4. 礼夏という娘 (1)
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「あー、やってらんないわー。ハーゲハーゲハーーゲ、坂田のハーゲ!」
十二単から紺色のセーラー服に着替え、メガネをかけた礼夏は、当主のみが使える広い広い和室の隣のこぢんまりとした洋室のソファにふんぞり返っていた。
顔を覆っていた布も外し清々したついでに気持ちも清々させるため、あえて言葉にして『ハゲ』を連呼していた。ストレス解消である。
ここは側近の控えの間。風見順の部屋。
礼夏はこぢんまりとしたこの部屋が気に入っている。アパート・マンションでいえばワンルーム、バス・トイレ付きである。広さは約20畳ほどだ。
あらゆるものがコンパクトにまとめられている部屋は大変便利で、部屋を交代してくれと風見順に申し出たが、当然却下された。
「ねぇー、紅茶もっとちょうだい。順?・・じゅーん?」
ソファのひじ掛けに片足を乗せて、大股開きの礼夏は煎餅を食べている。空っぽになっているティーカップをみて、紅茶の追加を風見順に頼んだが返事がなかった。
「そっか、西武都市警察 (のビデオ)とりに行ったんだっけ。しょうがないわね。自分でいれるか・・・」
礼夏は天井を仰いだ。天井のうねうねした模様が不可思議だ。数えたら何個あるんだろうかと礼夏は思った。ウミウシに似ている。
小さい頃、この天井のうねうねを見て怖がったことがあった。
知世が当主になるために本山の御所に発つ前日、知世の家で祝いの宴が開かれた。礼夏も両親に連れられ祝いを持って行ったのだ。
その日の夜、知世は礼夏に『最後だから一緒に寝ましょう』と、知世の部屋で布団をくっつけて一緒に寝たのだ。
知世が16歳、礼夏が7歳だった。
知世の育った家はごくごく普通の家だ。水無瀬当主だった母親が知世を出産後亡くなったため、母親の兄にあたるおじ夫婦が知世を育てた。知世の実の父親は母親の護衛をしていた数人の中の誰かだが、誰だったかは明かされないままだ。
水無瀬当主は霊能力の低下が始まると、子を産むために屈強な男達との繁殖行為が始まる。複数人との性的交渉は、本人の意思など関係ない。霊能力と身体の強い子孫を残すため、一族の子孫繁栄のため、それだけだ。
当時7歳の礼夏はそんな事情だとは知らず、お姉さまと慕った知世が、一族で一番偉くなるのだとただ喜んでいた。
『お姉さま、天井のうねうねが怖いです』
『ふふ、ウミウシに似ているわね』
『ウミウシってなんですか?』
『可愛い海の生き物よ。みんなで仲良く行進してるみたいに見えるわ』
『お姉さまはウミウシがお好きなんですか?』
『そうね。もう一度海に行って、見てみたかったわ』
手をつないで、薄明かりの中、他愛のない話をしてくれた知世の笑顔は、嬉しさではなく諦めだったのだと今ならわかる。
「お姉さま・・・」
何も知らずに『おめでとうございます。お姉さま』と、知世を当主の座に送りだしたことを礼夏は後悔している。
「礼夏様!!」
突然名前を大声で叫ばれたが、礼夏は「何よ」と冷静に答えた。
声の主はわかっている。
礼夏が次世代の当主に選ばれた時に、当主としての教育を担当した秋葉香だ。
「なんというかっこうをしているのですか!!」
薄い緑色の色無地の着物で現れた秋葉香は、目をつり上げて怒っている。
「いいじゃない。十二単で股おっぴろげてるわけじゃないんだし」
セーラー服のスカートから片足をソファのひじ掛けに乗せてプラプラさせ、礼夏は天井のうねうねを数えていた。
「それより天井のウミウシ数えるのを手伝ってよ」
「ウミウシ?」
秋葉は天井を見上げた。
「たくさんいるから数えるのが大変なのよ」
「礼夏様!!!」
空気が大揺れしたのではないかと思うほどの大声で秋葉は叫んだ。
「秋葉、そんなに叫ぶと脳溢血で倒れるわよ。せっかく素敵な緑色の色無地着てるのに」
「誰のせいで叫んでると思ってるんですか!!」
「ダレノカレノ朋美?」
「・・・━━━━━礼夏様・・。わたくしはあなたと薄ら寒い漫才をしにきたわけじゃないんですよ・・・・」
静かな怒りが秋葉の体を覆っている。
「薄ら寒いとは何よ。失礼ね。わかってるわよ。どーせ坂田になんか言われたんでしょう?」
礼夏は天井のうねうねを指差しで確認しながらひたすら数えている。時折「あ、間違った」と数え直す。
「わかってるなら・・!」
「まあ!やっぱりお前も坂田のことはハゲだと思ってるのね!覚えておくわ」
礼夏は真剣な眼差しで秋葉をみつめた。
「い、いえ、わたくしは決してそのようなことなど考えてはなく」
焦る秋葉香。
「考えていなくても真実はいつもひとつよ秋葉。ハゲ根絶。ハゲ撲滅。ハゲは永久追放よ」
「ならば寺の坊主達も永久追放ですね」
風見順が帰って来た。両手にバッグを持っている。
「あら、お帰りなさい順。寺の坊主はハゲじゃないから永久追放はないわ」
「何故?寺の坊主達も髪はないでしょう?」
「毛根の差よ。坂田は毛根が絶滅してるからハゲ。寺の坊主達の毛根は生きてるもの。あれは剃ってるだけ」
「・・・ああ、そういう定義・・」
風見は納得したようなしないような微妙な笑顔を見せた。
「それはそうと香さん、礼夏に何か用でしたか?」
風見順は礼夏の前に二つのバッグをおいた。
礼夏は嬉しそうにバッグの中をあさり始めた。
「・・・・『用でしたか?』じゃないんですよ!!」
秋葉は今度は風見順に食ってかかった。
「秋葉は坂田にいじめられたんですって」
礼夏が横から口を出した。礼夏はキラキラした瞳で、アクション刑事ドラマ・西武都市警察のビデオを手にして天高く掲げ、崇めている。
「だから誰のせいなんですか!!あれほど大人しくしてくださいと言ったのに大人しいどころか坂田本部長に喧嘩を売るなんて!!どうしてあんな真似をしたんですか!!」
「どうして?決まってるじゃない」
礼夏はジロリと秋葉香を見た。たじろぐ秋葉。
「喧嘩を売るのが得意だからよ!!」
礼夏は握りこぶしを作って力説した。
「喧嘩を売って買われてしまったらどうするんですか!!」
「もちろん代金払ってもらうわよ。わたしの喧嘩は高額いわよ!?」
ノリが『月に変わってお仕置きよ』である。
二人のやりとりを声を出さずに風見順は笑っている。
だがそろそろやめさせないと、秋葉香の矛先はまた自分に来てしまう。風見順は礼夏に、
「大人しくビデオを観ないなら片付けますよ」
と、忠告をした。
「観るわよ!大人しく観るわ!今日は大好きなパート1の第一話から全部観るんだから!なんのために顔合わせを早く終わらせたと思ってるのよ!大門団長のためよ!!でも結婚するならリキがいいわ!」
礼夏はソファのひじ掛けに乗せていた足を下ろし、ひよこのクッションを抱っこしてリモコンを手にした。14歳の少女らしく、少しかしこまり、きちんと足を閉じて、
「さあ、観るぞー!」と気合いを入れた。
「香さん、坂田本部長に何か言われたらすべて僕に直接言うようにしてくれと言ってください。あなたが矢面に立つことはない」
風見は静かに微笑む。秋葉は風見の微笑みを見てため息をついた。
「わたくしは礼夏様の教育係だったんですのよ。それにわたくしとて礼夏様の側近の1人です。坂田本部長くらいあしらおうと思えばあしらえます。わたくしは要らぬ喧嘩は売る必要は無いと申し上げたかっただけですわ」
秋葉はそう言うと、「失礼します」と言って去って行った。
「秋葉は苦労性よね」
礼夏が煎餅をパリンと口で割って言った。
「礼夏」
「なあに?」
「人柱など教えてしまってよかったのか?」
風見順が礼夏の後ろから問いかけた。