006.第2皇子の婚約者
オーキッド・バージルは、この秋に結婚することになっている。
今は、その準備で大変忙しい。
政略結婚ではあるものの、それは第2皇子フェリクスからも望まれて…のもののはずだった。そんな、幸せの絶頂かと思われる「今」、彼女は全く逢う時間の取れない婚約者に 非常にご立腹だった。
美しいブロンドに アイスブルーの切れ長の瞳が印象的な少女で、「社交界の華」と謳われたバージル公爵令嬢は、結婚式を目前にして 既に3か月近く 婚約者と顔を合わせていない。手紙1つ、くれるでもない。それ以前は 頻繁とまでは言わなくとも、ある程度の頻度で交流をしていたというのに。
心変わりなのか? いや、そうではないだろう。 例え心が離れたとしても、あの皇子に限って 婚約破棄や ぞんざいな扱いなどあり得ない。仮にも公爵令嬢である、この私に。そういう計算は出来るし、自分の役割は全うする男なのだ。
彼女の婚約者が多忙だということは、彼女だとて よく理解しているつもりだ。勿論、その地位や立場の意味も含めて。
だが、しかし!
これは、少しくらい怒ってもいいのではないだろうか?
彼がそれなりに有能だということも、私は知っているのだ。このタイミングで婚約者を放置するとなると…誰ぞの尻ぬぐいか、他人の仕事を押し付けられているとしか思えない。大体、仕事一辺倒で家族を顧みない男など願い下げである。それこそ、「それくらい、上手く回せ!」と言ってやりたい。
そして、第2皇子である婚約者を そのような状況に追い込める人間など1人しかいない。あの性悪皇太子以外に誰がいるというのか。
これでは、先が思いやられるわ!!
「チッ」という令嬢らしからぬ舌打ちをしたかどうかは、定かでないが。兎にも角にもご立腹なんである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジュリアーノがフェリクスの執務室を突撃したのは、そんな頃だった。
本当に、本当に、間が良いな!
天然過ぎて、コツの伝授が出来ないのが残念だけど。
第2皇子フェリクスのお茶の好みは、分かっている。苺の香りのするブレンドティーが、最近のお気に入りだだ。ジュリアーノは フェリクスの仕事の休憩時間を狙って、手ずから淹れたお茶を菓子を持って、扉をノックすると 中からあっさり入室の許可が出た。
「フェル異母兄様、お疲れ様です。」
まずは、にっこりしてみた。
「ジュリアーノ…?
何か、用でもあったか?」
フェリクスは、僅かに眉を顰めた。
「この忙しい時に何の用だ!」という本音が、だだ漏れである。
いつも涼しい顔で 山積みの仕事を処理していくフェリクスにしては、珍しい。
そんな次兄を前にしても、ジュリアーノはのんびりした調子を崩さなかった。
「実は、お願いがあってきたのです。
でも、まぁ、その前に、お茶をどうぞ。冷めないうちに。
異母兄上のお好きな苺のお茶ですよ。」
フフフと笑いながら、盆をテーブルに置く。
この兄は 怜悧な外見に反して、甘味などに弱い。食の好みの分かり易い男性である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで? 用件は何なのだ?」
ティーカップを持ち上げたと思えば、ご挨拶である。
「実はですね。
バージル公爵邸のお庭を観たくて、ご相談に伺いました。」
一瞬で、フェリクスが渋い顔になる。
「目的は?」
「確か、あそこには、早咲きの変わった品種の秋バラが
あったような気がするのですよ。
庭師の方に聞いてみたいこともありますし。」
「………。」
「まさか、異母兄様の婚約者のお邸に、
私が独りで訪ねる訳にも行きませんし。」
「………そんな時間はない。」
「え?!
でも、異母兄様は、もうすぐ婚姻するのですよね?
オーキッド様と。
あ!もしかして、今は、式の準備でお忙しいのですか?」
「………ああ。」
「でも、ちょっとだけ…オーキッド様にお逢いする時に、
少しだけ便乗させていただけないでしょうか?」
「………とにかく無理だ。」
「もしかして、オーキッド様と喧嘩でもされましたか?
………。いえ、失礼しました。
異母兄様に限って、そんなことはないですよね。」
フェリクスとて、オーキッドのことは気にかけていた。
というか、はっきり言って、今はとても後ろめたい。婚約者として失礼な態度を取っている認識くらいはある。
オーキッドは 少々気の強い令嬢ではあるが、我が儘ではないのだ。元来、よく気のつく女性である。気配りの人であり、だからこそ社交界を上手く渡っているのをフェリクスは知っている。彼女は見た目だけの華ではない。気品があり、知性を備え、人心掌握に長けた、非の打ち所のない女性だ。軽んじて良いはずはない。
それを一回り近く年下の異母弟に指摘されるとは…。穴があったら、暫く籠っていたいくらいである。
「オーキッドには…まぁ、少し、話してみる。」
フェリクスは、やっとの思いでジュリアーノに一言返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深夜、やっと終わった本日分の書類の山が執務室に積みあがっていた。
窓から薄い月が見える。部屋には、他に誰もいない。
フェリクスは、オーキッドに宛てて手紙を書くべく、とっておきの便せんを取り出した。
明朝、この手紙だけでも出そう。オーキッドの好きそうな菓子と茶葉と…後は何にするか。手紙に添える贈り物について考えていた。オーキッドは、きっと怒っているに違いない。機嫌を直してくれるだろうか。
彼女が 誠心誠意謝罪すれば許してくれる懐の深い女性であることは分かっているが、やはり不安である。
男は、仕事ばっかりじゃダメなのだー。