリフィルったら……」
愛する恋人の言葉に、はにかむジェシカ。
「それにしてもギャンブルは大勝すると気持ちいいわね~」
その後、正式に契約を交わしたギャンブルで1000万ポルクを失うことになったグスタフは父から激怒され、家を追放されたという。
以降彼の消息は定かではないが、野垂れ死にしたとも言われるし、貧民街で彼に似た人物を見たという風の便りもあった。
一方、大金を手に入れたジェシカは最強の傭兵リフィルと結婚し、幸せな生活を送る。
なお結婚後のジェシカは二度とギャンブルに興じることなく、慎ましく堅実なマダムとして社交界で名を成したとされている。
おわり
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