第1章 象の神様ガネーシャ
出版できたので出版した内容で出し直しました。
NewsPicksでもるろうに剣心の大友監督とコルクの佐渡島さんに書評いただきました。
https://newspicks.com/news/5788735/body/
モスクの祈りの声。
僕はベットの上に正座になり、顔を枕に埋めて叫んだ。
「ああああ!」
なんだってこんなに騒がしいのだ。
ベットの枕元に置いた腕時計を見ると4時半だった。
まだ夜も明けてない時間に毎朝毎朝祈りの声が響き、僕にとってはちょっとした呪いだ。
ちょっとのことでは動じない、動じなくなってしまった性格で、ある程度の常識を兼ね備えていると自分のことを思ってきたがこれには参った。
時折、宗教観の違いで暴動にまで発展するというヒンドゥー教の人間も、よくこれに我慢できるものだ。
いくらイスラム教徒が多い地域だとはいえ、ヒンドゥー教の人間が大多数のこの国で。
僕は頭をぐしゃぐしゃっとし、洗面台に顔を洗いにいった。
メガネを置き、蛇口を回したが水が出ない。
「またかよ!」
しばらく水道を見つめてイラつく自分に嫌気がさし、鏡を見つめる。
シルクのパジャマに身を包んだ一方で、情けない顔の自分が映る。
部屋着であっても普段からいい物に身を包み、いけている感じを持ったほうがいいと本で読んで、購入したものだった。ビジネスマンとしてもう少し進化できるかと思って、今回の出張に際し購入したが全くいけていない。
髪がぼさっとした起き抜けの顔が、さらに情けなさを醸し出す。
落ち着こう。僕らしくない。
インドに来てから、1日一度は水道と電気が止まる。
下手すると5回くらい止まったりもする。
シャワーからお湯が出ないのはデフォルトだ。お湯どころか、土の混ざった水が出てきた初日は驚いたが、今はもう驚かない。
自分が意図しないことに振り回されるのはごめんだ。
対応はできる。大丈夫だ。
そう思いながらもインドに来てから正直、自分ではどうにもならないライフラインのことなどで振り回されっぱなしだった。
飄々としながらも、与えられた仕事をプラスαでこなしていくという周りの評価を、密かに僕は気に入っていたし、確かにそれは僕の性格の一面で、そういったキャラクターが決まっている方が過ごしやすかった。
しかし同時に、そんな自分でずっといることに疲れるのも本当で、今までコンタクトとメガネで自分の中のオンオフを切り分けてきた。だが、水が出ないせいでそれさえもできない。
僕は静かに髪の毛をとかし、メガネと一緒に洗面台の横に置いていたレンズクリーナーで、メガネを拭きながら部屋に戻った。
部屋は、自分の部屋と同じに配置していて、少し落ち着けた。ベットの枕元にはスマホ、机の上には手帳とパソコン、筆記用具や充電器をきれいにまとめたケースを置いている。それを見ながら普段の平穏を取り戻そうと深く息を吐き、机の前に座った。
スーツケースからウェットティッシュをとり出し、顔をふく。パソコンを開くと、メールが1件受信となった。
ようやく先方から返信が来たようだ。
取引相手であるルドラ氏のメールは、実際に会った時同様、ただ端的にアポイントについて問題ないと記載されていた。
それでも、まだ返信があって良かった。
これで何もこなかったら、正直どうしようかと思っていたが・・。
「どうしますかねえ」
スーツケースを全開にし、綺麗に並べられたパンと飲み物を端からひとつずつ取り出した。
大量に持ってきたウェットティッシュと水も、少し減ってきている。さっさと終わらせなくては。
僕はパンを口に頬張り、水で流し込んだ。
スーツに身を包み、ホテルのロビーに降りていくとガネッシュが待っていた。
「Good Morning, Sir.今日はIndia Global CompanyでOKですか?」
「うん」
インド専門の旅行会社一押しの彼は、ヒンドゥー教徒だという。
ガネッシュはインド人特有のフレンドリーさはあるものの、非常に礼儀正しく、総務の和美に旅行会社を教えてもらってよかったと思ったひとつだった。
車に乗り込むと相変わらず清潔に保たれ、朝だからなのか少しお香のような香りがした。
しかし彼と同様、主張しすぎず居心地がいい。この清潔感のあるタクシーも、僕にとってはよかったと思えるひとつだ。
正直覚悟していたものの、インドに到着してから、街の汚さに頭痛がするほどくらっとした。空港から車まで案内される道中、汚めのタクシーが並んでいるのを見て、このまま引き返して帰ろうかと思ったくらいで、彼のタクシーを見てようやく、何とか思いとどまれたのである。
コルカタの町に出ると、綺麗なホテルとタクシーとは対照的に、人力車とトゥクトゥクや人が関係なく入り混じり、中には、けたたましくクラクションを鳴らしながら走る車もある。
ガネッシュのタクシーと同じく、綺麗な車も見られる一方で、その奥に見える店の片隅には、片足のない老人が立って物乞いをしている。初めこそ驚いたが、こんな光景があちこちに見られるのがインドという国だった。
砂埃があたりを黄色くしているせいなのか、自分が車の中から見ているからなのか、現実感がなく不衛生さよりも自分の中で何かが疼くのを感じる。
なにが僕と違うのだろう。
ガネッシュはそういう老人を見ても宗教観の違いだろうか、そういうものだという。本人たちもそれを受け入れているはずだと。
僕だったらカースト制度という人間が作り出した宗教が決めたきまりを運命と受け入れられるのだろうか。
運命?
ここで生まれたことが?
抗うことさえ許されない運命などあるのだろうか。
インドについてから数日、カルチャーショックという簡単な言葉ではどこか片付けられない自分がいた。
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