184 暖かい歓迎
「お前らにとって、だろ?」
「よく分かったな」
的確なツッコミを入れられるほどには、症状が回復していた。だいたい、めでたいという形容詞を連発するくらいなら、ひとまとめにしてしまった方が分かりやすい。
二つの知らせの内、片方は亮平の処分についての事だろう。こちらは、どのような内容でもあまり意味は持たない。問題は、もう一方だ。
頼んでもいないものを、細川の部下は抑えきれずに話し出した。亮平が拒否してもお構いが無さそうだったので、結局はこうなっていただろう。
嬉々としている姿が、とても不愉快だ。人の不幸が、それだけ美味しいのか。蜜の味がすると言っても、舐めてばかりでは不健康そうである。
「厳正な裁判の結果、お前はいなくなってもらうことになった。お前の連れ人も、一緒だ」
(未帆も、か)
無関係の未帆が共同正犯扱いされたことに、亮平は沸点まで温度が上がらなかった。真逆に、冷やされた金属の板よりも静まった。すべての分子は活動を停止し、絶対零度にまで到達した。
細川らは、ついに越えてはならない線を踏み越えてきたのだ。国際情勢ではレッドラインだの軍事境界線だのが話題に上がるが、そのミニチュア版である。人としての道徳心を捨てたのと同義だ。
何より、『未帆も』というのが意味不明だ。ターゲットと苦楽を共にしてきただけで、誘拐され、監禁され、挙句の果てに上映も打ち切られる。これほどまでに残酷な結末はあるだろうか。
「……あの女の処遇だが、使えるものはすべて有効活用しないとな。意味は分かるだろう?」
(ああ。お前らがどれだけ鬼畜なのかが、よく分かるよ)
使えるもの、つまり未帆が持っている全てが、奪われることになる。精神を打ち負かされ、人としての尊厳も汚されて、搾りかすはドラム缶に詰めて海へ捨てる。許されていいはずがない。
このままいけば、何もかも失う。自らの存在を示すものも、最愛の人も。
「折角だから、お前に見せてやるよ。最初から最後まで、どうぞゆっくりとお楽しみください、ってな」
接したもの全員の凝り固まった疲労が解消され、自然と明日へと生きていく勇気をもらえる、そんな存在。おっちょこちょいで危なっかしいが、誰にも平等に優しく当たることの出来る、稀有な根っこ。『幸せ』を軸にして、知らず知らずにホッとする時間をばらまいている。未帆は、亮平にとっても他の大勢にとっても、至宝なのだ。
(未帆は、お前らが好き勝手に使っていい道具なんかじゃない!)
驚くほど静かに、感情の出入口を規制していたロープが切れた。鎖をちぎることが出来そうなほどの衝動が、亮平を震わす。歯ぎしりが、止まらない。
亮平の、人として見られていない侮蔑する目で睨みつけられていることに気付き、しかし所詮檻の中の猛獣だと高をくくっているそのクソ野郎は、誇らしげに公開処刑の説明を続けた。正気かどうかを聞いてみたい。
「いや、見ものだな。障壁越しに恋人がいるのを分かっていながら、辱めを受けるのは。あの女、どんな表情するか、想像するだけで……」
亮平には目もくれず、未帆にのみ興味があるようだ。こんなクズでも性欲は旺盛らしく、テントを張っている。
早急に、こいつを排除しなければならない。未帆を食い物としか見られないケダモノは、矯正するまで閉じ込められていなければならない。無邪気な笑顔に惚れ込んだ亮平の魂が、危険信号を発している。
たちまち臨戦態勢になり、呼吸が早くなった。体毛が逆立ち、一目で不自然だと露呈するほど筋肉が力んだ。
(未帆、もう少しの辛抱だからな)
未帆の信頼を受け取っているのだ。亮平は、それに応える義務はないが、未帆を大切に思う人として反故にしてはいけない。
「本当に、ついてないよな。お前の女っていうだけで、好き放題されるんだぜ? まったく、罪な男だ……」
身勝手なことをよくもペラペラと喋るものだ。その一貫性だけは、褒めてもいい。
亮平は、手始めに両足首をねん挫しそうなほど外側へと引っ張った。アドレナリンが出ていて、痛みを一切感じない。ほんの数分前に殴られた箇所も、痛みが消えている。
「おいおい、そんなことしても、ムダ……だ……」
最初はサーカスの見世物の小動物を見学していた野郎から、語尾が消失した。結束バンドの結合部が、引き離そうとする力に逆らいきれず、前方へと弾け飛んだ。
唖然として動けない男をよそに、亮平は助走をつけて扉側の壁にぶつからんと全力疾走した。最初の三歩すら踏み出せないほどの狭さなので、瞬発力が試されるが、
『ガチャン!』
物音だけだと、外からは判別が付かない。そもそもコンクリートが厚く、防音設計になっている。中で亮平が反旗を翻したとは気づかれないだろう。
手足が自由になった。もう、亮平が救出しにいく障壁は取り除かれた。
「……お、俺は命令されただけで……」
性根が腐っている奴ほど、掌返しをする。こういう行為を許しても、また同じことを繰り替えるだけだ。巨大勢力の陰に隠れて、甘い汁にありつこうとする。そのためには、他人がどうなっても構わない。
「未帆! どこだ!」
頼むから無事でいてくれと、胸が苦しい。空気を吸い込んでいるのに、酸素が取り込めない。抜けた笑い声が、脳に飛び交う。
(み……ほ……)
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最終決戦は、余りにもあっけない終わり方で終結した。丁度未帆の着ぐるみをはがそうとしていた輩を、後ろからテキパキ地に伏せていった。数の暴力という地の利を失った細川など、恐れる事は無い。スタンガンを振りかざす細川の足をからめとり、電流をお見舞いしてやった。
亮平は今、泣きじゃくって服装も乱れている未帆に肩を貸し、カタツムリの速度で待ち合わせの公園へと向かっている。親と迷子になったちびっ子が再会した時のようだ。
幸いなことに、全てのプログラムの開始前に計画を阻止することが出来た。細川含め八条学園関係がノックアウトされた時点で、未帆の上半身はシャツを脱がされて肌着一枚になっていたのだ。あと一分でも遅れていれば、取り返しの付かないトラウマが未帆を長い間苦しめることになっていたかもしれない。
一旦侵攻が止んでも時を置いて復活するようでは、また今回のように未帆がおぞましい目にさらされる。雑草は、根っこの先まで引っこ抜かなければならない。
直接手を下すと、やっていることがそっくりそのままになってしまう。犯罪に巻き込まれた時に、まず一番に通報すべきところに通報したまでだ。事後処理は、亮平が適当に『自白しろ』と脅しをかけておいたので、捗ってくれることを望む。
春の到来を告げる、雪雲の無い大空。そよ風は涼しいより寒いが先行するが、いずれは暖かくなってくる。発展し切っておらず緑が残っている片田舎ならではの煙たくない空気が、浄化してくれているようでおいしい。一段落して初めて、グレーの色付きカバーを取り払って情景を味わえたと思う。
未帆は、感謝の言葉も毒に侵されているうわ言も出さない。凸凹が型にはまった部品のように、テコでも動かない。十本のいたいけなその指で、亮平を絶対離すまいとしがみついている。
トラウマに震えていることもあるだろう。時折呼吸が発作を起こしたように荒くなり、それに伴って抱きつく力が強くなる。そんな未帆を慮って後ろを振り返ると、きつく目を瞑って口をパクパクさせていた。
しかしそれ以上に、心を許せる人にまた甘えられることを、心から良かったと思っているのではないだろうか。深い眠りに落ちたお姫様の、ゆったりとした感覚での長い鼻息が亮平の耳たぶをこする時間の方が、過去と悪戦苦闘しているそれよりも格段に範囲が大きい。
肩にかかる重みは、後日肩こりを発症させるには十分すぎるが、軽くもある。未帆が途絶えそうになっていたことと比較すれば、お茶の子さいさいだ。
亮平を好きになると、ロクなことにならない。そう決めつけていたのは、自分自身だった。制約を付けることで、捨て身に徹することが出来た。この身がいなくなったとしても、世界の流れは変わらない、と。
何が、『人の気持ちを第一に行動する』だったのだろうか。
(高校、大学と行けば、未帆は別の道を歩むのは、そうかもしれない。だけど)
最も親しくしていた未帆が、悲しまないわけがない。地球上から俯瞰すればちっぽけなものだが、未帆という個人には逆風の嵐となって襲い掛かる。防具なしでも耐えられはするだろうが、多少なりとも傷を負ってしまう。
実際には鉄則とは真逆で、未帆の気持ちを受けいれなかった。めげずに近づいてくる未帆を、何かにこじつけては距離を取り、あるいは未帆をつまんで遠くに置きなおしていたのだ。
もう、過ちは犯さない。未帆のことは、亮平が守る。楽しい時は二人で笑い合い、辛く悲しい時は共有して薄める。
「未帆、大丈夫か?」
大丈夫な状態ではないことは亮平がよく理解しているが、それでも何か未帆に声をかけてやりたかった。
突然何者かに拉致され、恐喝を受け、正義の味方も敗北してしまった。小柄な体には、ストレスがあまりにも大きかった。高級ホテルのベッドに寝転がっているような未帆の安らぎは、それらに打ち勝ったことを意味している。
「……ちょっとだけ……休ませて……」
単なるお願いと言うよりかは、三つまでしか叶わない貴重なランプを消費したかのようだ。まだまだ、亮平の感触に身を委ねていたいのだろうか。
「そうか。気の済むまでいいからな」
「……へへへ……」
うっすらと開いたまぶたが、また垂れ下がった。
亮平達は、崩れてきたらひとたまりも無さそうなブロック塀の路地の中を、ひたむきに進む。いつもなら長く居座ることも無いのだが、未帆の歩調に合わせているのでかなり時間がかかっている。
通りすがりの人は、二人を親密なカップルだと見るだろう。そのことが、今では嬉しくてたまらない。未帆に頼られていると思うと、スーパーボールが跳ねているように心が躍る。
亮平は、求められている。未帆にも澪にも、存在を大事にされている。認めてくれることこそが、亮平にとっての『明日頑張ろう』と思える原動力となる。
生活音がまばらにする住宅街のその先に、桜の葉が強調されて映った。暗い色の中に明るい色があると、対比で輝きが増す。失意のどん底に沈んでいた亮平を引き上げた未帆と同じ構図だ。
(澪は、どんな思いで待ってるんだろうな)
未帆は、澪からしてみれば天敵でありながら仲が良いという、複雑な感情を持たせる人物である。未帆をなんとかして亮平から遠ざけようと策を打ってくるが、未帆が打ちひしがれていると我慢できずに走り寄っていく。
早く、無事な姿を見せてやらなければ。その思い一つに、歩みが一段と速くなった。
「……もう、着く?」
「もうちょっとだ」
雰囲気と速度の変化で察したらしい。
「それじゃあ、……澪ちゃんに元気なところ……見せないと……ね……」
喉から押し出したような、かすれ声だった。明らかに、メモリが容量をオーバーしている。それでも、愛想笑いではとても表現できない包容力の強さがあった。心の底から、澪を安心させたいようだ。
頑張り過ぎだと亮平に忠告をしてくれたのは、未帆だった。不可抗力は、なよなよしても仕方がないと、潔く諦める事の重要性を知らせてくれてくれた。
個人にできる事には限界があり、その境界線の向こう側にはいるだけで体力を消耗していく。体力は有限であり、減少したものが回復するポーションも無い。値がゼロになったとき、疲労の限界で倒れてしまう。
亮平は、未帆を制止することもできた。『頑張りすぎるなよ』と、自分を気遣うことを催促することもできた。そうしなかったのは、歪んだ欲望だ。したいことをさせてあげたかったのだ。
公園を覗き見ると、季節にそぐわない半袖半パンをトレードマークとする、肝っ玉の大きい澪が干からびていた。背を向けているので表情までは読み取れないが、肩をすくめて頭を地に落としてしまっている。
桜吹雪が、澪の周囲を舞う。新天地への旅立ちを祝う桜と、自信なさげに帰りを待つ一途な少女。二つが交差して、寂しいブルーが浮かび上がってくる。
澪もまた、亮平の存在意義をはっきりと認めてくれる、帰る場所だったのだ。力強く押し出した掌の型が、未だに背中にあるのを感じる。
別れも覚悟で、パラシュートを開いて降下していく亮平を見送っていた。柄が点になり、やがて上空からは見えなくなる。雲の向こうの世界を、澪は見ることが出来なかった。墜落しているか、目標地点に到達しているか、調べる手立ては何もない。
(それで、三時間も待ってたのか……)
横岳と友佳がいつ頃到着したかは知らないが、この場にいないということは用事でもあったのだろう。紙に書かれた伝言を落としていったような、素性の知れない男子に連れていかれるかもしれない。そういった恐怖にも身をびくつかせながら、独り遠方の全線へ派遣された一介の兵士の帰還を待ち望んでいたのである。
澪が、予兆も無しにこちら側へ視線を回した。これまでも、亮平がヒョイと戻ってきていないか、念入りにチェックしていたのだろう。期待して、失望しての繰り返しだ。
にわかには信じられないと、澪は息をのんだ。亮平とバッタリ目が合い、釘付けになった。涙を流し過ぎて乾きかけていた目の淵に、潤いが徐々に戻って来た。
「あれ、亮平くん……?」
澪の目が、涙で満たされていく。普段の何事にも強気で当たるその姿は、影を潜めていた。状況を飲み込んでいくと共に、口角がどんどん上がっていく。よく磨かれている白い歯が、日光の反射を受けてキラリと光っていた。
亮平は、約束の人の約束の地へ、制限時間以内に舞い戻ってきたのだ。忠義を、誠実に果たした。
(俺は戻って来たぞ、澪)
出発する前のやりきれない顔が印象に残っていたからか、喜怒哀楽を隠さず前面に押し出してくれていることに新鮮味がある。
「亮平くんと、それと未帆も! 何もされてない?」
「大丈夫だよー……」
亮平が説明しようとした矢先、それまで背中でおんぶされていた未帆が間に入ってきた。立っているだけでふらついていて、見るからに危うい。
「うう……」
感無量なのか、嬉し涙が下まぶたから零れた。未帆の手を取り、その上にポトポト涙を落としている。
実写映画のワンシーンを切り取って流したような映像だったが、画面越しに見るよりも人情味溢れている。再会と感激が醸し出す雰囲気は、他の無関係な者を断ち入れさせない完結したものだ。
帰ってきたのだ、と実感できた。悟りを開いてはいないが、不思議と感情は落ち着いていた。未帆と澪のコンビは、いつだって人間のドラマを生み出してくれる。幸福を分け与えて平和にしたい気持ちと、弱者を放っておけない性格が作り出す、確固たる友情の絆である。
割り込みをするのはいただけなくなるが、空気を読むのは苦手だ。
「あの、喜び合ってるところ申し訳ないんだけど、俺が未帆と澪に決断を伝えるの、明日に延期してもいいか?」
場の空気が凍った。分かち合いの流れは一変し、二人とも開いた口がふさがらないようだ。特に澪は、口をへの字に曲げて知っている。未帆は、優しさの詰まった表情はそのままに、あんぐりと大きく口を開けている。垢の抜けないあどけない未帆は、写真に飾っておきたいほど可愛かった。
(また、やったか……)
話の切り出し方が、ヘタクソなのである。治らない悪癖の内の一つである。
「亮平くん、そういう話は最後にこそっとするもの! 防弾ガラスを粉々にしてまで言う事じゃないでしょ?」
澪からは、厳しい指摘が飛ぶ。風紀違反を目ざとく発見してきた千里眼には、たいそう馬鹿に見えたのだろう。
「……いつもの亮平くんだね。そういうところ」
問い詰めて追い込んでは来なかった。切り出しのタイミングを見誤る間の悪さも、亮平の個性だと受け止めているようである。『もう、仕方ないな』と親友のよしみで許してもらったようなものだ。
「……そうだね」
未帆も、澪の意見に同調する。意識的に亮平がそうであると考えたのではなく、澪に合わせようとして出てきた言葉だったのだろう。気持ちの入っていない生返事のようにも聞こえる。
今は二人だけの時間を満喫させて欲しいと、澪から両腕でバッテンのサインをされた。未帆への感情が高ぶって仕方がないのか、いまいち集中できていない。帰ってくれと立ち退きを要求しているわけではなく、外からそっと見届け人になってほしいようだ。
(ここはおとなしく引き下がろう)
澪は、情報が遮断されたままで漂流した船が舵を取り戻すのを、いつまでかかろうとも待機し続けていた。縛りから解き放たれて、蓋をしていたものが一気に噴き出している。
締りが付くまで、澪を尊重しよう。そう決めて、二、三歩後ずさりした。
身に起こった出来事に興味津々で、しかし迂闊な質問をすると、塞がった傷口を抉り出すことになるかもしれない。一旦しのぎ切った未帆にあっぱれをかけてもいいほど、亮平への厚い信頼で鉄芯を守り切ったのは常人には出来ない芸当だ。それでも、傷がつかなかったということでは無い。
「……亮平くんも、未帆も無事で、何て言ったらいいか……」
ようやく澪の涙がストップした。目頭が赤く腫れあがって、くっきりと肌色との境界が分かれている。歓喜と、安堵と、絶大な幸福感と。そこに裏を感じさせるものは、存在しえない。
仮の話になるが、日没しかかって夕焼けが空を燃やしている時まで亮平達が姿を現さなかったとき、澪はどんな心境にいただろうか。あの時引き留めていれば、と思っただろうか。
泣く泣く警察に事情を説明し、捜索隊が廃校にまで派遣されただろう。自身も捜索現場付近の立ち入り禁止テープ間際までやってきて、しきりに名前を叫んだに違いない。静まり返った裏山に、その叫び声は吸収され、反響も残らない。
八条学園の面々の発言から考察するに、本気で闇に葬り去るつもりだった。未帆も亮平も忽然とこの世から姿を消し、澪はただ一人現実世界に取り残されることになる。
(澪と未帆とここにいるのもまた、奇跡を紡いできたからなんだな)
未帆の圧倒的幸福力、亮平の底力、澪の祈り。どれか一つでも欠けていれば、この燦燦と日光が降り注ぐ桃色が光る公園に、三人が集結していることは無かった。
直線と直線の位置関係には、交わるか交わらないかの二種類がある。確率論では、ねじれて交差しないことが大多数を占める。
線同士が交差した点を、交点と言う。数学ではまた離れて行って神秘的なこと撫でありやしないが、人間の一生というものはそんなに直線的には描かれない。
二人の出会いがあったとする。すれ違ってそれっきりということもあるだろう。それがきっかけとなり、親しくしていくこともあるだろう。そうなったとき、二本の線は互いの周囲を回りながら続いていく。
考えてみれば、ある人が生まれてくるのでさえ、何憶分の一という抽選にたまたま当選しただけの貴重なものである。ましてや幼馴染になり、学校が一緒になり、日々を分かち合っている確率はどのくらいだろう。分母は、見たことも無い桁数になる。
偶然の積み重なりで、土台が出来上がっているのだ。
「澪ちゃん……」
心労が響いて、未帆は澪の正座をしている太ももに倒れこんだ。制御が効かずに疑問の表情を浮かべていたので、もう気持ちだけでは踏ん張り切れないところまで到達してしまっていたのだろう。
弱弱しく震える腕を、未帆がウエストに回した。亮平にもかつてそうしたように、澪を慰めるように抱きしめた。体力的にも心理的にも、もう残量は無い。だからどうしたと、感傷的になっている澪を緩ませたくなったのか。
「未帆……。未帆のバカ! アホ! ポンコツ! ……信じられないかもしれないけど、心配して張り裂けそうになったんだよ?」
緊張の糸が切れ、また澪から悲しさと嬉しさの混ざった混合液が、ボタボタとうずくまる未帆の背に固まってしみ込んだ。
「……気が遠くなりそうで、意識が何処かに行っちゃいそうで。一時間待っても足音一つしなくて……」
鼻水をすする音がした。次々と滝のように流れ出てきて止まってくれない涙を、必死にでふき取ろうとしている。顔面全体が、紅潮していた。永遠のライバルに、精一杯のエールを向けているのだ。
「……とにかく、良かったよ……」
折り重なるようにして、澪もまた、電池が切れた未帆の華奢な身体を包み込んだ。不器用で、でも優しさがきちんと表に出ていて、微笑ましい光景が広がっていた。
時計の針はピッタリ重なって、算用数字の十二を指し示していた。
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