第10話 週末に魔法少女とデート
◇
週末、俺と白雪は泉の勧めで新宿に来ていた。残念ながらデートではない。これも魔法少女としての活動の一環だ。だが、女子と休日にわざわざ待ち合わせをして一緒に出かける。それだけで俺にとってはデートと呼ぶには充分だった。
(穴場を教えてくれた上に『週末に行け』だなんて言ってきた泉には感謝だな)
泉曰く新宿は欲望渦巻く地であるらしく、負の感情の塊であるミタマも多い。ノルマを稼ぐにはうってつけとのことだ。泉はお兄さんの経営している病院が新宿にあるせいでそのあたりのことには詳しかった。
しかも、公共の場で魔法少女の会話をしても大丈夫なように特殊な魔法をかけてくれた。泉の持つ『コウモリ』の特殊能力らしい。泉が発生させた黒い霧に包まれると、周囲の人間に意識されることが無くなるのだそうだ。泉と菫野が一緒に下校しても何の噂にもならなかったのは、そのせいだった。
週末に活動すると伝えると、泉は俺達に二日分の霧を纏わせてくれた。ただ、俺達みたいな魔法少女の力を持つ人間には通用しないらしいことは俺達に対する実験でわかった、とか言ってた。
まぁ、一般人相手にこれだけできるんだから何もできない俺にとっては「すげー」以外の言葉が見つからない。勿論、俺達の姿が消えるわけではないから普通に電車に乗って普通に買い物もできる。
「すげー便利だな、これ。ぶらぶら散歩しながらミタマ探しできるなんてよ。確か、記憶を歪ませる……とか言ったか?」
俺は普段の制服姿ではない、私服の白雪に話しかける。白いブラウスにハイウエストのロングスカートが良く似合う。いかにも清楚系お嬢様といった装いだ。いつもは編み込みの入ったハーフアップにしているが、今日はめずらしく花の飾りがついたバレッタでさっぱりとアップにしている。
ただでさえ新鮮な私服姿にため息が出てしまう俺だったが、そこで追い打ちをかけるように露わになった白いうなじについつい視線を奪われてしまい、悟られないようにするのが大変だ。そんな俺の胸中も知らずに淡々と会話を続ける白雪。
「――ええ。この霧のおかげで私達の存在は周囲の人にとって、姿は見えるし会話もできるけど一晩寝れば靄がかかったように思い出せなくなるとか。一般人にはこの霧は見えないし、これならいちいちカラオケルームで会議をする必要もなくなるわね」
「まったく、泉さまさまだな?」
「ただ、誰かに覚えて貰いたい要件を伝える時だけは注意が必要ね。文面に残すか強く念押しをしなければ、靄に遮られて忘れられてしまうわ」
「ああ、だから泉もピンポイントで時間指定して使うって言ってた。扱いがトリッキーだよな。俺だったら霧をかけたのを忘れたまま家族と会話して、なんかやらかしそうだ」
「ほんと、彼は何でもできると校内の噂で聞いていたけど、ここまで器用だったとはね。恐れ入るわ」
「そういうお前も、学校じゃあ『完全無欠の完璧主義』なんて言われてるじゃねーか」
「大袈裟よ。それに、完全無欠も完璧主義も、私が言った覚えはないわ」
「――まぁ、案外おばけ苦手とか、そんな一面もあるみたいだしな?」
にやりとすると、脛をヒールで蹴られた。思わず声にならない声が出る。
「うるさい……さっさと行くわよ。私達は泉君達と違って、ノルマをこなさないといけないんだから」
「いってーな……わかってるよ。それにミタマ退治の中に菫野をなんとかするヒントがあるかもしれないしな」
せっかくの土曜だっていうのに、見た目以外は相変わらず可愛げのない白雪の後に続く。今日の予定は泉の勧めどおり昼のオフィス街と夕方からは歌舞伎町周辺の散策だ。
実際に行ってみてわかったが、新宿は想像以上にミタマの痕跡が多かった。負の感情っていうのが生き物のストレスみたいなもんだっていうなら、確かにここは絶好の狩場だ。休日出勤の明かりが灯るオフィス街に、欲望や嫉妬の渦巻く歓楽街。そこかしこにミタマの残滓を感じる。
「大物の気配はなさそうだけど、そこそこのがいくつかあるな。夜になってひと気が無くなってきたら退治に戻ってくるか?」
「そうね」
「はぁ……にしても、喉渇いたな。何か飲むもの買ってくるから、そこで待ってろよ」
下見をじゅうぶんに済ませた俺達は一旦休憩することにした。白雪を公園のベンチで待たせて買い物へ行こうとコンビニに足を向けると、白雪も同様に立ち上がる。
「私も行くわ。飲み物欲しいし」
「いや、お前の分も買ってきてやるよ。足、痛いんだろ? さっきから引き摺ってるぞ?」
「えっ……気付いてたの?」
少し驚いたようにヒールのかかとを擦る白雪。
「まぁ、ちょっと赤くなってるのが見えたし、お前にしては珍しくさっさと先に進んでいかないから、なんか変だなとは思ったんだよ。もっと早く休めばよかったな」
「…………」
白雪は遠慮がちにベンチに座ると俯いたまま黙ってしまった。さすさすと労わるように足を触っている。
(やっぱ痛かったんだな。涼しい顔して、無茶しやがって)
思えば、白雪はいつもそんなやつだった。そんな風に人に弱みを見せない振る舞いばかりしているせいで『孤高の雪兎』なんて呼ばれてる自覚はあるんだろうか。
(まぁ、最近は少し丸くなってきたみたいだけど……)
手持ちのバッグから取り出した絆創膏を貼っている白雪に声を掛ける。
「公園の前にコンビニがあったから、そこ行ってくる。何飲みたい?」
「……あったかいカフェオレ……」
「りょーかい」
要望を聞いて俺はコンビニに向かう。
公園の敷地が広いせいか、コンビニがやけに遠い。
(白雪を歩かせなくて正解だったな)
そんなことを考えながら、コンビニでコーラとあったかいカフェオレを――
(売り切れ……だと!?)
コンビニのあったか~いコーナーは季節の変わり目で縮小していた。
(そりゃあ六月ももう終わろうとしてるんだから、そうだよな……)
今日は季節外れの北風のせいで予想外に冷えたからだろう、あったか~いペットボトルのカフェオレは売り切れていた。仕方なくレジ前のカップのカフェオレを買って帰る。
(あー、結構かかっちまったな。白雪に怒られなければいいけど……)
鮮やかなピンク色のつつじの咲く公園を足早に突っ切ると、ようやく白雪の座るベンチが見えてきた。遠くから声を掛けようとすると、俺の目に飛び込んできたのは見知らぬ長身の男だった。
長い黒髪に魔女のような帽子をかぶった、ピエロのように白い肌をした、見るからに変質者ぎりぎりの男。男は白雪の傍に音もなく佇むと、紳士のような甘い声音で話しかける。
「ふふふっ。こんにちは、魔法少女さん……?」
「「……!?」」
俺は即座に飲み物を放り出して白雪の傍に駆け寄った。
「なんだお前!?どうしてッ――!?」
その問いかけに、にこりと目を細める男。
「おや? そんなに慌てふためいては、存在を肯定しているようなものですよ? 魔法少女の存在を……おっと、自己紹介が遅れました。私はミタマ管理組織構成員、四天王の一角。コードネームは、ハーメルンと申します。以後お見知りおきを」
「ミタマ……管理組織……!?」
「ハーメルン……!?」
わけがわからない。
俺達魔法少女をおっさん達が管理しているように、ミタマも管理されているっていうのか? だとしたら、ミタマが危険な存在だと知りながら放置、発生させているこいつらは――
「人々から絶望を吸い出し、誘うようにミタマへと変貌させる。そして人々の絶望を解放へと導くことが、我々の使命です」
あまりに意味の分からない男の存在。それに、さっきから感じるうすら寒い違和感。俺は直感的にハーメルンを『敵だ』と認識していた。庇うように白雪を背後にし、ハーメルンとの間に割って入る。
「絶望からの解放だって? だったら、目的は俺達と同じなのか……?」
「そうです。ですから、今日はあなた方に『お願い』があって来たのですよ?」
「お願い……?」
「ええ。単刀直入に申しあげます。ミタマを倒すのをやめなさい。アレは解放の象徴だ。これ以上、我々の邪魔をしないでいただきたい」
「……!? 俺達は邪魔なんて! そもそも、俺達だって絶望の塊であるミタマを倒して人々を助けてるっていうのに、そんな……!」
(あれ……? 何か、おかしくないか?)
ふとした違和感を悟らせないためか、男は俺の言葉を待たずに続ける。
「ミタマとなることで、人は己の内にある鬱憤を発散している。これは生き物としての防衛機能の一環であり、退治することはその活動を阻害することと同義では?」
「……!?!?」
(ダメだ!頭がこんがらがってきた! こいつがなんか“良くない奴”なのは本能的にわかる。けど、ミタマを体外に放出させて絶望を発散させているなら、それは悪くないんじゃあ?)
亀のくせに頭をぴよぴよさせていると、背後から白雪が声を荒げた。
「そんなものは詭弁よ! ミタマを発生させた時点で、その人の鬱憤や絶望は一旦外に放出されている。それを私達が倒すことで絶望を消滅させているっていうのに。『倒すのをやめろ?』そんなことしたら、徘徊を続けて膨れ上がったミタマが善良な人に危害を加え、発生させた本人にも『病み』が生じる! あなたの言うことは矛盾しているわ!」
「…………」
黙るハーメルンを、白雪は鋭く睨めつける。
「ミタマ管理組織、ハーメルン。あなたは、俺達魔法少女にとっては宿敵とも言える存在……敵ね?」
「おやおや、騙されませんでしたか。議論をメリーゴーラウンドのようにくるくると回せば、思考も混乱させられると思ったのですが。流石は成績優秀で聡明な白雪優兎さんだ」
「……ッ!? あんた、私のこと知って――!?」
白雪が変身しようと鍵を構えた瞬間、ハーメルンはポケットから棒のようなものを取り出し、鍵を弾いた。次いで、その棒を大きく振りかぶる!
「危ないっ……!」
俺は咄嗟にポケットからサイリウムを取り出して応戦した。
――キィン……!
(な――銀の……笛? フルートか?)
「それは、魔法の――!」
大きく目を見開いたハーメルンは、くすりと笑みを浮かべると、一瞬にして俺達から間合いを取る。
「おやおや。これは、少々――」
「なんだよ? やるってんなら、相手になるぞ?」
虚勢上等。変身してない白雪はただの女子高校だ。だったら、変質者とのケンカは俺の仕事。
ハーメルンはにやりと目を細めると、口元に手を当ててくつくつと肩を震わせる。
「なんとも頼もしい亀さんですね? その勇気に免じて、今日はこの辺にしておきましょうか……」
「待て!」
「最後に、聞いておきましょう。どうしてあなたは、魔法少女として戦うのですか?」
「え?」
「ノルマを達成し、願いを叶える。その為に魔法少女は戦う。それはこちらでも把握しています。しかし、貴方の抱えるその《願い》は、命を懸けて為すべきものなのですか? 我々のような、危険な存在を敵に回してまでも――」
その問いに、白雪はまっすぐに向き直った。
「どうしても、叶えたい。あんた達に邪魔はさせない」
その目は、俺が初めて白雪と会ったときから変わらない、強くて、凛とした眼差しだった。
「ふふ……凍てつくような、固い意思。魔法少女はそうでなくては。またお会いしましょう? 魔法少女スノードロップ……」
どこかで聞いたような台詞を吐きながら、ハーメルンは揺らめく蜃気楼のようにその場から姿を消した。
「はーーーーーーーーっ…………」
今更バクバクと鳴り始めた心臓をおさえて俺はその場にへたり込む。
なにせ変質者と生身でやりあうなんて、初めての経験だったから。
(怖かったー。マジで怖かった)
「白雪、だいじょう――」
「 ば か っ !!」
振り向きざまに――罵声。
「あのまま反撃されてたらどうするつもりだったのよ! あんたがマスコットだってわかれば、ひとりでいるところを狙われるかもしれないのよ!?」
(えー。めっちゃ怒鳴られた……)
「咄嗟に手が出ちまったんだからしょうがねーだろ? 結果オーライってやつだ。おかげで白雪は無傷だし、俺も――」
「ふざけないでっ! 私は、私はっ! あんたに守られないといけない程弱くないっ!!」
「ちょ、何をそんなに怒ってんだよ!?」
「あんたこそ!弱くて何にもできないくせに! なにやってんのよ! こんな無茶して!!」
「はっ!? お前、助けて貰っておいてその態度とか……ほんっと可愛くねーな!!」
「――っ!」
「ほっとけよ! どうせ俺は弱くてなんにもできねーよ! 俺のことがそんなに不満なら、泉と組めばいいだろ!?」
得体の知れない敵を追い返した興奮が冷めやらず、勢いに任せて思わず声を荒げる。白雪の表情が、一変した。驚いたような顔をしたかと思えば、不意に目を逸らして走り出す。
「あんたなんか……どうなっても知らないっ!!」
「おいっ! 待て! 白雪!!」
俺の呼びかけも虚しく、白雪はヒールを響かせて帰ってしまった。ひとり虚しく取り残された俺は収まらないもやもやを抱えたまま、あてもなく公園を彷徨う。
「ったく、白雪のやつ、あそこまでキレることねーだろ。人のことを弱い弱いって、バカにしやがって……」
ちょっと庇ったくらいで、なんであんなに怒られなきゃならねーんだ? 俺、悪いこと何もしてないよな? むしろ今回は『よくやった』って褒められてもいい気がする。
白雪は今まで、ことあるごとに俺に対して『弱い』と言ってくるところがあった。ミタマと戦う時も、『あんたは何もできないんだから下がってて』とか『弱いくせにでしゃばるな』とか。
(……ん?)
そこまで考えて、ふとある可能性に気が付く。
「ひょっとしてあいつ……俺のこと、心配してたのか?」
例の病院の時以外、基本的に白雪はいつも俺の前を行っていた。俺はその背の後ろからぷかぷかとくっついていくばかり。まるで『うさぎとかめ』状態。追いつける気なんて全くしない。
白雪はどんなに恥ずかしい格好をしてても、中身は気高くて、頭も良くて、俺の先を行く。安全な道をカッコよく切り開いていくんだ。そんな白雪の姿は俺の好きな強くて可愛い魔法少女像そのものだった。
正直、自分の無力さが歯痒いときも多い。でも、そこはマスコットだから仕方ないとか思って甘えてた自分がいたのも事実。思い返せば返すほど、自分のしたことが恥ずかしくなってくる。
(あ~~~~やっちまった……)
言い過ぎた。多分。
仮にも女の子相手にガチでキレちまった……
(これじゃあ、弱い自分がイヤなことをやつあたりしたみてーじゃねーか)
いくら白雪の態度が気に食わなかったからって、あそこまでキレる必要はなかった。白雪があんなに強気なのは、多分お姉さんの為にそうなったのに。
一緒になって声を荒げるんじゃなくて、『落ち着けよ?』って、『どんな敵が来ても、一緒に願いを叶えよう』って、背をさすってあげればよかったはずなのに。
――と、冷静になった今は思う。
(あ~~~~どうすんだよ、俺……)
女子との初休日デートでこのエンディング。最悪だ。
うなだれながら駅前に着くと、このあいだ買って帰ったアップルパイの匂いが鼻腔をくすぐった。今回ばかりは確実にアレじゃあ許してもらえそうにない。
それに、今回はモノじゃなくてちゃんと謝って許してもらわないといけない気がする。そうじゃないと俺のこのもやもやは無くならないだろう。だが、女子と喧嘩なんて初めてだからどう謝ればいいのか俺には見当もつかない。
「メール……じゃあ、誠意がないか?」
無論、握ったスマホに白雪からのメッセージが届く気配はない。
(明後日、放課後に謝りに行くか……)
俺は腹をくくった。ここで逃げたら男が廃るし、きっと後悔する。
「よしっ」
気合を入れなおすように声を出し、結局アップルパイの列に並ぶ。今日は自分の分と、妹の分を買って帰ることにした。
(明日はもやもやして落ち着かないだろうからな……)
これを賄賂に日曜は妹と買い物にでも行こう。そして、さりげなく友達と喧嘩したことがあるか聞く。困ったら兄に相談しろよ的なノリで。俺は喧嘩したときの女子の気持ちについての情報と妹からの信頼を得る。
(我ながら完璧なプランだ……)
腹をくくった割に我ながらチキン丸出しな作戦に呆れるが、全く予習しないよりマシだ。俺は「ふふふ……」と正義の味方らしからぬ薄気味の悪い笑い声を漏らしながら、家路についたのだった。