第18話(最終話)ハッピーエンディングデート
◇
翌日。都内の水族館の入り口に少し早めに向かうと、そこにはすでに白雪の姿があった。遠くからでも一発でわかる、人目を引く容姿。白いワンピースに揃いの色のつば広帽子をかぶり、普段は結っている髪をおろしている。その髪の、初夏の風に煽られてふわりと揺れる様子はまるで野に咲く花のようだ。
俺は一段と可憐なその姿に思わず歩みが止まってしまった。白雪は細い手首に巻かれた華奢な細工の腕時計をちらちらと気にしていたかと思うと、俺に気がつきこちらに向かってくる。
「来てたなら、声かけなさいよ」
「あ……わりぃ……今ちょうど来た」
「思ったより、早かったわね」
「お前こそ、めずらしく早いじゃねーか。放課後はいつも遅れて来るくせに」
「……別に、遠出するのに少し早めに家を出ただけよ……放課後は、お化粧直してるから、その……」
何故か気まずそうに目を逸らす。
(早く着く分にはいいんじゃねーかと思うが……そっか、放課後は化粧を――)
先日妹にした調査の結果『女子が頻繁に化粧を直すのは少しでも可愛く見られたいからなの!』が頭をよぎり、思わず口元がによりと緩む。
「ま、いいや。とりあえず入ろうぜ」
「ええ」
ふわりと身を翻して入り口に向かう白雪の隣に並び、入場ゲートをくぐる。カウンターでチケットを見せて中に入ると、薄暗いながらも幻想的に青く照らされた通路が見えてきた。
「おお。やっぱいいな、水族館」
(いつぶりだ? 妹と冬にイルカのイルミネーションショーを見に来て以来だから、半年ぶりくらいか?)
俺は結構水族館が好きだった。動物好きの妹の影響もあるだろうが、どちらかというと動物園より水族館派だ。
クラスの友人には『意外』とか『ぽくない』とか言われるが、この静かな雰囲気と水中をゆったりと泳ぐ魚や海の生き物を見るのはなんだか心が落ち着いて好きなのだった。
「意外ね? 万生橋が水族館に興味があるなんて」
「はは、よく言われる。なんか落ち着いてて好きなんだ。ひょっとして、俺が『亀』なのもそのせいかもな」
「――そう。じゃあ、私が『水の魔法少女』なのも、そのせいかもね」
白雪はそう言って、近くにあった色鮮やかな小魚の水槽を穏やかな表情で眺めている。
「白雪も好きなのか? 水族館」
「ええ。幼い頃、両親に姉と連れてきて貰って以来だから、来たのはすごく久しぶりだけど」
「そうなのか? それって何年前だよ? 最近の水族館は凄いんだぜ。プロジェクションマッピングって言ったか? とにかくすげーから。案内してやるよ」
俺はマップを取り出しショーの時間を確認すると、おすすめの順路を指でなぞった。ほとんど妹の受け売りだったが、このルートなら効率よく全ての水槽が見れてイルカのショーやペンギンの散歩コースなどのイベントを網羅できる。もちろん、今日の本命である『ウミガメ』の水槽をじっくり見る時間も取れる予定だった。
白雪は少し驚いたように俺の説明に耳を傾ける。
「万生橋にこんな才能があったなんて。水族館には、その……よく来るの? 女の子と?」
「へっ!? いや、妹とだぞ!? 頻度はまぁ、そこそこか? 妹が動物好きだから、季節のイベントとかがあると一緒に来たりするな。年に二、三回くらいか?」
「へぇ……やっぱり、面倒見いいのね」
白雪はどこかほっとしたような表情でマップに視線を落とす。
「じゃあ、次はクラゲね?」
俺達はクラゲやうつぼ、カエルといった生き物の水槽をはじめとし、ジンベイザメやエイなどがゆったりと泳ぐ大水槽、ラッコやカワウソの愛らしい姿を堪能した後、ペンギンの散歩を眺め、ウミガメの水槽の前に来た。
「ショーは午後からだから、しばらくここでのんびりしたら昼飯にしようぜ」
「賛成。ほら見て、あんたの先輩よ」
白雪はウミガメの水槽に張り付いたまま目を輝かせ、ひらひらと手招きする。『孤高の雪兎』と呼ばれているなど到底思えないその無邪気な姿に、思わず笑みがこぼれる。
「お前、水族館ほんと好きなんだな?」
半笑いしながら話しかけると、ムッとした表情が返ってきた。
「……わ、悪い? そんなに意外に思うことないじゃない。どうせあんたも私のこと、近寄りがたい冷たい女だと思ってるんでしょ?」
「そんな訳ねーだろ? 冷たい奴は、そんな顔でウミガメなんて見ねーよ」
水槽に視線を戻すと、水の中を心地よさそうに泳ぎ、時折ぷかぷかと水面に顔を出すウミガメの姿があった。なんとも呑気で気の抜ける顔だ。よく見ると目がくりくりとしていて、優しい表情をしているように思う。
「……かわいい……」
白雪の口からぼそり、と感想が漏れる。その口元はふわりとほころび、いかにも『抑えられませんでした』といった笑みが浮かんでいる。きっとこれが、こいつの素なんだろう。俺もつられて口元が緩む。
「はー……呑気だよなぁ。ぷかぷか浮いて、海藻食って、気持ちよさそうに泳いで……」
「ええ……」
白雪はうっとりとした表情でウミガメから目を離さない。俺達はふたりしてしばらくぼーっとウミガメの泳ぐ姿を眺めていた。
――結論から言うと、ウミガメから得られた守護者の極意は何もなかった。
考えてみれば当たり前だ。俺達はウミガメに戦闘の助けになるような能力が何かないかと思って来たわけだが、水族館でのんびり暮らすウミガメに戦闘の機会など訪れる筈も無い。いや、目の前にいるこいつの姿を見ているかぎり、野生のウミガメが天敵に出くわしたとしてもその戦う雄姿をみられるとは到底思えないのんびりっぷりだった。
しかし、ここまで来て何も得られなかったなどと、口が裂けても白雪には言えない。俺は「呑気で可愛くて戦うところなんて想像できない」という感想を胸の奥深くにそっとしまい、白雪と共に次へ向かった。
館内のレストランで遅めの昼食を済ませ、プロジェクションマッピングを利用した屋内のイルカショーを堪能したあと、俺達は水族館を後にした。
その間白雪は普段学校では見せないような、驚いた顔や感動した顔といった様々な表情を見せ、俺は白雪に内緒でその姿も堪能させてもらった。こればかりはパートナーマスコットの特権といってもいいだろう。俺にとっては、今日一番の収穫ともいえる。最後にお土産屋を通過して外に出ると、時刻は午後の三時をまわっていた。
「はー……! 満喫したなぁー……」
久しぶりの外の空気を吸い込みながら、大きく伸びをする。
「ええ。こんなにじっくりと色々見て回ったのは初めてかも」
「そうか。気に入ってもらえたんなら、妹直伝のコースを案内した甲斐があったな。なんにせよ、チケットをくれた泉に感謝だ」
「ふふ、そうね。おかげで――」
言いかけて、口を閉ざす白雪。
「ん? どうした?」
覗き込むと、何故か恥ずかしそうに口元をおさえている。
「……大丈夫か?」
「……な、なんでもない……いえ、なんでもなくない……」
もじもじとしていたかと思うと深呼吸をし、そして、一言一言を確かめるように口を開く。
「その……たのし、かったわ……おかげで、今日は、楽しかった」
帽子に隠れて見えるか見えないかギリギリのその表情は伏し目がちで、若干頬が染まっている。
こんな乙女チックな照れ方、数か月前に俺と契約したばかりの白雪からは想像もできない。正直に言うと超かわいい。でもそれ以上に、こうして素直に喜んでくれたことが俺は何より嬉しかった。思わず口元がほころぶ。
「お前、すげーよな」
「きゅ、急に、何……?」
「こないだ『素直になる』って言ってから、ちゃんとやろうとしてる。焦らなくていいって言ったのによ。やるって決めて、実際にすぐできるやつなんてそうそういねーよ。だから、すげーなって思って」
「そ、そうなの……?」
「そうそう。俺だってお前の力になりたいって思ってからできるようになるまで、随分かかっちまったし」
「う……あ、あんた、よくそんな恥ずかしいことが言えるわね……」
白雪の顔が一層赤くなる。これは見覚えがあるぞ。俺の前で初めてスノードロップに変身したときくらい赤い。かなり恥ずかしいときのだ。なんでこいつがそんなに恥ずかしがってるのかはわからんが。
「別に、恥ずかしくなんてねーよ。思ったことをまんま口にしただけだ。あーあ、俺もお前をみたいに色んなことをすぐできるようになれればいいんだけどな。生憎そんな出来も良くねーし、要領もよくなくて……」
ぼんやりと駅へ向かいながらそう呟くと、白雪は急に立ち止まった。
「――ない。そんなこと、ない」
「ん? なんか言った――?」
「出来が良くないなんて、そんなことない。万生橋は、私に出来ないことができる」
「……? そんなんあったか? 夜の病院が平気とか?」
「ちがっ……! そうじゃなくて! 思ったことが素直に言えるのは、私にとってはすごいことなの。私はちゃんと意識しないと、そうはできないから」
「ふーん? よくわかんねーけど、お前に褒められるなんて初めてじゃね?」
「別に褒めてない……あんたのそういうとこには感謝してるから、ちゃんと言おうと思っただけ……あと……」
白雪は照れ臭そうにそっぽを向くと、おもむろに鞄を漁り始める。取り出されたのは小さな包みだった。さっき行った水族館のロゴがプリントされている。
「……あげる。色々、こないだ助けてくれたお礼も兼ねて……」
「――俺に? これを?」
「……早く受け取って」
ぶっきらぼうに包みを押し付けられる。不思議に思って開けてみると、そこに入っていたのは小さなウミガメのキーホルダーだった。
「はは、俺と違って随分可愛い顔してるな? でも、好きなんだろ? こういうの。俺のはいいからさ、今日の記念にお前がとっておけよ」
包みを返そうとすると、首が折れるんじゃないかと思うくらいに顔を逸らされる。
「私のは……別に買ってある……」
「え……? それって……」
(まさかとは思うが、『お揃い』ってやつか……? あの、カップルとかがよくするやつ? いやいや。白雪のことだ。友達とそういうことがしたかった、っていうオチも多分にある)
そう思いつつもなんとなく気恥ずかしいまま、白雪の顔を見る。
「この際だから、言っておくわ。朝の日課の他に、やってほしいことがあるの」
「――はい?」
急に強気に来られて面食らう。
白雪はその勢いのままの強い口調で、思わぬことを口にした。
「明日からは、私のことを名前で呼んで」
「……へ? なんで?」
「なんでもいいから。その方がパートナーらしいかなと思ったのよ。紫と泉君もそうだし」
(たしかに、言われてみれば……?)
「別に構わないけど、いいのかよ? お前、自分の名前キライだっただろ? 男みたいで」
「それを克服する意味もある」
「克服、ねぇ。俺が呼ぶくらいで克服になんのか……?」
「あんただから、頼むのよ」
「どうして俺? 菫野じゃなく?」
そこまで言うと、白雪はもどかしそうに顔を苛立たせた。
「万生橋に呼ばれるなら、キライな名前も少しは好きになれるかもしれない気がしたのよ! なんとなく!」
「なんとなく……?」
「ええ!! なんとなく!!」
今度は急にキレだす。この光景はつい最近もあった気がするぞ。
それにしても、あの完璧主義の白雪が『なんとなく』だなんて、随分曖昧な言い方をするもんだ。らしくもない。菫野との戦闘で庇って以降、最近様子がギクシャクしているように感じるのは俺だけか?
「まぁ、お前がそう言うならそうするけど……」
俺はいまいち要領を得ないまま承諾する。白雪が克服したいって言うんだから、応援してやるのがパートナーとしての筋ってもんだろう。
「そういうことで! 頼んだわよ!」
白雪はそう言うと、ワンピースの裾を翻しながら駅へすたすたと歩きだしてしまった。
「ちょ、待てよ! しらゆ――ええっと……優兎!」
急いで追いかけ、隣に並ぶ。
帰りの電車の中、さっきまで一緒に楽しく水族館をエンジョイしていた筈なのに白雪との会話はゼロだった。前に病院へ向かったときと違い、今回は話題が無いわけではない。むしろさっき見た魚やウミガメ、イルカのショーについてや、こないだ泉に聞いた美味いと評判のカフェに行ってみたい(連れてってくれと言ったが泉には断固拒否された)など、話したいことは沢山あった。だが、当の白雪がなかなか目を合わせてくれないまま、白雪の最寄り駅についてしまった。
「じゃあ、また明日」
「おう……」
そう言って降りていく白雪の背を見送る。
(もうちょっと、話したかったんだけどな……)
「――あ」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、電車のドアから一歩踏み出していた。
(やべっ、つられて降りちまった……)
突っ立ったままでも仕方がないので白雪を追いかけ、呼び掛ける。
「優兎、やっぱ送っていくよ」
「――――っ!!」
急に背後から話し掛けられたからなのか、飛び上がるくらいの勢いで肩をびくりとさせる白雪。
「なっ……! 万生橋が、なんでここに?」
さすがに、気がついたら降りていたとは言いづらい。
「いや、こないだハーメルンに絡まれたこともあるし、やっぱり送っていこうかと……」
咄嗟に思いついた言葉だったが、あながち嘘でもない。
白雪はその整った容姿のせいかやたら人の視線を惹きつけることを今日実感した。一緒にいるだけで、俺が見られているわけではないのに普段より落ち着かない心地がしたのはそのせいだろう。ハーメルンに限らず、帰り道で怪しい奴に声をかけられないとも限らない。まだ夕方で日は落ちていなかったが、送っていった方がいい。
「もう降りちまったから、送ってく」
そう言うと白雪は小さく首を縦に振った。駅からの道を並んで歩く。
「駅からは十五分くらいって言ってたっけか?」
「ええ」
「そっか……」
「…………」
先ほどの電車内での雰囲気を引き摺ったまま、ふたりして歩道を歩く。話題は沢山あった筈なのに、うまく切り出すことができない。
(あー……こんなとき、何て言えばいいんだ? 話したいこと、言いたいことは……)
「――あ」
思い出した。俺も言おうとしていたことがあったんだった。
「なぁ、しら……じゃない、優兎。ひとつ言ってもいいか?」
「な、なに?」
「俺も今日は楽しかった。この数か月色々あったけど、大変だったことも含めて、今は楽しかったって思えてる。多分……お前のおかげだ」
「――っ!?」
白雪はこちらを向いて固まっている――が、一応話は聞いているようだ。少し照れくさいとは思ったが、白雪が素直になろうとしている姿を見て、俺もちゃんと伝えようと思っていたんだ。少し呼吸をおいて、言葉を続ける。
「お前がパートナーで、よかったよ。だから、その……」
「…………」
「これからも、よろしく頼む。どれだけ力になれるかとか、どれくらい守れるかとかは正直まだ自信がない。けど、俺はお前の傍にいるからさ。少しは頼ってくれると、その……嬉しいっつーか、なんつーか……」
結局照れ臭くて最後までしっかり言えなかった。我ながらなんとも情けない。思わず視線を逸らしてごにょごにょしていると、白雪は可笑しそうに笑い出した。
「ふふっ……ちょっと前は私と来るの、あんなに嫌そうにしてたのに。変な万生橋」
「わ、笑うことねーだろ……」
「考えてみれば、そっちから『パートナーになってくれ』って言ってきたのに。一緒に来るのを嫌がるなんて失礼な話よね?」
「うっ……」
(言われてみれば、たしかに……)
「でも、いいわ。私もあんたに強く当たり過ぎていたところがあるし。魔法少女の衣装がアレなのは、別にあんたのせいじゃないわけだしね?」
(えっ……それで、だったのか? つーか、それだけ?)
白雪の俺に対する当たりが強かった理由を、初めて知った。
「なに百面相してるのよ? いじわるして、悪かったわね。言われなくてもよろしくするわ。だって――」
白雪はいたずらっぽく笑って人差し指を突き出す。そして、俺の心臓の辺りをぐい、と突いた。
「あんたは、私の『亀』だもの。これまでも、これからも」
まるで生殺与奪は自分のものだと言わんばかりにぐいぐいと指を押しつけてくる。その動作はなんとも女王様っぽいが、遠回しに『これからもよろしく』と言っていることはわかる。そんな『なんちゃって女王様』な白雪は、付け加えるようにぽつりと呟いた。
「それに――」
「それに?」
「――兎は、さみしいと死んじゃうのよ……?」
「えっ。それ――」
(……お前のことか?)
聞き返そうとしたのに、上目がちに俺を見上げる白雪の照れ顔があまりに可愛すぎて、言葉が思うように出てこない。
俺は喉の奥から『可愛いかよっ!?』と叫びたいのを我慢して、深呼吸をした。そして死に物狂いで平静を取り繕う。
「……じゃあ、これからもよろしくってことで、明日から発声練習はナシでいいな?」
俺はここぞとばかりに主張した。だって俺は一刻も早くあの日課から卒業したい。それに、発声練習をしなければその分白雪とカフェで過ごす時間も長くなるし。そんな俺の意図には気づかなかったのか。白雪よ。
「 だ め 」
「ですよねー……」
儚い望みは、あっさりと打ち砕かれた。
「明日からも日課はしてもらう。学校にも一緒に行く」
「はいはい……」
「そんなにイヤなの? 発声練習」
「そりゃあイヤだろ」
「余計な羞恥心が残っているからそうなるのよ」
(お前に言われたくない……)
変身するたびに顔を真っ赤にして泣きそうになっている、お前にだけは。
「なんなら、今ここで叫んでもいいのよ?」
「え……」
「冗談よ」
くすくす笑いながら満足そうにこちらを見つめる白雪の姿を見て、俺は観念した。そうして、誰にも聞こえないように心の中で詠唱する。
(ああ、明日からも、俺は変わらずアレをやるのか)
――『まじかる☆みらくる☆めるくるりん!』――――と。
Fin.
※あとがき
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。お話はいかがでしたでしょうか?
もしよろしければ率直な感想や☆、レビュー等をいただけるととても嬉しいです。
頂いた感想は今後の参考にさせて頂き、引き続き邁進して参ります。
是非、よろしくお願いします!