183 帰る場所
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『うううう……、まだ寒いなあ。でも、亮平と会えるんだから、頑張らなくちゃ』
家の玄関を出てすぐ曲がった未帆は、二枚重ねでピンク一色のシャツを着ていた。ポケットに手を突っ込んで、深呼吸をし、パンと両手で頬を叩いた。
気合を入れなおしたらしい未帆は、そのままスキップで駆けて行った。魔の手がすぐそこまで迫っていることなど、露ほども考えずに。
朝方で人通りが無く、未帆の家からも十分に離れた路地で、犯行は行われた。
未帆は、何をされたか気付くことも出来なかっただろう。亮平がそうされたようにスタンガンを脇に押し付けられ、瞬時に意識が吹き飛んだ。
支える力を失って後ろにもたれかかった未帆を、細川の部下が手際よくプラスチックボックスに敷き詰めて行った。脚をたたみ、肘を折り、コンパクトにまとめ、ふたを閉めてロックを掛けた。
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ここまでが、誘拐の顛末である。
「良かったな、苦しまずに連れ去られて」
「ふざけるなよ! その後、未帆をどうしたんだ、言ってみろよ!」
ふざけている。誘拐されている時点で、未帆が幸福であるわけがない。現に、目が覚めた後に恐喝され、深いトラウマを負ったのは事実なのだ。
わなわなと、固くなった拳が武者震いをする。擦れたチェーン同士が、ガタガタと音を立てた。世界は、どうして、こう理不尽なように作られているのか。先制攻撃至上主義になってしまっているのか。神がいるのならば、この間違った世界をぜひ変えていただきたい。
「……言って欲しいのか?」
「……」
あまり平和な経過が予想できないが、亮平は渋々頷いた。
人の苦しみが蜜の味だと言ったのは、誰だろうか。何にせよ、それはニュースに取り上げられるような雲の上の人たち、接点が無い人たちの不祥事だからこその発言だろう。普段から仲が深い友の苦難は、亮平も胃酸が逆流しそうになる。
「テメエが想像してることは、残念ながらしてないな。ったく、ちょちょいと支柱を折ったくらいで、泣きわめきやがってよ……。お前の前じゃ借りてきた猫だったけどな」
何かしたかったと、未練を残しているようにも聞き取れた。未帆に青々としたアザが付いていたので何もしていないのは嘘だろうが、これと言ったことはしていないだろう。こいつの性格からして、亮平にケガを負わすことの出来るものは、何でも投げつけてくるはずだからである。
未帆は、我慢してやり過ごすのが得意、と言うよりかは自然とそうなったと言うべきか。自分の意見と少しでも噛み違う提案がなされた時、未帆は譲歩してしまう。よく言えばお人よしで優しい、口悪くすると流される人、だ。
亮平は、未帆にこう尋ねたことがある。『八条学園の奴らは、どう思ってるんだ? 流石の未帆でも、写真を見ただけで吐き気がするんじゃないのか』と。
今思えば、未帆が忘れたがっているところを突き返すだけの、バッドクエスチョンである。自分の好奇心を人の気持ちより重くするな、と言ってやりたい。
未帆は、八条学園にこれでもかととばっちりを食らっている。転校してきて間もない頃から、こん棒を持たれて襲撃される。裏で身柄を狙われる。気絶させられた上に、半袖半パンで吹雪の雪原中に放り出される。
しかし未帆は、暗い部分を全く感じさせることなく、
『あの人たち……。苦手だな……』
そこに、亮平が抱いているような反感や憎悪は確認できなかった。
命を狙われた集団を苦手で済ませてしまうのが、未帆なのである。嫌い、と拒絶するのではなく、やんわりと『苦手』で終わらせておく。ほとぼりが冷めたら、そのラベル付けを解除する。嫌いな人が皆無なのは、決めつけを避ける意識が強いからだ。
ダイヤモンドは、固いが脆い。一定方向からハンマーで叩くと、すぐに割れてしまう。ハンマーはダイヤモンドよりも硬さで劣る鉄で出来ているというのに、だ。
これは、柔軟性の有り無しが大きい。鉄は、変形できる隙間がある。衝撃を加えられても、原子が大移動して変形することで破断を防ぐのだ。
未帆の性質は、鉄に近い。手足を甲羅に引っ込めて、容量の大きいデータや物質のスペースを空けようとする。溜める袋自体もゴム製で、良く伸びる。
それでも、一度に大量のゴミがなだれ込んでくれば、破裂することは免れない。ナイフで切り裂かれると、内容物が一挙に外に出てきてしまう。その瞬間、未帆は壊れてしまう。後には抜け殻が残るのみだ。
「……頭冷やして、よーく考えてろ」
そう言い残すと、男は部屋の扉を乱暴に閉めて出て行った。鉄格子
の付いた窓一つだけの部屋に、亮平だけが取り残された。
(今の内に、助けは……呼べないか)
市街地にある廃校(立ち入り禁止なのが普通だろうが)なら、大声で叫べば通行人が気付くのだが、そうは問屋がおろさない。閑散としていて、三方向を森林に囲まれているこの立地では、山菜をかき集めているクマをおびき寄せることしか出来ないだろう。
(未帆は、どうして捕まらなくちゃならなかったんだ)
亮平への逆恨みによる復讐が目的なら、亮平だけを集中砲火すればいい。そうはなっていないのは、腕っぷしが強く中々太刀打ちが出来ないからであろう。もしもの時に備えてと鍛えていたものが、逆効果になってしまっている。
未帆の身になれば、これほどの天変地異は無い。亮平達と公園で最後の思い出を作るはずだったのが、気が付くと暗黒が揺れている。蓋が空かず、暴れただろう。窮屈な空間で、光も差し込まない真っ暗闇に閉じ込められていた未帆。きっと、生きた心地はしていない。
(出たくても出られなくて、何処に連れていかれるのかもわからなくて。よく、自暴自棄にならなかったな)
生命力の強さは、前々から分かっていたつもりだった。だが、それでも過小評価をしていたということを、改めて感じさせられた。
雑草ばかりの荒れ地に咲いた、一輪のタンポポ。綿毛と言う名の幸福を飛ばしていくはずが、寿司の飾りとして摘まれようとしている。地面の奥深く迄根を張っていて、脅威から逃れるための足を失っている。
(未帆を守ってやれるのは、俺だけなんだからよ! なのに、なんでだよ……)
拘束された手足は、使い物にならない。頭の回転が素早いだけでは、どうにもならない。
(いざという時に動いてやれないなんて、失格なんじゃないのか?)
罠にはまったのは、本能に逆らえずに動いた結果。何も出来なかったのは、経験不足。大した情報を聞き出せずに逃してしまったのは、力不足。全て、因果応報が亮平に返っている。
行き止まりで溜まっている憤りを、コンクリの壁にありったけぶつけた。何の得にもならないと知っていても、どうしようもない。不甲斐なさに、怒りを通り越して呆れる。
(これじゃ、約束も何もかも果たせないまま終わるぞ?)
亮平は、未帆と澪とに、とある約束を結んでいる。『卒業式に、どちらかに告白する』というものだ。ジャンケンに負けて罰ゲームを行使するのではない、真心に従って行動する。
契りを履行するために、ここから生還しなければならない。それも亮平単体ではなく、未帆を連れて、だ。
(未帆も、戻って来られない)
未帆には、十五年の歴史がある。過ごしていた場所が違う時はあれど、見上げていた空は三人とも同じだ。挫折して、立ち直って。傷ついた箇所を修復しながら、道を歩んできた。
その歴史の幕を、ここで閉じてしまっていいのか。『完』の一漢字を付け足して、巻物を完結させてもいいのか。
(良い訳が無いんだよ。無いんだよ……)
力なく言葉を繰り返すしか、出来なかった。魂の宿っていないものに、威勢があったものではない。無念が、部屋の角に吸収される。
(未帆だけじゃない。澪も、同じだ)
澪の涙が、記憶に鮮明に残っている。戻って来られないかもしれない土地へ、みすみす行かせたいと思う理由が無い。先を真っすぐ見据えた亮平は止められないと観念して、それでもこの場に残って欲しいという泣き笑いだった。
直接的に作用するのが未帆ならば、間接的に影響を受けるのが澪だ。亮平が姿を現さなかったとき、澪はどう振舞うだろう。
亮平を止めるのを諦めたのは紛れも無い事実だろうが、『きっと帰ってきてくれる』と希望的観測をしているはずなのだ。その夢がうちくだかれて、無事でいられるとはとても思えない。
(行く場所も、帰る場所もある。俺の背中に、二つのでっかい希望が乗っかってるんだ。それなのに……)
亮平は翼をもぎ取られて、四肢の自由も剥奪された。満足に動くこともできない。体格だけ大きくとも、役立たずのポンコツだ。
(俺は、どうしようもない奴だ……)
未帆に同様のことを言っておきながら、自分自身がその落とし穴にズボリとはまってしまうのは救いが無い。これならば、未帆の方がよっぽど自立できている。絶望を見せつけられてもへこたれない雑草魂は、よどんだ心よりも百倍頑丈だ。
密閉された部屋で孤独に打ちひしがれた家畜の鶏。目いっぱい頑張って泳いできたプールの端に辿り着いたと思えば、全て手の内に収まっていた。ありもしない理想を膨らまされて、出荷の時を待ち続けている。
全ての出来事が、どうでも良く思えてきた。未帆は、助けられない。澪の元にも、戻れない。ささやかな抗いを見せた未帆に対して、口だけ達者の亮平。カッコいいという基準んで線引きをするものでもないが、亮平は意気地なしだ。
だらんと、腕を垂らした。奮い立たせる力は、どこにも充填はされていない。大きな大きな、ため息をついた。
(ん?)
運命を潔く受け入れようと、一切の知能的活動を停止させようとした亮平。しかし、頭の中で響く声が聞こえることに気付いた。
ついに、全面降伏を容認する幻聴が聞こえる、末期症状が訪れてしまったのか。亮平は、惰性でその声に耳を傾けた。
『りょうへい、頑張りすぎ』
未帆だった。心を病みそうになっている亮平を、背後から直接触れてもみもみしてくれている。
もちろん、現実の未帆は囚われの身になって、あるいは尋問や拷問を受けている。それなのに亮平には、未帆が真後ろで体育座りをして、手のひらをくっつけてくれているような気がしたのだ。
『りょうへいは、よく頑張ってる。でも、頑張っても中々報われないことも、たくさんある』
確かに、努力は本人が思っている以上にそよ風一つで吹き飛んでいく。だからと言って、生死を分けるこの局面で裏切られたと思いたくなかった。だから、窮地に陥っている原因を求めて、亮平自身を攻撃してしまっている。
『亮平は、どう考えても危険なのに、この廃校舎に乗り込んできてくれた。どれだけ嬉しかったと思う?』
(そのことが、この状況を作り出してるんだろ)
未帆が一時的に楽になったとしても、最終的な解決には一切繋がっていない。全く意味が無い。
『もしも過去に戻れるとして、単身で様子を見に行かずに、警察を呼ぶ?』
未帆の一言で、全身に強力な電流が流れた。スタンガンを当てられてではなく
内部の電気信号が増幅されて、だ。
亮平が責めていたのは、『未帆を助けられなかった』ことだ。正しい行動をしていれば未帆を助けられた、と。平行世界で安堵の笑顔を見せる未帆が居るのに、現実の未帆の蝋燭の灯が消えかかっているのはおかしい、と。
だが、行動が変化しないとすれば。タイムリープで澪に別れを告げる前に、未帆を見つけた時に戻れたとしても、同じ選択肢を取るとすれば、どうなるだろうか。
未帆がさらわれたことを知った時点で、時計の針は定まっていたのだ。
『たとえどうなっても、私は亮平のこと、ずっと信じてるよ』
そう言うと、未帆が、亮平の首筋を緩急つけてほぐし始めた。
未帆の家で、優しく諭されたのは思い出に新しい。温水で満たされた湯船で、全身どっぷりと浸かっているような感覚が、また再現された。
(信じてる……、か)
何も出来ない亮平を目の前にして、幻滅しているのではないかという不安があった。期待が大きいほど、失望も大きくなる。一気にマイナス方向に振り切れて、必要とされなくなることが怖かったのだ。
亮平は、未帆の想いの強さを見誤っていた。これまでに幾度も困難に直面してきたが、ただの一度も結ばれている線が途切れた事は無い。それなのに、まだ信用し切れていなかった。
(俺を信じろって言っておいて、それは無いよな)
信頼関係を築くには、まず自分から。鉄則は、絶対だ。すっかり忘れてしまっていた。
俄然、活力が湧いてきた。未帆は、亮平に託してくれている。無下にするわけにはいかない。
(未帆のためだけじゃない。俺だって、未帆と共に歩みたいんだ)
他人に貢ぐための力より、自分自身の願いをかなえようとする方が、やる気が増大するに決まっている。
これまで亮平には、達成したいと思える目標が第三者視点のものばかりだった。今、ようやく自ら成し遂げたいゴールが出現したのだ。
『いつでも、亮平の味方だからね! ふぁいと、ふぁいとー!』
架空の未帆は、空気と混ざり合って溶けて行った。
(未帆、いつもありがとう。自分を見失ってた)
亮平の妄想が生み出した存在であることには違いない。が、生み出しただけだ。発言や行動は、亮平でも予想が付かない。人格が未帆であることに変わりはない。
両脚で跳べば、狭い範囲ではあるが移動は可能だ。
脱出口がないかと、部屋に探りを入れようとした、そのタイミングで。
「おい、霧嶋亮平。めでたいニュースとめでたいニュース、どっちから聞きたいんだ?」
先ほどとは別の手下が、ドアを蹴り開けた。
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