第8話 DV彼氏
第三章 バッドエンディングデート
翌放課後、俺は白雪と共に菫野の後をつけるため、校門で待ち合わせをしていた。
(こうやって放課後に女子と一緒に帰るなんて、数か月までは考えられなかったな……)
そんな浮かれたことをぼんやりと考えていると、ポケットの中のスマホが揺れる。
(白雪からか。『委員会忘れてた。先いって』……)
相変わらず絵文字もスタンプも無い、業務連絡。
(『先いって』って言われてもなぁ……?)
この時間にしては珍しく生徒の少ない校門に目を向ける。柵越しの門の反対側に菫野はいた。
(誰かを待ってるっぽいな……)
俺は探りを入れていると勘付かれないようにそれとなく声を掛ける。
「ひょっとして、また泉か?」
「うん……」
ここ数か月、俺が白雪と待ち合わせをするこの時間、校門で菫野の姿をよく見かけた。その度に話しかけると、菫野はいつも泉を待っていた。
(やっぱ、付き合ってるんだろうな……)
実際に本人に聞いたことは無いが、放課後にいつも同じ場所で待ち合わせているんだからそうなんだろう。女たらしの泉と大人しい菫野という珍しい組み合わせのふたりが付き合っているなんて噂は聞いたことがなかったが、泉の恋人が変わるのなんて日常茶飯事だ。もう噂にもならないんだろう。
(菫野、泉なんかのどこがいいんだろう? やっぱ顔か? 金か? 頭の良さか?)
「じゃあね……」
声を掛けられ菫野に視線を向けると、遅れてやってきた泉の後についていくところだった。
「あ――」
(やっべ……このままじゃ見失っちまうぞ!)
急いでスマホを確認するも、白雪からの連絡はない。
(『先行って』ってことは、『見失うなよ』ってことだよな……?)
ここで躊躇して白雪を待っていたら役立たずもいいところだ。そんなの後でどんなおしおきをされるかわからない。俺は菫野達から一定の距離を保って尾行することにした。
◇
学校の最寄り駅から電車で首都圏に向かう。ふたりが降りたのは新宿駅だった。
(放課後にわざわざ新宿でデートか?)
学校から電車で一本とはいえそんなに近い駅ではない。確かに遊ぶところは多いが、そういうところへ行くのは土日でいいんじゃないか? などという俺の考えはふたりを尾行していくうちに徐々に薄れていった。リア充がリア充たる由縁が、そこにはあったのだ。
ふたりはまず『SNSで話題沸騰!』という看板が出ているカフェに並んで入り、俺が飲んだことも無いようなシャレオツでインスタ映えしそうなドリンクを注文。
ケーキセットをまるでハムスターみたいに無心でもぐもぐと頬張る菫野を横目に、泉はスマホを弄る。おおかたSNSに写真でもアップしているんだろう。
カフェから出たらその辺の店をふらつき、帰宅ラッシュ前の静かなオフィス街を散歩する。その間俺は慣れた様子の泉に不覚にも感心しながら、百円のシェイクを片手に白雪からの連絡を待った。
(おいおい、日が落ちて来たぞ。白雪のやつ、まだかよ……?)
俺の心配をよそに今度は駅の東口へ移動するふたり。見失わないよう、増えてきた人混みに紛れながら後をつける。歌舞伎町の入り口に差し掛かるころ、危惧していた事態が遂に起きた。
(ああ。やっぱこうなったか……)
――ふたりを、見失った。
一定距離を保っていたせいもあるし、この人混みに俺一名という人手不足の問題もあると俺は訴えたい。
(白雪にどやされる……!)
俺の心臓がバクバクと警鐘を鳴らしはじめた。ふたりを見つけて汚名を雪ごうと、足早に歓楽街を移動する。色鮮やかで俺みたいな高校生は入れない店の看板に囲まれ、どうにも居心地が悪い。
(くそっ! ふたりとも何処いったんだよ!? この方角……まさかラブホ!?)
いやいやいや。待て待て待て。いくらたらしなお隣の泉さんでも、まだ未成年でございますでしょ? 流石にちょ~っとソレは……脳裏をよぎる、女子の会話。
『泉君ってさぁ、なんか大人っぽいよね?』
『うんうん。女慣れしてるのもあると思うけど、どこまで慣れてるんだろう?』
『この間、背の高い女の人と歩いてるところを見たって……』
『あ、それ聞いた! お母さんっていうにはやたら若い……お姉さん?』
『あれ? 泉君にお姉さんなんていた? お兄さんがいるってことしか知らないけど……』
『じゃあ、もしかして……!年上の彼女!?』
『『『きゃ~!』』』
ってことは……!
(白雪ぃ! 早く来てぇ! 俺をたすけてぇ! そして菫野の貞操を守ってぇ!!)
あと少しで着くって言ってから随分経つんですけど!? 俺にばっか下見させて、あいつやっぱ方向音痴なんじゃ――
「あ~も~! どうすりゃいいんだ!?」
歓楽街は高校の制服を着たままほっつき歩くにはだいぶ辛かった。
妙なところで警察に会えば補導されちまうし、黒服のにーちゃん達はなんか怖いし、綺麗なドレスのお姉さん達のギラギラした視線も、ただの看板のくせに未経験の俺には恐怖でしかない。
そんな中をいくらふらついたところでふたりを見つけられない俺は途方に暮れ、近くにあった病院の地下駐車場に逃げ込んだ。
(こんな地下にしか俺の居場所が無いなんてな? なんてオトナな街だよ、新宿……)
自虐的になりつつ自販機のボタンを押す。今の気分はコーラ一択。
「はーーーーっ……」
疲れた時の炭酸が、心と体に染みわたった。
(もう、帰るか……)
俺はぶっきらぼうに空き缶をゴミ箱へ投げ捨てる。すべてを諦め、白雪にどやされるのを覚悟で帰ろうと立ち上がると――
パシーンッ!
どこからか、大きな音が聞こえてきた。
(なんだ……? こんなところに人が?)
不思議に思って覗いてみると、そこには菫野と泉の姿があった。
ふたりを見つけられたこととふたりがラブホへ消えたわけではなかったことがわかり、二重の意味で安堵する。
だが、さっきまでの仲の良さそうな雰囲気はどこへいったのか。ふたりの様子はどこかおかしかった。よく見ると泉は右手を構えていて、菫野は左頬をおさえている。真っ白い菫野の頬が心なしか赤みを帯びているように見える。
(おいおい……今の音、まさか――)
俺は思わず柱の影から飛び出しそうになるのをなんとか堪えた。
(DⅤ彼氏ってやつか……!?)
だとしたら、今俺が何も考えずに出ていくのはよくない。そのせいで後で菫野がもっとひどい目に遭う可能性があるからだ。こないだ見たテレビのワイドショーでそう言っていた。
(菫野……!)
歯痒い気持ちを抑えたままふたりの様子を伺う。見ると菫野は壁に寄りかかり、その逃げ場を塞ぐように正面に泉が立ちはだかっている。
「なんか言いなよ、紫」
「別に、なんでもないよ……」
「はああ? 毎回同じ時間に校門の前でお喋りしてて、なんでもないわけないよねぇ?」
「待ってる間、お話してるだけだよ……」
(待て待て待て! 校門の前でお喋りって……まさか、俺のことか?)
「もう一回聞くよ。万生橋とは、ほんとに何もないんだね?」
「だから、ないってば……」
パシーンッ!
「い、いたい……! 式部……」
「知ってるよ。痛くしてるんだから」
「んッ……はぁ……」
可哀そうに、菫野は大きな目に涙をためていた。瞳を潤ませ、痛みに耐えるように呼吸を荒げるその姿はどこか煽情的にすら思えてきてしまう。
「へぇ……? そんな顔もできるんじゃん……?」
泉はそう言うと、おもむろに菫野の頭を掴んで壁に押し付けた。
「紫、覚えておきなよ? それが、『痛くて、悲しい』ってことだ」
「ううッ……」
菫野は何も言わず、苦しそうに目を細めて泉を見つめ返す。
(なんだよ、アレ! なんなんだよ! まさか泉の奴は『病み』に侵されて暴力的に………『ミタマ化』しようとしているのか? 魔法少女である菫野は、それをどうにかしようとしてる? でも、それでも……! あんな無抵抗に!)
「僕のこと、怖い? 憎い? 今の僕に対して、何か思うことはある?」
「……わからない」
「……そう。じゃあ、もう一発くらいしてみるか――!」
泉が、再び構えた。
(もう、見てられん――!)
堪らず飛び出し、泉の右手をつかまえる。
「お前っ! 何してんだよ!?」
「――っ!?」
驚き振り返る泉。菫野は、さっきの泣きそうな表情のままだ。
「……万生橋。なんでここにいるの? まさかとは思うけど、紫のストーカーでもしてた?」
泉はそう言って、心底嫌そうに俺の手を払いのける。
(こいつ、なんでそのことを……!)
「べっ、別にそういうわけじゃねえよ。たまたま近くにいて、大きな音がしたから……」
「でも、僕を止めるってことは……盗み聞きはしてたんだよねぇ?」
ぎくっ
(鋭いご指摘で。やっぱこいつ、噂通りただモンじゃねーな……)
図星をつかれ不覚にも感心してしまう。
すると、泉は呆れたようにため息を吐き、菫野の手を握った。
「あーあ、なんか萎えちゃった。帰ろう、紫」
「待てよっ! お前、仮にも彼氏なんだろ!? なんで! なんでこんなことするんだよ!?」
「……万生橋には関係ないでしょ」
「ねーよっ! 関係ねーけど……!」
(好きな子があんなことされて、黙ってられるわけねーだろ……!)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
今ここでそんなことを言えば、明日菫野は学校に来られないかもしれない。
「じゃあ――別にいいよね?」
鼻で笑い、さっさと帰ろうとする泉。
だめだ。ここで帰してしまったら、菫野はまた同じことをされるだろう。
俺はない脳みそを絞って、必死に言葉を探す。
「女の子は、大事にしろよ……」
「……それ。万生橋が言う?」
(――は?)
しばらく考えるようにして黙っていた泉の口から出た言葉が、それだった。
――意味がわからない。
俺は女の子を大事にしていないつもりはないし、そもそも大事にすることを許される女の子、つまり彼女がいない。むしろいたことがない。
「泉、お前何言って……」
「はぁ~あ、もういい。万生橋ってほんと、なんにもわかってないや。これじゃあ、相方の子が可哀想だねぇ、紫?」
「……?」
急に話を振られた菫野はきょとん顔だ。だがそんな顔も可愛い。
泉はそんな菫野を見て一際大きなため息を吐いたかと思うと、『どいつもこいつも』と愚痴をこぼして去っていった。
その場には、泉の言葉の意味がわからない俺と菫野がぽつんと残される。急に菫野《好きな子》とふたりきりになり、俺は何をどう話したらいいかわからない……!
(菫野は相変わらずぼーっとしてるし、どうしたもんかな……)
沈黙に耐えきれず先に口を開いたのは俺の方だった。
「あの……さ。大丈夫か? ほっぺ」
言われてようやく思い出した、というように頬をさする菫野。
「うん……」
「とりあえず、冷やした方がいいよな」
俺は自販機でペットボトルの水を購入し、ハンカチを濡らす。程よく湿ったハンカチを頬につけてやると、菫野は気持ちよさそうに目を細めた。
「それ貸すから、しばらく当てておけって」
菫野はハンカチを受け取ると、言われるままに頬をおさえている――と思いきや、次の瞬間、ぽつりと口を開いた。
「ん……ありがと」
(……? もしかして今、お礼言われたか? 幻聴?)
はっとして菫野の方を振り返るが、さっきと変わらないきょとんとした表情のままだ。
(あああ……! もしさっきのが幻聴でなかったら、録音したかった……!)
菫野は可愛い。大人しくて素直で。庇護欲をくすぐるというか、人形みたいで世話を焼きたくなるというか、白雪の可愛さとはまた違ったものがある。一方で白雪はというと可憐というか造形が整い過ぎていて、ちょっと近寄りがたいところがあった。
しかし最近では案外性悪なところがあったり、健気で頑張りやなところがあったり、おばけが怖いなんていう意外な一面があったりと、俺の中でのその印象はころころと変わっているのだが。
――ハッ……
白雪の顔が頭に浮かび、俺は本来の目的を思い出す。
菫野におかしなところがないか調べていたんだった。
(おかしなところだらけじゃねーか……!)
まだ少し赤い菫野の頬に視線を向け、恐る恐る質問してみる。
「その……さっきみたいなのさ、よくあるのか?」
「……たまに」
(あるのかよ……あいつ……!)
泉に対し、再び怒りが込み上げる。
「嫌じゃないのか? 泉と別れようとか……思ったりしないのか?」
「……? 式部は、彼氏とかじゃない。幼馴染だよ」
「へ? そう、なのか?」
(てっきり彼氏なのかとばかり……)
「式部とは、小さい頃から一緒なの。色々、面倒見てもらってる」
(色々って、なんだろう……)
逐一そんなことが気になってしまう、自分の男子高校生脳が憎らしい。
「でも菫野。さっきのは、面倒見てもらってるとは言えないんじゃ……?」
「うーん……」
問いかけると、菫野はうつむいて黙ってしまった。
(まさかとは思うが菫野は泉を庇ってる? それとも俺が思う以上に、菫野が会話下手なコミュ障ってだけ?)
その様子に、俺はテレビのワイドショーを思い出す。
(ひょっとして、これが共依存ってやつか? 泉には菫野がいないとダメだと思ってるとか? もしくは、菫野は泉がいないとダメってくらい、何もかも世話を焼かれてるっていうのか!?)
男子高校生な俺は、それだけでどことなくただれた関係を想起してしまう。
「菫野……困ってることがあったらさ、遠慮なく言えよ?」
うまいことは言えないが、せめてと思い、精一杯の笑顔を菫野に向けた。
「ほら、その……いつも校門で会うわけだし?」
そこまで言って思い出す。そもそも菫野が怒られていたのは俺のせいだった。
「って……さっき怒られてたの、そのせいだよな? なんか、ごめんな?」
「…………」
菫野は何も言わず、いつもと同じ、人形のように澄ました顔でこちらを見ている。ここまでぼんやりされると正直、沈黙に息が詰まりそうだ。
(泉のやつ、このテンポについていけるとこだけは褒めてやるぜ……)
「あー……菫野さん? 聞いてる?」
「うん……大丈夫。万生橋君のせいじゃないし、式部も多分……ほんとは悪くないの」
(えっ――そんなわけ、なくね?)
思わず驚きと疑念の眼差しを向けるが、俺の目に映る菫野は冗談を言っているようには見えなかった。菫野がそう言っている以上、泉のことをとやかく責めたところで菫野はよく思わないだろう。だが、菫野が狂気的な変身をすることに全く関係が無いとは思えないのも事実。
(とにかく、白雪に相談してみるか……)
今の俺では手に負えないと判断し、一旦帰ることにする。
俺は白雪に一報を入れ、菫野と共に足早に歓楽街を去った。
「――ここでいいよ」
新宿駅に着くと、菫野は俺に手を振った。
「ほんとにいいのか? 家まで送――」
言いかけて、言葉をぐっと飲み込む。
菫野が俺と一緒にいたせいで泉に怒られたことを思い出したから。
「……気をつけろよ? 何かあったら、いつでも連絡していいからな?」
せめてと思い、さっき連絡先を交換したスマホを振ってみせる。
「うん……」
同じように、菫野もスマホを振り返す。その表情は相変わらずぼんやりとしたものだったが、手の振り方は心なしか嬉しそうに見えた。
しばし手を振っていた菫野はスマホをポケットにしまうと再び俺に掌を振る。そして、ゆったりと目を細めて呟いた。
「万生橋君……ありがとね?」
「――っ!」
その表情は穏やかながらも、俺への感謝に満ちている。
小さく首を傾げた拍子に落ちてきた前髪を慣れた手つきで直し、ゆるく巻かれた黒髪を揺らしながら駅へと足を向ける……
「…………」
――やっぱり、菫野は可愛いかった。
(なんだかんだいっても、目で追っちまうもんだなぁ……)
俺は菫野の姿が人混みに紛れて見えなくなったのを確認し、帰りを急ぐ。
「――っと、その前に……」
駅前で人だかりができている店に視線を向けると、それは焼きたてのアップルパイのようだった。さっきから腹が減って仕方がなかった俺は、その甘い匂いと『SNSで話題沸騰!』という看板につられて列に並んだ。
(日持ちは常温で明日までか。よし……)
俺は自分の分と、それとは別にアップルパイを購入する。
「白雪のやつ、これで許してくれるといいんだが……」
事情が事情とはいえ、新宿まで来させたのに何もせずに帰らせてしまったことへの、せめてもの詫びだ。お菓子一つで『孤高の雪兎』のご機嫌が直るとは思わなかったが、何も無いよりはましだろう。
『女子にはSNSで話題沸騰中のスイーツが効果抜群』。菫野のこと以外で得た、俺の今日の戦果だ。そんな戦利品の片方を頬張りながら、会社帰りのサラリーマンを横目に駅のホームへ向かう。電車に乗り込んでスマホを確認すると、白雪からメッセージが届いていた。
『紫の件は了解。また明日の放課後に――――――――――――おつかれさま』
ものすっごく下までスクロールしないと見えない場所に、労いの言葉があった。
(明日はこれで、大丈夫そうだな)
俺は手にぶら下げたアップルパイの袋に視線を落とすと、先程より軽い足取りで家路についた。